第三章 炎髪の少女(④道を拓く者たち)
マティアスは、刻印がもたらす力の流れを感じた。それはマティアスに流れ込み、またマティアスから流れ出す、双方向の流れだ。そしてその流れは刻印で止まらず、刻印の外に細い糸のように流れ出していた。マティアスがそれを辿ると、その糸はマティアスをじっと見つめる不機嫌そうな魔神へ繋がっている。いや、この力の中では、この魔神はいつもと違って見えた。そこにいるのは、褐色の肌に黒髪の少年ではなく、何かもっと大きな、まがまがしいものだ。暗闇の中を荒れ狂う赤紫色の炎が、すべてを飲み込もうと……。
その時、突然、マティアスは何をすべきかを悟った。刻印がマティアスの頭に情報を書き込んだのだろう。マティアスは刻印に導かれるまま、自らの存在を開いた。
そして、激痛が襲った。
マティアスの刻印とロキを繋ぐ細い糸。マティアスが自分の存在を開いたことで、その糸が突然パイプのように太くなるのを感じた。遠くで、ロキの唸り声が聞こえたかと思うと、ロキの側から赤紫色を帯びた恐ろしい力の流れが押し寄せてくる。同時に、マティアスの中からごっそりと力が奪われ、ロキの方へ流れ出していった。マティアスの体が、突然力を奪われたことに対する恐怖に震え、また荒れ狂う力の奔流に翻弄される。マティアスの刻印が、明らかに先ほどまでとは違う強い輝きを放ち始め、マティアスの意識はより深くへ——。
「——マティアス!マティアス!」
レイラの声が、マティアスの意識を引き戻した。周りの音が戻り、日光が眼を突き刺す。レイラが、いつの間にか地面に倒れていたマティアスを掴んで揺さぶっていた。
「もう、大丈夫……。」
マティアスは、横たわったまま周りを見回した。ロキも同じように地面にへたり込み、荒い息をついている。
「何があったの?」レイラが心配そうにマティアスの顔を覗き込んだ。
「……この小僧、経路をこじ開けやがったんだ。ったく、やるなら先に言えよ、クソガキが。俺は剣に魔力を通してみろって言っただけだぞ。」マティアスの代わりに、ロキが息を整えながら言った。
「経路?」レイラが尋ねる。
「契約によって結ばれた、魔神と魔術師をつなぐ道だ。経路を通じて、魔術師は人間世界で生きるための生命力を魔神に供給し、逆に魔神は魔術師に魔力を供給する。」早くもロキの方は調子が戻ってきたのか、服についた砂を払って立ち上がった。「いま、小僧がそれをこじ開けた。小僧の生命力が、いままでより強い勢いで俺に流れ込んでる。まぁ、生命力を奪われる方にしてみりゃ、慣れるまですぐには立ち上がれねぇだろうよ。」
マティアスは、地面に横たわったままロキの説明を聞いていた。どこか痛いところがあるわけでもなく、体全体が衰弱するような感覚。これが生命力が失われるということか。
「おまえの存在に、僕を丸ごと持っていかれる気がした……。」情けないことに、頭を上げることもできない。
「まぁでも、やってみる価値はあったな。」ロキは腕を回しながら言った。変幻自在に姿を変えられる魔神に、この動作は必要なのだろうか。「生命力がなければ、魔神は人間世界に存在できねぇし、どれだけ膨大な魔力を持っていても、それをこの世界で具現化することができねぇ。逆に言えば、生命力の供給が増えれば、俺はもっと魔力を引き出せるってことだ。まだまだ俺の本気にはほど遠いが、だいぶマシにはなった気がするぜ。」
するとロキは眼を閉じ、再び両手を広げた。
一瞬にして、雲もないのに日が翳り、彼らの周りを赤紫色の炎が取り囲んだかと思うと、轟音を上げて燃え上がった。ロキが眼を開くと、その黒く深い瞳に、すべてを飲み込む業火が映る。ロキは笑っていた。とても人間のものとは思えない、異世界の底から響いてくるような声。低い声でもあり、高い声でもある、おぞましいほどに深いその声が、辺りに響き渡り——。
「——もうやめて、やめなさい!ロキ!」
バチーン!と顔が吹っ飛ぶんじゃないかというくらい激しい音とともに、レイラが思いっ切りロキの頬を引っぱたいた。地面にひっくり返ったロキが我に返ると、激しい業火は嘘のように消え、辺りが元に戻る。
「アンタねぇ。マティアスにそこまでやるなら言えとか言っておきながら、アンタもたいがいだわ。」
レイラは片手を腰に当て、空いている手でロキに指を突きつけた。
「あぁ……悪い。だが一応、確認はできたな。多少マシにはなった。」
「なにアンタ、本当はこれよりもっと強いんだぞ、って言いたいわけ?」
「おい小娘、偉大なるロキ様の力を疑ってんのか?」ロキはレイラを睨んだ。
「そりゃあそうよ。アンタの自分語りは、まったくもって信用ならないわ。」
レイラはまったく動じずにバッサリ切り捨てると、いまだ地面に寝転んでいるマティアスを指差した。
「じゃあ、これでバッチリね。アンタが回復したら、さっさと行きましょ。」
……いつの間にか、マティアスとロキが地面からレイラを見上げ、レイラが上から二人に命令するような構図になっている。
「いや、さっさと行きましょって……レイラはダメだ。僕とロキだけで——。」
マティアスが声を絞り出したが、最後まで聞くこともなくレイラが遮った。
「——あぁそれ。もう言わなくていいわ。アタシ行くから。それよりも……。」
「いや、ダメだ。これは僕の願い、僕の戦いだ。レイラを危険に晒すわけには——。」
「——うるさい!」レイラが一喝した。
レイラが怒るのはいったい今日何度目だろうか。
「アタシが行くって言ってるの。アンタにアタシの意思を否定する権利なんてない。アタシは自由よ。」レイラはロキをチラッと見た。
「いや、でも……。」
「……この小娘、曲がんねぇぜ。どっかの狂った妹バカと一緒でな。」なおも言い募ろうとしたマティアスに、ロキがつまらなそうに言った。「おまえら、何が楽しくて、そんなに自殺願望があるんだか。理解不能だぜ。」
「アンタたち二人がバカすぎて見てらんないから、優しいアタシがついて行ってやるって言ってんのよ。」
「このガキが……。」ロキが苛立って歯軋りする。
マティアスは、そんなレイラの様子を見ながら考えていた。レイラは一度言い出したら聞かない。マティアスがどれだけ言っても、レイラの意思は変えられないだろう。それに、いまのレイラの清々しい表情を見ていると、それが正しいことなのかどうかも、もうよくわからない。
「……わかった。」マティアスは諦めたように言った。「ついて来たいなら、ついてくればいい。でも、死ぬのはダメだ。危ない状況になったら、絶対に逃げてくれ。」
「それはアンタも同じよ。死んだら何にもならないじゃない。アンタのかわいい妹が悲しむわ。」レイラは笑みを浮かべてそう言うと、弓を取り出した。「しょうがないから、アタシがアンタを守ってあげる。」
「おいおい!なんかノリで適当に話を進めてるけどな!そもそもあのゴーレムの海から断絶結界の起点を見つけ出して破壊するなんて無理——。」ロキが食ってかかったが、そこにマティアスが割って入った。
「——いや、それは心配ない。」マティアスは静かに言った。
「そんなわけあるか!おまえ、昨日もそんなこと言ってたよな?」
「断絶結界は地下までは届かないって言ってただろう?それを利用するんだ。」
「だから!おまえら人間が通れるトンネルをチンタラ掘ってたら、すぐ地上の敵に気づかれるに決まってんだろうが!あっという間にトンネルごと踏み潰されて、おダブツだ!」
コイツら人間は、本当に頭が悪い。なんでこんな簡単なことを、何度も言われなければわからないのだ。
しかし、マティアスは少し体を起こすと、ニヤッと笑った。
「いやいや。新しくトンネルを掘る必要なんてないんだよ。」いまいましいことに、ロキとレイラを見て、少しもったいつけてから言う。
「五年前、僕がどうやって王都から逃げてきたか、知りたくないかい?」
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
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☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆