第五章 合わさる力(④絆が繋ぐもの)
マティアスとロキの叫び声が大広間に響き渡った瞬間、二人をつなぐ経路が決壊し、互いから大波のように力が押し寄せた。急激に生命力を失ったマティアスの体が死の恐怖に震えてよろめき、駆け寄ったレイラがマティアスの体を支える。その時——。
「——それでは、サヨナラです!」
影の執行官が、マティアスとレイラに灰色の弾丸を放った。魔術師が死ねば魔神も道連れだ。それをわかった上での攻撃。確実な死をもたらす灰色の弾丸が、恐ろしいスピードで彼らに迫り……。
しかし、彼らに至る前に、なにか巨大な存在に遮られ、爆散した。
「あぁ……何百年ぶりだろうな、この感じ……。」戦いとはおよそ場違いな、ロキの恍惚のつぶやきが漏れる。「とんとご無沙汰で、俺もどんな感じだか忘れてたぜ……。」突如現れたその姿に、レイラが息を呑んだ。
現れたのは、赤紫色の炎の巨人。
魔神ロキの『本気』の姿だ。
「さてさて、さてさて。魔神の顕現ですか……。」さすがの影の執行官も、驚きの色を隠しきれない。「ですが、それがなんだと言うのです?所詮は契約に縛られた哀れな魔神。私たちの無限の回復力の前に、勝てる理由はありませ——。」
「——いいや、勝てる。」
影の執行官の声を遮って、今度はマティアスの声が響き渡った。マティアスはレイラの腕から体を起こすと、影の執行官に向き直る。衰弱ゆえに最初は細かった声が、急速に力を取り戻していった。
「おまえたちの敗けだ、影の執行官!」そう叫ぶと、マティアスは炎の剣を横に一閃した。
あまりに距離があり、絶対に届くはずのない斬撃。
しかし炎の剣は、マティアスの斬撃に合わせて刀身を伸ばすと、半径数十メートル圏内をまとめて薙ぎ払った。影の執行官は間一髪のところで炎の斬撃をかわして後ろに飛びすさる。
だが、マティアスの狙いは、影の執行官ではなかった。
マティアスの斬撃は、行進を止めて待機していた巨大ゴーレムたちを襲った。巨大な胴体を一撃で両断されたゴーレムたちが、その場に崩れ落ちていく。マティアスはレイラの腕を振り払うと、残るゴーレムたちに向かって駆け出し、次々と斬撃を振るい始めた。
「魔術師!アナタは——。」
「——勘違いすんなよ?おまえの相手は、俺だよなぁ?」
マティアスと影の執行官の間に、炎の巨人が割って入る。
「まったく、うるさいですねぇ……。」
影の執行官はふわりと浮き上がると、両手を高く掲げた。その手に灰色の光が集まり、他の執行官からの魔力も借りて、巨大な玉に膨れ上がっていく……いや、それは玉ではなかった。
大広間の支柱にも匹敵するほどの巨大な灰色の錐が、影の執行官の手に収まっていた。
「魔神の顕現、なるほど魔力量は膨大でしょう。ですが、それだけです。動きも鈍重なら、飛ぶこともままならない。私が——。」巨大な錐を両手で握り、炎の巨人に向けて振り下ろす。「——串刺しにしてさしあげます!」
巨大な錐は、まっすぐに炎の巨人に迫った。逃れようもない必殺の一撃。炎の巨人は錐を防ごうと手を上げ……。
ガキンッ!
巨大な錐が炎の巨人の掌に触れた瞬間、金属が砕けるようなものすごい音とともに、錐が中途でへし折れた。
「なっ……?」
影の執行官は驚きに眼を見開いたが、炎の巨人はその一瞬の隙を見逃さなかった。
炎の巨人は、影の執行官が握っている錐を炎の手で掴み取ると、影の執行官ごと床に叩きつけた。王宮全体を揺るがすほどの振動が走り、激しい衝撃によって影の執行官の体が床から跳ね返る。
その体を、巨大な炎の拳が正確に捉えた。
「ぐ、はぁっ……!」
影の執行官は、炎の拳をまともに受け、壁に叩きつけられた。
影の執行官の体がそのまま床に落下すると、そこには三体のゴーレムがいた。マティアスの炎の斬撃から生き残った、最後の三体だ。
「小僧!」
「ロキ!」
マティアスが炎の剣を振り上げると、剣はそれに呼応し、爆発的な炎を噴き上げた。赤紫色の異世界の業火。その激しさは美しささえ感じさせ、見る者の呼吸を奪う。同時に、炎の巨人がその巨大な拳を固め、最後の一撃に魔力を注ぎ込んだ。
「「これで終わりだ!」」
叫び声とともに、マティアスが炎の剣を、ロキが炎の拳を振り抜いた。
赤紫色の二本の炎が、大広間を一瞬で横切って影の執行官に迫る。それらは途中で合流し、巨大な一つの炎の柱となって、すべてを焼き尽くす地獄の業火と化した。
影の執行官の眼に、迫り来る炎が映る。逃れることのできない一撃に、影の執行官の顔には最後の怨嗟の色が浮かんだ。
「魔神と魔術師め……!他の執行官が、我が君が、必ずアナタがたを——。」
しかし、その言葉は途中で途切れた。
激しい炎の奔流が、ゴーレムと影の執行官をまとめて飲み込む。一瞬、赤紫色の炎の中に、一筋の灰色の光が閃いたように見えたが……やがて徐々に炎が収まると、そこにはもう何も残されてはいなかった。
静寂が訪れた。
燃え盛る炎だけが、パチパチと音を立てる。
「……やっとくたばったぜ、あの腐れ野郎。」いつの間にか炎の巨人から褐色の肌の少年の姿に戻ったロキが、床にへたり込んだ。腕も元通り生えている。「でもまぁ、長ぇブランクの肩慣らしくらいにはなったな。」いかにもこの魔神らしい口調で付け加えた。
「あぁ。僕もまったく同感——。」
マティアスもロキに倣って床にへたり込もうとしたが、その時、マティアスの視界で何かがふらりと揺れるのが見えた。レイラが、まるで糸の切れた操り人形のように、バタンと床に倒れ込む。
「——レイラ!」
マティアスは炎髪の少女に駆け寄って抱き起こした。唇が白く、息が浅い。
「なぜ、なぜこんなことに……?」
「だ、大丈夫よ……。」レイラは弱々しく言うと、薄く眼を開けた。「ちょっと休めば、大丈夫……なぜだか急に、疲れただけ——。」
「——生命力不足だな、こりゃ。」いつの間にかロキが傍らにやってきていた。
「生命力?なんでレイラが?」
「なんでこうなったかは知らん。だが、何が起きたかはだいたいわかる。おまえがピンピンしてやがるからな。」ロキはそう言ってマティアスを指差した。
「僕?いったいどういう——。」混乱するマティアスをロキが遮った。
「——おまえ、経路を広げた時、生命力をごっそり持って行かれただろう。生命力を急にごっそり持っていかれりゃ、当然、急激に力を失う。」
マティアスは山で経路を広げた時のことを思い出した。あの時でさえ、彼は地面に崩れ落ち、しばらくは動くこともままならなかった。今回も、生命力を持って行かれた瞬間は、恐ろしい衰弱が体を襲った気がする。だがなぜ……。
そこまで考えて、マティアスはレイラを見た。激しく衰弱した少女は、浅く呼吸しながら、なんとか頭を起こそうとしている。
「……まさか、レイラが?」
「そういうことだろうなぁ。」
「でも、経路もないのに、どうやって……?」マティアスの唇から疑問が零れ落ちる。
「そんなこと、アタシに聞かれたって、わかんないわよ……。」マティアスの腕の中で、レイラが弱々しく言った。
ロキはそんな二人を見て顔をしかめ、面倒くさそうな表情をした。
「まぁなんだ。言ってみりゃ……それなりな関係性の人間どもは、心の繋がりが強く、それが経路と似たような役割を果たす。そんな話を、前に誰かから聞いたことがある気がしなくもねぇ。」
人間どもの関係性になんてまったく興味がない俺が、なんでこんなことを言ってやらなきゃならねぇんだ……とでも言いたげだ。
「適当なこと、言ってんじゃないわよ。この魔神……。」衰弱してはいるが、その強い口調はどこまでもレイラだ。わずかながら、その声に力が戻る。「それよりも……早く移動しないと、敵が来るかも……。」
その時だった。
コツッ……コツッ……というブーツの底が床を叩く音が響き渡り、三人は口を閉じた。
外の廊下だ。そう気づいて三人が入口の扉に眼をやると、両開きの重い扉が、ギーッという軋み音とともにゆっくりと開かれた。
炎の残滓から立ちのぼる煙が、彼らの姿を覆い隠そうとする。しかし、その騎士然とした二つのシルエットは、マティアスたちにとって見間違いようがないものだった。
氷刃の騎士とその魔神エギルは、三人の姿を認めて立ち止まった。氷刃の騎士が顔を上げ、マティアスたちを見据える。レイラにフェイスガードを破壊された氷刃の騎士は、初めて素顔で彼らに対峙した。
壮年の剣士ではない。まだ顔に幼さの面影を残した少年だ。その緑色の眼と美しい茶色の髪の毛が、整った顔立ちに映え……。
マティアスが、息を呑んだ。
魔神エギルを従え、再び彼らの前に立ち塞がった氷刃の騎士は、マティアスのよく知る、いや、よく知っていた人物だったからだ。
五年前に死んだはずの少年。
彼の親友。
ジェイセン・ランズベリーが、燃え盛る炎を背にして、マティアスの前に立っていた。
「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
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☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆