敵認定、どこからですか?
森を走っていると、自分の愚行を呪いたくなる瞬間がある。
例えば今だ。
「なんで“死に場所”探してたやつが、こんな全力疾走してんだよおおお!!」
叫びながら、俺は木々の間を駆け抜ける。
足元では、腐葉土がぐしゃぐしゃと音を立て、枝が顔面に当たる。
さっきから何度も転びかけているが、そのたびに必死で体勢を立て直した。
背後では――
ズザザザザザッ!!
巨大タヌキ(ただし牙四本・目つき極悪)が、派手にすっ転んでいた。
「ぐぉぉぉ……!」
「うわ、またこけた……」
さっきから、こいつとも何度か遭遇してるんだが、まともに走れてる時間のほうが短い。
足を滑らせる。
木の根に引っかかる。
自分の吐いた毒霧に突っ込む(バカなのか?)。
見てて不憫になるレベルでポンコツだ。
『はい観察ポイント〜』
頭の中に、サルサの声が直接響く。
『今のお前、あのタヌキに対してどう思ってる?』
「普通に、怖いですけど!?」
『怖い以外』
「ええと……さっきからこけてばっかで、ちょっと可哀想……?」
『ほら弱体化薄くなった』
タヌキが、さっきよりスムーズに起き上がった。
「おい!? 今の会話で難易度上がったぞ!?」
『“かわいそう”とか“悪い奴じゃないかも”って認識を持つと、敵対判定が弱くなる。
さっきまでより、動きがマシになってる』
「俺の情けで敵が強くなるってどんな地獄仕様だよ!!」
『逆に、“殺らなきゃ殺られる”って一瞬でも思った瞬間――』
タヌキが大きく口を開き、俺めがけて毒弾を吐いてきた。
「うおっ、殺す気満々じゃねぇか!!」
『はい、今の』
毒弾は、俺の頭上を大きく外して、後ろの木をどろどろに溶かした。
……今の、俺を狙ったというより、「たまたまそっち向きに吐いたら当たるかな〜」みたいなやる気のない軌道だった。
タヌキの足取りは、またさっき以上にガタガタになっている。
『“敵だ”ってはっきり認識した瞬間、弱体化の度合いが上がる』
「俺の心ひとつで難易度変動するのマジやめて……」
『お前の特性、そういうやつだから』
走りながら、俺は必死で状況整理を試みる。
――わかってきたのは、だいたいこんな感じだ。
◆ 範囲弱体化のざっくり仕様(走りながら実験中)
・ロウトの一定範囲内(数メートル〜数十メートル?)にいる“敵対勢力”が、軒並みポンコツ化する
・筋力、魔力、感覚、反応速度などがまとめて落ちる
・「敵対勢力」判定は、
- 俺本人の認識(こいつ敵だ/こいつ怖い/こいつ嫌い)
- 世界側の線引き(今この瞬間、実害を与えうる存在かどうか)
この両方で決まるらしい
・「かわいそう」「そこまで悪い奴じゃないかも」と思うとデバフが薄くなる
・逆に「こいつマジでヤバい」「殺される」と思うと一気にデバフ強化
『認識操作、苦手そうだな』
「性格悪くないと使いこなせないスキル要求してくんな!!」
『別に性格悪くなれとは言ってない。敵とそうでないものの線引きを、自分でちゃんと引けと言っている』
サルサの声は淡々としている。
『全部に同情してたら、お前が死ぬ。
お前が死ねば、お前の範囲内で守れたはずの何かも全部死ぬ』
「……」
『誰を敵と定めて、誰を守るか。
範囲弱体化は、そこから逃げられない特性だよ』
走りながら、胸の奥が少しだけ冷たくなった。
S級ギルドにいた頃。
俺は、敵も味方も、なんとなく“そういうものか”としか見てこなかった。
目の前に現れた魔物。
討つべき敵、守るべき人、って全部“ギルドの指示”で決まってて。
自分で考えなくても、とりあえず剣振ってればよかった。
でも――
「……誰を敵にするか、自分で選べってことか」
『そう』
サルサが短く答える。
『お前は今まで、世界が用意した線引きに従っていただけ。
ギルドが敵と言えば敵、王都が敵と言えば敵。
自分で“嫌いだ”“許せない”を決めたことが、どれだけあった?』
「……」
足は走っているのに、心だけが別のところで足を止められたみたいだった。
許せない相手。
敵と決めたい相手。
ミリアの顔が浮かびかけて――俺は慌てて打ち消した。
あいつを敵だと思いたくなくて。
でも、同時に、あの日の光景がどうしても胸に刺さっていて。
「師匠」
『ん』
「師匠がもし、俺を“敵”だって認識したら、弱体化します?」
『するよ』
即答だった。
『私もこの世界に属してる限り、世界の線引きからは逃れられない。
それでも私は、“お前の敵になるつもりはない”って、今、決めてるけど』
「……」
『ただ、もし将来、お前が“世界を壊す側”に回ったら――そのときは、ちゃんと敵として相手する』
「それ、師匠と殴り合い確定コースじゃないですか……」
『そうなったらお互い全力でやるだけ。
弟子がそこまで育つなら、それはそれで師匠冥利に尽きる』
この人外、根っこからブレないんだよな。
敵か味方か。
それを決めるのは、世界でも王でも神でもなく、自分だと言い切ってる。
『ほら、前を見て』
「うわっ」
言われて視線を前に戻した瞬間、目の前に巨大な影が立ちはだかった。
――ドラゴンだ。
さっきの、黒いドラゴン。
まだ倒してはいない。
ただ眠らされただけのはずだが――
「ちょ、起きてるじゃん!? 何この再会イベント!!」
ドラゴンは、まだぐらぐらしていた。
足元は覚束なく、呼吸も荒い。
それでも、黄金の瞳だけはぎらぎらと光っている。
こいつは、俺を覚えている。
「自分を弱体化させた何か」として、しっかり認識している。
『いいね』
サルサの声が、少しだけ楽しそうになった。
『大物相手のほうが、特性ははっきり出る。
さあ、ロウト。ここで一回、線を引け』
「線……?」
『こいつを、敵にするかどうか』
ドラゴンが咆哮する。
ゴォォォォォッ!!
鼓膜がビリビリ震え、足の裏から震動が伝わってくる。
怖い。
普通に怖い。
さっき尻尾でぶっ飛ばされた時の痛みが、脳裏によみがえる。
『お前の中の「逃げたい」と「殺されたくない」をちゃんと見ろ』
逃げたい。
今すぐ踵を返して森の外までダッシュして、どっかで穴でも掘って埋まりたい。
でも、その一方で。
「……ここで逃げたら、一生逃げっぱなしだな、俺」
ギルドから逃げた。
ミリアからも目を逸らした。
死に場所を探すって言い訳して、実際は何も選べないままだった。
このドラゴンからも逃げるなら、多分、俺はこの先もずっと何かから逃げる。
「……」
息を吸う。
胸の奥のもやもやを、吐き出すつもりで、叫んだ。
「テメェは――俺の敵だ!!」
その瞬間。
目の前のドラゴンが、ぐらりと揺れた。
視界の端で、何かが見えた気がする。
黒い煙――あのときサルサが俺の胸の前からつまみ上げていたものと同じ、黒い靄が、俺の周囲にぶわりと拡がった。
それが、ドラゴンの体に絡みつく。
筋肉。
翼。
瞳。
爪の一本一本にまで、黒い靄がまとわりついていく。
ドラゴンの動きが、一段階どころか、二段階くらいガクンと落ちた。
「……!」
『いいね』
サルサが笑う。
『今の、お前の“敵認定”。
世界側の線引きも相まって、かなり強い弱体化が入ってる』
ドラゴンが爪を振り下ろそうとして――自分の足につまずいた。
ズザァァァァァンッ!!
さっきまでなら、かろうじてバランスを取り戻していたはずのところで、思い切り地面に突っ込む。
土煙が舞い、木が何本かまとめてなぎ倒された。
「お、重そう……!」
『筋力ダウン、反応鈍化、バランス感覚の崩壊。
いいね、立派なデバフだ』
「言ってることは嬉しいけど状況は全然嬉しくないんですけど!!」
『で』
サルサが、わざとらしく溜めて言った。
『そこからどうするかは、お前次第』
「そこも教えてくれません?」
『嫌』
「師匠ーーー!!!」
『私は道を指すだけ。歩くのはお前の足。
――ほら、さっさと走れ。生きて“次”に繋がる選択をしろ』
走る。
這いつくばるようにして、転びそうになりながら、ドラゴンの足の間をすり抜ける。
爪がかすめる。
掠り傷一つで済んだのは、こいつが今、全力を出せてないからだ。
俺は雑魚い。
剣の腕も大したことない。
でも、俺のそばにいる敵は、みんな雑魚くなる。
だったら――
「俺が、生き延びてさえいれば!」
どれだけ強い敵だって、いつか必ず足を取られる。
その瞬間を見逃さずに、次に繋げる。
今はまだ、その“次”を誰かに任せることしかできないけど。
「俺は絶対、ここで死なねぇ!!」
叫びながら、俺はドラゴンの寝床を駆け抜けた。
背後で、ドラゴンがまた派手にすっ転ぶ音が聞こえたが――
振り向く余裕は、まだない。
◆ ◆ ◆
『――よし。とりあえず、今日のところは合格』
どれくらい走ったのかわからない頃。
息も上がり、足も棒のようになったところで、サルサの声が聞こえた。
『戻ってきていいよ』
「も、戻るって、どうやって……」
言い終わる前に、足元がふっと軽くなった。
視界が暗転し、次の瞬間には――例の、天井の低い部屋に投げ出されていた。
「いってぇぇぇぇぇ……」
「二点」
サルサが横で言った。
「さっきよりマシ。受け身を覚えた」
「どんだけ着地採点好きなんですか師匠……」
床に転がったまま、俺はぜぇぜぇと息を整える。
こうして、俺の「範囲弱体化基礎実験&地獄ラン」初日は、なんとか生還で終わった。
生きて帰れた。
それだけで、今の俺には満点だ。
――多分、師匠的にはまだ二点なんだろうけど。




