第6話 邂逅
「ちょっと、無理かも」
メイネの瞳に青い炎が揺らめく。
今裂け目から現れている新たな化け物が蜃気楼の類ならどれだけいいか。
熱気で思考も鈍りこのまま意識を手放してしまおうとしていたメイネの側に奇竜と狩竜が集った。
狩竜がメイネを両手で抱えて駆け出す。
骨のアンデットたちが積み重なり形成されたトンネルで、炎を掻い潜る。
だがそのトンネルを半ばまで進んだところで、目の前の骨のアンデットたちが粉々に吹き飛んだ。
裂け目から逃げていたにも拘らず、化け物は跳躍してメイネたちの前に降ってきた。
逃げることは、叶わない。
そして、化け物の姿。
木々を超える大きさの、先の異形よりも更に巨大。
しかし体は枝の様に細い。
深海魚の様な頭部から生えた角も牙も、手の甲から生えたそれもまるで巨大な鎌のようだった。
あらゆるものを斬り裂く為だけに進化した、そんな印象を受ける。
「さっきのより、強い……」
経験が浅く強弱を測るのが得意でないメイネにも一目瞭然だった。
化け物が腕を振るう。
それだけで骨のアンデットたちは吹き飛び形を保てなくなる。
「あいつらにやられると、アンデットも死ぬ?」
ルウムの時は体の損壊が酷すぎたのもあるが、何かがおかしかった。
その何かを説明できる知識を持ち合わせていないメイネには違和感として感じ取ることしかできない。
次々と動かなくなる骨のアンデット。
無敵に見えるアンデットにも何らかの弱点があり、裂け目から現れる化け物はそれを突ける可能性がある。
「数だけじゃ勝てない……」
化け物もいつか疲弊するのなら数量で押し切れるかと考えていたが、化け物が腕を一振りするだけで数十体程のアンデットが倒される。
このままでは保って数分。
「もう一回狼化できれば……」
しかしあれは無意識に変化したしていただけ。
意識的に完全な狼化に成功したこともなければ、それに必要な魔力も残っていない。
それはメイネが一番よくわかっている。
けれどそれくらいしか思いつかない。
歯を食いしばり、崩れるアンデットたちを見ているだけしかできなかった。
「他になんか……」
眺めながらも考えていると、視界に何かが映った。
「ん?」
巨大な鎌の化け物に比べれば酷く小さな影。
目を凝らしてみればそれは人間の女だった。
十四、五歳くらいだろうか。
銀色の長髪をさらさらと靡かせ、サイドには細い紺色のリボンの結び目が見える。
銀と紺を基調としたプレートアーマー、ミニスカート、グリーヴを装備し、手には彼女の身の丈以上もある長い剣を握っていた。
その刀身は波打ち、揺らぐ炎の様。
腰の辺りで構えていたその剣が発火する。
鎌の化け物に飛び込んだ勢いそのままに、長剣を薙ぐ。
更に薙ぎ払った力の流れに身を委ね、舞う様に回転。
それを繰り返し複数の軌道を描く炎の斬撃が放たれる。
少女は鎌の化け物の手先から胸部へと、一切止まることなく突き抜けた。
彼女の軌跡を化け物の血飛沫が彩る。
少女が軽い身のこなしで着地すると、化け物の絶叫がこだまし巨体が倒れ伏す。
「すごい……」
人間は魔戦狼人と比較すれば弱い種族の筈だ。
それがどうしたことだ。
メイネが脅威に感じていた鎌の化け物を一瞬で屠ってしまった。
メイネにはまだ知らないことだらけだ。
世界の広さを思い知らされる。
少女は周囲を一瞥し、メイネを見つける。
「魔戦狼人の女の子……?」
少し吊り上がった目尻と細い鼻筋に薄い唇。
凛々しく端正な顔立ちの美少女に見つめられ、メイネは緊張してしまう。
「今、助けるから」
少女が急にそう言ったが、メイネには意味がわからなかった。
そして次の瞬間、女が剣を横薙ぎに振り払うと、炎で形作られた巨大な刀身がアンデットたちを焼き尽くした。
「え……?」
メイネを抱えていた狩竜が両断され、メイネが地を転がる。
何が起きたのか一瞬理解できなかった。
少女がメイネに駆け寄って体を起こし抱きとめる。
「もう大丈夫だ。私が家まで送り届ける」
メイネを安心させる様に少女が言う。
だがその優しい声音も、メイネの耳には入らない。
助かったと安堵した途端、少ない時間だが共にしてきた奇竜たちも狩竜たちも皆倒されてしまった。
この銀髪の少女もアンデットを倒しうる力を持っているらしい。
メイネの命だけは助かったがそれ以外の全てを失ってしまった。
これで、ひとりぼっちだ。
「なんで、殺したの……?」
「? 魔物は人に危害を加えるなら殺す。アンデットは、滅ぼさなければいけない」
強い喪失感で半ば放心状態のメイネ。
対して少女はキッパリと言い切る。
強い語気と厳しい目つき。
ドクンッとメイネの心臓が跳ねる。
死霊魔術師となってしまった自身を否定された気がしたから。
味方だと思った少女は、そうじゃなかった。
村の人たちと同じだ。
みんな私のこと嫌いなんだ。
私の居場所なんてないんだ。
そんなことを考えてしまう。
「離してっ!」
「っ!?」
メイネが力一杯少女の手を振り解いた。
予想もしていなかったのか少女は驚いて手を緩めてしまった。
地を転がったメイネがふらつく足で立ち上がり、少女に背を向けて歩き出す。
「待っ……」
「ついてこないでっ!」
手を伸ばそうとした女に、メイネは振り向きもしないまま怒鳴る。
メイネは片腕を抱え脚を引き摺りながら、森の奥へと踵を返す。
青黒い炎の牢獄の中に、どうすればいいかわからず立ち尽くす少女だけが取り残された。
「一体だけでもアンデット作らないと」
メイネは歩き続け、倦怠感が伸し掛かり意識が朦朧とする中、それだけを考えていた。
森の中で護衛もなく倒れてしまえば魔物に襲われ、次目覚められるかも定かではない。
今のメイネでも倒せる魔物はいないかと考えていたところで、ふと先の戦いで自分のしたことを思い出す。
「土の中には、死体がたくさん埋まってる? それなら……」
一か八か、地面に手を翳す。
もう片方の手には魔導書が開かれている。
どれだけ意識してみても、知覚することはできない。
それでも。
「お願い! 死霊覚醒!」
魔導書が輝きを放つ。
残された魔力を余すところなく吸い上げられ、メイネがドサッと倒れ込む。
そして地中から幾条もの紫黒色の光が溢れ出した。
これまでとは比にならない程の眩い光は天まで立ち昇り、暗雲を貫く。
光に押し上げられる様に大地が隆起し亀裂が入る。
地を割って這い出したのは、錆びた全身鎧を着込んだ大柄なアンデット。
アンデットは倒れるメイネをじっと見つめて抱える。
メイネから危機意識を強く感じていたアンデットはメイネを森の奥へと運んでいった。
丸々三日眠り続けたメイネが目を覚ます。
「んん」
まだ眠り足りないのか、寝ぼけ眼を擦る。
そしてメイネの側に佇むアンデットが視界に入り、目を見開くと座ったままズズッと距離をとった。
「誰っ!?」
目覚めると知らない大人がいた。
メイネからすれば恐怖でしかない。
誰何の声を受けてアンデットが兜を外す。
顕になったのは人間の頭蓋骨。
眼球がない筈だが、眼窩に宿る赤い輝きにメイネが気圧される。
「アンデットだったんだ。そういえば倒れる前に魔術使ったんだっけ。あ、もうそれ被っていいよ」
朧気にだが眠る前の出来事を思い出す。
ちょっと怖かったので、直ぐに兜を着けるよう促した。
「この人強いのかな?」
次に問題なのはメイネが眠っている間、無事に守り抜いてくれた様だが、鎧のアンデットの力はどの程度なのか。
「後で私でも倒せる魔物が見つかったら戦ってもらお」
安全マージンをとって鎧のアンデットが負けても大丈夫な方法で確認したい。
鎧の正体がアンデットだとわかり気を緩めたメイネが、ぐぐーっと伸びをする。
「ルウム……」
目尻に涙が溜まる。
昨日のことを思い出してしまった。
「もう、いないんだ……」
前みたいに目覚めたら側にいてくれるんじゃないかと淡い期待を寄せていたが、それは叶わなかった。
パタリとその場に倒れて動かなくなる。
「なんか全部どうでもいいや」
無気力。
殺されそうだったから逃げたし戦ってきた。
けれど、全てを失った今何のために生きているのかもわからなくなった。
二日間そうして川辺で寝そべり続けた。
「これからどうしよっかな〜」
漸く、気力が少し戻ったのか空を見上げて今後についてぼんやりと考えて始めるがなかなか思いつかない。
空は皮肉気に晴れ渡っている。
こんな日は曇っているくらいで丁度いいのに。
服も体と泥だらけの自分を見る。
「まず体洗いたいけど、服もちゃんと綺麗になるかな?」
くんくんと自分の匂いを嗅いで顔を顰める。
川で服も洗ってはいるが家を飛び出してきた時からずっと同じものを着ている。
水や食料は森でも確保できたが服はそうはいかず。
「村があれば服は何とかなると思ってたけど、戻ったらあいつがいるかもだし……」
浮かぶのは銀髪の美少女。
いきなり奇竜たちと狩竜たちを倒された時のことを思い出すと怒りが込み上げてくる。
ぷりぷりと怒りながら服を脱いで川に入り、体を清めた。
「そういえばあれ何だったんだろ?」
拭くものもないので自然に乾くのを待ちながら、化け物が出てきた裂け目を思い出す。
「村の外ってあんなことが普通にあるのかな?」
少し鎧のアンデットに目を向けるが、返事はない。
「また狙われるかもしれないし、倒せる様にならないと」
でなければ、またアンデットたちを仲間にしても奪われてしまう。
頼れるものがない以上、生きていくのならメイネ自身の力で退けるしかない。
「アンデットの数増やすのと完全な狼化できるようにもしないと。あと服」
当面の目標が決まったところで魔導書を見てみる。
「新しいのは増えてないのね」
メイネは短期間で一つ目と二つ目の呪文が現れたが、本来そうそう増えることはない。
パタンと魔導書を閉じ適当に放る。
手から離れた瞬間魔導書が消えた。
「もう何も思いつかないし行けるとこまで行ってみよ。だめだったらそれでいいし」
生への執着が薄れた結果、短絡的な行動に出てしまった。
まだ少し湿った服を着て、太陽を見て方角を確認。
魔戦狼人の村とは反対方向へと歩みを進める。
けれど銀髪の少女とは鉢合わせない様に。
鎧のアンデットがカシャカシャと金属音を鳴らせながらついて行く。
道すがら木の実を取って食べ、空腹を満たす。
「そういえばこれルウムが持ってきてくれたやつ」
メイネがお腹空いたと呟いた時、アンデットたちが集めた果実の中にも同じものが混ざっていた。
感傷に浸りつつ黙々と歩く。
「他の魔物たちには、名前も付けてあげてなかった……」
チラッと後ろを振り向き、鎧のアンデットを見る。
「呼び方あった方がいいかな」
うーん、と唸りながら考える。
「アレボルにしよ。いい?」
錆びた鎧のアンデットは軽く頷く。
「じゃあ決まりね」
それから暫くすると、アレボルが急に横を向いて立ち止まった。
少し進んで、アレボルが付いてきていないことに気づいたメイネが戻る。
「どしたの?」
メイネもそちらに目を向けるが、木々が見えるだけだ。
そう思っていたら、何やら音が近づいてくる。
「ひいいぃぃぃ助けてー!」
情けない声を上げて飛び出してきた。
馬の体から人間の上半身が生えた姿。
人馬と呼ばれる種族の男だった。