終章 願いを君に(②キスは祝砲とともに)
……マティアスは、この上なく居心地が悪かった。
誰かに無下に扱われたり、嫌味を言われたりしたからではない。その逆だ。
マティアスが式典ギリギリの時刻に現れても、控室の担当者たちは誰もマティアスを責めず、むしろお越しいただきありがとうございますと頭を下げた。レイラが呼びに来なければ、彼らはずっとマティアスを待ち続けたのだろう。本音を押し隠すその態度に、マティアスは言いようのない違和感を感じていた。
そしてなにより、服だ。そもそも誰かに服を着せてもらうなど、王族とはいえ傍流の出自で、しかもリリーと違って王宮行事をサボりまくっていたマティアスにとっては、経験のないことだった。当然、自分で着られると主張したのだが、いざやってみると、着崩れないよう内側に付いているボタンやら、何のためにあるのか全くわからないヒモ、どこにどの順番でつけるべきか複雑すぎる徽章やら飾り帯などなど、あまりの煩雑さに辟易したあげく、情けないことに、やっぱり自分ではできませんでしたと泣きついて手伝ってもらう始末。
普通なら、おまえのせいで時間がないのにいったい何をやってるんだと叱責の一つくらいありそうなものだが、彼らは一言も文句を言わず、むしろお任せくださってありがとうございますとまた頭を下げた。それでも、ボタンを留め、マントを羽織らせる速度が尋常でない速さで、内心よほど急いでいることが窺えるのだから、余計に居心地の悪さが募るというものだ。
しかし、マティアスの手際がどれだけ悪かろうと、さすがはプロの担当者。時間までにきっちりとすべての準備を間に合わせてくれた。彼らのおかげで、式典開始時刻には、豪奢な金髪と青色の眼に映える美しい真紅のマントと、数々の装飾品が輝く黒い礼装を身にまとった、見る者が息を呑むほどに煌びやかで神々しい少年が、王宮のバルコニーに続く廊下にスタンバイしていた。
外から、人々の声が聞こえてくる。
この五年間、一度も聞くことのなかった、たくさんの人たちが集まって奏でる明るいざわめきだ。もし自分が参加者側だったなら、きっと純粋な気持ちで楽しんでいられたのだろう。
王都の城門から、祝砲が三発鳴り響いた。同時に、外のざわめきが歓声に変わる。
それを合図に、マティアスは一歩一歩ゆっくりと、バルコニーに向けて歩き始めた。履き慣れない黒いブーツが、塵一つない赤い絨毯を踏み締める。
しかし、煌びやかなその外見とは反対に、マティアスの内心は暗かった。
僕は、こんなことを望んでいたわけじゃない。僕の願いは、リリーを救い出すこと。ただそれだけだ。それも果たせず、こんなこと……。
最初、マティアスはジェイセンからこの提案を持ちかけられた時、全力で断った。王国を救った英雄であるマティアスを強く推す意見が王国中から寄せられているんだ、などと言われても、自分にはそんな資質も意思もない。それに、すぐにでも影の帝国に乗り込もうという自分にそんな大役を任せるなど、正気の沙汰ではない……。
しかし、聡明な彼の親友は、そんな想いをすべて承知の上だった。
「リリー様を救い出す。それが私たちの至上命題であることは変わらない。だが、影の帝国に乗り込むのは、王宮に乗り込むのとはわけが違う。数人でこっそり忍び込んでリリー様を攫ってくる、なんて都合良くはいかない。」ジェイセンは、マティアスの肩に手をやった。「影の帝国は、王国から多くの人々を連れ去った。彼らを取り戻したいと叫んでいる人たちは大勢いる。彼らを束ね、助けを借りれば、きっとリリー様を救い出せる。そのためには、君の力が必要だ。」
すべてはリリーのため。どうか一肌脱いでくれ。そう主張するジェイセンに折れ、最終的にマティアスは頷いてしまったのだった。
マティアスは、ついに赤絨毯の最後まで辿り着くと、明るい日の光が降り注ぐバルコニーに出た。
雲ひとつない青空の下、輝く日光に照らされて、溢れんばかりの人々が王宮の庭を埋め尽くしている。マティアスの姿を見て、誰もが彼の名を呼び、歓声を上げた。
「おぉ!あれだ!」
「マティアス様!」
「マティアス様だ!王国ばんざい!」
……何もかも、僕の柄じゃない。
でも、リリーのためだ。リリーを救い出すには、これしかないんだ……。
暗鬱とした気持ちを抱えながら、マティアスは歓声を上げる人々の姿から視線を逸らし、バルコニーの横を振り向いた。
あとは、バルコニーの横に置いてあるアレを手に取って、自分の頭に乗せれば終わりだ。それで僕は解放される。
それにしても、アレを自分で頭に乗せるなんて、これまでに聞いたこともない。父も母も、その他の尊属もいないマティアスには、自身より上位の立場の者がいないのはわかる。だが、だからといって自分でやらされるマティアスにしてみれば、それはあまりに不遜な振る舞いに感じられるのだった。
僕は、ここに一人で歩いて来た。一人でむなしく歓声を受け、アレを被るのも一人でやる。そして、一人でここから去る。きっと、その立場につけば、これからもずっと一人なのだろう。誰もが彼を丁重に扱い、本音を隠し、もてはやす。たとえ人々に囲まれていても、僕はこれからずっと孤独で——。
「——なーに、しけた顔してんのよ。せっかくの衣装が台無しだわ。」
その瞬間、マティアスは眼を疑った。
日光が燦々と照りつけるバルコニーに、見間違いようもない燃えるような赤毛の少女が立っていたのだ。普段の粗野な服装とはまるで違う、華やかな花々がいくつもあしらわれた軽やかで美しいオレンジ色のドレスが、彼女の炎髪を引き立てている。
「みんな待ってんだから、さっさとやんなさいよ。それとも、ロキかジェイセンにでも、被せてもらいたいわけ?」
レイラが顎をしゃくると、レイラの背後には、不機嫌そうな顔のロキと、笑顔のジェイセンが立っていた。
マティアスは三人の姿を見て、胸の中で冷たく固まっていた何かが、ドロドロと溶け去っていくのを感じた。
そうか、僕は一人じゃない。仲間がいるんだ。
なんだかんだ文句を言いながらも最後は助けてくれる魔神ロキ。マティアスのことを深く理解し、一緒に考えてくれる親友ジェイセン。そして……。
マティアスは、レイラに向き直った。その性格に隠れて見逃されがちな、かわいらしさと美しさを兼ね備えた整った顔立ちを、じっと見つめる。
五年前、カタリナ村に逃げ込んでからずっと、マティアスに寄り添ってくれたレイラ。どれだけ口が悪くても、いつもマティアスを想い、隣にいてくれるレイラだ。
——アタシはアンタについていくの。これからもずっとね。だから、アンタはずっとアタシの隣にいて、アタシのことを守んなさいよ——。
マティアスは、人々の眼が注がれていることも忘れ、突き動かされるように炎髪の少女に歩み寄ると……その剛毅な性格と比べて遥かに華奢なその体を、強く抱き締めた。
「おい、小僧……。」
「マティアス、ここでかい……?」
ロキとジェイセンの呟きは、マティアスの耳には入らなかった。人々から驚きの声が上がったかと思うと、歓声が一段と強くなり、各所から口笛が聞こえてくる。
しかしそんな音も、マティアスの耳には届かない。
マティアスに聞こえていたのは、一瞬でその燃えるような赤毛と同じくらい顔を赤くした少女の声だけだった。
「えっ……?あ、あ、あ、アンタ何を……。早く、早く離れなさいよ!ど、どうせ着慣れない服でよろけたんでしょ!アンタはまったく、い、いつまで経っても……。って、ちょっと待って!待ってったら本当に……んっ!」
マティアスは、こみ上げる愛おしさに突き動かされ……そのままレイラの唇を奪った。
レイラの体が硬直し、その心臓が早鐘のように打つ。しかし、レイラの体が次第にマティアスを受け入れ、力が抜けていくのが感じられた。
永遠に思える一瞬の後、マティアスが唇を離すと、レイラは照れ臭そうに笑ってマティアスの眼を見つめた。……そして今度は、レイラの方からマティアスに抱きつき、再び唇を重ねる。
情熱的なキスが、二人の存在を固く結びつけた。
照りつける太陽の下、人々の歓声が爆発し、城門から祝砲が鳴り響く。
レイラを守る。リリーを救い出す。僕の願いは二つに増えた。
だが、必ずどちらも、成し遂げてみせる。
ここは王国。より正確には、その名を「光の王国」という。
影の帝国を追い払ってから三ヶ月後。
新国王マティアス・フォン・ブライトスケールが王冠をいただく戴冠式は、図らずも、レイラ・バートンとの婚約の儀も兼ねることになった。
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
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☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆