第5話 人狼の寝床
具沢山スープの肉団子は美味しかった。
確かに美味しかったが、それが植木鉢に生えてた人間然の腕と知って、果たして平然としていられるものであろうか。しかも、知らされた後に気絶してしまい、しっかり消化された後で吐き気を覚えても、腹には食を求める主張しかない有り様。
それを今度は目の前で実演されて、ショックを受けない訳がない。しかも、あんな風に扱うなど。……子どもの生死がかかっていても、人間ではないという理由だけで、あっさり見捨てる人とは知っていたけれど。
本当……退屈しない。
良くも悪くも。
天秤にかけたなら悪い方へ間違いなく傾くだろう。
そんなことを思いつつ、目を開ける前に深くため息を零す。
すると閉じた瞼の向こう側で影が作られ、微かに感じていた光が失われてしまった。
次いで尋ねる声音。
「起きたか?」
「……ワーズさん」
――ではない。
彼の声は不鮮明で耳障りで、反面、とても安らげる、不思議な音。しかして今、甘い吐息と共に身を震わせる声音は、包み込むように低く、苛むように優しい、知らない音。
ゆえに恐る恐る目を開けば、光源を背にしたシルエットを視認し、こげ茶の瞳が揺れに揺れた。状況を理解する前に訪れた恐怖が映すのは、白く鋭い歯の陣列と、獣の頭を持つ白い衣に包まれた逞しい男の体躯。
「ワーズ、だと? よりにもよって、この俺をアレと間違えるのか、小娘」
「じ、人狼…………ひっ!」
短い悲鳴を上げ、覆い被さる影から上へ逃げるべく身を捩り、手足をばたつかせた。が、掻けども掻けども満足に動けず、理由を求めて己の手を見やったなら、両手首が結ばれているのを知る。柔らかい布を用いた同じ拘束を足にも感じ、混乱から動きが停滞すると撫ぜられる頬。
爪と思しき硬質に痛みはないが、触れる圧は柔らかくも冷たい。
「奴の次は、人狼か。間違ってはいねぇが……ちぃとばかり違うな。おい、小娘」
「いやっ!」
「おっと!」
手を伸ばされ、反射で振り払えば、目の前の人狼は慌てたように頬の爪を引っ込めた。次いで素早く泉の両手の拘束を取ると、頭の上に押しつける。
「危ないぜ、小娘。人間の肌なんざ、すっぱり切っちまう爪だからな?」
言って翳した爪の色は、背後の光を受けて艶めく青黒い毛並みに眩い、染み一つない乳白色。かといって、拘束された手から伝わるその感触は、ある日に泉の首を這い、絶望させたモノと同様、もしくは勝る鋭さがあった。
もがき、逃れたいのに、意に反する身体は刃の感触を恐れて震えるのみ。
抵抗一つ、させてくれそうにない。
このまま何も出来ず、逃れたはずのあの夜の続きを強要されるのか。
弱味なぞ見せたくもないのに勝手に涙が溢れてきた。
「……ぐっ……ひっ……ぅうう……」
せめて嗚咽だけは漏らすまいと唇を噛み締めても、噛み合わない歯は、ちっぽけな自尊心すら打ち砕いて声を上げさせる。
そんな泉をせせら笑う声が頭上からおりてくる――と思いきや、
「どうした、小娘? 拘束がキツかったか? それとも暗所恐怖症か?」
酷く困惑した声が上からもたらされた。
どうしたもこうしたも、原因は全てこの人狼にあるのだが、分かっていないらしい。奇人街の男というのは、どいつもこいつもデリカシーがないと思いながら、泉は泣くことを止めず、それどころか閉ざしていた口を開けた。
へらりと笑う赤い口で「太い」と散々言って退けた黒一色の男を浮べ、そこから勇気ではなく憎悪を引っ張り出して、
「何なんですか!? どうしたって私が聞きたいくらいです! ここはどこです? あなたは誰なんです!? 私をどうするつもりですか!?」
「……元気、だな」
ほっとしたような声を聞いて、もう一度、今度はしっかり相手を睨んで言おうとしたなら、頬の皮膚が爪に撫でられた。甲で撫でられたのだろうが、硬質な感覚は泉の身を萎縮させるのに充分で、空気のような悲鳴が喉の奥から漏れてしまった。
すると不可解にも人狼は、泉の身を労わるように抱き締め、髪を撫でた。
ぷちんと音がして、頭が軽くなったのを受け、いつの間にか髪を結ばれていたと知る。ワーズは泉の髪は下ろした方が良いというから、たぶん、この人狼が結んだのだろう。
鋭い爪を持ちながらずいぶん器用だ。
だが、感心している暇はない。
抱き締められたお陰では決してないが、爪の重みは失せたのだ。
頭上に押し付けられていた両手の指を絡ませ、一気に人狼の頭に叩きつけた。
――が。
「いだっ!?」
格闘経験は皆無だが、自分なりに良い具合の威力が出せると思った拳は、振った力をそのまま泉の腕へ伝えた。
「……小娘。何がしたいんだ、お前は?」
解いた両手の痛みにじんわり涙が浮かべば、それこそ何がしたいのかさっぱり分からない人狼が、頭を掻きながら上半身を起こす。
どうやら打撃は一応効いていたらしい。
痒みを引き起こすくらいには。
「…………石頭」
ぼそり口を尖らせては横に吐き出し、キッともう一度人狼を睨みつけた。喉に震えはあるが、すぐ様殺傷される危険はないと仮定して、気力を掻き集めて言う。
「あ、あなたが答えないからでしょう? わ、私、芥屋にいたはずなのに、ここは誰であなたはどうで私をどこしようと――」
「待て待て待て。とりあえず、お前の混乱っぷりは分かった。きっちり説明してやるから、まずは深呼吸しろ」
まるで幼子に言い聞かせるが如く、横に移動しては泉の腹をぽんぽん叩く人狼。
掛かる重みもなくなり自由を得た泉だが、人間外の力は思い起こしても到底敵うものではなく、加え自分は非力な少女で相手は逞しい身体つきの男。しかも手足には緩そうな割に、どれほど捩っても解けない拘束を受けている身の上。
たとえ相手が人間であったとしても逃げるのは至難だろう。
ヘタに抵抗して相手の気を逆撫でするのは良くない。
いや、この人狼が、そういう抵抗を好む嗜虐体質の変質者だったら、更に危険である。なにせ相手は、怯え逃げようとした泉を捕らえ、耳障りな嘲笑浴びせた、あの人狼と同じ種。
ここはひとまず大人しく、言われた通り深呼吸を――。
「よし。良い子だ」
数度繰り返せば、柔らかく褒める言葉と共に、前髪が優しく撫でられた。
(……もしかして、失敗? 思い通りになるのが好きとか!?)
結論づければ顔から血の気が引き始め、人狼が身を起こしたのを見ては、身体がビクッと反応してしまった。
しかして人狼はそれを横目で捉えていただろうに何も言わず、ため息とも欠伸とも取れるか細い息を吐いて、髪を掻きあげるように頭を掻いた。その仕草一つ一つが妙に色めいていて、恐怖心とは別に、泉の身をぞくりと震わせる。
「さて。ではまず、何から知りたい? 答えろと言うが、お前の質問は矢継ぎ早で、一体どれから答えたものか全く検討が付かん。んん?」
告げた声音は温かな笑みを感じさせ、恐ろしいことに泉の緊張をあっさり解してしまった。
これを知ってか知らずか、伸ばされる爪。
だが、あれほど恐れた硬い感触が頬に触れても、乾いた涙跡を辿っても、魅入られたかのように人狼の目を見つめる泉は身じろぐことなく、
「…………もしかして……あなた、あの、シウォン……さん?」
呼べば、天窓と思しき箇所から届く柔らかな月明かりの下、人の姿の時よりも鮮やかな緑の双眸がくるりと一層輝いた。
「そうだ。……だが小娘、お前、人狼の昼と夜の姿の見分けもつかねぇのか? 店番やるなら理解しとけよ、そのくらい」
「そ、そんなこと言われても……」
からかうような肯定に抗議しつつ、きちんと人狼の姿を見たなら、青黒い体毛や白い衣服は昨日の昼間に見た、美丈夫の髪色と服に似ていると気づく。
ついでに思い返される、毒だとか、自分に溺れさせて腹掻っ捌くとか、碌でもない安心の全くできない曰くたち。
そうなるとじりっと身を捩ってしまうのは仕方ないこと。
しかし、酷く動きづらい地面に身体が沈んでしまい、慌てて両手を用いて身を起こす。余裕はなくとも仰向けより開けた視界、色とりどりのクッションの山の上にいるのだと知った。しかも薄暗い明りにも鈍い反射しか返さない一部の色合いは、染み付いた錆色だ。
奇人街の夜にしては静かな室内、寝るのに快適そうなクッションの柔らかさ、そして、その和みをぶち壊す、おどろおどろしい血痕。
「こ、ここって……」
「ほう? 察しの良い。その様子では俺のコトも聞いているようだな。ああ、そうだ。お前が想像した通り、ここは俺の寝床の一つであり、食事場の一つでもある。ここで大半の従業員は処理したな。面白そうなのはまた違う場所に持っていったが……どうした、小娘。顔色が嫌に悪いじゃねぇか」
声には優しさを含ませつつ、青ざめ固まった泉を満足そうに眺めるシウォン。
思考乱れる眼前で、乳白色の爪が月明かりの下、泉へ伸ばされ――……。




