第三章 炎髪の少女(②少女と魔神)
「あれ?あの小僧はどこ行った?」
マティアスが立ち去ってしばらくすると、黒髪に褐色の肌の少年がやってきた。手には、何やらキジのような鳥を数羽、握っている。
「……知らないわ。」
レイラは短く応えた。マティアスとの会話で荒れた心は徐々に落ち着いてきていたが、この人間ならざる魔神と二人きりであるという状況に、言いようのない居心地の悪さを感じる。
「ったく、急いで偵察に行ってこい、メシを集めてこいとか言っといて、帰ってきたらいねぇとは。あの小僧、何様のつもりだ?……あぁ、王様か。ブライトスケールだもんな。クソガキのくせに。」ロキは悪態を垂れ流すと、レイラの横にドカッと座った。
「……アンタ、マティアスが王子だって、知ってたの?」
「あぁ?そりゃ、ブライトスケールって言われりゃ、王族の姓に決まってんだろ。俺がどんだけこの腐った国と因縁があると思ってんだ。あの金髪に青い眼の王族には、何度も会ったことがある。」ロキはそう言って手を振った。腕を動かすたび、死んだキジがゆらゆらと揺れる。「おまえ、そんなことも知らねぇのか?」
「知ってるわよ。アタシが知らなかったのは、マティアスの本名がブライトスケールだった、ってこと。」それをなんで、ポッと出の魔神ごときが知っているのだ。
「偽名でも使ってたのか?自分の女にウソつくなんて、最低だな。そんな男、さっさと別れた方がいいぜ。」
「——アタシは、マティアスの女なんかじゃない!」弾かれるように立ち上がったレイラは、自分の口から思ったよりも大きな声が出て驚いた。
しかしロキは、特に動じもしなかった。
「だが、さすがにその髪で、兄妹ってことはねぇんだろ?」レイラの燃えるような赤毛にチラリと眼をやる。「おまえら、いったいどういう関係なんだ?」
アタシとマティアスは、どういう関係?知り合い?友達?親友?それとも……。
「……家族よ。」ややあって、レイラは言った。
「いや、家族ってもいろいろあるだろ。血が繋がっててその髪の色ってことは——。」
「——うるっさいわね!なんでアンタが、人間同士の関係性なんか気にすんのよ!」レイラは突き刺すような眼を魔神に向ける。「化け物のくせに!あの青い髪の化け物と同じ、人殺しの化け物なんでしょ——。」
「——言っておくがな、小娘。」ロキも立ち上がり、レイラに対峙した。「二度と俺を、化け物と呼ぶんじゃねぇ。」
いつの間にか、辺りが急に静かになったかと思うと、赤紫色の炎の玉が現れ、薄暗くなった空気をメラメラと燃やし始める。ロキの姿が先ほどまでより大きくなったように見え、その圧に押されてレイラは言葉を継げなくなった。
ロキは、しばらくそんなレイラの様子を見ていたが、やがて炎の玉は消え、辺りが元に戻った。
「まぁ、いまのはちょっと、大人げなかったな。悪い。」ロキは頭をポリポリ掻くと、レイラから眼を逸らし、手に持った鳥を地面に置いて木の枝を拾い始めた。「だがおまえも、言動には気をつけろ。ようは礼儀の問題だ。」
「じゃあなんて呼べばいいのよ。」
「俺は魔神で、名前はロキだ。ロキ様と呼ぶんだな。」ロキは偉そうに胸を張った。
「人殺しと同類のくせに、偉そうにしてんじゃないわよ。」レイラが吐き捨てるように言う。
「……あのな。」ロキは再び苛立ちを覗かせた。「俺たち魔神は、人殺しなんかじゃねぇ。だいたい、クズみてぇな人間ごとき、生きようが死のうが、俺たちにとっては知ったことじゃない。」
「でも、昨日の化け——魔神は、」ロキの表情を見て、レイラは言い直した。「何人も村の人を殺していたわ。私も殺されかけたし。」おじいさまも殺された、という言葉は喉につかえて出てこなかった。
「そりゃ、魔術師がそう命じたからだ。俺たちは、魔術師との契約に縛られている。自分の意思で行動する自由なんてない。」ロキは木の枝を集め終わると、地面に置いて組み始めた。指から赤紫色の炎を出し、火をつける。「実際、あのエギルとかいうやつは、魔神としてはなかなか話の合いそうなヤツに見えたがな。まぁ堅物すぎるし、魔術師にベッタリなのが残念の極みだが。」
「じゃあアンタは、魔術師であるマティアスの命令通りに動くってこと?」
「癪だがな。俺はアイツとの契約を成就させるため、骨身を惜しまず働くってわけだ。だから、アイツが誰かを殺せって言わない限り、俺は誰かを殺したりはしねぇよ。」
そう言いながら、ロキは鳥の羽をむしり、首を捻ると、即席の焚き火で炙り始めた。食材の処理があまりに雑だが、それでも良い匂いが辺りに漂い始める。
「できたら食うか?」
「いらないわ。まずアンタが食べなさいよ。」
「見てただろ、毒なんか入れてねぇぞ。それに、俺は人間みたいに死んだ鳥の肉なんか食わん。」
「じゃあ何を食べんのよ。」
質問を発したレイラは、いつの間にか、この魔神と自然に会話できるようになってきていることに気づいた。この魔神は口も悪ければ態度も悪いが、なぜか、慣れれば会話を続けることがそれほど難しくない。
「俺たち魔神は、もともと人間世界の存在じゃない。この世界に存在し続けるために必要なのは、魔術師から供給される生命力だ。まぁ、生きた動物を食っても多少は生命力が得られるんだが、ほとんど効果がねぇし、何より人間世界の動物ってのは俺らの体に合わん。すぐに……うーんなんというか、おまえら人間で言うと……風邪をひいちまう。」
「魔神のくせに、風邪ひくの?」
思わずレイラは笑ってしまった。……今日、マティアスとの会話で、一度でも笑っただろうか?
「いい言葉が見つからん。なんかこう、気分が悪くなるってことだ!」
ロキは、この話題はおしまいだと言わんばかりに、手を叩いた。この魔神、人間になど興味がないという態度を取っている割に、やたらとよく喋るし、人間のような仕草をする。長年人間と一緒にいると、魔神にも人間くささが伝染るのだろうか。
「……アイツ、妹を助けに行くって言ったのよ。」
しばらく黙った後、レイラはポツリと言った。自分はなぜ、そんなことをこの魔神に言う気になったのだろう。
「あぁ、もちろん知ってる。契約条件だからな。ったく、あの小僧、王都の守りがどんだけ固いか、わかっててまだそう言ってんだぜ?頭が狂ってやがる。まぁ見ての通りだが。」ロキは鳥の足を掴んで向きを変え、炙り具合を調整した。人間なら素手で触ると火傷するところだが、手から炎を出す魔神なら特に問題はないのだろう。
「きっと、アンタも行くのよね?」
「あぁ。俺には選択肢の余地はねぇよ。」ムスッとする姿が妙に人間くさい。「そういえば、おまえはどうすんだ?」ロキはそう言ってレイラを向き直った。
「アタシは……。」
レイラには、誰よりも優れた弓の腕がある。マティアスが剣の腕を磨く傍ら、レイラはずっと鍛錬を続けてきた。これだけは誰にも負けるつもりはないし、なにより、昨日の戦いで氷刃の騎士を撃ち抜いたことが、レイラの力を証明している。だが……。
「アタシも、アンタと同じよ。選択肢なんかないわ。マティアスには、アタシを連れて行くつもりなんかないのよ。」
「そういうもんかねぇ。」
「そうよ。それに、アタシの矢は、あのエギルとかいう魔神には効かない。たとえ行っても、アタシは役に立たないわ。」
レイラがそう言うと、ロキは一つ軽いため息をついた。
「おまえが俺たちについて来なくたって、俺にとってはどうでもいいことだ。そもそも、俺たちの行く道はどう見たって地獄への一本道だ。おまえの選択は賢い。だがな。」ロキはレイラに向き直ると、語気を強めた。「人間のくせに、自由に物事を決めるのが無理だとか言ってんじゃねえ!俺みたいに契約に縛られてもいないくせに。」ロキは両手を広げる。「おまえにはもう、何もない。家もない。村にも戻れない。家族もいない。何もして生きるのも自由、もちろん死ぬのも自由だ。これ以上の自由がどこにあるって言うんだ。あぁ?」
「自由……?」
レイラは、しばし呆然としてロキの言葉を繰り返した。そんな発想はなかった。ケイレブを殺され、マティアスもいなくなろうとしているいま、レイラは、運命に生き方を狭められているように感じていた。思考も、視野も、一歩先のことすら見えないほどに縛り上げられ、体を運命に翻弄されていくような感覚。
でも、自由?本当に?
レイラは大きく息を吸い込み……世界に自分を開いた。
あぁ、見方が変われば世界が変わる、とはよく言ったものだ。木々のせせらぎ、火の爆ぜる音、鳥の声、性格の悪い魔神の服が擦れる音すらも。いろいろなものが、レイラの中に流れ込んでくる。いままで、レイラはそれらを撥ねつけていた。
しかし、違う。レイラは手を大きく広げた。
撥ねつけるのではなく、受け入れる。それらはレイラの中に流れ込み、やがて、世界に開け放たれたレイラと一つに溶け合った。自分が、まるで世界に受け入れられたような感覚を覚える。
そうか。この世界で、アタシは自由だったのか。
しかしレイラは、自分の中にまだ、周りと溶け合うことを拒んで固く凝り固まっている部分があることに気づいた。幾重にもがんじがらめに固められたそれは、決して表層に現れないよう、自分自身の手で気づかないフリを積み重ねてきた気持ち。昨夜揺さぶり起こされたが、今日再び、無理やり奥底に沈めようとしていた想いだ。
でもアタシは自由。もうそんな縛り、いらないんだわ。
レイラは意を決して心の中の固い岩盤を打ち壊すと、体中を自分の素直な気持ちが流れ出すのを許した。
あるいは、彼女の持ち前の剛毅な性格は、今後も彼女の気持ちを覆い隠すかもしれない。だが今後は、彼女自身の心がその気持ちを否定することはないだろう。
その時、レイラは急に自分をじっと見ている視線に気づき、恥ずかしくなって地面に座り込んだ。
「……何よ?」
「知るか。おまえが急に妙なことを始めたんだろうが。」ロキは鳥肉に向き直ると、火の通り具合を確認した。「しかし、アイツはいつ帰ってくるんだ。せっかく俺が取ってきてやったってのに、もう焦げるぞ。」
「見せてみなさいよ。」レイラは細くて固い木の枝を選ぶと、鳥肉に突き刺した。「なんだ、ちょうどいい感じじゃない。マティアスにはもったいないわ。」レイラはそう言うと、ふーふーと息で肉を冷ましながら、食べ始めた。
「魔神と魔術師」をお読みいただいて、本当にありがとうございます!
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(私のモチベーションがものすごく上がって、「よーし、がんばって続きを書くぞ!」という気持ちになれます…!)
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