魔法使いが剣で斬りかかる世界っておかしくない?
サルサの家での生活にも、少しだけ慣れてきた頃。
俺は今日も、筋肉痛とともに朝を迎えた。
「……生きてる。偉い」
ベッド代わりの毛皮の山の上で、じわじわと身体を起こす。
毎日森を走り回されてるせいで、目覚めるたびに「次の日あるの奇跡じゃね?」ってなる。
そんな俺の頭の中に、唐突に師匠の声が響いた。
『ロウト、外来なさい』
「うおっ!? おはようの前に召喚!」
『面白いもの見せてあげる』
「それ、たいてい俺が死にかけるやつじゃないですか!?」
『今日は死なない。たぶん』
「“たぶん”つけるのやめて!!」
とはいえ、師匠が「外来い」と言うときは、だいたい重要なことが起きるときだ。
俺は慌てて服を着て、剣だけ腰に下げて、洞窟の外へと向かった。
◆ ◆ ◆
洞窟の入り口を抜けると、そこには小さな広場があった。
森の中にぽっかりと空いた空間。
周りをぐるっと木々と岩に囲まれていて、地面だけが不自然なくらいに平らに均されている。
たぶんここ、闘技場なんだと思う。
その中央に、二つの影が向かい合って立っていた。
一人は、でかい方――ガルド。
もう一人は、ちびい方――サルサ。
青い長髪をひるがえし、長いローブを着たまま、いつも通りの魔法使いスタイルで立っている。
その脇で、リヴィが石に腰掛けて、ひらひらと足を揺らしていた。
「あ、弟子くん来た」
「おはようございます。……なんか嫌な予感しかしない光景ですね?」
「失礼ねぇ。今日はロウト、見てるだけでいいわよ?」
「逆に怖いんだけど!?」
ガルドは、大剣を肩に担いだまま、こちらを一瞬だけ振り向いた。
「来たか、弟子」
「おはようございますガルドさん。えっと、これは……?」
「お前のための見世物だ」
「日本語の選び方!」
そこに、サルサの声が被さった。
「高みを見て、目標ができる方が、早く強くなれる」
サルサは、淡々とした口調で続ける。
「お前がどこまで行きたいのか、まだちゃんと決められてないのは知ってる。
でも、“このくらいは普通にいる”って基準がないと、自分を測れない」
「……」
「だから、一回見せておく。
――この森で“普通に暮らしてるやつら”の戦い方を」
その言い方が何気に怖いんだよな。
“普通に暮らしてるやつら”の基準がおかしいの、この家だけだと思うんだけど。
「で、どういうルールで?」
俺がそう尋ねるより先に、ガルドがサルサを睨みつけていた。
「この前は俺の勝ちだ。今日はどうする」
「今日は――そうだな」
サルサは帽子のつばを指でいじりながら、少しだけ考える素振りを見せた。
「近接のみ。飛び道具、広域魔術なし」
「そっちが不利じゃねぇか?」
ガルドが鼻で笑う。
その時点で、俺の中の常識が囁く。
魔法使いが近接縛りって、ただのハンデ戦では??
だがサルサは、全然気にしていないようだった。
「問題ない。むしろ、お前のほうが楽になる」
「強気だな」
「事実だから」
……この人外、魔法使いというより、どのジャンルでも殴れるタイプなのか‥?
「弟子」
不意に、サルサがこっちを見た。
「一つだけ、今からやっておきなさい」
「はい?」
「私とガルドを、“敵ではない”と、ちゃんと意識する」
「……」
その言葉の意味を理解するのに、数秒かかった。
「あ、範囲弱体化……」
「そう。今からここで私たちが本気で殴り合うとして、もしお前が“どっちか怖い”とか“どっちか敵っぽい”って意識を強く持つと――」
サルサは、余裕の笑みを崩さぬまま言う。
「その瞬間、そいつにだけデバフがかかる」
「俺のせいでバランス崩れるやつだ!!?」
「面白そうだけど?」
横からリヴィが悪い顔をして口を挟む。
「サルサにだけデバフかかってボコボコにされるの見てみたくない?」
「お前も敵認定するぞ、リヴィ」
「こわ〜い」
軽口を叩き合いながらも、三人とも、どこか楽しそうだった。
サルサが俺をじっと見て、改めて言う。
「今回は、“お前の範囲弱体化の影響外”でやる」
そう言って、指を鳴らした。
次の瞬間――俺の足元の地面がスッと動き、気づけば広場の端、少し高くなった岩の上に立っていた。
「うおおお!? 勝手にワープさせないで!!」
「お前の影響範囲、今は半径二十メートル前後。
そこからギリギリ外側に、お前を置いた」
「そんなピンポイントで……」
「これくらいできないと、長寿なんてやってられない」
そう言って、サルサはくるりと身を翻した。
ローブの裾が、青い髪と一緒にふわりと揺れる。
俺は息を呑んで、その背中を見つめた。
◆ ◆ ◆
「じゃ、始めるか」
ガルドが、大剣を肩から降ろす。
鉄塊みたいなその剣が、地面に触れた瞬間、ぴしっと土にヒビが入った。
「ルールはさっき言った通り。近接のみ。飛び道具なし。
――どこまでやる?」
「そうだな」
サルサは、軽く首を回してから、片手を前に突き出した。
「両方、死ぬ一歩手前まで」
「やっぱりこの家の連中、物騒すぎない??」
俺のツッコミは当然スルーされる。
サルサの指先に、淡い光が集まっていく。
水が形を変えるように、光が伸び、細長く、鋭く、固まっていく。
数秒後――そこには一本の剣があった。
刃全体が、透き通るような青白い魔力でできた幻の剣。
柄だけが、サルサの手に馴染むように黒い金属で固定されている。
「あの……」
思わず、声が出た。
「師匠」
「何」
「魔法使いの格好してるのに、普通に剣で斬りかかるのやめてもろて!?」
「何が?」
心底わからない、って顔で返される。
リヴィが肩を揺らして笑った。
「この人、昔からそうなのよ。“魔法で作った武器も魔法だからセーフ”って言い張ってるの」
「実際セーフだし」
「いや、そういう問題じゃなくてですね!?」
ガルドが、大剣を構えた。
ズン、と地面が鳴る。
その瞬間、空気が一気に重くなった気がした。
「ロウト」
「はい」
「よく見ておけ」
ガルドの声は低いが、はっきりと聞こえた。
「これが、“人の世に飽きた連中”の喧嘩だ」
背筋が、ぞくりとした。
サルサが、微笑む。
「――始めようか」
次の瞬間、サルサの姿が消えた。
◆ ◆ ◆
「は?」
思わず間抜けな声が出た。
サルサの青い姿が、俺の視界から唐突に消えたのだ。
見失った、というより、本当に「消えた」としか思えない。
いや、違う。
次の瞬間には、ガルドの懐に入り込んでいた。
その間、一瞬。
ただの一瞬だ。
「っ!」
ガルドが、大剣を横に払う。
ズガァァァァァンッ!!
サルサの剣とガルドの大剣がぶつかった瞬間、空気が音を立てて弾けた。
衝撃波が、俺のいる岩場にまで届いてくる。
「ちょっ……広場の外まで振動来てるんですけど!!」
「うるさい、黙って見てなさい」
横でリヴィが、わくわくした顔で頬杖をついている。
サルサは、軽い動きで数歩後ろに跳んだ。
ガルドの一撃を受け止めたとは思えないほど、体勢が崩れていない。
「相変わらず、重いね」
「お前が軽いだけだ」
ガルドの足元の地面に、蜘蛛の巣のようなヒビが走っている。
一方、サルサが立っていた位置は、土がわずかに抉れているだけ。
「……」
わかる。
この二人、人間とは別の次元で遊んでる。
「ほら、来いよサルサ。魔法なしの近接なら、俺のほうが有利だろう」
「そう思う?」
サルサの周囲に、ふっと青白い光が浮かんだ。
「“魔法なし”とは言ってない。
“飛び道具と広域魔術”なしとは言ったけど」
「お前、ルールの穴をつくのうまいよな」
ガルドが苦笑いを含んだ吐息を漏らす。
サルサは、手のひらに剣をひらひらと回してみせた。
「魔力操作で身体能力を強化し、魔力で形成した剣で斬る。
これは“近接戦闘”だよ」
「言い方だけ聞くとめちゃくちゃチートだな……」
ガルドが一歩踏み出した。
その一歩で、地面が低く唸り、空気が震える。
次の瞬間には、視界の中で二人の姿が霞み始めた。
速すぎて、目が追いつかない。
剣と剣がぶつかり合う音だけが、耳に痛いくらい響いてくる。
ギィィィィンッ!
ガァンッ!
ズガァァンッ!!
硬いもの同士がぶつかる音に、時折、何かが抉れるような鈍い衝撃が混ざる。
地面がえぐれ、木々が風圧だけで枝を折られている。
……これ、本当に日常なんだよな、この人外シェアハウス。
◆ ◆ ◆
「どう、弟子くん」
リヴィが、楽しそうに聞いてきた。
「正直、何が起きてるのか半分もわかってないです……」
「いいのよ、それで。最初は“速すぎて見えない”で」
「これが“普通に暮らしてるやつら”の戦い方ってマジ?」
「マジ」
リヴィは、翼をぱたぱたと揺らしながら言う。
「ここにいるの、みんな“人の世に飽きた後”だからね。
あとはダラダラ長生きしてもいいし、どこかで飽きて死んでもいい、ってレベル」
「そのテンションで本気で殴り合うのやめてほしい……」
「サルサがロウトを拾ってきたでしょ?」
リヴィが、ちらっと俺の横顔を見た。
「だから最近ね、あの人、ちょっとテンション高いのよ。
“育てる相手ができた”って」
「……そんなふうに見えないけど」
「あの人、感情を外に出すの下手なの。
でもね――」
リヴィが視線を広場に戻す。
「今、すっごく楽しそうな顔してるわよ」
俺も真似して、目を凝らした。
速すぎて、二人の輪郭はぶれ続けている。
けれど、その合間に、ほんの一瞬だけ。
サルサが、口元を楽しそうに吊り上げているのが見えた気がした。
子どもがおもちゃを見つけたみたいな。
面白い本に出会った学者みたいな。
そんな、純粋な好奇心と喜びの笑みだった。
◆ ◆ ◆
「っらぁ!!」
ガルドが一際大きな声を上げ、大剣を振り下ろす。
サルサが、その攻撃を受け止め――
同時に、ローブの裾がふわりと揺れた。
――次の瞬間。
バゴォッッ!!
ガルドの顎に、サルサの膝蹴りが突き上げられていた。
「膝ぁ!!?」
思わず叫んだ。
「おいおい、“近接”ってそういう意味じゃねぇだろ!?」
「近接格闘も近接戦闘に含まれるからセーフ」
「ルールの穴を突くどころかルールごとぶん殴りにいってるじゃないですか師匠!!」
ガルドの体が、一瞬ふらつく。
だがすぐに持ち直し、口元の血を拭ってニヤリと笑った。
「相変わらず、武器より体術のほうがキレがいいな、お前」
「魔力で身体強化しつつ、魔力で剣作ってるのに、つい膝でいきたくなるんだよね」
「自覚あるんじゃねぇか」
ガルドが踏み込む。
サルサが横に滑る。
足運びだけ見れば、完全に剣士同士の戦いだ。
魔法使い、どこ行った。
「……師匠って」
俺はつぶやいた。
「自分のこと、魔法使いだと思ってるんですよね?」
「そうよ?」
リヴィが当然のように頷く。
「魔法を極めすぎて、結果として全部殴れるようになっただけ」
「結果として全部殴れる魔法使いって何??」
「でもまあ、ロウトにはわかりやすいでしょ?」
リヴィが楽しげに微笑む。
「“魔法使いのくせに近接もできる”んじゃなくて、“魔法使いだからこそ全部できる”ってこと」
「……」
なるほど、そういう発想か。
魔法で身体を強化し、感覚を研ぎ澄まし、武器を作り、軌道を調整し――
最終的に、殴る・斬る・避けるという行動に落とし込んでるだけ。
根っこの部分は、全部“魔法”なんだ。
「ロウト」
ガルドの声が飛んできた。
まだサルサと殴り合いながら、ちゃんとこっちに声を飛ばしてくるあたり、やっぱりおかしい。
「お前の特性も、いずれそうなる」
「え?」
「“範囲弱体化のせいで〜”じゃなくて、“範囲弱体化を前提に全部を組み立てる”」
ガルドの大剣が、サルサの頭上を掠める。
サルサがひらりと身を翻しながら、言葉を引き継いだ。
「敵を弱らせるのは、もう勝手にやってくれてる。
あとは、お前がどう動くかだけ」
剣先が火花を散らし、二人の身体がひらりひらりと舞う。
「そのうち、お前も言われるようになるよ」
サルサが笑った。
「“範囲弱体化のくせに剣も振れるんですか? すごーい”って」
「言わねぇよ!!?」
リヴィが吹き出した。
「でもいいじゃない。
いつか弟子くんも、“範囲弱体化だから全部できる”って側に行けるかもよ?」
その言葉は、冗談半分、期待半分に聞こえた。
◆ ◆ ◆
戦いは、その後もしばらく続いた。
どちらかが決定的に優勢になるでもなく、延々と、互いの技をぶつけ合う時間。
やがて、サルサが大きく跳び退き、剣をくるりと回して構えを解いた。
「――ここまで」
ガルドも、肩で息をしながら大剣を地面に突き立てる。
「上等だ」
額から血が流れている。
だが、それを拭う余裕もないまま、ニヤリと笑っていた。
「今日はお前の勝ちでいい」
「そう?」
サルサは首をかしげた。
「私は引き分けくらいだと思ってたけど」
「膝が反則」
「自分でルールに入れなかったくせに」
そんな言い合いをしながらも、二人の間には妙な空気が流れていた。
張り詰めてもいない。
かと言って緩みきっているわけでもない。
互いをよく知っていて、何度も刃を交えて、なお「まだ届かない」と思い続けている者同士の空気。
「……」
俺は、その光景から目を離せなかった。
高み。
師匠が言った言葉が、頭の中で繰り返される。
『高みを見て、目標ができる方が、早く強くなれる』
――ああ。
こういうのを、高みって言うんだろうな。
人間から見たら、とっくに雲の上にいるはずの人外が。
それでもなお、互いを目標にして、殴り合い、切磋琢磨してる。
「ロウト」
ふいに、サルサがこっちを見た。
「どう思った?」
問われて、少しだけ悩んだあと――正直に答えた。
「……ずるいと思いました」
「ずるい?」
「俺、師匠とガルドさん、両方“ずるい高み”だなって」
言いながら、自分でもちょっと笑ってしまう。
「だって、あの戦い方見せられたら、
“この人たちと肩並べたい”って、嫌でも思っちゃうじゃないですか」
サルサが目を細めた。
ガルドも、口の端を少しだけ持ち上げる。
「だからずるいです。
“そこまで行かなくてもいいや”って甘える逃げ道、全部潰される感じがして」
「……ふむ」
サルサは、小さく頷いた。
「それでいい」
その一言に、妙な重みがあった。
「高みが見えると、“そこまで行きたくない理由”と“そこまで行きたい理由”が、どちらもよく見える」
「……」
「どっちを選ぶかは、お前次第。
でも、少なくとも“自分が選んだ”って自覚だけは持てる」
ガルドが、どかっと地面に座り込んだ。
「お前がもし、途中で折れて“普通の人間でいい”って逃げるなら、それもありだ」
「ガルドさんもそういうこと言うんだ……」
「ありだが」
ガルドは、ぐいっと俺を指さした。
「一度でも今日を見て、“ここまで行きたい”と思ったなら――途中で逃げた自分を、一番許せなくなるのもお前自身だ」
「……」
胸の奥を、ぎゅっと掴まれたような感覚がした。
俺は、何度か喉を鳴らしてから、息を吐く。
「そっちのルートに行くの、たぶん地獄ですよね?」
「地獄だね」
サルサがあっさり言う。
「毎日限界ギリギリまで走って、殴って、認識を塗り替え続ける。
何度か死にかけるし、一歩間違えれば本当に死ぬ」
「ですよねぇ」
「でも、地獄を抜けたら、だいたい何でも笑えるようになる」
それはたぶん、嘘じゃない。
死ぬ一歩手前を何度もくぐり抜けた連中だからこそ、今、こんな顔で笑ってるんだろう。
「ロウト」
サルサが、俺をまっすぐ見つめる。
「選ぶ?」
その瞳は、期待も失望も浮かべていなかった。
ただ、「見ている」。
俺がどう答えるのか、それだけを。
逃げてもいいルート。
普通でいるルート。
ここから抜け出して、どこかでひっそり生きるルート。
――たぶん、それでも生きてはいける。
でも。
「……選びます」
自分でも驚くほど、すぐに言葉が出た。
「高み見ちゃったんで。
ここまで見せられて、“やっぱ普通でいいです”って言ったら、一生後悔します」
サルサの口元が、かすかに上向いた。
「そう」
「だから――」
俺は、師匠とガルドのほうを見て、頭を下げる。
「地獄コースで、お願いします」
リヴィが、ぱんぱんと手を叩いた。
「はい拍手〜。ようこそ地獄側へ」
「軽いな!!」
「ようやくスタートラインか」
ガルドが、満足そうに笑った。
サルサは、いつもの淡々とした声で告げる。
「じゃあ、今日から“本気の修行”始める」
「今までは?」
「準備運動」
「準備運動ぉ!!?」
膝から力が抜けそうになった。
でも、同時に。
胸の奥に、じんわりと熱いものが灯った気がした。
怖い。
絶対にしんどい。
何度も心折れかける未来が見える。
それでも。
(見てろよ)
心の中で、遠い王都を思い浮かべる。
(いつか絶対、あのギルドの連中の目の前で――
“あ、あれ? ロウトが敵に回ったら普通に世界バグらない?”って言わせてやる)
そんな小さな誓いを胸に刻みながら。
俺は、捨てられた森の高みを見上げた。
――世界最強クラスの人外たちが、日常的に殴り合う、この場所で。
ロウト・アーディンの、本当の修行が始まろうとしていた。




