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第四章 黄昏の王都(②騎士と王女)

 影の皇帝への謁見を終えて間も無く、氷刃の騎士は再び跪いていた。今度は、相手に顔を見せないほど深く(こうべ)を垂れてはいない。むしろ相手の姿がよく見えるよう、体をちゃんと起こしている。だがそれでも、相手の姿をハッキリと見ることは難しかった。両者の間には、毒々しく脈打つ血のように赤い膜が立ちはだかり、それ越しにしか、相手の姿を捉えることができなかったからだ。

 しかしそれでも、氷刃の騎士にとって、ここに来ることは千金に値する価値があった。

「お忙しいのに、よく来てくださったわ。ありがとう。お元気そうね。」

 そう言って笑みを浮かべる少女の振る舞いは、とても人生の三割以上をこの天文台に閉じ込められているとは思えない。快活さと気品を完璧に調和させた、金髪に青い眼の少女の名は、リリー・フォン・ブライトスケールという。

「あなた様も、お変わりなくお元気そうで、何よりです。」氷刃の騎士は、影の皇帝に対するのとは違う、心からの言葉で応えた。

 しかし、本音で言えることは、これくらいだ。氷刃の騎士は、結局、ここに来ると嘘ばかりついている。命を賭けて守ると誓った相手に対して、嘘を積み重ねなければならないという心苦は、彼の心を少しずつ蝕んでいく。

「王国の人々は、変わりなく幸せに暮らしているかしら?」

「はい。影の皇帝陛下の温情をもちまして。」

 彼は他に何と言えば良いのだろう。この天文台に九歳の頃から五年間も幽閉され続け、いつ外に出られるとも知れない少女に対して、外の世界がいかに荒廃しているかを説くことに、いったい何の意味があるというのか?

「きっと、あなたのご尽力のおかげなのでしょう?いつもありがとう。」

「……私の力など、微力もいいところですよ。」

「またそうやって、謙遜して。」

 そして眼の前の男が、実は影の皇帝の代行者として、王国の人々を苦しめる元凶になっている、と説くことに。

 あの日、すべてが変わらなければ。

 彼は何度そう思ったか知れない。しかし、現実は残酷だ。時の流れを戻すことはできない。王都が陥落し、影の帝国に捕らわれたあの日、彼の運命は永遠に変わってしまったのだ。


 王都陥落からしばらく、彼は王宮の地下牢に放り込まれていた。日にわずかな食事しか与えられず、日に日に増えていく他の囚人たちとともに労働に従事し、次の日の労働とその先の死を待つばかりの生活。その間、彼の人生において、語るべき事柄は何もない。誰かが助けに来るという希望も朽ち果て、彼の心は徐々に壊れていった。

 しかし、運命の転機は、突然に訪れた。

 ある日、突然、右腕に強い痛みを覚えたかと思うと、血のように赤いくっきりとした魔法陣が現れたのだ。当然、彼はその意味するところを知っていた。王国を守る魔術師(メイジ)のことを、多くの王国民は、特に王都に住まう者ならば、子どもの頃から聞かされて育つ。彼の心は一抹の希望を得たが、すぐにそれは絶望に変わることになった。

 魔神(ジン)の召喚に必要なことは、刻印が教えてくれた。しかし地下牢には、召喚に必要な薬草どころか、魔法陣を描くための筆記具もない。彼は刻印を隠しながら生活を続けたが、囚人に許されたボロ切れのような服は、常に刻印を隠し続けるのに適した服とは言えない。彼の刻印は、数日のうちに見つかってしまった。

「さてさて、さてさて。私はなんと幸運なのでしょう。ようやく見つけた魔術師(メイジ)を殺してしまい、我が君にきつい叱責をいただいたばかりですが、まさかこんな近くに転移するなんて……。しかも、既に捕縛済み。やはり、この方々を殺さずに転移の受け皿として生かしておくのは、正解だったようですねぇ。」

 ピエロのような白い顔をしたその男——影の執行官は、そう言ってニヤッと笑うと、彼を王宮の上層階へと連れて行った。

 そこで彼は、影の皇帝に引き会わされた。

「その刻印とともに鎖に繋がれて生きるか。余の従者として忠誠を誓い、その力を行使するか。どちらかを選べ。」

 聞く者の血を凍らせる冷たい声は、遠隔魔法越しに彼に選択を迫った。

「……おまえに言いたいことは、一つだけだ。」彼は、影の皇帝の問いには直接応えず、衰弱した体から声を絞り出した。「王女様(プリンセス)は……まだ生きているのか。」

 彼にはもう、家族も家も、何もない。彼にとって、自分がこれからどのように生きていくのか、いや生きるのか死ぬのかすらも、もはやどうでも良いことだ。

 しかし、彼女だけは。高貴なるブライトスケール王家の中で唯一生き残った、あの金髪に青い眼を持つ王女様(プリンセス)だけは、何をもってしても守り抜くと決めたのだ。だから、これだけは聞かねばならなかった。

 冷たい声は、わずかに愉快そうな色を帯びた。

「あの王族の小娘なら、生かしておる。まもなく始める余の偉大なる実験のためにな。だが、貴様が余に忠誠を誓うと言うならば、あの小娘を使うのは待ってやっても良い。」

 その言葉に、彼は眼を上げた。あまりのことに喉が詰まり、声を失う。

 影の帝国の側につけば、彼女を助けられる。しかしその代わり、彼はすべての王国の人々を裏切り、闇の道を突き進むことになる。生きている間も、死んだ後も、決して誰にも顔向けできない。

 ……だが、それがなんだ。すべてを失った自分にとって、もはや守るべきものは一つだけだ。

 葛藤が嘘のように溶け去り、彼は恐るべき闇の支配者に跪いた。そして、避けられない地獄の運命に。

「我が身命を賭けて、陛下に忠誠を誓います。しかしどうか、王女様(プリンセス)に……どうか寛大なご処置を賜りたく。」

 影の皇帝は、明るさの欠片もない声で笑った。

「よかろう。貴様の願い、聞いてやる。魔神(ジン)を召喚し、余の意思の代行者として、帝国の敵を狩り尽くすが良い。」

「仰せのままに。」そう言って、彼は深く(こうべ)を垂れた。

 その日以来、彼はフェイスガードによって顔を隠した。魔神(ジン)エギルを召喚して、影の代行者として王国全土に蔓延っていた抵抗勢力を一掃して回った。

 その間、彼にとって、仲間と呼べるのはエギルだけだった。エギルは、たびたび彼に心配の眼を向け、半ば自暴自棄的に戦いに明け暮れる彼を制してくれた。契約があるからと言えばそれまでだが、彼はこれまで、どれだけエギルに世話になったか知れない。

 こうして彼は、たった一つの守りたいもののために、他のすべてを裏切った。


「……わたくしの声、聞こえているかしら?」

「え、えぇ。もちろん。」

 いつの間にか、リリーが赤い膜に近づき、氷刃の騎士の顔を覗き込んでいた。これまでも、リリーとエギルの前ではフェイスガードをつけていなかったが、彼は自分の顔をまじまじと見つめられて赤面するのを感じた。しかし、赤い膜のおかげでリリーにはわからないだろう。

「働きすぎでお疲れなのでしょう、よくお休みになってね。また、遠方でのお仕事が入らないと良いのだけど。」

 そう言うと、彼女は先ほどまで座っていた椅子に戻った。椅子の背に聳える大きな青白い水晶は、リリーの青い眼と相俟って、見る者に感銘を与える美しい絵面を作り出している……はずだが、これも、脈打つ赤い膜のためにハッキリと捉えることが難しかった。

「私は……。」彼は口を開いたが、言葉が出てこなかった。

 ふと、自分が何者なのか、これまで何をしてきたのか、すべてを彼女に話してしまいたい衝動に駆られたのだ。しかし、眼の前の少女に嘘をつき続ける罪悪感と、美しい青色の瞳が絶望に染まるのを見る恐怖。その二つを天秤にかけた時、恐怖が彼の喉をふさいだのだった。

 そんな彼を見ると、リリーはいつも、十四歳の少女とは思えないほど包容力に満ちた優しい笑顔で、こう言う。


「大丈夫、大丈夫よ。」


 リリーにそう言われると、彼は本当に大丈夫なのだと信じることができた。何の理屈もないが、彼女はそう思わせてくれるのだ。

「影の帝国の支配下にあるんですもの。つらいこともたくさんあるのでしょう。でも、あなたのおかげで救われた人たちのことを考えてみて。あなたはきっと、その人たちの希望だわ。」リリーはそう言って笑った。

 あぁ、この人はどこまでも清らかで、どこまでも尊い。彼がいったい何人の無垢の民を殺してきたか、どれだけの阿鼻叫喚をもたらしてきたか、彼女は知るよしもない。

 でも、だからこそ、この人だけは。他の何を犠牲にしようとも、この人だけは。

 絶対に、守り抜く。

 そう、今日はその決意を再確認するために来たのだ。来たるべき敵との戦いを前に、心に迷いなく、彼の全身全霊をもって臨めるように。

 その目的は、十分に果たされた。

「ありがとうございます。」今度は、言葉がすらすらと口から出てきた。「私は、これまでも、これからも、守るべきもののために戦い続けます。」

 そしてしっかりとリリーの顔を見据えると、彼は最後にもう一度、その姿を眼に焼き付けた。

「そして、いつか必ず、あなたをここから救い出してみせます。この私の手で。」

 彼は、彼の存在意義のすべてを言葉にした。

 リリーはそれを聞いて、優しく笑った。その笑顔こそが、彼がすべてを賭けて守るべきものだ。

「そんなに気を張らないで。どうかお怪我などなさらないようにね。」

 氷刃の騎士は頭を下げると、天文台を後にした。昨夜以来、渦巻いていた様々な想いが、一つに整理される。

「お戻りですか、ご主人様(マスター)。」

 天文台の外では、再びエギルが彼を待っていた。

「ご命令を伝達してきました。ヤツはまもなく大広間に……どうかされましたか?」

 エギルは、氷刃の騎士の雰囲気が、天文台に行く前とは違うことに気づいた。いつも一緒にいるエギルだからこそわかる微妙な変化だが、エギルにとっては、見過ごしようもないほど大きな変化だ。

 氷刃の騎士は、そんなエギルに笑顔を向けた。

「……こんな私には、友と呼べる存在はもうおまえだけだ。エギル。」

 そう言うと、彼は経路(パス)に心を開いた。力を通す太い経路(パス)が、彼らを強く結びつけているのを感じる。

 すると、エギルは自然な動きで彼の前に跪いた。

「私は、どこまでもあなたをお助けいたします。契約のためではなく、私自身の意思として。」

 氷刃の騎士は頷くと、手を差し伸べた。

「ありがとう、友よ。」


「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!


もし、「おもしろい!」「続きが読みたい!」と思っていただけましたら、【高評価】と【ブックマーク】を、ぜひよろしくお願いします。

(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)


貴重なお時間を割いて本作をお読みくださった皆様に、何か楽しいことが起こりますように。

どうぞ今後とも、よろしくお願いします。


☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆

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