寝れない夜に
夜。
洞窟の中は、しん、と静まり返っていた。
ガルドの寝息は規則正しく、
リヴィはいつものように「起きてんのか寝てんのかわからない」体勢で丸くなっている。
俺だけが、毛皮の中でゴロゴロ転がっていた。
(……寝れん)
昼間のダンジョン蛇が、まぶたの裏でリピート再生されている。
穴からぬるっと出てきたところ。
こっちに向かってくるところ。
滑ってコケるところ。
柱に頭ぶつけるところ。
穴に落ちていくところ。
(最後だけちょっと面白いけど! 怖いもんは怖い!)
寝返りを打つたび、筋肉痛があちこちで文句を言う。
「……はぁ」
静かにため息をついて、そっと起き上がった。
このまま布団の中で蛇リピートしてるより、
外の空気吸ったほうがまだマシかもしれない。
毛皮を肩に引っかけて、洞窟の出口へ向かう。
◆ ◆ ◆
外は、思ったより明るかった。
森の上の空には、満天の星。
木々の合間から覗くその光が、薄く広場を照らしている。
空気はひんやりとしていて、肺が少しびっくりした。
(うわ、きれい……)
ふと、広場の端に、人影が見えた。
青い長髪。
魔法使いのローブ。
地面にごろりと寝転んで、空を見上げている小柄な背中。
「……師匠?」
思わず声をかける。
サルサは、少しだけ顔をこちらに向けた。
「起きてたんだ」
「起きてました」
ゆっくりと上体を起こし、こちらに手招きしてくる。
「こっち来なさい。
弟子がうろうろしてると、熊とか蛇とか寄ってくる」
「この辺に熊いるんですか……?」
「いないけど、蛇はいる」
「帰ります」
「ここに座れって意味」
逃げ道を塞がれたので、大人しくサルサの近くに座る。
地面は冷たいが、毛皮のおかげでそこまで寒くはない。
空を見上げると、星がさっきよりよく見えた。
「……なんか、ツヤツヤしてますね」
「表現のセンス」
「夜空の語彙が貧困なんですよ俺」
◆ ◆ ◆
「眠れない顔してる」
サルサが、淡々と言った。
「分かります?」
「分かる。
“眠れる顔”のときと違う」
「眠れる顔ってどんな顔です?」
「死んだような顔」
「それ寝てるんじゃなくて殺されてません!?」
「生きてるからセーフ」
「セーフのライン低いな……」
しばらく、風の音だけがしていた。
星の数を数えるには多すぎる。
そこに集中しようとすればするほど、脳みそは余計なものを勝手に拾ってくる。
昼間の蛇とか。
ダンジョンの暗さとか。
小ボス部屋の気配とか。
「……師匠」
「なに」
「夜、ちゃんと寝てます?」
「ちゃんとは寝てない」
「ですよね」
この人、よく夜中に魔法陣描いてる。
気づいたら朝になってて、ケロッとした顔で「ロウト外」って言ってくる。
「身体に悪いですよ?」
「魔力でどうにかする」
「出た、“魔力でどうにかする”万能ワード」
サルサは、星を見上げたままぽつりと言った。
「――長生きしていると、だんだん“寝なくても良くなる”」
「寝なくても良くなる?」
「体も、魔力も、勝手に回復するようになる。
寝てもいいけど、寝なくても死なない。
“横になる必要”が、ゆっくり減っていく」
「そんな進化いらない気がするんですけど!?」
不老長寿サイド怖い。
そこで、ふと思ってしまった。
「あれ? でも他の二人は、普通に寝てません?」
洞窟の中のガルドとリヴィを思い出す。
「ガルドさんもリヴィも、わりとちゃんと横になって寝てますよね。
しかも爆睡寄りで」
「うん」
サルサが、ようやくこちらを見る。
「“寝なくても良い”と、“寝れない”は違う」
「……」
「あの二人はきっと、こんな体になっても、
どこかで“人であり続けたい”んだろう」
静かな声だった。
「“寝る”って、すごく人間っぽい行為だから」
ガルドが、いつもちゃんと毛布をかけて寝ている姿が浮かぶ。
リヴィが、意味のわからない体勢のわりに、毎晩ちゃんと決まった場所で丸くなっている姿も。
どっちも、言われてみればすごく「人間っぽい」。
「じゃあ師匠は?」
聞いてから、「やべ、地雷だったか?」と一瞬だけ思う。
でも、サルサは普通の顔で答えた。
「私は」
少しだけ間を置いて――言い切る。
「どうでも良い」
「どうでも良い」
「自分は自分。
それ以下でも、それ以上でもない」
「なんか一気に哲学寄りになりましたね!?」
でも、妙にこの人らしいと思った。
人かどうか、魔かどうか、神かどうか。
そういうラベルに興味がない顔だ。
「“人間らしさ”とか、そういうの、気にならないんです?」
「気にならなくはない」
サルサは肩をすくめる。
「でも、“人間らしくあるためにこれをする”って決めるのが、面倒くさい」
「面倒くさい基準なんだ……」
「寝たければ寝る。
起きていたければ起きている。
“人間らしいかどうか”は、二の次」
「……師匠っぽい」
良くも悪くも、“自分の形”がもう決まってる感じだ。
ガルドやリヴィは、「人間としての自分」と「今の自分」の間で、まだ何かを揺らしているのかもしれない。
サルサは、多分その揺れが終わったあとなんだろう。
「ロウトは?」
「俺ですか?」
「“人間でありたい”?」
聞かれると思ってなかった。
少し考えてから、正直に答える。
「……今のところ、“人間扱いされてないと困るな”って感じです」
「扱いの問題?」
「だって、“人外枠です”ってなると、税金とかどうなるか分かんないじゃないですか」
「そこ?」
「いやなんか、“人じゃないなら人のルール外でしょ?”って言われそうで怖いですもん。
せめて書類上は人でいたい」
「現実的な理由だ」
サルサがちょっとだけ笑った。
「でも、“自分は自分”でいたいのは、師匠と同じかもしれませんね」
「うん。そのほうが楽」
「今“楽”って言いました?」
「私はいつでも楽をしたい」
「その結果が今の弟子メニューってどういうことですかね!?」
◆ ◆ ◆
(長生きすると、寝なくても良くなる、か)
それは、今の俺からするとまったく実感のない世界だ。
でも、“寝なくても良い”サイドに行きながらも、
ガルドやリヴィみたいに、「人間っぽさ」を手放さない選択もある。
サルサみたいに、「ラベルどうでもいい、自分は自分」で生きる選択もある。
(俺は、どうなるんだろ)
魔物の配置がバグって。
ダンジョンの難易度がバグって。
そのうち、“人間”ってラベルのほうがバグったりしないだろうか。
……ちょっと怖くて、ちょっと楽しそうでもある。
「で」
サルサが、改めてこちらを見た。
「眠れない原因。言える?」
「……蛇です」
即答だった。
「さっきも蛇。寝ようとしても蛇。
閉じると蛇。開けると師匠。まだ師匠のほうがマシ」
「マシ扱いされた」
「蛇と比較したら大抵のものマシです」
サルサは特に驚きもせず、「ふーん」と言った。
「ダンジョンの蛇、よく効いてた」
「効きたくて効いたわけじゃないんですけどね!?
嫌すぎて全力で敵認定した結果ですよ!?」
「でも、“全力で敵認定できるもの”があるのは、悪いことじゃない」
「それを褒めとして受け取っていいのか微妙なラインですね!?」
サルサが、星を見上げたまま続ける。
「私、昔」
「?」
「“全部どうでもいい”って時期が長かったから」
あまり聞いたことのない種類の声だった。
「“嫌い”も“好き”も、面倒くさいと思ってた。
“どっちでもいい”“どっちでも生きていける”って」
「……」
「そういうときは、範囲なんて広がりようがない。
敵も味方も、ぼやけるだけ」
そこで初めて、サルサがこちらを見た。
淡い緑の瞳は、星明かりを映していた。
「だから私は、“蛇嫌い”を誇っていいと思う」
「誇りたくない種類のナンバーワンなんですよねあれ」
「嫌いなものがあるってことは、“それ以外”があるってことだから」
言われてみれば、その通りだ。
蛇が嫌い、というのは――
蛇じゃないものは嫌いじゃない、ってことでもある。
(……俺、蛇じゃないもののほうが多いな)
森も。
炎も。
木人も。
ドラゴンも。
ギルドも。
人も。
全部まとめて「どうでもいい」と思っていた頃より、
今はずっと、うるさいくらい色々感じる。
「師匠は、嫌いなものあります?」
なんとなく聞いてみた。
サルサは少し考えてから、あっさり答える。
「“つまらないもの”」
「ざっくりしてますね!?」
「“何も起きない日々”“何も変わらない世界”」
星を見上げながら、ぽつりと言った。
「昔、そういう時代が長かった。
魔法も、世界も、自分も。
全部、“そこそこ便利で、そこそこ退屈”だった」
「……」
想像がつくような、つかないような。
魔法を極め続けて、いつのまにか人外になった師匠。
その長い時間のどこかで、本当に何も変わらない時期があったんだろう。
「だから私は、“バグ”が好き」
サルサが、微笑んだ。
「計算通りの世界より、計算通りにならない世界のほうが、見てて飽きない」
「だから俺拾ったんです?」
「だから拾った」
即答だった。
「お前の範囲、世界の難易度をいじる。
森の魔物の配置がおかしくなる。
敵だけよく転ぶ。」
「楽しければ良い世界観だなぁ!」
◆ ◆ ◆
「ロウト」
「はい」
「“眠れない夜”は悪くない」
「……悪くない……ですかね?」
「眠れないってことは、“何かが引っかかってる”ってこと。
“引っかかるものがある”ってこと」
「なるほど、“全部どうでもいいモード”の反対ってことですね」
「そう」
サルサの指が、星空をなぞる。
「そのうち、バグがデカくなりすぎて、
眠れない夜が“眠れない数年”になると面倒だけど」
「それは確かに嫌だ……」
「でも今くらいの頻度なら、たぶん大丈夫」
わりと適当な基準だった。
「寝れないなら、外に出ればいい。
外に出たら、誰かがいるかもしれない」
「今日みたいに?」
「そう」
サルサが、軽く肩をすくめる。
「お前が寝れない日、たいてい私も寝てないし」
「シンクロしないでください!? なんのリンクですかそれ!」
でも、なんとなく分かる気もした。
昼間のダンジョンで、自分のバグがまた一段階広がった感覚。
蛇に対する嫌悪と、それが範囲に反映された手応え。
それを一番近くで見ていたのは、サルサだ。
弟子が動くたびに、師匠も何かを考えるのかもしれない。
……そう思ったら、ちょっとだけ胸がくすぐったくなった。
◆ ◆ ◆
「……あの」
「なに」
「師匠って、怖くないんです?」
「何が」
「自分の弟子が、“世界をバグらせる方向”に育ってるの」
森が変わり、ダンジョンが変わり、ギルドのログが変わり。
さっきの蛇みたいな存在も、これからもっと出てくるかもしれない。
そのど真ん中に、俺がいる。
「俺、いつかうっかり、取り返しのつかないバグ起こしそうじゃないですか?」
素で不安だった。
森の中でやってる分にはまだいい。
でも、世界規模になってきたら、洒落にならない。
サルサは、すぐには答えなかった。
星をひとつ見上げてから、ゆっくりと口を開く。
「怖いよ」
「ですよね!?」
「“何百年も生きてる魔法使い、何も怖くないんです〜”みたいな顔に見える?」
「若干見えます」
「イメージ操作失敗してた」
サルサは肩をすくめる。
「弟子が何かやらかすのは、いつの時代も怖い。
“やらかさない弟子”なんて存在しない」
「胸に刺さる generalization やめて?」
「でも、“怖いからやめろ”とは言わない」
サルサの目が、少しだけ真面目になる。
「“怖いから、一緒に見てる”」
「……」
「お前一人に任せて、好きにバグらせて、“結果だけ教えて”ってやり方のほうが、
よほど怖い」
たぶん、この人なりの「フォロー」なんだと思う。
俺の範囲が怖いことを、ちゃんと怖いと言った上で――
それでも「一緒に見てる」と言ってくれる。
なんかずるいなと思った。
そう言われたら、「じゃあ変なことしないようにがんばります」って思っちゃうじゃないか。
「……師匠」
「なに」
「俺が世界バグらせすぎたら、そのときはちゃんと怒ってくださいね」
「怒る」
「全力でやらかしたら、ぶっとばしてくださいね」
「ぶっとばす」
「一回じゃ足りなかったら?」
「何回でも」
「怖っ!!」
「それが師匠」
「師匠こわい……」
でも、妙に安心するのはなんでだろう。
◆ ◆ ◆
空を見上げると、さっきより星が増えた気がした。
もちろん、実際に増えたわけじゃない。
目が慣れただけだ。
でも――
それだけで、さっきより世界が少しだけ広く見える。
「もうちょっと起きてます?」
「もうちょっと起きてる」
「徹夜はしないでくださいね?」
「魔力でどうにかする」
「出たよ……」
サルサが、その場でごろりと横になった。
「お前はそろそろ戻れ。
身体動かした日は、寝ないと明日が死ぬ」
「明日も死ぬんですか?」
「今日よりはマシな死に方を用意しとく」
「死に方ラインナップしないで!?」
それでも、さっきより気持ちは軽くなっていた。
「……じゃあ、戻ります」
「うん」
立ち上がる前に、ひとつだけ振り返る。
「師匠」
「なに」
「さっき言ってましたけど、
“つまらない世界が嫌い”なんですよね」
「嫌い」
「……多分、俺がいる限り、退屈だけはしないと思うんで」
自分で言って、自分でちょっと恥ずかしくなった。
「その、なんだ。
今後とも、適度にバグらせていく方向で」
サルサは、少しだけ目を丸くして――
すぐに、くすっと笑った。
「期待してる」
「期待の言い方ァ!」
◆ ◆ ◆
洞窟に戻ると、
さっきより暗闇が優しく感じた。
毛皮に潜り込む。
まだ蛇の記憶は消えないけど――
さっきより、「蛇以外」のことも頭に浮かぶようになっていた。
師匠の「一緒に見てる」という声とか。
ガルドの「よくやった」もどきとか。
リヴィのくだらない実況とか。
(……まぁ、寝れなきゃまた外出ればいいか)
そのとき、またあの青い頭が広場に転がってるんだろう。
そんな想像をしながら、
俺はようやく、眠りに落ちていった。
蛇とバグと師匠がいる世界で、
明日もたぶん、いい感じに退屈しない。




