二階に潜伏
かりんさんは『好きに使え!』と言っていたが、柳川一人で住んでいる借家でも他人様の家であることには変わりない。何度も溜息が出てしまう。
弱気になっているというより、絶望している。
地球人・柳川が「んふ」と、少し笑った。なにが可笑しいんだと顔を上げると、天井を指差して「2階、使ってないんです」と半笑いで言った。
「この家の2階を、まるごと?」
「ええ。好きに使ってください」
扉を開けてトントン階段を登っていく柳川に、僕はトコトコついていく。3部屋あるが本当に使っていないらしい、最初の1つはガランとした空室。
次の部屋は、なにがしかの作業部屋?机が1つと、いくつかのスチールラック。ドリルやノコギリ、電動らしき工具や刃物に工具、瓶やスプレー缶の塗料などが、薄暗い部屋に雑然と詰め込んであった。様々雑多な素材の板や箱やチューブなどを棚に並べたり、壁際に積み上げたり、ぶら下げたり、籠に放り込んだりしてあり、結局なにをしようとしているのか見当もつかない。
作りかけなのか完成品なのか、スチールラックに並んでいるものは意味も正体も不明瞭なものばかり。それこそ普通の人ならば、この男こそ宇宙人で、そのアジトなのだと言われたら納得してしまいそうな部屋だ。
この小型のエンジンのような機械はなんだろうか、見るからに危険そうな道具に接続されている。
最後の1つが一番広い部屋。この部屋だけはカーテンがかかっていて、廊下から明かりに照らされてはいるが真っ暗闇だ。手探りでリモコンを探す気配があって、ピ!という音と共に天井のシーリングライトが丸く光った。
ベッドが1つ、ストーブ1つある。
「ベッド?」
「使ってないんです。やはりここが良さそうですね」
ベッドにストーブ、この時点で旧アジトの設備を凌駕した。
唖然としているうちに4往復で段ボールが運び込まれてくる。慌てて手伝おうと下に降りると最後の1つを持ち上げていた。僕はスーツケースだけ持って足取りも重く階段を登り、部屋に戻る。
ひと気がないせいで肌寒かった部屋に、いつの間にやらストーブが点いていて、ほんのり暖かくなっていた。何故だか安心する。
今日からここがアジトになった。
と……決めても良いのだろうか?
「では、御説明いたします」
「はいっ! ……今から?」
柳川が「そこ座って?」とベッドを指差してから、「よっこらしょ」と向かいに座ったので、言われるままに腰を下ろす。
「ソフトウェア開発の会社でアルバイトしました。毎日が楽しくって、私は夢中になってしまった。それが、いけなかったのかな?」
「そこからか。いけなかった?」
「学校に行けなかった。納期前に参加してソフトを制作、泊まり込みで作業をしていました。経験豊富で個性的な先輩方が多数在籍していて、私も若かったからね、とても良くしてもらった。バイト料にしては高額だったし、完成したソフトが賞をいくつか貰って飲み屋でどんちゃん騒ぎ……あの頃は楽しかった」
「どんちゃん騒ぎは楽しそうだ」
「そのうち、学校から呼び出された。でも忙しくってね。進級試験を何度も何度もスッポカシて高校生活は中断、両親に勘当を言い渡され、そのまま就職しました。色々あって退社することになりましたが」
「あ、これは高校生の頃の話なのか?」
「お酒は子供の頃から嗜んでいました」
笑って話しているが、珍しい人生だ。
順風満帆、という印象は無いが……。
「日本人で中卒は珍しいだろう?」
「貴女と同じぐらい、17歳から5年弱です。退職してフラフラしているうちに、今の会社に流れ着いた。うちの社長さん、お若いでしょう?私と同世代で以前から面識がありました。あの頃はプログラマーが不足していて」
「プログラマーだったのか」
「元々はプログラム、演奏はできませんが音楽の入力をしていた時期もあります。あとは工作関係、筐体の作成やイベント用の衣装作りです。半分は趣味、半分仕事みたいなもので、どれも中途半端ですが小さい会社では重宝される、私は何でも屋なのです」
「彩色は?」
「今はね、かりんさんが勝負時。なかなかにして難しい世界だそうで単発での掲載が多い、評判次第では月刊誌で連載を持てるそうです。彩色する余裕がないので、お手伝いしています。思いのほか時間がかかる、今度は暇潰しにやってたテキスト整理に、手が回らなくなってしまった」
「それで募集したのか」
「以前、お手伝いしていた印刷会社が、御好意で求人欄にねじ込んでくれました。掲載日を把握していなかったし、本当に来てくれる方がいるとは考えていなくて。初日は失礼しました」
「印刷会社、さすが何でも屋」
「自転車どころか一輪車で操業してます。これが私の経歴です」
説明というのは、地球人・柳川の経歴だったのか。
いかがわしい会社で淫靡なイラストをせっせと塗る変人、という評価に変更点はないし、少々どころではない様々な問題を抱えているのは事実としても、だ。
今の話を聞いた限り、エロゲー会社で裸の女を塗るのは一時的な仕事、なんでもソツ無くこなす多才な人で、そうして食い繋いできたという印象。
好印象は、ない。
それはともかく。
「なんでまた、突然そんな話を……僕に?」
地球人・柳川は腕組みをすると、「うーむ」と、ひとつ唸ってから「言うべきか言わざるべきか言うべきか言わざるべきか」と何度も連呼して自問自答を繰り返しはじめ、口からそれが漏れている。これを自問自答と言えるのかどうかは微妙なところだが、悩みに悩んでいるのはわかる。
そのまま5分ほど経った、退屈してきた。
携帯端末を開いて確認するが、新しいメッセージはない。溜息をついて閉じた、パタンという音に反応したらしく、最終的に決然として言い切った。
「やはり言うべきですか」
自身の経歴を並べた理由を尋ねただけなのに、そこまで悩む必要のあるものか?ここまで一方的に不利な状況で、それこそ無理無体な要求でもされたなら困るが、それを押し通されても反論できないほど弱い立場にある。
僕にも交渉の余地があることを祈ろう。
「これは私の意思では無いことを、お含み置き頂きたい」
「はい」
「ここは私の家ですから、家賃は引き続き私一人で支払います。ここに住む限り、負担は不要です。アルバイトを続けていれば生活費もできる。後に残るのは戸籍の問題ですが、これだけは一挙解決とはいきません」
「それは、そうか」
「ですが、かなり有効な手段があるそうです」
「あるんだ? ……願ってもない朗報だよ!」
衣食住の大部分をしめる住居と水道光熱費の出費が無ければ、生活資金の捻出ができる。加えて戸籍などの公的書類を入手できる有効な手段があるなら、このまま地球での生活を続けられる。
さらに60年、腹部の機密を守り通して、地球人として何食わぬ顔をして生きていくことも、今の状況を考えれば多少の苦労としか思えない。
「ぜひ聞かせてくれ! ……その手段とは?」
「婚姻届を提出し、法律的に夫婦となること」
「その手があったか! ……え?! 誰と?」
「私との結婚です」
「 そ れ は 願 っ て 無 か っ た ―― ッ !! 」