第二章 氷刃の騎士(②招かれざる訪問者)
時は少し遡る。
夜のカタリナ村中央通りは、閑散としていた。誰もが夕飯の買い出しを終えて家に帰り、残っている者といえば、店じまいの作業をする店員たちと、夕暮れ前から飲んでいて、早くも酔っ払っている中年親父の一団くらいだ。中年親父たちは、何度目かわからない乾杯を叫び、どういうわけか飲み始めた時よりもキンキンに冷えている酒に歓声を上げた。
そこへ、明らかに場違いな二人がやってきた。
甲冑に長いマントをまとった彼らが中年親父たちの一団に近づくと、新たな酒宴の余興を得たとばかりに、一層場が盛り上がる。
しかし、そんな賑やかしい場の空気は、フェイスガードを被った男の氷のように冷たい声を聞いて、凍りついた。
「魔術師はどこだ?」
彼らが何も言えずにいると、男は腰の剣をゆっくりと引き抜いた。
いや、剣を引き抜いたのではない。
彼の剣には、刃がなかった。柄と鍔はあるが、そこから先は何もない。しかし、彼はまるで見えない刃があるかのように、剣を中年親父の一人に向けた。
「魔術師は、どこにいる?」
中年親父は残った理性をかき集めようとしたが、アルコールに侵された脳は、持ち主の期待を裏切った。
「あ、あ、あんた。その変な剣はなんだ?はは。折れちまったのか?棒が折れて使い物にならなくなったってか?それじゃ女にはモテねぇなぁ。気の毒なこったぜ。」
一瞬の静寂。
動きを止めた中年親父は、ふと自分の胸を見下ろし、そこに刃が突き立っているのを見た。不思議と痛みは感じない。いや、彼は何も感じず、何も考えてはいなかった。中年親父は、文字通り凍りついた眼を見開いたまま、その場に倒れた。まるで陶器の塊が倒れたかのような、固い音が辺りに響き渡る。
「……それで?」
男は他の中年親父たちに向き直ると、同じく冷たい声で言った。いつの間にか、手に握る剣の鍔から先に、青白い刃が煌めいている。
氷の刃だ。
中年親父たちは恐怖に喘ぐと、堰を切ったように、口々に話し始めた。
「魔術師なんて、俺たちは知らない!そんなのが王国にいたのは、もう五年も前の話だ——。」
「本当に、本当に俺たちはここでただ酒を飲んでいるだけだ。信じてくれ——。」
「この街で何か知っているとしたら、俺たちじゃない。村長に聞けばもしかしたら——。」
氷刃の騎士は、手を払って男たちを黙らせると、そのうち一人に体を向けた。
「村長がいると言ったか?」
「あ、あぁ!この先の煉瓦造りの家だ!村長なら何か知ってるかもしれんが、俺たちは何も……。」言葉は尻すぼみになって消えた。
氷刃の騎士は眼を上げると、煉瓦造りの家を見据えた。遠目にも、窓から暖炉の火がチラチラ覗いているのが見える。
「いいだろう、感謝する。」
そう言うと、彼は剣を腰に戻し、中年親父の一団に背を向けた。いつの間にか剣からは氷の刃が消えており、中年親父たちは安堵に胸を撫で下ろす。
すると、ずっと黙っていた青い髪の男が、氷刃の騎士に言った。
「それではご主人様、片付けを済ませて、私もすぐに追いかけますので。」
「悪いな、頼む。」
氷刃の騎士は短く応えると、そのまま煉瓦造りの家に向けて歩み去った。
「あ、あんた、コイツの埋葬を手伝ってくれるのか……?」
中年親父たちが青い髪の男に声をかけると、青い髪の男は深いため息をついた。
「私のご主人様に汚い口を叩いた人間を、私が埋葬するわけないじゃないですか……。」そう言うと彼は片手を上げた。
「影の代行者の名において、私たちが魔術師を探していることを知ってしまったあなたがたを、処分させていただきます。願わくは、苦しまずに最期を迎えられますように。」
言い終わるや否や、突如、恐ろしい冷気がその場を襲った。
グラスの酒が凍りつき、通りの篝火がゆらめいて消える。そして後には、恐怖の表情を浮かべた中年親父たちの氷像が残された……。
レイラは、台所で夕食の片付けをしていた。なぜかだいぶ多めに作ってしまい、明日に持ち越しとなったおかずを鍋から皿に移す。
「なによアイツ。せっかくアタシが、わざわざ……。」
レイラは一人ごちるが、レイラ自身がさっさと帰れと言った手前、言われた通りだと言われればそれまでだ。ただ、自分がなんと言おうとマティアスは夕飯まで食べていくだろう、と思っていたレイラにとって、マティアスがケイレブと話せれば十分とばかりに帰ってしまったことには、やはり忸怩たる思いがある。
ここ最近、マティアスは変わってしまった。いや、出会った時から、ずっと変わり続けているのかもしれない。
五年前、出会った頃のマティアスは、魂の抜け殻のようだった。何も喋らず、何にも心を動かさず、何を考えているのかわからない。それがだんだん、心を開くようになり、おそらくもともと持っていたであろう陽気さを取り戻した。あの頃は、マティアスもケイレブやレイラと一緒にこの家で暮らしていたのだ。マティアスとレイラの間には喧嘩が絶えなかったが、それをケイレブがたしなめ、また次の日を迎える。そんな毎日が、ずっと続くのだろうと思っていた。
しかし去年、マティアスは突然この家を出て行き、村外れの掘立て小屋に一人で住み始めた。男子たるもの、いつまでも保護者の世話になっていてはいけないじゃないか、などと言っていたが、マティアスをずっと近くで見てきたレイラには、彼が何か隠しごとをしているのがわかった。
それ以来、マティアスと会う機会は、だんだんと減って行った。週に四回は夕飯を食べに来ていたのが、三回になり、二回になり、一回になり、隔週になり……やがてほとんど、この家には姿を見せなくなった。
だから、今日玄関からマティアスの声が聞こえた時は、心底驚くと同時に、とても嬉しかったのだ。レイラは慌てて納屋の掃除を放り出し、玄関に出た。マティアスとの会話は……まぁあまりうまくはいかなかったが、それでも、今日こそはまた一緒に食卓を囲めると信じていた。その結果がこれだ。
「結局、期待するのが間違いなのよ。バカみたい。」
レイラとしては、マティアスの行動か、自分の行動か、どちらにより怒りを覚えているのか、判断しがたいところだった。
そんなことを考えながら悶々としていると、玄関の扉をノックする音がして、レイラは現実に引き戻された。ケイレブが一言応じて、玄関に出る音が続く。この家で、台所は一番奥まったところにあるが、耳を澄ませば玄関での話し声はわずかに聞こえてくる。もしかして、マティアスが戻ってきた?いやそんなはずないわ……などと思いつつ、レイラは耳をそば立てた。
会話の中身はよく聞こえないが、マティアスの声ではない。レイラががっかりして片付けに戻ろうとした、その時——。
「——知らぬと言っておろうが!こんな夜に、一人寂しく暮らしておる老人の家に押しかけてきおって!さっさと帰れ!」
突然、ケイレブの怒鳴り声が聞こえ、レイラは動きを止めた。
この家にいるのは自分一人だけだ。誰だか知らないが、招かれざる訪問者に対して、ケイレブはそう思わせようとしている。これは、五年前に取り決めた、この家の合図だ。危険信号、と言ってもいい。
影の帝国が王国を掌中に収めると、王国の治安維持機能は麻痺し、王国全土で犯罪が横行した。再建に努めるカタリナ村は比較的治安が良かったとはいえ、用心するに越したことはない。ケイレブはそう言うと、訪問者への応対にルールを設けた。訪問者に応対し、何か危険を感じたら、家の中には他に誰もいないと大声で宣言することで、家の中にいる他の二人に警告を発する。その警告を聞いたら、レイラとマティアスはすぐに逃げること。もしレイラかマティアスが応対していた場合、ケイレブは武器をもって警戒に当たること。
しかし、いまこの家にマティアスはいない。このケイレブの警告は、レイラに向けたものでしかあり得ない。ケイレブがレイラに、いますぐ逃げろと言っているのだ。
おじいさま!いったい何が起きているの?
レイラの心の中でこの想いが爆発したが、大声を出してのこのこ玄関へ出ていけば、ケイレブの警告が無駄になる。レイラは音を立てずに自室に戻ると、壁にかけてあった弓矢を手に取った。逃げるにしても、これを置いて行くわけにはいかない。
レイラは矢筒を肩にかけると、自室の窓から家の外へ出た。そのまま玄関からの死角を通って距離を取り、庭の林檎の樹の影に隠れる。ここからなら、彼らの声が聞こえそうだ。
「……最後のチャンスだ。魔術師の居場所を言うがいい。」
音を伝える空気が凍ってしまったかのような冷たい声が聞こえた。
「魔術師など、わしは知らん。」ケイレブがキッパリとはねつける。
魔術師?レイラの脳裏に疑問符がともったが、それよりも、最後のチャンス、という言葉が耳についた。
おじいさまが危ない。
手には弓がある。レイラは矢をつがえて弓を引き絞ると、思い切って林檎の樹の陰を出て、玄関が見える位置に駆け出した。敵は二人。しかも前の一人は、あろうことかケイレブに対して剣を突きつけている。迷わず、レイラは剣を突きつけている男めがけて矢を放った。
その時だった。後ろに控えていた青い髪の男が、人間離れした反応速度でグルンッと振り向いたかと思うと、飛んできた矢を素手で叩き落とした。そして、あまりのことに一瞬自失したレイラの眼を、まっすぐに捉える。
奥底に異形の力を燃やすその眼は、明らかに人間のものではなかった。
青い髪の男が右手を上げると、空中にどこからともなく青い光が現れ、中から氷の槍が出現した。その切っ先は、レイラを狙っている。
「レイラ、逃げろ!」
ケイレブの叫びがなければ、そのまま氷の槍で串刺しにされていたことだろう。レイラがケイレブの声に突き動かされるように咄嗟に横へ飛ぶと、レイラが立っていたところを氷の槍が突き抜けた。
「エギル、任せる。」
「はい、ご主人様。」
「やめろ!あの子は魔術師なんかじゃない!あの子はわしの孫娘だ——うっ!」
ケイレブの叫び声が途中で途切れたが、レイラには、とてもケイレブの様子を確認する余裕がなかった。エギルと呼ばれた青色の髪の男が、あろうことか、背に翼を生やし、こちらに飛んできたのだ。その傍らには、新たな氷の槍が何本も控えている。
レイラは声にならない叫びをあげ、氷の槍に追い立てられるように、カタリナ村の中心部へ駆け出した。
「見上げた根性だな。この期に及んで、まだ隠し通そうとするのか。それとも、本当に知らないのか?」フェイスガードを被った氷刃の騎士は、膝をついたケイレブを見下ろしながら、訝しげに言った。「この王国で、魔神と魔術師が契約すれば、王都の『羅針盤』がそれを検知し、場所を指し示す。昨夜、この村で契約がなされたのは隠しようもない事実だ。村長のおまえなら、何か知っているだろうと思ったんだがな。」
ケイレブは、すぐには応えなかった……というより、応えられなかった。ケイレブの胸に突き立つ氷の刃が正常な呼吸を阻害し、視界が急速に狭まり始める。
「おまえたちに……渡すものか。」
「なに?」
「おまえたちには渡さんと言ったのだ……この裏切り者が。」ケイレブは絞り出すように言った。「あの男は、魔神だろう。ならばおまえは……魔術師だ。影の帝国ではなく、この王国の人間のはずだ……。それが、同じ王国の人間を殺し、仲間の魔術師を狩るとは——。」
「——そんなことは、関係ない。」氷刃の騎士は、冷たく言い放った。「私たちはみな、自分の守るべきもののために生きている。私の守りたいものは一つだけだ。それ以外の者の命など、知ったことではない。」
「歪んだ……生き方だな。」ケイレブの声は、どんどん小さくなっていった。「だが、どこか……あの子に似ている。きっと、おまえの行く手にはあの子が立ちはだかり、おまえを止めるだろう……。」
氷刃の騎士は、そう言って地面にくずおれたケイレブを最後に一瞥すると、レイラが逃げて行った方角を振り返った。既に彼らの姿は見えないが、物が割れ、建物が壊れる音が聞こえてくる。
「レイラ……マティアス……。おまえたちに、幸運を……。」
最後にそう口の中で呟いたケイレブの声は、氷刃の騎士には届かなかった。
「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
貴重なお時間を割いて本作をお読みくださった皆様に、何か楽しいことが起こりますように。
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