捨てられた森の人外シェアハウス
――目が覚めたとき、まず最初に思ったのは。
「天井、低っ……」
石をくり抜いたような天井が、すぐそこにあった。
手を伸ばしたら普通に届きそうな距離感だ。
というか、マジで手を伸ばしたら、指先がゴツゴツした感触に触れた。
「……夢じゃない、よな」
起き上がって、辺りを見回す。
そこは、洞窟と部屋の中間みたいな不思議な空間だった。
壁も床も天井も、全部、滑らかに削られた岩。
けれど、ところどころに埋め込まれた魔石が淡い光を放っていて、不思議と暗くない。
床には厚めの獣皮が敷かれ、その上に俺は寝かされていた。
簡易ベッドじゃなくて、ふかふかの毛皮の山。寝心地はやたらいい。
部屋の片側には、本棚。
ぎっしりと詰まった本の背表紙には、見たこともない文字や、古い魔術語が刻まれている。
反対側には、なぜか鍋と釜と乾燥した植物が山ほど吊るされた調理スペース。
壁際には魔法陣が描かれた机と、謎の瓶の群れ。
総じて言うと――
「……ガチの魔法使いの巣、だな」
そういう感想しか出てこない。
頭を押さえると、ズキッとした痛みが走った。
そうだ。俺はドラゴンにぶっ飛ばされて、そのあと――
「あ」
思い出した瞬間、声が漏れた。
ドラゴンの頭の上に座っていた、あの人外。
白とも黒ともつかない髪、淡い緑の瞳。
ドラゴンを軽く蹴って眠らせた、あの化け物じみた存在。
あいつが俺に手を差し出して。
俺がそれを掴んで。
そのあと、真っ暗になって――
「起きた?」
不意に、頭上から声が降ってきた。
「うおあっ!?」
びっくりして見上げると、そこにいた。
青い長髪が、さらりと揺れている。
腰まで届くほどの濃い青。光を受ける場所によって、群青にも水色にも見える、不思議な色だ。
身長は、俺より頭一つどころか、二つくらい低い。
小柄なのに、重心がぶれない立ち方をしているせいで、妙に「どっしり」感じる。
長いローブに尖ったつばの帽子。
まさに教本に描いてあるような「魔法使い」の格好なのに、全体的に漂うのは童話ではなく“災害”の気配だ。
その人物――いや、人外は、俺の寝ている毛皮の山のすぐ横の石に、あぐらをかいて座っていた。
※天井が低いのに、帽子だけは絶妙に石に当たらないあたり、なんかもうムカつくくらい器用だ。
「ええと……」
「サルサ」
青髪の人外は、飄々とした口調で言った。
「私の名前。呼ぶときはサルサ、もしくは師匠」
「し、師匠……」
「嫌?」
「いえ、むしろ光栄でございます」
反射で敬語になった。
ドラゴンワンパン(実際は蹴り一発)を見せられたあとでは、逆らう選択肢は存在しない。
サルサはくすりとも笑わず、じっと俺を見つめる。
淡い緑の瞳が、あのときと同じように、俺の内側をまるごと覗き込んでくるような感覚。
「……範囲弱体化。それと、自己認識の薄さ」
「自己認識?」
「自分の価値を低く見積もるのが癖になっている。
――ま、後で矯正する」
「こわいことさらっと言ったな!?」
思わずツッコむと、サルサは首をかしげた。
「怖い? 合理的な話だけど」
「合理的スパルタ宣言やめてくれないかな!?」
「スパルタ?」
サルサは小さく笑った。
さっきまで無表情気味だったのに、その一瞬だけ、年齢不詳の無邪気さが覗く。
「うん、それでいい。死なない程度に壊して作り直す。弟子だもの」
「“死なない程度”のライン、あなたの基準だと信用ならないんですけど!?」
「大丈夫。長寿やってると、壊し慣れるし直し慣れるから」
「根本から安心できないことしか言わないなこの人外!!」
自分で人外って言うのもどうかと思うが、どう見ても人間の領域じゃないので、人外呼びでいいと思う。
◆ ◆ ◆
「で。ロウト」
「はい」
「立ってみて」
言われて、毛皮の山から身を起こそうとして――
「……いててててて……」
全身が、見事に筋肉痛と打ち身のオンパレードだった。
特に背中と脇腹が痛い。
ドラゴンの尻尾でぶん殴られた部分だ。
「折れてないだけマシ」
「折れてない……?」
「魔力でざっくり直した。細かいところは時間がかかる」
サルサが手を軽く振ると、俺の体を包むように淡い光が走った。
さっきの、ドラゴン前で見た“黒い煙”とは違う。
今度は、澄んだ水のような光だ。
「うわ……?」
じんわりと温かさが広がっていく。
痛みが完全に消えるわけではないが、さっきよりだいぶマシになった。
「おお……すごい。回復魔法?」
「魔法を極める過程で辿り着いた応用のひとつ。名前はどうでもいい」
「さらっととんでもないこと言ったな?」
「ロウト」
「はい」
「うるさい」
「すみません!!」
ピシャリと言われてしまった。
この人(?)、テンポが完全にマイペースだ。
なんか、俺のツッコミは「背景の環境音」くらいの扱いを受けている気がする。
「……ま、しゃべる元気があるなら大丈夫」
サルサはすっと立ち上がると、ローブの裾をぱたぱたとはたいた。
「そろそろ帰ってくる頃合い。紹介しておく」
「紹介?」
「同居人」
「同居人……?」
その単語に、思考が一瞬止まった。
「え、師匠、一人暮らしじゃないんですか?」
「めんどくさい。生活分担したほうが楽」
「いや、理由がすごい生活感……」
「人の世に飽きた連中が、気まぐれで流れ着く場所。
ここら一帯の“人外側の最前線”みたいなもの。結界張ってるから、人間は普通入れない」
「そんなヤバい場所に迷い込んだ俺の運命、そろそろ労ってあげたいんですけど」
「気に入ってるからセーフ」
「評価基準よ!!」
そんなやり取りをしているうちに、部屋の入り口――洞窟の奥に向かう通路から、足音が聞こえてきた。
ドス、ドス、と重い足取り。
それとは別に、軽快なステップの足音。
「帰った」
サルサが短く言うと、ほどなくして二つの気配が部屋の中に入ってきた。
◆ ◆ ◆
「おい、サルサ。お前ま――」
低く渋い声が途中で止まる。
視線の先には、多分俺がいる。
そりゃ、見慣れない人間が寝起きしてたら驚くだろう。
入口に立っていたのは、でかい男だった。
筋肉の塊みたいな体躯に、獣を思わせる鋭い目つき。
黒髪を後ろでひとつに括っていて、鎧というよりは魔物の皮と骨で作ったような軽装を身にまとっている。
腰には、大剣。
というより、鉄塊。
俺が両手で持ってもプルプルしそうなサイズの剣を、当たり前のように帯びている。
人間……に見えなくもないが、耳が少し尖っていて、犬とも狼とも違う、得体の知れない“野生”の匂いを纏っていた。
そして、その横からひょいっと顔を出したのは――
「わ、ほんとに連れて帰ってきてる。
ねぇサルサ、また拾ってきたの? 今度はどこの崖から落とす予定?」
「崖から落とす前提で話すのやめてくれません?」
軽やかな声の主は、女だった。
腰まで届く銀髪をツインテール気味に結んでいて、瞳は妖しい紫色。
服装は、どこぞの貴族令嬢が着ていそうなドレスを、動きやすいように大胆に切り詰めたもの。
スカートの下から伸びる足は、明らかに人間より関節の可動域がおかしい。
そして何より目立つのは――背中から生えた、透き通るような薄い翼。
蝙蝠のようでもあり、蝶のようでもあり。
光の角度で色が変わる、不思議な翅だ。
「……えーと」
言葉を探していると、銀髪の女が先に笑顔で手を振ってきた。
「はじめまして、人間くん。私はリヴィ。
ここら一帯の『面倒ごと』をだいたい引き受けてる、まあ、何でも屋みたいなものよ」
「俺はガルドだ」
大剣の男が、短く名乗る。
「種類で言うなら……そうだな。昔、人間に“災厄”って呼ばれてた側だ」
「その自己紹介、もうちょっとマイルドにできません?」
「事実を隠しても仕方ない」
ガルドは肩をすくめると、サルサを見やった。
「で、こいつは何だ。実験素材か?」
「弟子」
即答だった。
「さっき拾った。面白い特性持ち」
「はぇ〜、弟子なんだ?」
リヴィがにやにやしながら俺を覗き込んでくる。
近い。顔が近い。
紫の瞳に覗き込まれると、なんか魂まで値踏みされてるみたいで落ち着かない。
「名前は?」
「ロ、ロウト・アーディンです……」
「ロウトね。ふーん……」
リヴィは俺の周りをくるりと一周して、じろじろと観察する。
「普通。見た目だけなら、どこにでもいる人間の剣士ね。
弱そうだし、真っ先に逃げそうだし、荷物運び担当っぽい」
「言葉のナイフが鋭利!!」
グサグサ刺さる。
ガルドは腕を組んだまま、じっと俺を見ていた。
その目は、怒っているわけでも、警戒しているわけでもない。
ただ、ひたすら冷静に、「ひとの形をした何か」を評価している瞳だ。
「……なるほどな」
「何がわかったんですか」
「弱い」
「ですよねぇ!!」
即答。爽やかなレベルで即答。
いやもう、自覚はあるけどさ。
「ただ」
ガルドは続けた。
「この距離にいても、どうにも調子が狂う。
身体が重い。気配の読みがぶれる。
……お前の特性か」
ああ、とサルサが頷く。
「範囲弱体化。敵対存在限定。
物理、魔力、感覚、反応速度――いろいろまとめて落とす。
世界最悪クラスの厄介な種類」
「おい」
世界最悪という単語、やたら強調されてないか。
「特性の発現条件も面白い。“敵対勢力”かどうかは、本人の認識と、この世界の『線引き』の両方で決まる」
「線引き?」
「世界側の判断。お前に害を為すか、為しうるか、その可能性を持つもの。
人間社会向きじゃない」
サルサは淡々と告げる。
「王族にとっては脅威。
教会にとっては異端。
ギルドにとっては、管理できなければバグ」
「……」
静かに胸の奥がざわついた。
自分が追放されたギルドの顔が、頭に浮かぶ。
ミリアの、あのときの表情も。
「まあ、よかったじゃない」
リヴィが、コロコロと笑った。
「そんな危ない特性持ち、人間社会にいたら、いろんな意味でヤバかったわよ。
利用されるか、潰されるか、解剖されるか、神様に封印されるか」
「最後だけスケールおかしくない?」
「サルサが見つけて連れてきたなら、ここにいる間は安全よ。
この家の連中に喧嘩売らない限りは」
「そこが一番不安なんですけど!!」
この人外トリオに喧嘩売るとか、自殺より難易度高いんだが。
◆ ◆ ◆
「……で、サルサ」
ガルドが、やや呆れたように言う。
「お前さ、たまに“面白そうなやつ”連れてくるのはいいが、覚えてるか?」
「どれ」
「直近十件」
「九件は死んだ」
「さらっと言うな」
俺は自分の耳を疑った。
リヴィが指を折って数え始める。
「一人はドラゴンの巣で骨になってたし、一人は森の瘴気に耐えられなかったし、一人はメンタルが折れて自分から逃げ出したし……あ、逃げたやつは生きてるか。九・一・〇って感じ?」
「生存率のパーセンテージ怖っ!!」
そんな実績を今聞かされるの、普通に心臓に悪い。
「安心しろ、ロウト」
ガルドが、よくわからない方向にフォローしてくる。
「お前はさっき、ドラゴン相手にちゃんと“死にたくない”って思っていた」
「あ、はい。めちゃくちゃ思ってました」
「そういうやつは、案外しぶとい」
ガルドはそう言って、口の端をわずかに上げた。
「死にたくないくせに“死に場所”を探しに来るような矛盾したやつほど、変なところで伸びる。
……見物だな」
「褒められてるのかけなされてるのかよくわかんねぇ……」
「どっちも」
「両方かよ!」
リヴィがくすくす笑いながら、サルサの肩を肘でつつく。
「で? サルサ。弟子くん、どう育てるの?」
「そうだな」
サルサは、俺をじっと見据えた。
あの緑の瞳に捕まると、意識まで固定されるような感覚がある。
うっかり視線を外したら、何かに負ける気がして、俺もつい見返してしまった。
「まずは――」
サルサは、ローブの袖をまくり、指をぱちん、と鳴らす。
「走らせる」
「え」
◆ ◆ ◆
次の瞬間、俺の足元の床が消えた。
「は???」
悲鳴を上げる暇もなく、視界が反転する。
毛皮の山も、本棚も、リヴィの翼も、ガルドの大剣も、一瞬で遠ざかり――
代わりに、俺の眼前に広がったのは、見覚えのある黒い森の景色だった。
さっきドラゴンに追われて走り回った、あの地獄の景色。
「ちょっ、待っ――」
ドンッ!
俺はそのまま地面に叩きつけられ、前転しながら転がった。
砂と土と草の味がする。
「――はい、アウトー。着地一点」
頭の中に、サルサの声が直接響いた。
「一点って何の採点ですか今の!!」
「十点満点中。一点。死ななかったから加点」
「減点方式やめろおおお!!」
「森の入口から、さっきのドラゴンの寝床まで走ってこい。途中で死なないように」
「いや無茶苦茶だろ!? ドラゴンの寝床って普通にデッドラインなんですけど!」
「大丈夫。さっきよりは弱ってる。お前の特性もあるし」
「それを信じて突っ込ませるのが一番怖いんだよ!!」
背後から、ガサッ、と茂みの音がした。
振り向くと、さっき見たのと似たような、いや、少し小さめのリザードがこちらを見ている。
目が合った瞬間、そいつの足がもつれた。
ズサァッ。
派手にこけて、顔面から地面に突っ込む。
「……」
「ほらな?」
サルサの声が、得意げに聞こえた気がした。
「認めたくないけど、めちゃくちゃ弱体化してる……」
「範囲弱体化。敵は勝手にポンコツになる。
――なら、お前は、そのポンコツ相手に“死なずに走れる身体”を先に作れ」
理屈だけ聞けば、たしかに合理的だ。
敵が弱くなっている間に、とにかく動き回って、危険に慣れて、足腰を作る。
それが、サルサ流の初歩の初歩ってわけか。
「やらないなら、ここから出ていけ」
サルサは、淡々と言う。
「この森の結界は、今、お前を『一時的滞在者』として扱っている。
私の弟子として登録し続けるなら、ここで生きる覚悟をしろ。
覚悟ができないなら、今のうちに森の外まで転送する。ギルドに戻るなり、どこかで死ぬなり、好きにしろ」
「……」
心臓が、ひとつ跳ねた。
ギルドに戻る。
そんな選択肢は、とうに消えたはずだ。
戻ったところで、俺の席はもうない。
ミリアの顔を見る勇気もない。
どこかでひっそり死ぬか。
あるいは――
「師匠」
俺は、空に向かって叫んだ。
どこにいるのかわからないが、声はきっと届くだろう。
「ひとつ、聞いていいですか」
「何」
「俺が――本当に、ここで強くなれたら」
一呼吸置いて、言葉を絞り出す。
「元のギルドも、そのずっと先の世界も、まとめて見返せますか。
“ロウトが敵に回ったらバグ”って本気で言わせるくらい、強くなれますか」
一瞬、沈黙が落ちた。
風の音。木々が擦れ合う音。
遠くで鳴く何かの声。
それを切り裂くように、サルサの声が響いた。
「さっきも言った」
「……」
「なれるさ。私の弟子になれば」
その声音には、一片の迷いもなかった。
「お前は面白い。
死にたくないのに死に場所を探す矛盾と、自分の価値を理解していない愚かさ。
そういうのは、大抵、化ける」
「……」
「世界が『バグ』って呼ぶくらいの存在にしてやる。
だから、さっさと走れ」
喉の奥で、何かが弾けた気がした。
怖い。
辛いのも嫌だ。
俺は元々、めんどくさがりでチョロい人間だ。
それでも――
「……了解しました、師匠」
剣の柄を握り直す。
足に力を込める。
森の奥。ドラゴンの寝床。
そこまでの道のりは、きっと地獄だ。
でも、地獄の先にしか、俺の欲しいものはない。
「ロウト・アーディン、第一回地獄ラン、行ってきます!」
「いい返事」
サルサの小さな笑い声が、頭の中に響いた。
次の瞬間、俺は、黒い森の奥へ向かって駆け出していた。
背後から、どこか楽しそうなリヴィの声が聞こえた気がする。
「ねぇガルド、どっちに賭ける? 三日で潰れるか、一週間で化けるか」
「一週間だな。あいつ、潰れそうで潰れない目をしている」
「私は三日。潰れたら、残りは私が美味しくいただくから」
そんな物騒な会話を背中で聞きながら――
俺の「捨てられた森での修行生活」は、盛大にスタートした。




