プロローグ 魔神召喚
プロローグ 魔神召喚
——呼ばれた。
ずいぶんと、久しぶりの感覚だ。優しく包み込むようでいて、抵抗を許さず無理やり連れて行こうとする、そんな感覚。俺は、ストローで吸い出されるように、のびのびとした異世界から引き剥がされ、重く狭苦しい別の世界に放り出された。
初めての時はかなり混乱したものだが、さすがに俺ももう慣れたものだ。どこに、なぜ呼び出されたのか。丁寧に説明されなくたって、正確に理解している。
人間たちの世界。
もっと言えば、魔術師が描いた魔法陣の中。
俺たち異世界に住まう魔神が、異世界から引き剥がされる理由なんて、それしかない。あのクソいまいましい人間たち、その中でも底なしに救いようがない魔術師どもが、また自分勝手な願いのために、召喚の呪文を唱えたに決まっている。そして召喚されたが最後、契約を履行するまで、優しい異世界には帰れない。
しかし、ずいぶんと久しぶりの召喚だ。最後に人間世界に来てから、どのくらい経った?数十年、あるいは数百年かもしれない。まぁ、人間世界でどのくらいの時間が経ったかなんて、俺たち魔神にとってはどうでもいいことだが。
人間の寿命は短い。百年もすれば人間は死ぬ。数百年ぶりともなれば、もう俺の知り合いはとっくに死んでいて、俺のことを知る人間は一人もいないだろう。まぁ、俺の輝かしい功績が後世に語り継がれているってこともあり得るが。
かすかに衣擦れの音がした。そろそろ魔術師とのご対面といくか。
今回の召喚は、それほど力強くもなかったから、ベテランの老魔術師ってことはないだろう。初めて魔術師に選ばれた若いヒヨッ子が、召喚呪文を正しく唱えられたかどうか不安に顔を曇らせつつ、震えながら魔法陣に立っている、といったところか。
俺は、眼を開けた。
俺の予想は、半分アタリ、半分ハズレだった。俺の前で魔法陣に立っているのは、少年だった。歳は十五、六歳といったところだろうか(正直言って、人間の年齢なんて俺たち魔神にはよくわからない)。その点は概ねアタリだが、ハズレだったのはそいつの雰囲気だ。
薄汚れた小麦色の布地でできたチュニックのような上着。同じく薄汚れたズボン。腰の辺りには、これまたボロボロのベルトに、色褪せたポーチ。しかし、みすぼらしい服装とは裏腹に、輝く黄金の髪と鋭い眼光をたたえる青い眼が、見る者に強く印象付ける異彩を放っている。
ほう、こりゃ少しは面白そうだ。召喚された以上、こっちは魔術師との契約を履行しない限り、異世界には帰れねぇんだ。どうせ魔術師のために何かしてやるなら、面白いヤツの方が良いに決まってる。
まぁ、魔術師であるという時点で、クソいまいましいには違いないが。
俺は、コイツに合わせて、少年の姿を取ることにした。昔俺を召喚した老魔術師の孫で、人間にしては珍しく、俺に友好的に接してくれたヤツだ。なかなかのイケメンだったが、俺なりのアレンジで、そのイケメン度合いにちょいと磨きをかけた。いまの時代の服装がわからないから、服装は眼の前の少年に合わせておく。ただもちろん、汚れはナシ、色も黒だ。黒は褐色の肌がよく映えるし、輝かしい魔神であるこの俺が、コイツのみすぼらしさに合わせてやらなきゃいけない理由なんて、一つもないからな。
さて、準備は整った。
俺は、まだ何も喋らない少年から眼を逸らすと、周りを見回した。まだ俺の魔力が人間世界に慣れきっておらず、人間と比べて若干ぎこちない仕草で、首を回し、眼を動かす。
床に魔法陣が描かれている以外は、何の変哲もない、普通の小屋だ。ただ、少年の服と同じく、ボロくてみすぼらしい。俺がいない間に人間世界で何があったかなんて興味もないし、知りたくもないが、最後に召喚された時よりも、むしろ時代が後退している感すらある。まぁ、コイツに金がないだけかもしれないが。
そして、コイツだ。俺は改めてじっくりと、少年を観察した。
美しく豪奢な金髪。彫刻家が造形したかのようにきれいな顔立ち。この年代の少年に特有の、体を無理やり縦に引き伸ばされたかのような、ヒョロッとした体のライン。しかしよく見ると、その体には無駄な肉がなく、端整な筋肉で引き締まっている。また、おそらく初めて魔神を召喚したばかりだというのに、何の動揺も見られない。俺たち魔神は、人間のお粗末な眼や耳よりもはるかに鋭敏に物事を知覚することができるが、俺は、コイツの呼吸や心拍に乱れがないことを見てとった。
少年と眼が合った。吸い込まれるように青く、鋭い眼。その眼差しに、俺はどことなく既視感を覚えたが、間違いなく、俺がコイツと会うのは初めてのはずだ。こんな人間、出会っていたらそうそう忘れられないだろう。
そしてついに、少年が口を開いた。ようやく始める気になったか。
魔術師が魔神を召喚した場合、最初にやることは決まっている。契約を結ぶのだ。俺たち魔神は異世界の住人であり、人間世界にとっては異形の存在だ。したがって、魔法陣が描かれ、呪文によって召喚されても、それだけでは人間世界に長く留まることができない。そのため、魔神は魔術師との間に経路を結び、経路を通じて魔術師から人間世界の生命力を供給してもらう。その代わりに、魔神は魔術師に魔力を供給するほか、魔術師の願いを一つだけ叶える……。これが、一般的に言われる魔神と魔術師の契約だ。
しかし、これはなんと魔術師に都合の良い説明であることか。
そもそも、俺たち魔神は人間世界に留まりたいなどとは全く思っていない。ゆりかごのように俺たちを包み込んでくれる異世界という家があるのに、何が楽しくて、こんな狭苦しくてクソいまいましい人間だらけの世界に留まりたいなどと願うものか。召喚されて、もし契約が締結されないままに異世界へ戻ることになったら、願ったり叶ったりだ。それを、さも自分の力では人間世界に現界し続けられない魔神のために、慈悲深い魔術師サマが生命力を供給してやり、そのお礼として魔神が魔術師に尽くすかのように説明するのは、虫唾が走るどころか、吐き気がする。
実態は、魔術師として選ばれた人間が、自分の願いを叶えるために魔神を召喚する、というだけの話だ。願いが叶ったら契約は完了。魔神は異世界に帰り、魔術師は魔術師としての資格を失って、普通の人間に戻ることになる。だからこそ、魔術師は願いの内容を、実現まで時間がかかるものにして、なるべく長く魔神を従わせておけるようにする。まったくもって、詐欺契約もいいところだ。
しかも、契約とは名ばかりで、契約締結にあたって俺たち魔神の意思は加味されない。もし契約を結ぶ際に魔神が異を唱えようものなら、たいていの魔術師は、魔神を殺す「魔滅の呪文」をチラつかせて脅迫してくるからだ。魔神と契約できなかった魔術師は、魔術師としての資格を失うことになり、契約未締結であろうと召喚のやり直しはきかないため、魔術師は召喚した魔神に無理やりにでも契約締結を迫る。したがって、俺たち魔神は、魔術師どものどうしようもない願いを聞き、なんであろうと否応なくそれを受け入れ、契約を結ぶしかない。後は、その願いが一刻も早く叶って異世界に帰れるのを願いながら、身を削って働くだけだ。やれやれ。
そんなことをつらつらと考えていると、ようやく少年が声を発した。魔神の眼を真っ直ぐに見据え、服装に見合わぬハッキリと芯の通った声を響かせる。
「古の魔法により召喚されし、魔神ロキ。
いまここに、我、魔術師マティアス・フォン・ブライトスケールと契約を取り交わさん。
我は汝に、生命を授け、汝は我に、力を捧ぐ。
汝、我が僕となりて、我が願いを疾く叶えよ。」
……さぁ、言ってみろ。おまえの願いはなんだ?
「我が妹、リリーを救い出す。そのために、力を貸せ。」
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☆★☆ 御春 旬菜 ☆★☆