第一章 亡国の王子(②王都陥落)
少年は、王子だった。
王子といっても、格はいろいろだ。最後の国王オットー・フォン・ブライトスケールには、数十人からの子どもがおり、マティアスはその中でも、序列の低い側室の子として産まれた。王位継承権は下から数えた方が早く、王子とは名ばかりで、とても丁重に扱われていたとは言い難い。しかし逆に言えば、堅苦しい王宮儀礼にきつく縛られる必要のない立場であり、母エリア・ブラウンと三歳年下の妹リリーとともに、のびのびと暮らしていた。
マティアスは、比較的自由な立場を活かし、興味のあることに存分に打ち込んだ。その一つが剣術だ。彼は早々に剣の才能に目覚めると、王都親衛隊に赴き、副隊長のモーガン・ランズベリーに師事した。モーガンは、時間のある限りマティアスに稽古をつけてくれたが、彼以上にマティアスの剣技を磨き上げたのは、モーガンの息子、緑色の瞳を持つ少年ジェイセンだった。
ジェイセン・ランズベリーはマティアスと同じ年齢だったが、少々問題児の気があるマティアスとは異なり、また剣士の血筋にそぐわず、真面目でおとなしい性格だった。マティアスが厨房に忍び込もうとすればそれを止め、他の王子たちに喧嘩を売ればそれを収める。しかし、剣を握らせれば、その太刀筋は攻撃的で無駄がなく、王都親衛隊の大人たちですら舌を巻くレベルだった。マティアスとジェイセンは、来る日も来る日も数えきれないほど剣を交えて互いを高め合い、いつの間にか、まったく性格の異なる二人の少年は、無二の親友となった。
モーガンは警備任務で明け方まで帰ってこないことが多く、ジェイセンの母も早世していたため、マティアスの母エリアは、ジェイセンを頻繁に夕食に招くようになった。そしていつしか、ジェイセンは、マティアスと日没まで稽古をした後、マティアス、リリー、エリアと夕食を共にし、そのまま泊まっていくという流れが常態化し、ジェイセンはマティアス一家に家族同然の存在として迎え入れられることになった。
しかし、そんな生活には、唐突に終わりが訪れた。
その日は、国王オットーの戴冠記念日のため、すべての王族に対して王宮への呼び出しがかかっていたが、リリーが高熱のため欠席することになった。それを受けて、マティアスは、リリーが行かないなら自分も熱があることにしておいてくれ、などという身勝手な主張をし、一悶着あったものの、結局は母エリアだけが王宮に赴くことになった。しかし、マティアスは家を訪れたジェイセンからモーガンが非番であると聞くや、リリーの世話をジェイセンに任せ、モーガンに稽古をつけてもらうために練兵場へ行ってしまった。リリーはジェイセンによく懐いており、ジェイセンもまた、日頃からリリーによく世話を焼いていたため、その点は心配いらなかったのだが、傍目から見ればあまりに自由奔放すぎる行いだったと言える。
しかし、そんなマティアスが練兵場でモーガンと稽古をしていると、にわかに、明るい陽光が翳りを見せ、東の山脈、影の帝国との国境の向こうから、黒い雲が異常な速度で王都ロスリンへ向かってきた。
何事かと見ていると、黒い雲はあっという間に王宮の上空へ辿り着き、突然、七本の稲妻を光らせた。七本の稲妻は王宮を直撃し、王宮の一部が轟音とともに崩れたかと思うと、今度は黒い雲から七本の灰色の靄が降りてきて、稲妻が開けた穴から王宮に入り込む。そして一瞬の静寂の後……王宮から、絶叫と悲鳴が溢れ出した。
明らかな異常事態に、モーガンとマティアスは王宮へと走ったが、王宮にたどり着く前に、王宮内から出てきた兵士と遭遇した。動転する兵士を落ち着かせ、モーガンが状況を説明するよう命令する。そこで兵士が語った内容は、信じ難いものだった。
「影の帝国です。ヤツらが侵略してきました。国王も、王妃も、王子も、王女も、親衛隊長も、みんな殺されました。やつらが来ます。逃げるしかありません。」
マティアスはしばし呆然とし、我に返って母エリアの名を叫んで王宮に飛び込もうとしたが、モーガンがそれを止めた。力強い腕でマティアスを無理やり抱え上げ、来た道を駆け戻る。モーガンに抱えられたマティアスは抵抗したが、王宮から出てきたものを見て、戦慄した。
影のゴーレム。伝説に聞く、影の皇帝によって生み出された魔法生物。かつて王国を滅亡寸前に追いやった、死を呼ぶ影の軍勢だ。
無数の影のゴーレムが、早くもモーガンとマティアスを見つけ、こちらに向かって来ていた。マティアスは王宮から無理やり眼を逸らすと、母エリアのことを頭から締め出し、モーガンとともに自分の足で走り始めた。何が起きているかはわからない。でも、ジェイセンとリリーを連れて、逃げなければ。
モーガンとマティアスは、マティアスの家まで駆け戻ると、扉を開けた。変わらぬジェイセンとリリーの姿に、安堵の想いが溢れ出す。
「あぁマティアス——あれ、とうさんも?どうかしたの?」
「話は後だ。いますぐ逃げるぞ!」
そうモーガンが言うが早いか、モーガンがジェイセンを、マティアスがリリーを引っ張って、家を飛び出した。
だが、遅かった。
既に家の前には、四体のゴーレムと、ピエロのような容姿の気味の悪い人物が立っていた。真っ白に化粧した顔に、全身黒ずくめの執事のような様相。伝説に聞く、影の帝国の恐ろしい尖兵。影の執行官だ。
「さてさて、さてさて。そんなに急いで、どこに行くのです?どこに行ったって、どうせすぐに死ぬことになるというのに?」
そう言うと、影の執行官はニタニタ笑いながら両手を上げた。その手に、どこからともなく灰色の光が現れ、徐々に大きくなっていく。マティアスにはその光がなんなのか想像もつかなかったが、決して良いものであるはずがない。
しかしその時、聞く者の血を凍らせるような、恐ろしく冷たい声が響き渡った。
「その娘は殺すな。捕らえて余のもとへ連れてまいれ。」
影の執行官にとってもその声は意外だったのか、弾かれたように姿勢を正し、驚きの表情を見せた。しかし、即座に頭を下げると、丁寧に返答する。
「承知いたしました、我が君。仰せのままに。」
そして、再び頭を上げると、マティアスたちに向き直った。
「……さてさて、さてさて。そこの娘さんには、我が君の眼に留まる何かがある、ということなんですかねぇ?私にはとても、そうは見えませんが……。まぁ、それを詮索するのは私の仕事ではありません。」相変わらずニタニタと薄笑いを浮かべながら、マティアスたちを一人ずつ見る。「さてさて、さてさて。どうしたものですかねぇ……。」
「おまえたちは、なんなんだ!なぜこんなことをする?」
マティアスが叫ぶと、影の執行官は今度こそ大きくニヤリと笑った。
「なぜか?なぜか!そんなの決まってるじゃないですか。我が君の思し召しだからですよ。創造物が創造主に従う、至極当たり前だと思いますけどねぇ。」
「だからその理由を——。」
「——まぁそんなことよりも。」影の執行官は、マティアスを遮った。「我が君は、その娘さんを攫えと言う。ですが私、こう見えて、細かい調整は苦手なんですよ。私が攻撃すると、みんな仲良くサヨナラです。でもそれはマズいでしょう?なので、良いアイデアを思いつきました。」
影の執行官は人差し指を立てると、マティアスたち一人一人を値踏みするような眼で見渡した。
「みなさんがその娘さんを渡してくれるなら、私はみなさんのことを見逃してあげますよ。私がアナタがたを殺さなくても、どうせ他の執行官が殺すでしょうし。我が君の直接の命令を違えるリスクを冒してまで、ここでアナタがたを殺すべき理由はどこにもないですからねぇ。」
マティアスは、怒りが全身を駆け巡るのを感じた。コイツは何を言っているのだ。コイツらにリリーを渡す?僕の大切な家族を?自分が見逃してもらうために?そんなこと、あるわけないだろう。
マティアスはリリーに眼をやった。リリーは、混乱して状況を飲み込めていないように見える。それもそのはずだ。つい先ほどまで熱で寝込んでいたのに、いきなり家から連れ出されたかと思ったら、こんなわけのわからないやつに、わけのわからない話をされているのだから。それに何より、リリーはまだ九歳なのだ。
「……ふざけるな。」
その言葉を先に口に出したのは、ずっと黙っていたジェイセンだった。普段の温厚な姿からは程遠い、激しい怒りを浮かべ、影の執行官の前に進み出る。
「おまえらなんかに、リリー様は渡さない!絶対に、殺されたって渡すものか!」
影の執行官は、ニヤッと笑った。
「あぁ、すばらしい心意気です。本当に美しい、騎士道精神というヤツでしょうか……。ですが残念です。他のお二人はもう、こちらの提案に同意されているというのに。ほら、もうこちらに背を向けて逃げて行ってしまいましたよ?」そう言って手を上げ、ジェイセンの後ろを指し示す。
ジェイセンは衝撃を受けた顔で、思わずこちらを振り返ろうとした。しかし、危険極まりない敵を眼の前にして、それはあまりに愚かな行為だった。
影の執行官は、上げた手をそのままジェイセンの頭に思い切り振り下ろした。ガーン!と、まるでレンガを叩きつけたかのような、とても人間の手ではあり得ないほどの音がして、ジェイセンが頭から尋常でない量の血を噴き出して倒れる。ジェイセンはわずかに体を震わせると、それきり動かなくなった。
「おまえ……!」咄嗟に、モーガンが練兵場から持って来ていた剣で切り掛かったが、影の執行官は、いともたやすくモーガンの剣を取り上げると、ナイフでも扱うかのように軽々とその剣を投げ、モーガンの腹に突き立てた。「ぐっ……!」
「師匠!」マティアスがモーガンに駆け寄る。
「私は大丈夫です。それよりも!」モーガンが叫んだが、既に遅かった。
「さてさて、さてさて……。」マティアスが振り向くと、一瞬のうちに移動した影の執行官が、リリーの腕を掴んでいた。「ご協力ありがとうございました、お二人。これで我が君のご命令は、達成です。」
「リリーを離せ!」
マティアスは、モーガンと同じくずっと握っていた剣で影の執行官に斬りかかろうとしたが、モーガンがものすごい力で止めた。
「ダメです。あいつは強すぎる。あなただけでも、逃げないと……。」モーガンの息が荒い。腹の傷は、明らかに重傷だ。
影の執行官は、相変わらずニタニタした笑みで言った。
「そうですねぇ。年長者の言うことには従った方が良いですよ。せっかく拾った命なんですから。私は、約束は守ります。」
影の執行官は、リリーの腕を掴んだまま、ふわりと空中に浮かんだ。リリーの眼が恐怖に怯え、叫びを上げる。
「おにいさま!」
「リリー!」
しかし、マティアスの叫びをよそに、影の執行官は嘲るように付け加えた。
「私は、アナタがたを見逃します。約束しましたし、私は我が君にこの娘さんをお渡ししに行かないといけないですしねぇ……。でも、」影の執行官はニヤリと笑って、空いている手でゴーレムを指差した。「彼らが見逃してくれるかどうかは、別問題です。それではせいぜい、頑張ってくださいよ。」
そう言い残すと、影の執行官はリリーとともに王宮の方へ飛び去っていく。
「待て!リリー!リリー!」
マティアスは必死に手を伸ばしたが、モーガンの腕がマティアスを掴んで離さない。
「僕が必ず!いつか必ず!助けに行くからな!」
マティアスの絶叫が空に響き渡ったが、既に影の執行官とリリーの姿は、眼で捉え切れないほど遠くへ去っていた。
そして、一瞬の静寂。
まるで合図を待っていたかのように、四体のゴーレムが、モーガンとマティアスに一斉に飛び掛かった……。
「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
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