第五章 合わさる力(②影の執行官)
「……マティアス!アンタ、バカなんじゃないのっ?」
古くから王国の荘厳な儀式などに用いられてきた大広間に、レイラの容赦ない罵声が響き渡った。
起動状態になった百体近いゴーレムが、マティアスとレイラに向けて行進してくる。影の執行官はロキが受け持って窓の外へ去ったが、このゴーレムたちは彼らがなんとかしなければならない。
そのはずなのだが……。
「約束しただろ!危ない状況になったら逃げるって!逃げ場所がないんだから、せめて僕の後ろに隠れて——。」
「——アタシだって言ったわ!アタシが弱っちいアンタを守ってやる。アンタの出る幕なんかないから、引っ込んでなさい!」
彼らは、敵前で大喧嘩を繰り広げていた。
そうしている間にも、ゴーレムは二人にゆっくりと歩みを進めており、前列は粘土の腕を振り上げ、後列はその腕を前に伸ばして、彼らを狙っていた。ロキによれば、ゴーレムの腕は、それ自体が土の魔力を帯びた鈍器であるだけでなく、土の弾丸を放つ射出器の役割も果たす。ゴーレム一体一体の力はそれほどでもないが、多数のゴーレムが密集方陣を組み、腕を構えて行進してくれば、前列の殴打と後列の射撃によって敵を圧殺する、強い突破力を持つのだ。
「あぁもう!じゃあ見てろ!」
投げやりにそう言うと、マティアスは赤紫色の炎の剣を構え、ゴーレムに向けて踊り込んだ。見た目よりも機敏な反応速度で、すぐさまゴーレムの拳や土の弾丸がマティアスに迫る。傍目から見たら、血迷って恐ろしいゴーレムの行く道に迷い込んだ、哀れな犠牲者にしか見えない。
しかし、マティアスの炎の剣撃は、巧緻を極めた。眼にも留まらぬ速さで土の弾丸を叩き落とし、拳を受け止めると、手近なゴーレムの首元に剣を叩き込む。
すると、炎の刃は、何の抵抗感もなくゴーレムの首を斬り飛ばし、その重い胴体が地面に崩れ落ちた。
マティアスはレイラを振り返って叫んだ。
「見たかい?ロキの魔力のおかげで、僕はこれまでよりずっと強——。」
その時、マティアスの耳元で、ヒュッと一筋の矢が空を切った。
マティアスのすぐ後ろに迫ったゴーレムが正確に眼を貫かれ、わずかに痙攣したかと思うと、首を斬り飛ばされたゴーレムの隣に倒れ込む。
「——ずっと強い、かしら?よくもまぁ、その程度で言えたものね。」レイラは手に持った弓を軽く振った。
カタリナ村随一の弓使い。
その美しい所作から放たれる矢は、一度弓を離れれば、確実に的を射抜く。普段、アイツは性格がなぁ、と陰口を叩いている男たちでさえ、その凛とした立ち振る舞いから放たれる一筋の矢には、ただ見惚れるばかりだった。
「まぁいいわ。ようはフォーメーションだって考えればいいのよ。アンタが前衛、アタシが後衛。たとえアンタが盛大にミスっても、アタシが守ってあげるから、好きにやんなさい!」
そう言うとレイラはゴーレムに注意を戻し、正確無比の矢の雨を降らせ始めた。
「ったく!」
マティアスもゴーレムに向き直ると、今度はレイラに向けて一斉に放たれた土の弾丸を、片っ端から叩き落としにかかった。
たしかレイラは、自分で勝手に決めて押しつけるな、とか言ってなかったか?考えてみれば、いつも勝手に決めて押しつけて来るのは、レイラの方——。
「——マティアス!アタシの矢も無限じゃないのよ!アンタもさっさと敵を倒しなさい!」
「うるさいな、わかってる!」レイラめ、この戦いが終わったら覚えてろよ。
マティアスは余計なことを考えるのをやめ、体を流れるロキの魔力と、積み上げた剣技が導くまま、ゴーレムの海に切り込んでいった。
俺たちの戦いは、すぐに転換点を迎えた。
激しい弾丸の応酬は、夜空に派手な花火を咲かせ、地面に着弾して数多の無人家屋を吹き飛ばしたが、まもなく、俺もヤツも、このままでは埒が明かないことに気づいた。
真に誉れ高き魔神は、パワープレイ以外の戦い方も心得ているものだ。俺は鷲獅子から黒髪に褐色の肌の少年の姿に戻ると、両手を広げ、複雑な動きで宙に線を描いた。
縄のように細長く、うねうねと動く赤紫色の炎が現れ、夜空に広がりながら結び目を作っていく。やがてそれは巨大な網となって、影の執行官を閉じ込めた。
「……おやぁ?私を閉じ込めたり縛ったりしても何の意味もないと、先ほど学ばなかったんですかねぇ?」
影の執行官は、口元に笑みを貼り付けたまま、口を動かさず嘲るように言った。炎の網が爆ぜる音のせいか、不思議とその声は遠く聞こえる。
「あいにく、俺は飲み込みが悪いんでな。」俺はそう言うと、宙に上げた手を振り下ろした。「そんじゃ、あばよ。」
影の執行官を取り囲む炎の網から数本の縄が離れたかと思うと、鞭のようにしなり、影の執行官を打ち据えた。影の執行官の体が一方から打たれて吹き飛び、また反対方向から打たれて跳ね返る。四方から繰り返し打たれ続ける影の執行官の体は、人形のように力なく、なされるがままとなった。
どれほど耐久力のあるヤツでも、死ぬまで叩けば死ぬ。後は高みの見物を——。
そう思った矢先、俺は恐ろしい気配を感じて咄嗟に身を翻した。しかしわずかに遅く、激痛とともに左腕が千切れ飛ぶ。鋭く長い灰色の錐が褐色の腕をさらい、俺の肩から魔力が盛大に漏れ出した。
「さてさて、さてさて。さすがですねぇ。あのタイミングで反応できるとは。私もまだまだ、修行が足りないということでしょうかねぇ。」
いつの間にか、気味の悪いニタニタ笑いを顔に貼り付けた影の執行官が、眼の前に現れていた。余裕綽々といった振る舞いで、手元で灰色の弾丸を弄ぶ。
「この野郎、なにが……。」
俺は歯軋りしながら炎の網を振り返った。相変わらず影の執行官の体は、そこで炎の鞭に打たれている……が、突如、灰色の輝きが煌めいたかと思うと、影の執行官の体は夜空に溶けるように消え去った。
「つまりは、私の作り出した人形ですよ。別に何の力もありませんし、動くことも喋ることもできませんが、アナタにはこれで十分だったみたいですねぇ。」そう言うと、影の執行官は突然その姿を消した。
……隠蔽魔法だ。
影の帝国らしい、陰鬱とした力。しかし、特に日陰のできない夜間に使われれば、かなり厄介な部類に入る魔法だ。ヤツはこの魔法で身を隠しつつ、自らを模した人形を作って囮としていたに違いない。
「なにが、私の作り出した人形ですよ、だ。おまえだって影の皇帝が作り出した操り人形のくせに、偉そうな口を叩くじゃねぇか。」
俺は言い返しつつ、左腕の付け根に意識を集中して傷口を塞ぎ、魔力の流出を止めた。姿を変えれば腕を取り戻せるが、敵がどこにいるかわからない状況で姿を変えるのは、わざわざ敵に攻撃の隙を作ってやるようなものだ。
「影の皇帝に生み出され、ヤツのために生き、ヤツのために死ぬ。なんともくだらねぇ人生だなぁおい。」とりあえず今は、体内の魔力の流れが落ち着くまで、時間を稼いだ方がいい。
「それを言ったら、アナタだってそう違いはありませんよねぇ?いきなり魔術師とかいうどうしようもない人間に召喚されて強制的に契約を結ばされ、契約履行という名の奴隷労働の日々。私たちには、我が君に命を与えられたという恩がある。我が君のために骨身を惜しまず働くのは当然です。しかしアナタがたはそうではない。正直なところ、同情を禁じ得ませんよ。」
ヤツの声は、近くから聞こえるような気もするし、遠くから聞こえる気もする。居場所がわからない。
「あいにくだが、俺はおまえごときに同情される筋合いはないんでな。」
そう言うと、俺は眼を閉じた。再び、俺の背後に無数の赤紫色の炎の玉が現れる。
「なんと!見えないとなれば、絨毯爆撃でもするつもりですか?無駄だと思いますけどねぇ。まぁやってみればいいんじゃ——うっ!」
俺が無数の炎の玉を一つにまとめ、特大の爆撃として宙の一点に放つと、何もない空間が爆散し、中から影の執行官が姿を現した。明らかに直撃を受けたと見えて、傷を負った腹を押さえている。
「あー、それに言うのを忘れてたんだが……。」
俺はわざとらしく手をパンパンと叩き、さらに汗を拭うフリをしてやった。
頭上には、まだ一つだけ赤紫色の炎の玉が残っている。いや、それは正確には玉ではなく、横向きの紡錘形をしていた。
「輝かしいキャリアを誇る百戦錬磨の魔神である俺は、罠やら結界やら幻術やら、そういうもののスペシャリストでな。おまえのチンケな隠蔽魔法なんざ——。」俺は頭上の炎を指差した。燃え盛る炎の眼が、影の執行官を直視する。「——俺の『眼』にかかりゃ、素っ裸で飛び回っているも同然だ。」
「なるほど、隠蔽魔法を見通す眼ですか……。」影の執行官は少し距離を取ると、体勢を立て直した。「それに、この赤紫色の炎……。私としたことが、失念していましたねぇ。もしやアナタは、モートル大湿原の……?」
「あぁそうだ。短い間だが、覚えておくがいい……ロキという世にも美しい名をな。」しかし、影の執行官ですら俺の輝かしい功績を知ってるってのに、なんでエギルは知らねぇんだ。教養のない魔神め。「そんなわけで、おまえに勝ち目はねぇ。」
しかし、影の執行官はニヤリと笑うと、傷を受けた腹に手をやった。
灰色の光が傷を癒し始め……あっという間に傷口が完治したばかりでなく、それ以上に、どんどん力が充溢していくように見える。
「それはどうでしょうねぇ。」
影の執行官は、黒ずくめの燕尾服を再び蝙蝠のようにバサッと広げた。
「私の存在は、他の六人の執行官と繋がっています。私は、他の執行官からの魔力供給で、すぐに傷を回復させることができる。傷だけではありません。消耗した魔力だって、あっという間に回復できます。でもアナタは……。」笑みを浮かべて、ロキの左腕があった場所を見る。「アナタの傷、だいぶこたえているのでしょう?無限の回復力を持つ私に、どこまで耐えられますかねぇ。」
……あぁこれは、少々マズい展開だ。
正直なところ、ヤツの言う通り、俺の魔力は先ほどの傷でダメージを受けたままだ。最初にやっていた爆撃戦のような戦い方は、もう長くは保たせられない。かといって、大見栄を切ったものの、この状況を打開するような目覚ましい一打を用意しているわけでもない。本気の俺を遺憾なく発揮できるなら、ヤツをぶちのめすことができるかもしれないが、小僧から得られる生命力がこの程度では、それも難しい。
いやでも、あるいは……。
考えがまとまらないうちに、影の執行官が攻撃を仕掛けてきた。再び現れた無数の灰色の玉が、弾丸となって雨のように降り注ぐ。魔力消費を惜しんで、俺はそれらを迎え撃つのではなく、猛スピードで飛び回ってかわし続けた。
だが、こんなことは長くは続けられない。それに、いくらヤツを削ったところで、回復されるんじゃ意味がない。ヤツを倒すには、回復の間を与えず、一撃でぶちのめすしかない……。
俺は覚悟を決めると、大広間に戻るべく舵を切った。
「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
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