第二章 氷刃の騎士(④初陣)
マティアスはレイラを降ろすと、剣を抜いた。煌びやかな鞘から、スラッと長い刀身が顔を出す。衣類を除けば、五年前にマティアスが王都から持ってきた唯一のもの。モーガンやジェイセンと何度も打ち合った愛刀だ。
マティアスは剣を握りしめると、炎の壁を回り込み、ロキと並んでエギルに対峙した。
「この村に何をしに来たんだ、魔神エギル。」
「もちろん、あなたがたを探しに来たんですよ。もっと言えば——。」エギルが両手を大きく広げると、空中に無数の青い光が煌めき、それと同じ数の氷の槍が現れた。「——あなたがたを、捕らえに来ました。殺してしまっては、刻印が無作為転移してしまいますからね。殺しはしません。だから大人しく、私についてきていただけますか?」
「そう言われて、はいそうですか、とついていくヤツはいねぇだろうよ。」
ロキはそう言って鼻で笑ったが、いつの間にか、ロキの背後にも大きな赤紫色の炎の玉が三つ漂っている。
「まぁそうでしょう。私も、とりあえず聞いてみただけ、ですっ!」エギルが両手を振り下ろすと、氷の槍がロキとマティアスに降り注いだ。
極寒の冷気とともに降り注ぐ、無数の氷の槍。
マティアスは身をかわしつつ、剣で氷の槍を叩き落としていった。殺さず捕らえるという言葉通り、氷の槍はあえてマティアスの急所を外して打ち込まれており、防ぎ切るのは簡単ではないが不可能でもない。
しかし、ロキの方は少し事情が違っていた。氷の槍は、明らかに頭や胸も含めて容赦なくロキを狙っており、すべてかわしきることは不可能と悟ったロキは、背中に翼を生やして空中に逃れる。
「おまえ!殺さねぇって言わなかったか!」
「自称、最も強い魔神、なのでしょう?これくらいで死ぬことはないかと思ったのですが、もう少し手加減した方がよろしかったですか?」
「いらねぇよ!」
ロキは吐き捨てるように言うと、赤紫色の炎の玉を手に取り、エギルに向けて投げつけた。エギルはひらりと跳躍してそれをかわしたが、ロキの炎はエギルを通り過ぎた後にグイッと向きを変え、背後から再びエギルを襲う。エギルは一瞬驚きを見せたが、すぐに平静を取り戻して両手を前に出すと、氷の盾が出現し、赤紫色の炎は氷の盾に当たって呆気なく爆散した。
「……あ?」
ロキは意外そうな顔をすると、空中で飛び退き、エギルから距離を取った。
「なるほど。口先ばかりの魔神かと思っていましたが、小手先の技もあるというわけですか。」エギルはすました顔で青い髪を撫で付けた。「しかし、この程度の力では、私の足元にも及びません。時間をかけても仕方ないですし、一気にカタをつけて終わらせましょう。」
そう言うと、エギルは天を仰いだ。辺りの空気がさらに冷たくなったかと思うと、エギルを飲み込むように、何か巨大なものが現れる。
氷の巨人だ。
「あれは……。」マティアスが息を呑んだ。
氷の巨人は、その巨大な腕を構えると、空中にいるロキめがけて腕を振り抜いた。ロキは三つの赤紫色の炎の玉をすべて体の前面に展開し、その一撃を防いだ……かと思われたが、氷の巨人の腕はあっさり炎の玉をぶち抜き——ロキは驚いて目を見開いた——、そのままの勢いでロキを直撃した。ロキはとんでもない速さで吹き飛ばされ、木々の中に突っ込んでいく。
「ロキ!」マティアスの叫びもむなしく、ロキはそのまま木々の中に消えた。
……この魔神相手に、マティアス一人ではとても勝ち目がない。
マティアスは氷の巨人に背を向けると、ロキのもとへ走った。へし折られた何本もの木を飛び越えると、木々の中にロキが横たわっているのが見える。起きあがろうとしているが、あまりのダメージにうまくいかないようだ。
しかし、マティアスがロキに駆け寄ろうとすると、突然現れた刀身が、マティアスの進路を遮った。氷の巨人ではない。どうやら氷の巨人は、その巨体ゆえに足が遅いらしく、まだこちらへ向かってくる途中だ。
マティアスを遮ったのは、透き通るような青白い氷の刃だった。
フェイスガードで顔を隠した氷刃の騎士が、ロキとマティアスの間に立ち塞がり、マティアスに剣を向けている。
「おまえらなんかに、捕まってたまるか!」
マティアスはそう叫ぶと、剣を振り上げた。幼少期、王都で鍛え上げた剣の腕。カタリナ村に来てからも、鍛錬を怠ることはなかった。すべてはいつか、リリーを助け出す日のために。マティアスは、氷刃の騎士がフェイスガードの向こうからマティアスを見るのを感じた。
マティアスは氷刃の騎士めがけて必殺の一撃を打ち込んだ。マティアスの気概に押されたのか、氷刃の騎士の反応が一瞬遅れたように思われたが、氷刃の騎士は両手で柄を握り、マティアスの一撃をギリギリで防ぐ。
その時、思わぬことが起きた。
氷の刃は、マティアスの剣を受け止めただけでなく、何の抵抗もなく、マティアスの剣の刀身を切り飛ばしたのだ。
あまりのことに一瞬自失したマティアスは、氷刃の騎士が返す刀でマティアスの両足を薙ぎ払おうとする動きに、対応できなかった。いまから避けても間に合わない。マティアスは、両足を襲う衝撃に身構えた。
しかし、現実はまたしてもマティアスの予想を裏切った。
ガン!と鈍い音がしたかと思うと、氷刃の騎士は、フェイスガードを直撃した矢の衝撃で倒れこんだ。マントの中に着込んだ甲冑が、ガチャガチャと音を立てる。
「——マティアス!」
燃えるような炎髪がマティアスの視界に飛び込み、マティアスに駆け寄ったレイラは、そのままマティアスの手を引いて木々の奥へと走った。もう片方の手には、マティアスがケイレブの家にいた頃からレイラが使っていた弓が握られている。
二人の視線の先では、ちょうどロキが体を起こしてこちらを見たところだった。しかしその瞬間、ロキは両手を前に突き出して叫んだ。
「伏せろ、ガキども!」
マティアスとレイラが、考える間も無く言われるがままにその場に伏せると、ロキの放った炎の玉が頭の上を飛び去った。ロキの渾身の一撃は、マティアスとレイラのすぐ後ろに迫っていた氷の巨人に正面から直撃し、氷の巨人はよろめいて……しかし、倒れなかった。
だが、一瞬の間は得られた。
ロキはその一瞬で巨大なコンドルに姿を変えると、力強い鉤爪でマティアスとレイラを掴み、空へと舞い上がった。およそ自然界の生き物では考えられない太い翼が、二人を空中にもたらす揚力を生む。コンドルは燃え盛るカタリナ村に背を向けると、そのまま力強く羽ばたき、逃走を図った。
コンドルを逃すまいと、地上から、体勢を立て直した氷の巨人が瓦礫を投げてきたが、コンドルはそれらをすべてかわし、夜の空へと消えて行った。
「……ご主人様!ご主人様!」
エギルは、氷の巨人から元の姿に戻ると、氷刃の騎士を助け起こした。
少女の矢によってフェイスガードは破壊されたが、矢は貫通していないようで、氷刃の騎士に怪我はない。
「……エギル。大丈夫だ。」氷刃の騎士は、自ら体を起こした。
「ご無事で何よりです。」エギルはひとまず、胸を撫で下ろした。エギルの知る限り、彼の主人が戦闘において敵に後塵を拝するなど、これまでになかったことだ。「何か、お身体の調子がすぐれませんか?」
魔神と魔術師というよりも、主従の絆で結ばれている彼らにとって、エギルが主人の心配をするのは当然のことだった。
「いや、問題ない。」氷刃の騎士は短く応えると、地面に落ちているマティアスの折れた刀身を手に取り、じっと見た。「……彼らは?」
「大変申し訳ありません、私の不覚の致すところ、彼らを逃してしまいました……。しかし大丈夫です。彼らの逃げた方角はわかっておりますので、いまから私が追いかけてまいります。」エギルはそう言うと、背中に再び翼を出現させた。
しかし、氷刃の騎士は少し考えた後、ゆっくりと言った。
「……いや、こんな夜中に隠れられれば、いかにおまえでも見つけられないだろう。それに……。」彼はエギルの肩をポンポンと叩いた。「おまえは今日、よくやってくれた。私はほとんど役に立たなかったな。ネズミの巣を探すのは執行官どもに任せて、私たちは一度、王都に戻るとしよう。」
「承知いたしました、ご主人様。」そう言うとエギルは頭を垂れた。
彼の主人は、契約してこの方、エギルに対していつも気配りをしてくれる。
影の皇帝の代理として王国を支配する、影の代行者。
氷の魔神を使役する、三人の魔術師の一人。
影の帝国側につき、王国を裏切った殺人者。
彼の主人を形容する手段はいくつもあるが、エギルにとっては、そのどれも、本当の彼の姿を的確に表しているようには思われないのだった。
「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!
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☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆