第三章 炎髪の少女(③魔神の苦悩再び)
レイラと別れた後、いつ敵と遭遇するかわからないこの状況で、それほどレイラから距離を取るわけにもいかず、マティアスは近くの渓流で時間を潰していた。何度も冷たい水で顔を洗いながら、レイラとのやりとりを思い出し、自問自答を続ける。
レイラは、置いていかれるのが嫌なのか?この戦いに、ついて来たいのか?それはダメだ。危険すぎる。なにより、これはリリーを助け出したいという、僕の願いだ。何の関係もないレイラを、危険に晒すわけにはいかない。やはり彼女を連れて行くなんて、どう考えてもあり得ない……。
マティアスの思考はグルグルと同じところを巡り続け、やがてマティアスは、もう一度レイラにはっきり言おうと決意を固め、レイラのもとに戻った。
そして、眼の前の光景に唖然とした。
「ふざけんな、この小娘が!俺をいったい何だと——。」
「——そんなの、使い勝手のいい炎を出す便利な存在だとしか思ってないわ。いいから、さっさと出しなさいったら——。」
レイラとロキ。どう転んでも性格が合わなそうなこの二人が、なにやら焚き火を囲んで楽しそうにしていたのだ。
「——二度とやるか!」
……まぁ、楽しそうにしているのはレイラだけだが。
マティアスは足を止めると、しばらく立ちすくんでいた。この二人にまともな会話が成立することだけでも意外なのに、いったい何があったというのだろう。
しかし、すぐにレイラがマティアスに気づいた。
「あら。帰って来てたなら言いなさいよ、マティアス。いまちょうど……そうだわ!」レイラは大きく手を叩いた。「マティアス、アンタがこの性悪な魔神に命令すればいいじゃない!」
「……何を?」
「これよこれ。」レイラは手に持ったものを振った。何やら食べかけの焼き鳥のように見える。「最初は焚き火で炙ってたけど、試しにこの魔神の炎で炙らせてみたら、すごくおいしかったのよ。やっぱり料理は火力だわ。」
たしかに、レイラは料理へのこだわりが強い。ケイレブの家で、料理当番はいつもレイラだった。もちろん、ケイレブやマティアスもやろうとはしていたのだが、手順から調味料の分量まで、あらゆることに口出ししてくるレイラに辟易し、いつしかすべてをレイラに任せるようになった。
……いや、そういうことではなくて。
「何度も言わせるな!俺は便利な調理器具じゃねえ!偉大なるロキ様の、神聖なる異世界の魔力を、そんなくだらねぇことに使わせるな!」
どうやらロキは本気で頭に来ているようだ。
「なによまったく。ケチな魔神ねぇ……。」レイラは残念そうにロキを見たが、ようやく諦めたのか、焼き鳥を焚き火に戻した。「で?アンタはアンタで、いつまでそこに突っ立ってんのよ。早くこっちに来たらどう?」
「あ、あぁ……。」
マティアスは、その場の理解を放棄することにした。
そしてこの際、レイラに対して言おうと思っていたことも、きれいさっぱり頭から吹き飛んでしまった。さっきまで悩んでいた時間を、返してくれ。
「それで?これからどうするのよ?」
「どうするって……?」脳が状況に対応しきれず、マティアスは口籠った。しかし、どうにか残った稼働部分をかき集め、平常運行を取り戻す。「……そうだ、ロキ。まずは偵察の報告をしてくれ。」
ロキはケッと鼻を鳴らすと、なるべくレイラから距離を取って、焚き火のそばに座り直した。その口調から、不機嫌さがありありと伝わってくる。
「エギルだろうと他のザコどもだろうと、近くに敵の姿はねぇ。昨日の逃避行で撒いたっていうより、もともと追って来てねぇって感じだな。」
「あら、良かったじゃない。」
「時間の問題だ。ヤツらはそう簡単に諦めそうなタマじゃねぇ。それに、ここは王都の眼と鼻の先だ。エギルが来なくたって、すぐに影の執行官あたりがゴーレムを連れてやってくるだろうよ。」
「影の執行官ってなによ。」レイラが聞くと、ロキより先にマティアスが応えた。
「ゴーレムを束ねる、影の軍勢の前線指揮官だよ。影の皇帝から直接命令を受け、与えられた魔力を行使して命令を遂行する。影の帝国が王国を支配下に置いてからは、各地を支配する総督の役割も担っている。」
そう言うと、マティアスは、拳を強く握りしめた。マティアスの眼の前でジェイセンを殺し、リリーを奪ったのは、その影の執行官だ。
そこまで言われて、レイラにもようやく思い当たる節があった。時々カタリナ村を訪れては、作物の実りを巻き上げて行く影の軍勢。そこにはいつも、ピエロのような奇妙な白い顔の指揮官がいた。
「それで、王都の方は?」マティアスが先を促した。
「いまのところ、昨日時点から変わりはねぇ。城門のあたりに固く断絶結界が張られている上、その内外はゴーレムの海だ。あぁ、それと……。」ロキは言いたくなさそうに付け加えた。「悪い知らせだ。ゴーレムをぶっ倒しながら断絶結界の起点を探す話、万に一つも可能性がなくなった。」
「……どういうこと?」
「まぁ、やってみせた方が早いかもしれん。」
ロキは立ち上がって二人から離れた。両手を広げ、魔力の流れを呼び起こす。昨夜と同じく、背後に赤紫色の炎の玉が現れ、ロキの意のままに飛び回り始めた。
「ちょっと、伏せてろ!」
ロキはそう言うと、炎の玉を掴んで近くの木に投げつけた。炎の玉は木の幹に当たり、爆音とともに木が根本から倒れる。
「何してるんだ!敵に気づかれたら——。」マティアスはパッと立ち上がった。
「——さっき言っただろ。近くに敵はいねぇから問題はねぇ。問題があるのは、俺の力の方だ。」ロキは自分の手をまじまじと見た。
「何が問題なのよ?」
「……弱すぎんだよ。」ロキは怒りのあまり歯軋りしている。
「十分、強いように思えるけど——。」そんなレイラの声は、ロキの大声にかき消された。
「——弱すぎんだよ!いま俺はかなり力を込めたはずだ!それが、木をたった一本倒す程度。昨日もそうだ。俺の攻撃は、エギルの氷の盾に簡単に止められた。ヤツの拳は、俺の炎を簡単にぶち抜いた。最後の俺の渾身の一撃も、ヤツをよろめかせることしかできなかった!」
いつでも偉そうで自信過剰な態度ばかりとっているロキにとって、自分の弱さを説明することは、激しい屈辱を伴うものだった。
「なるほどな、だから逃げたのか。」マティアスは頷いた。「昨夜、なんで逃げたのかと思ってたんだ。あの時は、レイラのおかげで、あの騎士の動きを封じられたタイミングだった。てっきり僕は、ロキと僕でエギルを倒しに行くのかと思ったよ。」
「あぁそうだ。だが俺は、俺の力が弱体化していることに気づいてた。あのままエギルと戦っても、俺たちに勝ち目はなかった。」ロキは悔しそうに言った。
「まぁ、そういうこともあるだろう。まだこちらの世界に来て日も浅い——。」
「——いやおまえ、人ごとじゃねぇからな?」
ロキはマティアスを遮ると、ギロリと睨んだ。黒い眼がマティアスの青い眼をえぐるように見る。
「おまえだって、俺と契約したのに、何の魔力も使えてねぇじゃねぇか。おまえの剣も、あっさり斬り飛ばされた。本来、魔術師の武器は、魔力によって武装される。破壊されることなんか、あり得ねぇ。」
マティアスは、腰の鞘から剣を引き抜いた。マティアスが王都から持って来た唯一のもの。思い出の品。その刀身は、鍔からすぐ上のところで断ち切られていた。
「その刀に魔力を込めてみろ。魔術師は、魔神から供給された魔力を操る。だが、生のままの魔力は、おまえら人間の器では制御しきれない。だから、たいていは自分の慣れ親しんだ武器に魔力を集めてコントロールするもんだ。まぁ、本当は武器じゃなくてもなんでもいいんだと思うがな。」さすがは数千年の時を生きる魔神だ。やたらと詳しい。
「でも、いったいどうやって……。」
「そんなもん、俺は知らん。刻印に聞け。」なるほど、魔術師しか知らないようなことは、この魔神でも知らないのか。
マティアスは、右腕の袖をまくると、刻印に意識を集中した。初めて刻印が現れた時は、刻印の方からマティアスに語りかけてきた。いや、語りかけてきた、というのは正確でないかもしれない。直接脳に情報を刻みつけられる感覚、とでも言うべきか。しかし、自分からアプローチを試みるのは初めてだ。
マティアスが刻印に意識を集中すると、血のように赤い刻印が、わずかに光を帯びたように見えた。レイラが身を乗り出そうとして、ロキがそれを制する。マティアスがさらに深く刻印に意識を落とすと、次第に周りの音や刺激が薄れて行くような気がした。
「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
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☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆