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敵と味方の「線引き」

 地獄コースに自分から片足突っ込んだ翌日。


「じゃ、本気の修行、始めよっか」


 いつも通り淡々とした声で、サルサはそう言った。


 洞窟の前の広場。

 こないだサルサとガルドが殴り合っていた、あの闘技スペースだ。


 地面には前日の傷跡がそのまま残っている。

 剣でえぐられた溝。

 膝蹴りの余波でできたクレーター。

 あれ、地面もトラウマになってない?


「お前の修行、しばらくは大きく分けて三つ」


 サルサは、指を三本立てた。


「一つ、身体。とにかく死なないための足と体幹。

 二つ、心。“敵と味方の線引き”の訓練。

 三つ、技。範囲弱体化を前提にした立ち回りと剣の練習」


「……すげぇ真っ当なこと言ってるのに、師匠の口から出ると全部怖い」


「実際怖いからね」


 悪びれもしない。


「今日はその中でも、“心”からやる」


「いきなりメンタルに来るほう!?」


「そこを放っておくと、どれだけ鍛えても全部台無しになるから」


 サルサは、ぽいっと何かを放った。


 俺の目の前に、石のようなものがコロンと落ちる。


 よく見ると、黒い魔石のような、不思議な光を放つ球体だった。


「それ、何です?」


「“線引き練習用の遊び道具”」


「遊びって言った時点で絶対遊ばせてくれないやつだこれ」


 サルサは、口元だけで微笑んだ。


「まあ見てなさい」


 そう言って、球体を指先で軽く弾く。


 ぽん、と音がして――


「……うわ」


 俺の周りに、一瞬で人影が増えた。


◆ ◆ ◆


 広場のあちこちに、十人ほどの人影が立っていた。


 鎧を着た兵士。

 ローブ姿の魔術師。

 商人風の男。

 村娘みたいな格好の女の子。


 中には、冒険者風の二人組や、子どもまで混じっている。


「え、なにこれ幻覚?」


「うん。私が作った簡易の“幻影体”。

 実体は薄いから、触れても感触はスカスカだけどね」


 サルサが肩をすくめる。


「“心の訓練”にはちょうどいい」


「……あー」


 なんとなく、やりたいことは読めた。


「まさかとは思うけど、この中から“敵”を選べって言います?」


「正解」


「ですよねぇ!!」


 この師匠、容赦という言葉を辞書から削除してる。


「ロウト」


 サルサは、俺をまっすぐ見た。


「これから何パターンか状況を変えていく。

 そのたびに、“誰を敵にするか”“誰を敵にしないか”を、自分で決めること」


「……」


「“全部敵”でも、“誰も敵にしない”でもいい。

 ただし、その選択に対して責任を持つこと」


「責任って……幻覚なんですよね、これ」


「幻覚でも、練習でついた癖は本番で出る」


 ぐうの音も出ない正論だった。


◆ ◆ ◆


「第一ラウンド」


 サルサは軽く指を鳴らした。


 人影たちが、一斉に動き始める。


「まずはわかりやすくいこうか」


 鎧の兵士が剣を抜き、こちらにじりじりと近づいてくる。

 商人っぽい男は、荷車を押したままぼんやり立っているだけ。

 村娘風の幻影は、不安そうに周りを見回している。


「この中に、明らかに“今すぐお前を殺しに来てるやつ”が何人かいる。

 まずはそいつらだけ、敵として意識してみて」


「……了解」


 深呼吸一つ。


 目を閉じて、開く。


 近づいてくる兵士の剣先。

 背後からにじり寄ってくる盗賊風の男の気配。

 視線だけこちらを測るように見ている魔術師。


(こいつらは――敵)


 そう認識した瞬間。


 視界の端で、黒い靄がふわりと広がるのが見えた。


 俺の周り数メートルを中心に、敵にだけまとわりつく、ドロッとした影。


 兵士の足取りが、わずかに重くなる。

 盗賊のナイフさばきが鈍る。

 魔術師の詠唱が微妙に引っかかる。


「おー」


 リヴィがどこからともなく現れて、感心した声を上げた。


「ちゃんと“敵だけ”デバフ入ってるじゃない」


「よし。じゃあ、このまま“敵”に集中したまま、村娘を見て」


「え?」


 サルサの声に従って、チラリと村娘の幻影を見る。


 怯えた顔。

 俺を見て、助けを求めるように手を伸ばしてきている。


(この子は……守る側)


 自然とそう認識した瞬間、村娘の周りに、薄い膜のようなものが張られた気がした。


 敵についていた黒い靄とは逆の、透明な、でも確かにそこにある“何か”。


「今の、何です?」


「“守りたい”って意識を持つと、その対象の周囲は、敵の弱体化が強くなりやすい」


 サルサが解説する。


「だからその子の周りの敵は、よりポンコツになる」


 実際、村娘に近づこうとした盗賊の足が、派手にもつれた。


 ズサッ。


 自分のナイフに足を引っかけて、盛大に転んでいる。


「うわ、こいつバカだ……」


「バカにしてるけど、これ、全部お前の特性のせいだからね?」


「俺のせい!?」


「お前が“そこだけは絶対通すな”って無意識に線を引いたから、世界がそれに従ってる」


 世界、案外チョロくない?


◆ ◆ ◆


 数パターン試したあと、サルサは指を鳴らして幻影を一度消した。


「ここまでは合格」


「合格……!」


 ちょっと嬉しい。


「敵が“明らかに敵”で、守る相手が“明らかに守るべき相手”のときは、お前の直感がちゃんと働いてる」


「じゃあ、俺、案外ちゃんとしてるんじゃ……?」


「ここからが本番」


 きっぱり言われた。


「第二ラウンド」


 球体が再び光り、幻影が広場に現れる。


 さっきとは違う面子だ。


 屈強な冒険者風の男。

 ローブ姿の僧侶っぽい人。

片目に眼帯をした女盗賊。

 人懐っこそうな笑顔の青年。


 みんな、一見「普通の人間」に見える。


「今からこいつらに、“台詞”を与える」


 サルサが指を鳴らすと、冒険者風の男が口を開いた。


「よぉ兄ちゃん、一緒に魔物狩りに行かねぇか?」


 僧侶っぽい人が微笑む。


「困っている人がいたら、助けてあげるべきですよね」


 女盗賊が肩をすくめる。


「別にあんたに興味ないわよ。ただ、ここ通るだけ」


 青年が楽しげに笑う。


「なぁなぁ、どこから来たんだ? よかったら案内しようか?」


「……」


 どいつもこいつも、人畜無害そうな顔で喋る。


「はいロウト」


 サルサが棒を突きつけてきた。


「この中に、“お前を殺すつもりで近づいてきてるやつ”が一人だけいる」


「お約束のやつ来た!!」


「さっきと同じように、“敵”を決めなさい」


「台詞だけで判別しろってことです?」


「言葉も、雰囲気も、視線も込み。

 “自分だったら誰を警戒するか”をちゃんと考える」


 うわ、これ普通に難しいやつだ。


「……」


 俺は一人ひとりを見ていく。


 冒険者風は豪快そうだが、目が笑っていない。

 僧侶は穏やかそうだが、こちらを値踏みするような視線だ。

 女盗賊は適度な距離を保ちながら、周囲の逃げ道を確認している。

 青年は人懐っこいが、俺の手元と腰の剣をちらちら見ている。


(全員怪しいんだけど??)


「師匠、これ、全員敵ってことは……?」


「“全員敵”と判断するなら、それも一つの答えとしてあり」


「ありなんだ……」


「ただし、“全員敵”と認識した瞬間、全員にデバフが入る」


 サルサが肩をすくめる。


「その状態で“本当に敵”を斬り損ねたら、お前のせいで関係ないやつも弱体化してることになるけどね」


「うわ……」


 責任の話が一段階重くなった。


(誰を敵にして、誰を敵にしないか)


 さっきサルサが言った言葉が、頭の中で反芻される。


 全部を敵にするのは簡単だ。

 全部を信じるのも、ある意味簡単だ。


 一番難しいのは、その中間。


「……」


 僧侶の目が、一瞬だけ細くなった。


 笑っているのに、笑っていない。

 口角だけ上がって、目の奥は冷えたまま。


(こいつだ)


 直感が告げた。


 俺は、心の中で“僧侶”に線を引いた。


(こいつは敵――)


 瞬間、黒い靄が僧侶の周りにまとわりつく。


 同時に、サルサの声が飛んだ。


「その判断、どういう理由?」


「え?」


「ちゃんと言葉にして」


「えーと……」


 僧侶の立ち姿。

 足の向き。

 杖の握り方。

 逃げ道の確認の仕方。


 全部を一つ一つ思い出しながら、言葉にしていく。


「笑ってるけど、視線が全然笑ってないのと……。

 最初から“助ける側”の立場で喋ってきてるのが、なんか、他人事っぽいというか……」


「ふんふん」


「あと、全員の位置取りの中で、一番“俺と距離を詰めやすい場所”にいる感じがして……」


「いいね」


 サルサが頷いた。


「今のところ、その判断は正解」


「マジで!?」


「こいつだけ、魔物と繋がってる。

 “困っている人を助けましょう”って言いながら、困ってる人を魔物に差し出すタイプ」


「うわ最悪……」


「そういうやつ、実際いるからね」


 サラッと怖いこと言うなこの師匠。


「こういうの、今までは多分全部“なんとなく嫌な感じ”で終わらせてきたと思う」


「図星です……」


「その“なんとなく”をちゃんと言葉にして、“敵”ってラベルを貼れるようにしなさい」


 サルサは、指で自分のこめかみをトントンと叩いた。


「お前の特性は、“敵と味方の線引き”から逃げられない。

 だからこそ、“嫌だと思った自分”を無視しちゃダメ」


「……」


 胸の奥が、少しだけ痛くなった。


 ギルドにいた頃。

 俺は何度か、自分の中の“嫌だ”を無視してきた気がする。


 依頼主。

 街の有力者。

 ギルドの幹部。


 どこかで、「嫌だ」と思いながら、でも“それが世界の線引きだから”と飲み込んできた。


(それが悪いって、師匠は言ってるわけじゃないんだろうけど)


 でも、特性を自覚した今、同じことはできない。


「第三ラウンド」


 サルサの声が、今度は少しだけ低くなった。


「応用編」


「うっ……嫌な予感」


「ロウト」


 サルサが、球体をもう一度弾く。


 広場の空気が、ひやりと冷たくなった。


 俺の目の前に、三人の人影が現れる。


 ――見覚えのある姿だった。


「……」


 S級ギルド《烈風の翼》の、仲間たち。


 大剣のバロック。

 槍使いのアルナ。

 回復役のシエラ。


 彼らの幻影が、そこに立っていた。


「ちょ、師匠」


「落ち着きなさい。幻影」


 サルサはさらっと言う。


「さっきの“僧侶”と同じ。姿形を借りてるだけ。本人じゃない」


「わかってても嫌なものは嫌なんですけど!?」


「だからこそ、やる」


 サルサの瞳が、じっと俺を射抜いた。


「こいつらのうち一人が、“今この瞬間だけ、お前を敵だと思ってる”」


「……」


「さっきと同じ。

 誰か一人、“敵だ”と意識してみなさい」


 喉が、カラカラになった。


 幻影だ。

 本人じゃない。

 わかっている。


 でも、俺の中にはちゃんと、彼らとの記憶が残っている。


 背中を預けた戦場。

 二人で飲んだ酒。

 シエラが怒った顔。

 アルナが笑った顔。

 バロックが半泣きで説教された日のこと。


(――敵に、するのか)


 自分の心に、そう問いかけた瞬間、胃のあたりがきゅっと縮んだ。


「……無理なら“全員敵にしない”でもいい」


 サルサが、珍しく少し柔らかい声を出した。


「それも一つの選択。

 今はまだ、“それを選んだ自分”を許していい」


「……」


 逃げてもいい。


 そう言われてる気がした。


 でも、ここまで来て、全部逃げてばっかりなの、正直もううんざりだった。


 ギルドからも、ミリアからも、ドラゴンからも、死からも。

 今まで俺は、全部から逃げようとしてきた。


 その結果が、今だ。


(だったら)


 俺は、一人の名前を心の中で呼んだ。


(バロック)


 幻影のバロックが、俺を見ていた。

 現実の彼と同じ、どこか不器用な目で。


(あの日、あの人だけは、俺を“邪魔だ”ってはっきり顔に出してたの、覚えてる)


 ミリアの前では黙っていたけど。

 戦闘の後、酒場で何度か、目を逸らしていた。


(アルナとシエラは、多分、最後まで俺を“仲間”だと思ってくれてた気がする)


 思いたい、の間違いかもしれないけど。


 それでも――


「……」


 俺は、バロックの幻影をまっすぐ見た。


 胸の奥を、ぐっと押さえつけるようにして。


(この瞬間だけは)


 深呼吸を一つして。


(あんたを“敵”って決める)


 心の中で、そう宣言する。


 黒い靄が、バロックの足元にまとわりついた。


 バロックの幻影の動きが、わずかに鈍る。


 胸が、痛い。

 心臓を直接掴まれて捻られたみたいな痛みだ。


 でも――


「よくやった」


 サルサの声が、すぐ近くで聞こえた。


「今の判断、間違ってない」


「……」


「“誰かを敵にする”ってのは、こういうこと」


 小さな手が、俺の背中を軽く叩いた。


「痛いのは、ちゃんと人間してる証拠」


「……師匠」


「お前が今感じた痛み、忘れないこと。

 それを忘れちゃうと、そのうち本当に“全部敵”にしたくなるから」


 リヴィが、少しだけ真面目な顔でこちらを見ていた。


「でもね、ロウト」


 彼女が、いたずらっぽく笑う。


「“敵にしたい相手をちゃんと敵にできる”のも、才能よ?」


「才能の方向性が物騒なんだよな……」


「世界を敵に回す予定の弟子としては、悪くないわ」


「予定入れないで!? まだ確定してないから!?」


◆ ◆ ◆


 その日の修行は、ほとんどが“心の訓練”で終わった。


 いろんな姿形の幻影。

 いろんな言葉。

 いろんな状況。


 そのたびに、俺は「誰を敵にするか」「誰を守りたいか」を選び続けた。


 間違うこともあった。

 敵にすべき相手を見逃して、全員にデバフをばらまいてしまったことも。


 逆に、本当はただの通りすがりを“敵”にしてしまって、サルサに「それはお前の悪い癖だ」と指摘されたことも。


 ――でも。


「今日はここまで」


 夕方。


 サルサがそう言って、幻影をすべて消した。


「身体は明日から追い込む。

 今日は心だけで、十分ボロボロになったでしょ」


「……正直、ドラゴンに追い回されてたほうがまだ楽だったかもしれない」


「それはない」


 即答か。


「でも、ちゃんと“選べた”」


 サルサの淡い緑の瞳が、少しだけ優しくなった気がした。


「逃げないで、“敵”を決めて、“守りたいもの”も決めた。

 それだけで、昨日までのお前より一歩進んでる」


「……そう、かな」


「そうだよ」


 サルサは、いつもの調子で言う。


「だから、安心していい」


「何を?」


「明日から、もっと地獄になるってことに」


「全然安心できないんですけど!!?」


 リヴィとガルドの笑い声が、広場の端から聞こえてきた。


 空は、森の隙間から覗くようにして、赤く染まっている。


 敵と味方。

 守りたいものと、斬り捨てるもの。


 まだうまく線は引けない。

 でも、今日一日、選び続けたことで、ほんの少しだけ輪郭が見えてきた気がした。


(――見てろよ)


 心の中で、遠い王都と、ギルドの建物を思い浮かべる。


(今、俺が何してるかなんて、あいつらはきっと知らないだろうけど)


 いつか必ず、この森の奥から。


(“ロウトが敵に回ったら世界バグる”って本気で言わせてやる)


 そう誓いながら、俺はサルサたちと一緒に、洞窟の中へと戻っていった。


 本気の修行は、まだ初日だ。

 十点満点までは、気が遠くなるほど遠い。


 ――でも、ゼロから一までは、越えた。


 それだけで今日は、少しだけ自分を褒めてもいい気がした。

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