第8話 手当
――自分よりあの子を助けて。
そんな泉の訴えを、ワーズが聞き入れることはなかった。
労わるようにラオ近くの切り株に座らされ、腕の治療を優先するワーズに対し、泉は「大丈夫です!」と突っぱねる。
怖い思いは散々したが、今となっては全て過去。
助けが必要なのは、こうして泣いていられる自分ではないのだ。
「わ、私よりもシイちゃんの方が危険なんです! あの子、自分より私を優先させて。だから、私なんかよりも先に――痛っ!?」
涙ながらの訴えを遮るように、ワーズが泉の右腕の布を取っ払う。
「酷い傷だ。一度芥屋に帰らないと。我慢してね、泉嬢」
「ワーズさん!?」
あからさまな無視に泉は非難の声を上げた。
剥き出しの傷口も放ってワーズの手を払い、左手で邪魔な涙を拭い取る。
ワーズは泉の怪我を最優先にして頼みを聞き届けてはくれない。
ならば、幽鬼が大好物だというあの二人はどうだろう。
あの鳥人の女は言った。幽鬼を狩るヤツがいると。
猫と史歩は確実に、狩るだけの強さを持ち合わせているはずだ。
困惑した顔にも怯まず、泉は問いかける。
「猫……猫はどこにいるんですか?……史歩さんは?」
容易く暴漢を手玉にとった猫。
地を穿とうと傷一つつかない腕を切り飛ばした史歩。
最後に見た彼らはワーズと共にいた。それゆえ、共に行動していると思い込んだ目が、せわしなく周囲を見渡す。
「……泉嬢。彼らはここにはいないよ。それに押しつけは良くない」
「っ! お、押しつけって、私は…………」
癇癪を起こした子どもへ言い聞かせるような、穏やかな声音。責めるでもないワーズの口調だが、紛れもない事実を突きつけられ、泉は狼狽えた。
しかしそれは、指摘そのもののせいではない。
それよりももっと、根本的な気づき。
力をなくした頭がうなだれる。
早々に右腕の手当てを再開したワーズは、柔らかく告げた。
「さ、帰ろう? 君は無力で、シイは見越して逃がしたんだから。なにより――」
強い憤りがため息に混じる。
「なんでこんな怪我してまで君が、アレを助けなきゃいけないんだい? 足だってこんなに傷つけて」
「っ!」
新しい布で傷口が覆われ、ボロボロの靴下が剥ぎ取られた。
現われた素足には擦り傷の赤みが数箇所に及ぶ。
しかし、そんな外傷よりワーズの言葉が突き刺さった。
「なんで」と問われ、「何故」と己に問う。
まともに会話をしたのは、今日が始めてだ。
出会いはこの男に負けず劣らず最悪。
助けられたといっても、見返りのように血を――少量でも――与えたではないか。
助けるのに理由はいらない、とは泉には言えない。
――でも。
名を呼んで、応えた。
泉も呼ばれ、応えた。
知覚し、無ではなくなった関係。
それだけで充分、助けたいと願う理由にはならないのか。
我が儘という自覚はある。自分の無力を理由に力ある猫たちへ、願望を押しつける狡い考えが、全くないといえば嘘になる。
確かに、ワーズの言い分は正しいのだろう。
それでも、助けたいのだ。
答えは明白に返る。
しかし、拒まれるどころか術自体、ここにはいない。
絶望感に苛まれ顔を覆う。
閉ざした視界の向こうでワーズが息をつき、前髪が揺れる。
次いで包帯を巻かれた足が包まれ、何事かと手を外せば白い靴が履かされていた。どこから出したのか分からぬ靴は、外を恐れ、店番すら拒み続けていた泉に用意された品。だというのに、初めて履いて目指す先が芥屋というのは滑稽だった。
自嘲に顔を歪める泉を知らず、諦めてくれて良かったと言外に伝わる吐息。
髪を滑るように伸びた手は、引っつめていた紐を解く。泉自身の緊張を消し去ろうと、血や泥に汚れたクセ毛がパラパラそれらを剥がし、柔らかく広がった。
それでも貼りつく乾いた血は、ワーズの手によってほぐされ、慣らされていく。
無言の動作は優しく、どこまでも温かい。
薄情な人だと責める反面、己の考えの甘さに吐き気がする。
結局彼は、人間だから泉を助け、人間ではないからシイを放っておくのだ。
人間とそれ以外に対する感情は理解しているつもりだったのに、彼に会えれば万事解決すると勝手に期待してしまった。
最初から、完全に間違った方向へ進んでいたのだ。
軽い音が闇に舞う。
黒いコートが泉を包んだ。
顔を上げれば、なおも黒一色の男。
「少し熱っぽいからね。早く温かいところで治療しなくちゃ」
こんな時でさえ、のんびり笑う。
せめてもの抵抗に払えば良いものを、夜気を嫌った手はこれ幸いとコートを引き寄せ、泉を失望させた。
――と。
「史歩の嬢ちゃんは分からんが、猫のいる辺りなら分かるぞ」
それまで黙っていたラオが口を開く。




