第7話 人馬
「ひいいぃぃぃ助けてー!」
必死の形相で叫ぶ人馬の男。
「ひいいぃぃぃ!」
メイネも、その恥も外聞もない逃げ姿に驚いて叫ぶ。
もし追ってきているのがあの化け物だったらと思うと気が気でなかった。
まだ十分に備えられていない。
今出くわせば間違いなく死ぬだろう。
メイネは死ぬことすらどうでもいいと思いながら、いざ死にそうになるとビビるらしい。
緊張し唾を飲む。
何が出てくるのかと、一切視線を逸らさず人馬の後ろを見つめる。
人馬に迫ろうとする魔物が近づいてきて、メイネが目を見開いた。
まだ飛び出してきていないにもかかわらず驚いたのは、木陰に隠れきれていなかったからだ。
そして飛び出してきたのは、体高三メートル近い巨大な虎。
破壊虎と呼ばれる魔物で、上顎から伸びた二本の犬歯は、歯というより大剣と言った方が近い。
ウナギ裂き包丁の様な形状でそれよりも太く長い牙は、獲物を切り裂き骨ごと砕く為の必殺の武器。
青みがかった灰色の毛並みの、猛々しくも美しいその姿にメイネは口をぽかんと開けて見入ってしまう。
「そ、そこの厳ついフルプレートの人! 助けてください! お礼は出来ることなら何でもっ!」
メイネがぼけーっと見ていると、人馬が慌てて捲し立てる。
アレボルはアンデットでありメイネこそがその主なのだが、そんなことは露も知らない人馬がアレボルに助けを求める。
人馬には、子どもの魔戦狼人よりアレボルの方が頼もしく見える。
その声でハッと我に帰ったメイネ。
裂け目から現れた化け物に敵うかはわからないが、アンデット化していない狩竜では束になっても無理だろう。
とてもアレボルが勝てる様には思えない。
しかし、やってもらうしかない。
何故なら今も人馬の男が涙と汗を撒き散らしながらメイネたちの方へと破壊虎を引き連れて走ってくるのだから。
「アレボル、何とかしてっ!」
メイネが懇願した。
正直どうしようもないのではと思う。
半ばやけくそで叫んだだけだった。
しかしアレボルはその声に首肯を返すと消える様に移動して、人馬と破壊虎の間に立ち塞がる。
それを見た破壊虎が前足で踏ん張り急制動をかける。
尋常ではない膂力は、破壊虎の速度が落ち切るまで地面を抉った。
図体に見合わぬ軽快さで後ろに飛び退いた。
超重量の体を支えているだけあって、四肢の発達も尋常ではない。
破壊虎がアレボルを睨みつけ、低く唸る。
「警戒してる……?」
メイネにはそう見えたが、巨大な破壊虎が警戒する必要はあるのか疑問だ。
アレボルは人にしては大柄だが破壊虎から見れば幼子の様なものだろう。
だというのに退がったのだ。
「あの方大丈夫なんですかね?」
「知らないよ。おじさんが押し付けたんでしょ」
「お、おじさんて……僕まだ今年で二十歳なったばっかり何だけど」
今更アレボルを心配する人馬に辛辣なメイネ。
ただでさえメイネはここ最近の経験で人間不信に陥っている。
この人馬の第一印象は最悪だ。
黙ってアレボルと破壊虎に注視する。
先に動いたのはアレボル。
警戒する破壊虎を意に介さず、ズシズシと前に出る。
それを隙と見たか痺れを切らしたか。
破壊虎が襲いかかる。
強靭な前足の爪が日差しを反射し怪しく光る。
しかし前足が届くかに思われた時、既にアレボルはそこにはいない。
力比べでは分が悪いと判断し、懐へ移動。
後ろ足の膝を、両手を組んで殴り付けた。
破壊虎は後ろ足を浮かせて衝撃を和らげると、二本の前足を軸に半回転してアレボルに向き直る。
膝を落とし姿勢を低くすることで懐に入られない様に身構える。
そして顎を引くと、次は勢いよく顎を振り上げた。
すると二本の犬歯の軌道上から何かが放たれた。
「ええっ!?」
「魔術っ!?」
メイネと人馬が同時に声を上げた。
魔物とは、人以外で魔力を扱える存在の総称だ。
しかし魔物が魔術を行使するかと言われれば、それは極めて稀なことだった。
生涯でそれを目にした者など極僅かだろう。
空気を切り裂き風の刃と化した斬撃がアレボルに迫る。
アレボルは横に転がって避けたが、破壊虎は追撃を仕掛ける。
重い前足の一撃がアレボルを捉えた。
アレボルが前足を押し返そうと両手を伸ばして抵抗する。
互いがぶつかった瞬間、凄まじい威力の衝撃が迸り、アレボルの足元の地面が凹んだ。
その衝撃は周囲にまで伝播し、メイネの長い黒髪が風で持ち上がる。
更に破壊虎は顎を上げた。
身動きのとれないアレボルにその犬歯を突き刺す。
「っ!?」
アレボルの胴を貫き、犬歯が根元まで深々と突き刺さる。
メイネが口を押さえた。
人馬もビビっている。
しかしアレボルはアンデット。
アンデットを倒す何らかの手段を持ち合わせていなければ、倒れることはない。
何の痛痒も感じず、通常の生命と同じ方法で活動を維持しているわけではない。
アレボルがメイネに顔を向けて何かを伝えようとしている。
「?」
しかしメイネはいまいちピンとこない。
「一緒に戦って欲しいの?」
ブンブンとアレボルが首を横に振る。
「他に私にできること……」
思案を巡らせる。
「あ、魔術とか?」
ブンブンとアレボルが首を縦に振る。
グダグダしている間に、破壊虎が犬歯を引き抜き今度はアレボルの胸に突き刺した。
「治して欲しいってことだよね」
チラッと人馬の様子を窺う。
死霊魔術を使うところを見られるのはまずい。
「おじさん後ろ向いて耳塞いでて!」
「ええ、なんで!」
「いいから早くっ! してくれないとおじさん囮にして逃げるから!」
「わ、わかったから物騒なこと言わないでください!」
人馬が振り返り耳に手を当てたのを確認して、メイネは小声で呪文を唱える。
「死霊修復……」
ボソッと呟かれると魔術が発動し、アレボルが紫黒色の光に包まれる。
すると、いつもとは違うことが起きた。
球体の中でパキンッと音が鳴ったのだ。
光が引くと、そこには砕けた骨が再び繋がったアレボルの姿と、片方の犬歯が根元から折れてしまった破壊虎の姿。
「なにがあったの……?」
光の中でアレボルが位置を調整して、修復箇所と破壊虎の犬歯の位置を重ねた結果、修復に巻き込まれた犬歯が折れた。
死霊修復の力の強度が、破壊虎の犬歯の高度より高いということ。
ただしメイネには何が起こったかさっぱりだったが。
自慢の犬歯を折られて破壊虎が仰け反る。
隙を突いたアレボルがいつの間にか跳躍していた。
その手には、折れた犬歯が。
両手で底と背を掴んで振りかぶる。
体を捻り全身の力を使って、犬歯を破壊虎の首に叩きつけた。
肉を抉り骨が断たれる不快な音と共に血飛沫が舞う。
犬歯が首の半ばまで食い込み、激痛に破壊虎が咆哮を上げる。
破壊虎が、最後の力を振り絞り命を燃やして、犬歯から手を離したアレボルを叩きつける。
地に体を打ち付けてバウンドしたアレボルに喰らい付き、そのアギトで鎧ごと骨を砕いた。
破壊虎が体に力を込める度、その傷口から血が吹き出すが気にも止めなかった。
破壊虎の口から、分断されたアレボルの上半身と下半身が転がる。
宿敵の最後を見届けた破壊虎は、それきり動かない。
威風堂々たる死に様だった。
「死霊修復」
決着を見届けたメイネが再び声を潜めて魔術を唱える。
忽ちアレボルの分断された体も元通りになったが鎧はそうもいかない。
砕けた鎧の隙間から、骨が見え隠れしてしまっている。
これを人馬に見られる訳にはいかない。
そしてもう一つ。
メイネが破壊虎の亡骸に目を向ける。
是非とも仲間にしたい。
しかし、これも人馬に見られるのはまずい。
「この人馬邪魔だなぁ……」
律儀に背を向けて耳を塞ぎ続けている人馬の背中にぼやく。
「まあ、適当に誤魔化せばいっか」
何だかよくない考えをしていそうなメイネだった。
メイネが人馬の男をつつく。
「うおぉっ!?」
人馬は状況がわからない中、急に体に何かが当たり、驚きの余り飛び退く。
「終わったよ」
そう告げるメイネを見て、ほっと安心して脱力する。
だが、メイネの背後にいるものを見て絶句する。
四本足がガクガクと震えていた。
「う、後ろっ!? まだ生きてます!」
メイネが気づいていないと思い叫ぶ。
破壊虎はどう見ても瀕死の重傷を負っているが、まだ動いていた。
慌てふためく人馬を見てメイネは、
「あ、この子のこと?」
と破壊虎を撫でる。
「何やってるんですか!? 危ないですよ! 早く逃げて!」
小さな少女が魔物に食われる様を想像して人馬が声を荒げる。
対するメイネはジトっとめんどくさそうに見ていた。
「この子とは仲良くなったから大丈夫!」
うりうりと顎を撫でると破壊虎がお腹を見せる。
「「え?」」
その反応に人馬は当然ながら、メイネまで驚いていた。
アンデットは時に主人の意向を汲み取りもするが、それは空腹を訴えた時等、重要度が高いことの場合だけだった。
ルウムは撫でても反応しなかったから、アンデットとはそういうものだと思っていたが、どうやら違うらしい。
巨大な図体だが可愛らしく白いお腹をくねらせている。
首の傷口が痛々しすぎることを除けばとても微笑ましい光景だ。
「ほ、本当に手懐けたんですか……?」
人馬はそう言って恐る恐る破壊虎を撫でると、尻尾で吹き飛ばされた。
「すごい……」
顔に土と葉をつけた人馬が戻ってくると、何事もなかったかの様に感心している。
「こほん」
注目させるためメイネが態とらしく咳払いを一つ。
「それで、おじさん言ってたよね?」
「何をですか?」
きょとんと人馬が小首を傾げる。
その間抜け面にメイネがぷりぷりと怒りを募らせる。
「お礼っ! できることなら何でもするって言ってたよね!?」
人馬の肩にギクッと力が入る。
「言ってませんね」
目線を晒し下手な口笛を吹く。
「サブレ、食べていいよ」
するとアンデット化した破壊虎が起き上がり、人馬に近づく。
「サブレってその破壊虎の名前ですか!? 汚いですよ!」
「汚いのは嘘ついたそっちでしょ」
論破。
二十歳の大人が少女に正論で殴られる。
じりじりとサブレが距離を詰めた。
「分かりました! しますよ! なんでも!」
「初めからそう言いなよ」
メイネは満足気に頬をもちっとさせる。
「認めたんだから止めてくださいよ!」
サブレは尚も近づき続けていた。