カッとなって、つい
「普段おとなしい人が怒ると怖い、というのは本当ですのね。まさか、ロザリー様が、あんな……」
「まあテッドのやつも悪いと思いますよ。あいつ、ロザリー嬢にしょっちゅうちょっかいというか、なにかとつっかかっていましたからね」
「ロザリー様は内気で、思いつめてしまうタイプでしたわ。ええ、友人といえばわたくしたちだけで、よくぬいぐるみに内緒話をしていると言っていましたわ」
「テッドは一途でしたよ。人当たりは良かったけど、ロザリー嬢に話しかけようとした男にはよく牽制していました」
「人見知りというんでしょうか? 引っ込み思案で、ロザリー様はわたくしたちのうしろに隠れてしまうところがありましたわ」
「ロザリー嬢の笑顔が見たいって、色々やっていました。ああいう内気な令嬢には逆効果じゃないかって諫めていたんですけど……」
社交界の話題は今、ロザリーとテッドのことでもちきりだった。
どちらも子爵家で、社交デビューしたばかり。ロザリーは引っ込み思案で内気なところがあるがふんわりとした雰囲気のやさしい令嬢で、テッドがロザリーにぞっこんなのは周知の事実だった。
ただ、テッドには強引なところがあり、ロザリーをダンスに誘おうとして逃げられたり、なんとかダンスに持ち込んでもカチコチに緊張させてしまうばかりで、なかなかうまくいっていなかった。
「ですがロザリー様も、内気なところを直したいと、ぬいぐるみに話しかけてなんとか会話が続くよう練習していたそうですわ。ふふ、かわいらしいですわよね」
「最近になってロザリー嬢が特定の男の名前を出すとか、イライラしていましたね。盗み聞きはやりすぎじゃないかって、引きました」
「ええ、ロザリー様はテッド様に恥ずかしくない淑女になりたい、ふさわしくなりたいと頑張っていましたのよ」
「テッドは焦ったんでしょう。ロザリー嬢を責めるより、告白なり婚約の申し込みなりするのが先だと言ったんですけど……」
ロザリーとテッドの友人たちは、なかなか進展しない二人を微笑ましく、またじれったい思いで見守っていた。
ロザリーと違い、テッドは友人が多い。だからこそ、余計なことをして二人の恋路がこじれてしまわないように気を付けていた。具体的には早くくっつけと囃し立てたり、嫉妬を煽るような手出し口出しだ。内気なロザリーではまず間違いなく思いつめたあげく逃げてしまうだろう。
見ているだけはもどかしいが、二人には二人のペースがある。テッドがロザリーに恋し、ロザリーもテッドを想っているのなら、それもまたほほえましい、ふたりのエピソードになるだろう。
「あれはテッドが悪い。いや、止められなかった俺たちも同罪か……」
「わたくしたちこそ……。ロザリー様を見守るだけではなく、もう少し応援するべきでしたわ。一歩前に進むことを恐れるロザリー様の背を、そっと押すだけでも違っていたでしょうに」
テッドの友人がうつむき、ロザリーの友人は口元をハンカチで覆い隠した。
どちらも、思うところはひとつである。
まさか、あんなことになるなんて――
事が起きたのは、とある家で開催されたダンスパーティー。恋人や婚約者のいない者にとって、絶好の機会である。
そして意中の人がいる者にとっても、絶好の機会であった。
ロザリーはその夜、たいそうめかしこんでいた。テッドは友人たちと談笑していたが、ロザリーを見つけるとさりげなく彼女の近くに移動した。
「テッドはロザリー嬢にダンスを申し込んで、その時に告白するつもりだったらしい」
「ロザリー様は今度こそテッド様ときちんと会話をしたいと、楽しんでいただくのだと意気込んでいましたわ」
「ところが彼女の口から知らない男の名前が出てきたことに激昂して」
「ロード・グラナードにサー・タイトネイプですか? ロザリー様の大切な、猫のぬいぐるみですわ」
愛しいロザリーが大人の男に囲われている。初心な彼女はきっと騙されているに違いない。そう思い込んだテッドはそんな男など信用するなとロザリーに詰め寄った。
慌てたのはロザリーだ。友人にしか言っていないぬいぐるみの名前を、なぜかテッドが知っている。しかもなぜか悪役だと勘違いされて責められたのだ。
ぬいぐるみの性格とは、自分の理想を反映したものだ。自己投影と言い換えても良いだろう。それを一方的に責められた。
咄嗟にロザリーは反論した。彼らはそんな人ではありません。そもそも人ではないのだから当然である。顔が赤くなったのは、ぬいぐるみ相手に会話して励まされたからだった。いい年をして子供っぽいことをしている自覚はあった。
頬を染め、懸命に相手を庇うロザリーにテッドはショックを受けた。
彼の頭には悪い男に手取り足取り、大人の階段を一段飛ばしで昇っていくロザリーの図が浮かんだ。
そいつらとどんな関係なんだ。俺よりそいつを信用しているのか。テッドが問い詰めた。
テッド様とは比べるべくもありません。ロザリーは答えた。
ぬいぐるみの話である。
顔色悪く、今にも倒れそうなテッドに、ここでようやくロザリーも、とんでもない勘違いをされていることに気が付いた。
しかし、どうにも言いにくい。なにせ今までテッドにはもっと大人になれとかそんなことでは貴族としてとか、さんざんからかわれてきたのだ。ぬいぐるみに名前をつけて、アテレコで人生相談していたなんて打ち明けたらなにを言われることか。
そしてこうも考えた。今までからかわれたぶん、ちょっとくらい仕返ししたって良いのでは?
「恋の相談をしていた、というのはあながち嘘ではなかったのでしょうけれど……ぬいぐるみに」
「ロザリー嬢にぞっこんなテッドにはクリティカルだったんだよ……」
どこか誇らしげに、恥ずかしそうに。好きな子にそんなこと言われたテッドは。
泣き出したのだ。
嫉妬と悔しさと羨ましさでもうぐちゃぐちゃになってしまったのだろう。恥も外聞もなく、人目を気にせずにテッドは泣いた。
さすがに泣かせるつもりはなかったロザリーは罪悪感に襲われた。言葉を探しているうちに「……そうか」と言ってロザリーから去ろうとするテッドのジャケットの裾を咄嗟に掴んでいた。
……あなたのことですわ。
消え入りそうな声でロザリーが言った。精一杯の、勇気を振り絞っての告白だったろう。
ただし、失恋した(と思っている)テッドには逆効果だった。純粋でかわいらしかった彼女は、いつのまに手練手管で男を惑わすようになってしまったのだろうと絶望した。
下手な慰めも、嘘もいらない。
一世一代の告白を切り捨てられたロザリーは、瞬時に頭に血が上ってしまったのだ。
テッドのために頑張って会話の練習をして、テッドのために化粧を覚え、お洒落だってしてきた。
すべてはテッドのためだったのに。そのあなたが、わたくしを捨てるの。
テッドだって努力をしてきた。内気なロザリーの笑顔が見たいと話題を仕入れては話しかけ、一人では絶対に応じないだろうとロザリーの友人に頭を下げ、友人にも頼んで一緒にデートに行ったりもした。
そんな純情を嘲笑うようにロザリーがすでに女になっていただなんて。
酷い言葉で傷つける前に、綺麗なロザリーだけを覚えていたかった。
テッドに振り払われたロザリーは、タックルのようにテッドに抱き着いた。完全に不意を突かれたテッドは勢いを止められず、そのまま床に倒れこむ。ロザリーが怪我をしないように咄嗟に抱きかかえたのは男の意地だった。
真っ赤な顔のロザリーは額に汗さえかいていた。化粧が崩れるのもかまわずに泣きながら、テッドに顔を近づける。
ダンスパーティーの最中。
ロザリーとテッドの友人だけではなく、まったく無関係の男女が集まっていた。
場を盛り上げる素晴らしい音楽も流れていた。
そんな中での公開キス。
残念ながらロザリーとテッドが思い描いていたファーストキスとはかけ離れていたが、ムードだけなら満点である。
なんなら初々しくじれったい二人が進展したことに、ハラハラしながらなりゆきを見守っていた人々から拍手が沸き起こったほどであった。一歩前進どころかバンジージャンプであったが。
「本当に。ロザリー様ったら追いつめられるととんでもないことをするんですもの。テッド様、しっかり守ってくださいね」
「テッドもなぁ。想像だけで確認を怠って勝手に落ち込むから。ロザリー嬢、こいつのこと頼みます」
とうとう堪えきれず、友人たちが笑いだす。
どうやらこれは一生言われるやつだ。
ロザリーとテッドは真っ赤になりながら、「ハイ」とうなずくことしかできなかった。
タイトルとオチだけ先に思いついて、中身はさらっと考えたもの。あんまり膨らまなかった。