ドラゴン付きサーキットトレーニング
翌朝。
「ロウト、起きて」
「起きてます……起きてるけど身体が拒否ってます……」
毛皮の山の中でジタバタしていたら、サルサに容赦なく毛皮ごと引きはがされた。
「今日は身体」
「始まった……」
「心のほうは昨日ので“ゼロから一”までは行った。
だから、身体も一にする」
「一でいいんですか?」
「最終的に百まで行くけど?」
「やっぱりそうですよね!!」
抵抗むなしく、俺は洞窟の外へと連行された。
◆ ◆ ◆
広場の外れ、森の奥に向かう細い獣道。
ガルドが腕を組んで待っていた。
背中に例の鉄塊大剣。
その足元には――見覚えのある巨大な影。
「お前……」
黒い鱗、黄金の瞳。
昨日まで俺を地獄ランに付き合わせてくれていた、あのドラゴンだ。
ただし今は、首輪みたいな魔道具をつけられて、地面にゴロンと横たわっている。
「……なんか、すごく不満そうにこっち見てる」
「こいつも修行相手にはちょうどいい」
サルサがさらっと言う。
「名前は?」
「あるけど、人間言語だと発音しづらいから、“クロ”でいい」
「ドラゴンにしては急に庶民的……」
クロは「グルル」と低く唸った。
名付けられたのが気に入らないのか、そもそも状況が気に入らないのか。
どっちにしろ不機嫌なのは伝わってくる。
「じゃあロウト。今日のメニュー」
サルサが、地面に簡単な図を描いた。
広場をスタート地点として、森の中をぐるっと回る一本の道。
途中で川を越え、小さな崖を上り、倒木をくぐり抜ける。
「一周、およそ五キロ」
「いきなり距離が現実的にしんどい!」
「普通の人間でも走れる距離だから大丈夫」
「“普通の人間”の定義もう一回確認しません!?」
「で、このルートの途中途中に、ポイントを置く」
サルサが点を打っていく。
「A地点:リザード群。
B地点:スライム沼。
C地点:小型オーガ。
ゴール手前:クロ」
「待って、軽く言いましたけど最後のだけ明らかに格が違う!!」
「大丈夫。クロは今、首輪で魔力を制限されてる」
サルサがドラゴンの首元の魔道具をコツンと叩く。
「本気の一割も出せない」
「一割でも死ねるわ!!」
「だから、お前の範囲弱体化とあわせて、ぎりぎり“逃げ切れるライン”に調整してある」
「そういう計算だけ妙に精密なんだよなこの師匠!」
◆ ◆ ◆
「目的はふたつ」
サルサが指を立てる。
「一つ、敵に追われながら動き続ける身体を作ること。
二つ、自分の特性の“範囲”を、身体感覚で覚えること」
「……“身体感覚で”?」
「昨日は幻影相手に敵認定したでしょ」
「しました」
「あれは“誰に効くか”の訓練。
今日は“どこまで効いてるか”を、走りながら把握する」
サルサは、俺の胸元を軽く指でつついた。
「お前の範囲弱体化は、“ここ”から波紋みたいに広がってる。
敵が範囲の端にいるときと、ど真ん中にいるときでは、ポンコツ具合が違う」
「さっき言ってた“帯”ってやつか」
「そう。お前が走れば、森の中に“敵がポンコツになる帯”が一本刻まれる。
――世界のほうから見れば、“ここだけ難易度おかしいエリア”になる」
「ゲームバランス崩壊の犯人、俺だった!?」
「いずれ誇っていい」
いや誇りたくはない。
「とにかく、今日は身体。
“敵を範囲内に入れて走る感覚”を覚える」
サルサが、ぴっと指を鳴らした。
次の瞬間、森の奥の茂みがざわざわと揺れ、
――バサバサバサッ!!
無数の鳥が、一斉に飛び立った。
「……何しました?」
「ルート上の魔物に、“ちょっとこっちおいで”って合図出した」
「やっぱり世界規模で嫌がらせしてるの師匠なんだよなぁ!!」
ガルドが、どかっと丸太に腰を下ろす。
「俺は途中途中で見ている。
死にそうになったら、気が向いたら助けてやる」
「気まぐれすぎるんですよ世界最強格!」
「生き残ったらパンを焼いてやる」
「それはちょっと頑張りたくなる!」
リヴィは、空中に浮かんだまま手を振った。
「はいはい、じゃロウト、いってらっしゃ〜い。
あ、途中で死にそうになったら、死に顔はそれなりに整えてあげるから安心して」
「安心材料の方向性おかしくない!?」
◆ ◆ ◆
「ロウト」
サルサが、俺の真正面に立った。
青い長髪が揺れる。
淡い緑の瞳が、まっすぐ俺を見ていた。
「もう一回だけ確認」
「はい」
「これは“修行”だけど、同時に“実戦”でもある。
ここで手を抜いたら、普通に死ぬ可能性がある」
「……わかってます」
「じゃあもう一つ」
サルサは、帽子のつばを軽く持ち上げる。
「死にたくない?」
「死にたくないです」
一切迷わず言えた。
「恥かくのも嫌です。
せっかく“地獄コースでお願いします”て言っといて、初日で死ぬのもダサすぎます」
「よろしい」
サルサの口元が、わずかに緩む。
「じゃあ、走りなさい」
その一言を合図に、俺は森の中へ駆け出した。
◆ ◆ ◆
走る。
最初のうちは、ただのランニングだ。
木々の間を抜け、根っこを飛び越え、落ち葉を踏みしめる。
何度も往復させられている道なので、ルート自体はわかっている。
昨日までの地獄ランで、嫌というほど覚えさせられた。
(問題は、ここからだ)
A地点までは、ただのアップ。
問題は、その先――
「……来た」
茂みの奥から、低い唸り声。
リザードだ。
昨日も何匹か見た、小型のトカゲ型魔物。
ただし今日は、妙に数が多い。
五匹、十匹……いや、もっと。
「師匠、サービスしすぎでは!?」
俺が叫ぶより早く、リザードたちが一斉にこっちへ向かって走り出した。
が――
その先頭にいた一匹が、派手に転んだ。
「ぎゃっ」
自分の足に自分でつまずいている。
後ろのやつも、避けきれずにその背中に突っ込んで、見事に雪崩を起こした。
ズザザザザッ!!
「……うん」
自然と、苦笑が漏れる。
(俺の範囲に“入った”な)
さっきまで、遠目に見ていた時は普通の足運びだったのに。
俺の方へ殺到しようとした瞬間、足がもつれた。
黒い靄が、視界の端にふわりと見える。
俺を中心に広がる、目には見えない“磁場”みたいなもの。
(この辺が――おおよそ範囲中央)
意識してみると、なんとなくわかる。
ここに立つと、敵の動きが一段階悪くなる。
逆に、少し離れると、「まだマシ」くらいの鈍さになる。
「師匠が言ってた、“帯”ってこういうことか……」
リザードたちが、ヨロヨロ立ち上がる。
今までなら、ここで真正面から迎え撃っていた。
でも今の目的は、“倒す”ことではない。
(範囲の真ん中を保ちながら、抜ける)
リザードたちの横を駆け抜ける。
ときどき、噛みつこうとしてきた口が空を切る。
足がもつれ、尻尾が変な方向に振られ、互いの頭を殴り合う。
……うん、なんかちょっと申し訳なくなってきた。
「悪い、ちょっと我慢してくれ!」
心の中でリザードたちに謝りながら、A地点を突破した。
◆ ◆ ◆
B地点、スライム沼。
「うわ、気持ち悪……」
ぬるぬるした半透明のスライムが、沼地一面にうごめいている。
普通なら、足を取られるだけでなく、装備を溶かされる危険なエリアだ。
(範囲、範囲……)
勢いを落とさず、沼の手前でジャンプ。
そのままぎりぎりの場所に着地し、足場を選びながら駆けていく。
スライムたちが、こちらに気づいて跳ね始めた。
ぷるんぷるんぷるん。
――が。
「お?」
跳ねようとした瞬間、失敗した。
普段なら一定の高さまでジャンプしてくるはずなのに、
俺の周囲数メートルのスライムだけ、全然飛べていない。
ぬちゃっ。
ぬちゃぬちゃっ。
自分の身体の重さに耐えきれず、潰れている。
「……お前ら、それでいいのか、スライムとして……」
『気にしないで進みなさい』
頭の中に、サルサの声が飛んできた。
『今のお前の“感覚”を覚えること。
範囲の端はどこまでか。真ん中はどこか。
走りながらでも、無意識に取れるように』
「了解!」
あえてギリギリのラインを通ってみる。
少し離れると、スライムたちはちゃんと跳ねる。
ギリギリの位置だと、半分くらい失敗する。
ど真ん中まで来ると、ほぼ全員転ぶ。
(――ここ)
この“なんとなくわかるライン”を、身体に刻み込む。
◆ ◆ ◆
C地点、小型オーガ。
「ぶほぉ!」
「近っ!!」
いきなり茂みから飛び出してきた。
反応が遅れて、腕の振りを横っ面にかすめられそうになる。
ギリギリで身をひねって回避。
頬に一筋、浅い傷。
「っぶな……」
オーガの動きは……遅い。
ただしさっきまでの魔物より、元の筋力が高いぶん、“遅いのに重い”。
「……」
(これ、多分――範囲の“端っこ”だな)
さっきのリザードやスライムより、明らかにポンコツ具合が少ない。
でも、完全な全力でもない。
距離を詰める。
真正面からではなく、円を描くように走る。
オーガが、何度も振り返りながら俺を睨む。
足取りが、少しずつ鈍くなっていく。
視界の端で、黒い靄が濃くなる。
(今――ど真ん中)
その瞬間、オーガの足が盛大にもつれた。
「ぶぉっ!?!?」
自分の踏み込んだ足に自分で体重を乗せきれず、そのまま前のめりに倒れる。
ドガァァンッ!!
地面が揺れる。
「よし、通る!」
倒れたオーガの脇を、すり抜ける。
息は上がってきた。
足も重い。
でも、“範囲の感覚”は、さっきよりはっきりしてきていた。
◆ ◆ ◆
息を切らしながら走っていると、森の木々が急に開けた。
ゴール手前の広場――
「……おいおいおい」
そこにいたのは、寝転がっていたはずのクロだった。
黒いドラゴンが、ゆっくりと首をもたげ、黄金の瞳で俺を睨む。
首輪の魔道具が、うっすらと光っている。
「グルルル……」
喉の奥から、低い唸り声。
サルサの声が、頭に響く。
『クロの出力は今、一割にも満たない。
ただし、お前の特性込みで“ギリギリ逃げ切れるライン”』
「ギリギリとかいう不穏な言葉本当にやめて!?」
『ここでやることはひとつ。
クロの“間合いのギリギリ外側”で、範囲の真ん中を維持しながら走る』
「両方ギリギリなんですけど!?」
クロが、前脚で地面を掻いた。
次の瞬間――
ズドォンッ!!
巨体からは想像できない速度で、距離を詰めてきた。
「っうおおおお!!」
反射で横に飛ぶ。
咆哮が背中をかすめた。鼓膜がビリビリ震える。
振り返ると、クロが少しよろめいている。
さっきの突進が、ほんの少しだけ“もたついた”のが見て取れた。
(効いてる……!)
デカいぶん、弱体化しても単純な質量で押してくる。
でも、俺の範囲の中にいる限り、“本来のドラゴン”ほどのキレはない。
「問題は、こいつの範囲内に俺が入りすぎないことな……!」
クロの爪の届く範囲。
ブレスの射程。
尾の一振りで薙ぎ払われる範囲。
それらをすべて「だいたいこの辺」と想像しながら、できるだけその外側を走る。
でも、逃げ切るだけじゃ意味がない。
サルサがさっき言っていた。
『範囲の真ん中で敵を走らせ続ける。
それができれば、どれだけ強い敵でも、数分後には足が死ぬ』
俺は、心臓が跳ねるのを感じながら、クロの頭の位置を見た。
「――こっちだ、クロ!」
わざと、少しだけ距離を詰める。
クロの瞳が、ぎょろりと動いた。
次の瞬間、巨体がこちらに跳びかかってくる。
「マジでバカだろ俺えええ!!」
足元を滑らせるようにして、ギリギリで横を抜ける。
クロの足元が、少しだけもつれる。
ドシンッ。
完璧な着地、とはいかない。
重心がほんのわずかにブレて、爪が地面を抉る。
(今のだ。今の“ブレ”を何回も起こさせる)
範囲の真ん中を維持しつつ、クロの間合いの外側をなぞる。
少しでも近づきすぎれば、爪に引っかかる。
離れすぎれば、弱体化が薄くなる。
綱渡りみたいなバランスだ。
「っは、はぁ、はぁっ……!」
呼吸が荒くなる。
脚が鉛みたいに重い。
それでも、止まれない。止まったら死ぬ。
クロの突進が、だんだん鈍くなってきた。
最初の一歩のキレがない。
ブレーキも上手くかけられていない。
「……っ」
(もう少し)
自分の心臓の鼓動と、クロの呼吸の荒さを同時に聞く。
この森の中の、この瞬間だけ。
ドラゴンと人間が、同じように息を切らしている。
(あと一周……)
限界を一歩踏み越えたところで――
『ストップ』
サルサの声が、頭に響いた。
「っ、は……?」
足が止まる。
ほぼ同時に、クロが前のめりに倒れ込んだ。
ドオォォンッ!!
地面が揺れ、土煙が上がる。
クロは苦しげに息を吐きながらも、こちらを睨むのをやめない。
だが、その瞳の奥には、ほんのわずかに“驚き”の色があった。
「……生きてる?」
「い、……生きて、ます……」
膝から崩れ落ちる。
視界の端に、サルサとガルドとリヴィの姿が見えた。
◆ ◆ ◆
「三点」
サルサが言った。
「昨日より一点アップ」
「十点満点中の三点……!」
「死ななかったから加点。
クロの間合いのギリギリ外側を、“なんとなく”じゃなくて意識して走れてたから、さらに加点」
「“なんとなく”は昨日卒業したと信じたい」
「まだ“なんとなく寄りの意識的”くらい」
「微妙に悔しい評価!」
ガルドが、クロの側に歩み寄って、首筋を軽く叩いた。
「どうだった?」
「グルル……」
ドラゴンの低い声が、どこか迷惑そうに唸る。
ガルドが振り返って笑った。
「“鬱陶しい”そうだ」
「え、それ褒め言葉なんです?」
「ドラゴンから見て、“鬱陶しい相手”ってのは悪くない評価だ」
リヴィが、ひらひらと手を振った。
「おつかれ、弟子くん。
今日の森、ロウトの通った後だけ“魔物転倒率”がバカみたいに高かったわよ」
「そんな統計あるんですかこの森……」
「あるわよ〜。
“ロウト帯”って名前で呼び始めてもいい?」
「やめて!? 絶対後でギルドの報告書に変な形で載るやつだからそれ!!」
サルサが、ふっと口元だけで笑った。
「まあ、今日の成果は上々」
「上々……!」
「森の一角が、“お前が通ったせいで魔物にとっての地獄”になってる」
「言い方ァ!!」
「そのうち、森の外から見ても“あそこだけ魔物の配置がおかしい”ってわかるようになる」
――そう。
俺が走り回ったこのルートは、
魔物たちにとって「行きたくない場所」になりつつある。
範囲内に入れば、足がもつれ、攻撃は逸れ、転びまくる。
その経験をしたやつらは、本能的に「ここは嫌だ」と感じる。
結果――
「……この森、ちょっとずつ変わっていくんですね」
「そう」
サルサは、森の奥を見ていた。
「人の世から見れば、“捨てられた森”の奥で、何かがおかしくなっていく。
魔物の配置が変わり、危険度のバランスが崩れ、ログに異常が出る」
「ギルドが、気づきそうな変化」
「気づくだろうね」
サルサの緑の瞳が、ちらりと俺を見た。
「“ロウトがいなくなってから”の世界と、
“ロウトが修行してる今の森”の差に」
「……」
胸の奥が、じわりと熱くなる。
まだ、全然足りない。
今の俺なんて、ドラゴン一匹から逃げ切るので精一杯だ。
それでも――
(ちゃんと、“俺の存在の痕跡”が世界に残る)
ギルドの報告書。
解析班のデータ。
どこかの地図に書かれる「危険区域」の印。
それが全部、「ロウト・アーディンという一人の人間が走り回った結果」だとしたら。
「……ちょっとだけ、嬉しいかもしれない」
「いい顔してる」
サルサが、珍しく素直に言った。
「そのまま、もっと鬱陶しくなりなさい」
「世界基準で鬱陶しい存在って表現やめて!?」
ガルドが笑い、リヴィがくすくすと声を漏らす。
クロは、不機嫌そうに鼻から煙を吐いた。
その煙すら、どこか諦め混じりだった。
◆ ◆ ◆
その日の夜。
サルサの家の前の森の、さらに奥のほうで――
「報告。黒哭の大森林、中層以深の一帯で、魔物の行動ログにわずかな揺れあり」
どこか遠くの都市で。
誰かがギルド本部宛てに送った文書が、ほかの報告書に紛れて静かに積まれていく。
『特定ルート上で、魔物の転倒・攻撃ミスがやや多い傾向』
『本来の生息域とは異なる個体の小規模な移動が観測される』
『一部の調査隊が、“このルートだけ妙に歩きづらい”と証言』
致命的な異常、と呼ぶには弱すぎる数字。
危険指定を変えるほどではない、小さなブレ。
多くの解析班にとっては、
「測定誤差か環境要因だろう」で片づけられる程度の違和感にしか見えない。
――ただ、ごく一部の暇な研究者だけが、
報告書の片隅に、こんなメモを書き残した。
『黒哭の大森林・中層の一部ルートは、
まるで“誰かが通ったあとなのに、そこにいない”ような、妙なさざ波が残っている』
やがてそれは、酒場や裏通りで、
「黒哭の森には、たまに“足を取られる筋”ができる」
「森そのものに、歩き方を邪魔される感じがするルートがある」
――そんな、曖昧な噂話として語られるようになる。
けれどその小さな違和感の正体が、
一人の剣士が、
今日も息を切らしながら走り抜けた“残り香”だと気づく者は――
この時点では、まだ誰もいなかった。




