第四章 黄昏の王都(③王都潜入)
俺は、機嫌が悪かった。
一つ目の理由は、この体を蝕むような、鬱陶しい環境だ。四方から土が迫り、しかもそこら中から染み出してくる地下水のせいで、湿度が異常に高い。俺のような炎の魔神にとって、この環境は無数の針に常時取り囲まれているようなものだ。すなわち、地獄と言っていい。
二つ目の理由は、このいまいましい状況だ。結局俺たち三人は、小僧の言う通り、王都を目指す羽目になっている。しかも、俺でも知らない王都への侵入方法を、あの小僧ごときが知っていたというのが、さらにイラつくポイントだ。一度も聞いたことないなんて、アンタの数千年の輝かしいキャリアとやらも大したことないわね……などとほざきやがったあの小娘には、絶対に後で一泡吹かせてやる。
しかし、これほどまでの地下通路があるとは。さすがの俺でも想像もしなかった。
小僧によれば、歴代の王都親衛隊の隊長、副隊長しか知らない、緊急時に王族を王都から逃すための緊急脱出経路らしい。極秘裏の建設以来、数百年の眠りを経て、ようやく五年前にこれが使用されるべき緊急事態が発生したわけだが、早々にほぼすべての王族、そして王都親衛隊長が殺されたため、危うく一度も使われることなくその存在が忘れ去られるところだった。しかし、瀕死の親衛隊副隊長が小僧を守ってゴーレムを振り切り、この地下通路を使って小僧を逃したため、辛くもその情報は小僧に受け継がれ、いまこうして俺たちもその伝承者となったわけだ。
先導する小僧が、地上に繋がる階段を見つけ、手に持った赤紫色に光り輝く炎の剣を振って合図を送ってくる。
俺との経路が強化された後、小僧は急に生命力が減少したため、少しの間ぐったりしていた。しかし、しばらく休むと、生命力が安定するとともに、俺から供給される魔力量の増加に体がついていくようになり、自身の剣に魔力を通すことができるようになった。
魔力を通すと、小僧の剣の刀身は、赤紫色の炎の魔力の収束によって跡形もなく溶け去り、すべてを貫く炎の剣に変わった。そして、小僧は地下通路の入口まで俺たちを案内すると、入口を埋め尽くす五年間分の雑草を炎の剣で切り飛ばし、俺たちを地下通路の中へ招き入れたのだ。
俺と小娘が近づいていくと、小僧は炎の剣で壁を示した。赤紫色の光が、文字を映し出す。「城門」という言葉を認めて、咄嗟に俺たちは物音を控え、立ち尽くした。そういえば地上から、ドン、ドン、と人間よりも重く鈍い足音が聞こえてきている。
どこまでも小僧からの伝聞だが、この地下通路は、始点である王宮と終点である山を繋ぐだけでなく、王都ロスリンのどこからでも王族を避難させられるよう、その途中にも複数の地上との出入口が設けられている。もちろん、地上の出入口は、簡単に見つからないよう、ゴミ箱や排水溝に擬態するなどあらゆるカモフラージュが施されており、五年前に小僧が逃げ込んだのは、公園の噴水の中にある出入口だったらしい。
そしてここが、王都ロスリンの城門にある出入口。つまりは、偵察の際、俺が無数のゴーレムを眼にした場所だ。もし物音を立てて地上に気づかれでもしたら、抵抗もできずに押しつぶされるのがオチだろう。
俺たちは少し様子を見ると、再び音を立てずに慎重に歩き始めた。あれだけうるさい小娘でさえ、無言で歩みを進めるのだから相当だ。しばらく歩くと、ゴーレムの足音は消え、再び地下通路を静寂が満たした。さすがの影の軍勢も、王都の外縁に多数のゴーレムを配置している以上、王都の内部までゴーレムで満たす必要はないと考えているようだ。この地獄まっしぐらの作戦において、これは一つ、俺たちの生存確率をわずかに上げる要素であると言える。まぁいずれにせよ、王宮にはあの氷刃の騎士とエギルがいるだろうし、それ以外にも強固な防御が敷かれているのだろうが。
「なぁ、おい……。」
その後、いくつかの出入口に繋がる階段を通り過ぎ、あまり地上に聞こえる心配をしなくて良い場所まで来たと判断すると、俺は小さな声で二人に声をかけた。どんなヤツにも、どんな時でも、伝えたい言葉は大声で!というのを信条としてきた俺にしてみれば、小声でコソコソと話すのはいかにも性に合わないのだが、仕方ない。
「ずっと気になっていたんだが、あの魔術師、なんで影の代行者とかいうのになって、影の帝国の側についてるんだ?」
すると、同じように小さな声が返ってきた。
「そんなの決まってるじゃない、頭おかしいのよ。」この小娘、発想が短絡的すぎていっそ羨ましいほどだ。
「魔術師がそうだとしても、エギルはそれほど狂っているようには見えなかったが。」
「でも、魔神は魔術師の命令に逆らえないんでしょ?」
「それはそうだが……。」
なんら俺にも確信があるわけではない。だが、エギルのあの感じは、魔術師に無理やり従わされているわけではない気がしたのだ。
「影の皇帝に逆らえば、影の軍勢に狙われることになる。たとえ魔神と魔術師の力で撃退し続けたとしても、十二年経って契約が切れれば、抵抗の術を失って殺される。それが怖くて、影の皇帝に従っているんじゃないかな?」小僧の方が、小娘よりはまともなことを言う。
「それは俺も、考えないでもなかった。だが、王宮には『三水晶の盾』がある。あれを使えば——。」
「——なによその、水晶って。」この教養のないガキめ。
「……『三水晶の盾』ってのは、簡単に言えば、影の帝国から王国を守るための魔法装置だ。魔術師が一人いれば起動でき、影の帝国に由来する魔力を大幅に弱体化させる。もちろん王都の断絶結界は破られるだろうし、大半のゴーレムたちが機能を停止するか、ザコ同然になる。『三水晶の盾』が起動されれば、影の軍勢はいったん国境の向こうへ撤退せざるを得なくなるだろう。」
それを聞いて、小娘は眼を輝かせた。
「なにそれ、最高じゃない!王宮に着いたら、マティアス、アンタが起動すれば——。」
「——それをあの魔術師がやってないってことは、なんかしら理由があるんじゃないか、って話をしようとしてんだ!いちいち話の腰を折るんじゃねぇ!」
どうもこの小娘と話していると、話のペースを狂わされる。コイツは黙って人の話を聞けねぇのか。
「『三水晶の盾』は、おそらく影の皇帝であっても破壊できない。その昔、影の帝国を撃退した初代の魔術師たちが三体の最強の魔神の力を昇華させた、超ヘビー級の魔法装置だからだ。それに、あれは監視塔——いまは天文台だが——に魔力で固着化されていて、動かすこともできない。つまり、まだ健在のまま王宮の天文台にあるはずだ。あの魔術師がそれを使わないってことは、よほどヤツ自身が影の皇帝に入れ込んでいるとしか考えられん。」それとも、なにか他にまったく別の理由があるのだろうか?
「じゃあ、そうなんじゃないの?悩む余地がないじゃない。」小娘は、小僧の剣の赤い輝きと一体化しつつある炎髪を揺らしながら言った。「まぁでもアタシなら、そんな国を裏切るような男に忠誠を誓いますなんて言われても、絶対信用なんかしないわ。なんか怪しい動きをしたら、すぐにその頭を射抜けるようにしとくわね。」そう言って手に持った弓を揺する。
俺は小娘に言い返そうとしたが、その時、先頭の小僧が静かにしろと合図を送ってきた。慎重に近づくと、ついに地下通路がそこで終わっており、そこには地上に向かう最後の階段があった。壁には「王宮」の文字がある。俺たちは、階段の先へ眼をやった。階段は天井まで続いていたが、よく見ると、その天井には取っ手がついており、上に跳ね上げる構造になっているのがわかる。
……さて、ついに辿り着いてしまった。
ここを出れば、もう後戻りはできない。運が良ければ、数時間くらいは生きていられるだろうが、まぁ一日もすれば全員仲良く地獄行きだろう。俺が積み上げてきた輝かしい数千年のキャリアが、こんなにアホなガキ二人と一緒に幕を閉じることになるとは、いったい誰が想像しただろう。それでもコイツらには、ここで引き返すという選択肢はなさそうだ。
小僧が小娘に目配せすると、小娘は黙って頷いた。二人はそれぞれの武器を手に取って身構える。やれやれ。これは俺も、本当に覚悟を決めないといけないらしい。まぁ考えてみれば、これまでもっと困難な状況に陥ったことも何度もあったから大丈夫……かもしれない。
俺がそんなことを考えていると、小僧が天井を跳ね上げて地上に出た。小娘と俺もすぐ後に続き、攻撃に備えて身構える。
……とりあえず、どこからも攻撃はない。
敵はこの出入口の存在を知らず、待ち伏せしていなかったのだろう。
それは、半分正解で、半分間違いだった。
俺たちは、急な明るさに眼が慣れると、周りの状況を理解した。俺たちは、大理石の床の一部を上に跳ね上げて、この部屋に入ってきたらしい。そしてこの部屋は、見まごうことなき、数百年ぶりに訪れる王宮の大広間だった。
そしてそこには、先客がいた。
「……さてさて、さてさて。意味不明な命令に従って来てみれば、まさかこんな方々にお目にかかることになるとは。不思議ですねぇ……。」
全身黒ずくめの服装に、顔だけは白くピエロのような化粧をした、奇怪な男。その男は、突然床から現れた侵入者に驚きつつも、恐ろしいほど横に裂けた口から歯を剥き出して、ニタニタと笑っていた。
「どうやってそこの床から現れたのか存じませんが、とりあえず、侵入者であるアナタがたには、痛い眼に遭っていただく必要がありそうですねぇ。」
影の執行官が、無数のゴーレムを従えて、彼らを待ち伏せていた。
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☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆