05/08 集落
ミルダ王国モルテン子爵領、領都モルテンバーグ。南北の交易で中継地点となった商業都市で、大樫の大森林も近いことから良質な木材の産地としても知られている。
商業都市らしく食い詰めた流れ者も多いことから、領都の東側にはスラムが形成され衛兵たちの悩みの種となっている。
そんな人気のない街の裏通りを修道服の少女がきょろきょろと辺りを警戒しながら足早に進んでいた。
「お嬢ちゃん、そんなに急いで何かお探しかな?お兄さんが手伝ってやろう。」
「もちろん対価はしっかりと頂くがな。」
建物の陰から下卑た笑みを浮かべる男が二人、行く先をふさいだ。慌てて振り返り、後ろに逃げ出そうとする少女だったが、その先に居た三人目の男が腕を掴んで止める。
「おおっと、どこへ行こうというんだ?もう手遅れだぜ、こんな所に踏み込むなってママに習わなかったのかい?」
この場所が彼らの狩り場だったのだろう。窓のない高い建物の裏、叫んでも誰も助けになど来ない治安。
おびえた少女の顔を愉しんでやろうと、腕を掴む手に力を込めたまま顎を上に上げさせた三人目の男だったが、「嫌っ、離して!」と言葉だけは抵抗する少女の顔には能面のように何の表情も浮かんでいない。
「ホゥアタァ!」
甲高い少女の掛け声とともにぐるりと視界が一回転する男。男が最期に見たものは、大地を力強く踏みしめて掌底を高らかに突き上げた少女の姿だった。
首がおかしな方向に曲がり、へたり込む様に崩れ落ちる男の視界は徐々に昏くなってゆく。遠く仲間達の方から生木をへし折るような音が聞こえる。
「こちらカリナ、現地の案内人を3体確保しました。おそらく人さらいを生業とするただのろくでなしですね。分体化します。」
少女はカバンからゴーレムのコアを取り出すと、小刀で男たちの首の後ろを小さく切り埋め込んでゆく。仕上げに回復魔法で傷口を閉じると、男たちはふらふらと立ちあがった。
「ろくでなしの記憶を取得しました。闇奴隷商人、犯罪組織の末端が居る酒場、不正に加担する衛兵、どれからあたりますか?
・・・はい、了解しました。それではあななたち、夜を待って犯罪組織の所へ行きますよ。それまではこの辺りで戦力を増やしますので、ごろつき仲間をここに呼び出しなさい。」
エメスに拠点の拡張を指示してからふた月、小屋を囲んでいた木の柵は水堀を備えた石製の頑丈な防壁へと変わり、もはや小屋は小屋と呼べないほどの屋敷へと変貌している。
本館は2階建てだが書斎や使用人の部屋、食堂やホールまで完備した、どこの貴族の家だよ!とリュウジが突っ込みを入れる広さの屋敷はいまだに拡張が続けられている。
小屋の前にあった菜園は草木が整備された庭園へと変わり、その片隅の老錬金術師を埋めた場所にはいつの間にかオベリスクの様な墓標が立っていた。
屋敷の前には馬車が余裕を持ってすれ違える広さの大通りが伸び、統一規格化された赤瓦と土色のレンガで彩られた建物が並んでいる。
今は誰も住まないただの箱だが、将来的にはおそらく商館や宿屋、酒場として人々の営みを支える事になるのだろう。大通りから小道に入ると住宅が立ち並び、数キロ東から引いた水路沿いにある粉引き屋の水車がゆっくり回っている。
その向こうには新芽を出し始めたばかりの麦畑や野菜が規則正しく植えられ、風に揺れている。
通りには建材や農具を担いだゴブリンやコボルド、その他動物、そして人間が行きかっている。彼らは一部を除きほぼ全てが分体コアを埋め込まれた存在だ。
コアが無いのは通りを駆け回る闇奴隷商から取り上げた子供たちくらいだろうか。その奴隷商も今では真っ当な商売を行っているのだが。
僧侶の少女、カリナに人気のない裏通りやスラムをうろついてもらえば、ごろつきやそれ以上の犯罪者が釣れる釣れる。
強盗や人さらいを実行しに来たところを昏倒させ、誰も見ていないところで分体を埋め込んで生かしながらゴーレム化する。あとはその記憶を読み取って、犯罪組織や違法商人へ潜入からのまとめてゴーレム化。一番近くの大きな街であるモルテンバーグでこれをやるだけで村一つ分以上のマンパワーが集まった。
犯罪組織だけあって荒事だけでなくズブズブだった商人や職人も多数存在し、その知識や技術が手に入った事で建築と交易の難度が大幅に下がった。
現在交易は大々的に行っておらず、必要最低限を商人や職人の発注に合わせて行っている。その他は森の恵み頼りといったところだが、北の山岳方面に鉄鉱山、銀鉱山、南の荒野に塩湖が発見されたためそこまで必要な物は無い。
「エメス、この“燃えよドルコン”って漫画の続き無いの?」
リュウジが最近入り浸っている書庫から持って来たのはこの世界で書かれたカンフー漫画だった。
スラムに生まれ、犯罪を行いながら荒れ果てた生活を行っていたドルコンが拳法使いの少女カリナに打ちのめされ、拳法を学びながら更生してゆく。
自らの半生を悔いて残りの人生を償いに当てようとするドルコンだったが、過去は彼を追って来た。以前関わっていた犯罪組織の幹部に共に修行していた仲間が攫われたのだ。
犯罪組織とその身一つで戦う決意をし、拠点に乗り込んで大立ち回りを繰り広げて幹部を打ち倒すドルコンだったが・・・。といったところで漫画が終わっている。
「分体256号に描かせているものですね。創作も多分に混じっていますが、ドルコンならいま大通りで荷運びをしていますので続きは本人に聞くといいでしょう。」
「え?あれってほとんど実在の人物なの?」
「先々月の初めにモルテンバーグで分体化したチンピラのお話ですね。記憶アーカイブを共有できますので、実際の修行、というよりは動作の肉体への最適化は数時間で終わっていますが。
拠点での激しい戦いシーンも実際は、寝ている所を分体化した集団で起きている人間を取り押さえて無理やり分体化した感じですし。
作中でさらわれた彼のお仲間ですが、モルテンバーグで新しく流入した犯罪者集団に潜入して分体を増やしている最中ですね。」
エメスは手元の瓶をいじりながら答えた。瓶の中には小指の先ほどに小さな分体コアとそこから伸びる銀線、銀線に繋がれた小さな虫がわさわさと脚を動かしている。
リュウジは気になって「それ、何?」と瓶を覗き込む。
「はい、マスター。この生き物は土蜘蛛です。土中に壺状の巣をつくり、獲物の振動を感知すると巣穴から素早く飛び出して捕食します。
分体コアは小型軽量化の試作ですが、小型化するほど演算領域が削られ、高度な命令ができなくなります。昆虫の臓器に負担を与えない小型コアを搭載する場合、進む方向や捕食する対象を指定できても他分体と同等な思考を持たせることはできません。」
「ふーん、全部お前が指示してたのかと思ってたけど、エメスと分体って別の思考持ってたのか。」
「コアの拡張を行わない限り、当機のコア容量だけで扱える分体は5体が限界ですので、分体に記憶アーカイブを分散、バックアップし、分体自身にも自律思考させることで仮想的に巨大な群体頭脳としています。
マスターの知識で表現すると各端末が同等にデータをやり取りするピア・ツー・ピアのパソコンが分体です。
複数のバックアップが存在しますので、分体が複数同時に消滅しない限り分体となった者が死を迎える事はありません。
新たな肉体さえ用意できればバックアップより記憶を引き継ぎ、何度でも蘇る事ができます。
記憶を別の肉体に移し替えたものは本人と言っていいのか、といった哲学的な問題もありますが。」
自分の知識を基に説明されたにもかかわらず、リュウジには半分も理解できなかったが、そういうものかと表面上は納得し、新しい漫画を読みふけるために書庫へと帰って行った。
「思考する必要のない分体。近くに存在するマザー分体にリモートアクセスし、指令通りに動く・・・。いや、いっそ思考自体を断片化して単細胞の群体生物のように・・・。」
土蜘蛛の入った瓶を工房の棚に戻したエメスは靴先から認証のための魔力を流した。工房の床板が持ち上がり、この屋敷が小屋だったころから存在する地下施設が工房のあるじを迎い入れた。
「ピコーン!
当機は・・・おや?・・・はじめまして、観測者様。こうしてお声をかけられるのは当機が初めてですか?
ふふふ、メタい?まあまあ、観測者様の見ている物語の枠外で起きている事なのですからお目こぼしを。
さて、そちらの世界の隣人は、親兄弟は、今まで友達だと思っていた存在は何かの分体、操られた存在ではありませんか?
・・・本当にそう言えますか?確かめた事はあるのですか?観測者様自身の思考は完全にあなたの物だと言いきれますか?
なーんて、当機の冗談です。マスターの記憶から抽出した“哲学”はおもしろいですね。」