第7話 お届け物
「泉っ!?」
シウォンの叫びの中、鮮血が再度舞い、引き抜き裂いた右腕をでたらめに振る少女。白い衣が血に染まっても構わず、あやすように押さえつけるシウォンだが、突如暴れ始めた泉は、刃に似た爪への怯えもなく払おうとする。
突き飛ばされた形で泉を放したシウォンは、なおも暴れる彼女へ追い縋り、これを好機と見たランは、その爪がかかる直前、駆けた勢いのまま拳を繰り出した。
鈍い衝撃音、よろけ飛ぶ白い衣。
浮かぶ表情は怯え、転じ、憎悪。
「……何故だ……俺の何が気に入らねぇ! 泉!!」
「全部だろ」
体勢を立て直す前に側面を蹴りつける。
――だが。
(うぐ――っ! 不味い……!)
ここでいきなり二日酔いの名残がぶり返した。
確実に入った蹴りだが、シウォンの身体を飛ばす威力には至らず、逆にその足を取られては地へ叩きつけられる。声を上げず、呻きも顔に出さず、一、二度跳ねて体勢を立て直す隙をつかれ、もう一発。
避けても爪が掠め、着物が裂けた。
これに一瞬気を取られたなら、肘が頭に打ち込まれる。
「グっ!」
「ほお……?」
さすがに堪え切れず鼻面に皺が寄った。
シウォンの眼に本来の嗜虐性が宿る。
痛みから押さえてしまった手を掻い潜り、転がった頭が踏まれ軋みを上げた。
「っが……」
「そういやお前、本性のまんま陽に当たってたな? 酒に弱いのは相変わらず、か? そんな身体で俺と決着をつける……さすがは狡月様、と言ったところかぁ? ああ?」
声音は低く優しく、しかし顔には陰惨な嗤いを浮かべたシウォン、踏み込む圧が増すと共に捻りが加えられる。
どうやら、一方的な友情を胸に乗り込んだ情熱が、二日酔いのダメージを一時的に忘れさせたらしい。それが珍妙な場面の連続で萎えに萎え、現在、吐き気と頭痛を呼び戻した上、外からの嫌味ったらしい攻撃を受けては増長。
結果、ランは外と内に敵を見る羽目となってしまった。
容赦ない攻めの激痛に喘ぐ声も出せず、優位に立つシウォンをそれでも睨めば、金の眼が揺れた。
慄きに。
「人の恋路、邪魔する奴が悪ぃっ!」
「ぎっ!」
終わりだと言わんばかりに頭を突き抜けた衝撃は床を陥没させた。
だが、ダメージは肉体より精神に偏る。
(酷い顔だ……。本気、なのか、泉さんのこと……勘弁してくれ、気色悪い!)
「かはっ!」
足蹴から解放され、毒気を吐く咳をすれば、腹が蹴り上げられた。
ボールの如く宙に浮いた身体は、すぐさま壁へ叩きつけられ、苦痛から勝手に跳ねる。粟立つ痛みを振り払い、立つために前を見、ふらつく焦点が合わされれば息を呑んだ。
ランを排除し終わったと、トドメも刺さず、また泉の元へ戻るシウォン。
泉の方は乾いた目を開き、声なく狂乱したまま、耳を塞ぎ、首を振り、全てを拒絶している状態だというのに。
自虐的な顔つきで、母を求める幼子のように少女の名を呼び近づくのは、狂乱する彼女以上に、不安定な危険を孕む。
ここでまた払われても、シウォンは構わず爪を伸べるだろう。
切り裂かれ血に染む泉を無理矢理――想像に難くない。
死体を弄る趣味など持ち合わせていないはずだが、今のシウォンにはソレすら感じさせる、異様な執着心が見て取れた。
(シウォンといい、クァンといい――ワーズといい、どうして彼女にそこまで?)
浮べた全員が全員、自分より長い時を生きているのは知っているが、だからこそ、なおさら分からない、己より年若く、生きた時も短い少女へ固執する理由。
確かに良い子ではあるが、ランにとって泉はそこまでして拘る対象ではなかった。
またも段々、本性に従って逃げ帰りたくなる自分を叱咤し、壁から身体を引っ張り剥がす。瓦礫の一部を掴み、シウォンの即頭部を狙って投げた。
たったそれだけの動作でもキツイのだから、当たれ! と祈れば、見事に命中。シウォンの上半身を仰け反らせた一撃は、再びこちらを標的にするだけの威力をみせた。
だが、甘かった。
緑の視界は憎悪をちらりとも見せず、何事もなかったかのように泉へ手を伸ばす。
ゾッとする光景。
痛みに耐えるのを諦めて気合を発し、立ち上がったは良いが、例え二日酔いがなくとも間に合わぬ距離と知る。
「シウォン!」
叫び呼べば――
突如として起こる、轟音。
次いで上がるのは、粉塵。
何が、と考えるより先に、穿たれた穴から黒い物体が勢い良く落ちてきた。
「ぶへっ……うううぅ……ま、猫、酷いよ」
一体どのくらいの高さから落ちたのか。
想像もつかない速度で、穴がもたらした残骸の上へ叩きつけられた男は、落下の衝撃を感じさせない動きで立ち上がると、コートの裾を呑気に払う。
見知った姿に現状を忘れて惚けた。
「わ、ワーズ……?」
人狼のような超回復以前に、傷一つついていないらしい、その様子。
ふと、ある噂話がランの頭を過ぎった。
人間以外を嫌い、客として来たならば相場の何倍もの金額を吹っかけ、もしくは嫌味に嫌味を重ねた言動を好んで行う芥屋の店主。
そんな彼が、一夜にして犯罪の揃う奇人街で、へらへら生きていられる理由。
それは、一応人間と自称するくせに、猫が本気を出したとて、傷一つつかない丈夫さを誇るため――というなんともインチキ臭い噂話。
今の今まで、猫が恐ろしいから店主にも手を出さない、そう思っていたラン。
しかし、人狼でも生きていられそうにない状況を、いつも通りふらふら歩く姿を見ては、噂は本当だったのかと呆気に取られてしまう。
「ゥ」
「んー? シウォンじゃないか。はっ、もしかして下敷きになっちゃったの、無っ様ぁ。危機察知が聞いて呆れるねぇ?」
わざわざ瓦礫の下敷きとなって動けぬ身体の上でしゃがみ込み、挑発的に右手の銃をコツコツ自身の頭へ当てる。
いつもであれば激昂するだろう青黒い人狼は、終始無反応。
下敷きになった衝撃で気絶しているのだと知れた。
ひとまず回避された不穏に、ランはほっと息をつく。
そこへ。
「あれ? 泉嬢……?」
ワーズの呑気な声に、思い出して泉を見れば、ギリギリ瓦礫の被害を受けなかったところで、まだ暴れていた。
余裕ができたことにより読み取れた感情は――嘆き。
声なき慟哭を続けるそんな少女に近寄る、黒一色の男。
シウォンの爪さえ怯まず暴れたのを浮べ、咄嗟に注意を叫びかけたランだが、変わりに出てきたのは、
「え………?」
という空気だけ。




