拠点の移転
「只今戻りましたー。おや?まだ仕事中ですか」
かりんさんを家に送り届けて分室に戻った地球人が、玄関に残っていた僕の靴を見て驚いている。ここまでは両手で作業できたので効率が良かった。名残惜しいが左手を机の下に突っ込む。
ガチャリと扉を閉じて、そそくさと自分の席に戻って作業を再開しはじめたが、やや暫らくしてモニターを見たまま話しかけて来た。
「今の挨拶は僕以外の誰に向けて言ったんだ……」
「すでに夜7時です、お帰りになったほうがいい」
「そちらが帰宅すると言うなら、止むを得ないが」
「まだかかりそうですか?」
「せめて2時間はやりたい」
「学生さんを長時間労働させて社長に怒られるのは私です」
「僕は宇宙人で、女子高生は仮の姿なんだ」
「その設定を社長に伝えたら、それこそ私が大目玉ですよ」
どうせ明日は学校を休むつもりなのだ。最後の通信からすでに5日、碌に睡眠も取れずにいて体調よりも先に体力的に無理がきている。ここで真っ先に切り捨てるべきは、金を払えと要求してくる学校だ。
母星から活動資金が振り込まれずに、僕は生活に困っているのだ。お金をくれる短期のアルバイトを優先してなにが悪い。
「歩合じゃないから頑張っても効率悪いでしょう?携帯料金のためならまだしも、家賃までは到底届かないだろうし。寮?民営の、女子寮のような形態ですか?」
「時給で作業をしているのは僕の勝手で余計なお世話だ」
腹が立ってきた。
なんと説明すれば納得するんだろう?
この地球人は理解力が足りない。どうせ曲解するなら、かえって好都合だ。説明して発散するのも悪くない。作業中の箇所に※印を入力して保存、指示書にもペンでチェックを入れて「パチン!」と音を立ててペンを置き、作業を一時中断。
椅子をギーっと下げると、こちらを向いた。
「母星では6歳で成人を迎えるから、それまでに就労先を選択するんだ。僕は地球でテレビやラジオから情報収集して、母星に伝える仕事に就いた。それが10年前だから、ここ地球では就学児童の年齢だろう?周囲に溶け込むために通学しながら学生らしく振舞ってきた」
「その設定は一度聞きましたよ?」
「すでに連絡が途絶えてから5日目。宇宙人だと看破されなくても、地球人として戸籍の改竄や必要書類の用意などが継続して必要になる。母星に連絡して手続きを依頼していた。このままでは地球に潜伏していることも難しくなるだろう」
「一度、実家に戻って相談したほうが良いでしょう」
「移動手段もUFOなんて怪しげな宇宙船ではなかった、転送装置だよ。あちらが絶望的な状況では戻るに戻れない。もし戻れても宇宙空間に放り出されるだろう。そして……最後に届いた通信の内容が、これなんだ」
この地球人・柳川が、ずーっと携帯電話だと思い込んでいる端末を操作していると「女子高生の携帯ですか!」と、何故か僕の下着姿を見たときより興奮したのでムカッとしたが気持ちを落ち着ける。
もうこれで何度目かもわからない。
最後に届いたメッセージを開いて、渡す。
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惑星破壊爆弾デ 母星ハ爆発シ
数日後 消滅スル
満足ナ支援モデキズ スマナイ
コレガ 最後ノ連絡ニ ナル
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画面を見て、少し考え込んでいる。
「これは友達のメッセージ?こんな友達ばっかりなんですか?あぁ!こういうのが流行ってるのか。今どきの女子高生はスゴイ、私の頃とは随分と違った遊びをしているようだ。もう21世紀も目前なんですねぇ」
地球人・柳川は21世紀を心待ちにしている。
かと言って、どうもキリスト教徒ではないようなのだが。別に信仰してもいない宗教指導者の、生誕2001周年に対して、何故そこまで強いこだわりを持っているのだろうか。理解に苦しむ。
「地球人には難しすぎたか……」
「このメッセージの惑星破壊爆弾ってなんですか?数日後に母星が爆発。やっぱり地球は滅亡するんでしょうか?」
ヒョイと後ろから伸びてきた手が、携帯端末を取り上げる。
かりんさんは呆れ顔のままで画面を見た。
すぐに「……へぇ?」と口だけで笑った。
「馬鹿だねぇ、柳川。社会人でやっとこさ必需品になった基本料だぜ。携帯料金を支払える女子高生が世間にどんだけいるんだよ。こんなもんを持ってるなんてさ、地球滅亡よりも、よっぽど信憑性がないだろ?」
帰宅したのに、いつの間に来たのかと驚く僕に「忘れモン」と一言告げてから、お気に入りのマーカーセットをテーブルに置いた。椅子を乱暴に足で引いてドカリと座り、端末をいじる。
初めて使うにしては、躓きながらもテンポ良く操作していく。
「宇宙人が携帯っぽく作ったにしちゃ、よくできてる」と感嘆した。
「母星との連絡に使う通信機器だ。こちらの携帯電話に似せている」
かりんさんが「ふうむ」と少し思案顔になって、顔を上げた。
「宇宙人は事前に滅亡時期を知っている、つまり惑星破壊爆弾ってのは時限式か?それとも宇宙空間を飛んできてる?未来と通信できる……未来人か?」
「学生が携帯なんて生意気だなぁと思ってたけど、違うんですか?」
「未来人ではなく宇宙人だ。突然の連絡で詳しく知らされていない」
「私はPHS派です」
「PHSしか持ってねぇ柳川は黙ってろ!」
「だって、かりんさん……」
「肝心なハナシが、全然、進んでねぇだろ」
かりんさんが参考資料のエロ本を投げ付けた。
今、理解した。
2択の相談相手だったのに選択を誤っていた。
「当面の問題は?」と聞かれて、家賃の支払いと生活資金、それに戸籍上の問題と告げると「戸籍?戸籍や住民票は書き換えてねぇのか」と独り言ちた。
こちらで疑問を引き取る。
「この16年は丁度パソコン管理への移行期らしい。6歳でここに来て、6年間がスッポリ無いから紙の書類と整合性がない。役所の人が『おや変だな?』となれば連絡がくるから、それを報告して書き換えてもらっていたんだ。生活していく上で要求される書類もあるけれど、郵送してもらい『親に頼まれて持ってきた』言えば追及はされなかった、逆に褒められることもある」
「つまり改竄が完了したのか解らないのか……引っ越し荷物は?」
「僕は、身元や正体がばれたら逃げる必要があるんだ。多くない」
かりんさんは口元に手を当てて眉を顰める。ウーンウーンと唸りながら紙になにかを書き留めていたが、考えが纏まったのか立ち上がった。
アパートの押し入れを漁って、パソコンや機材の運搬用に用意してあった畳んだ段ボール箱をいくつか、それから柳川が出張に使ったと言いながらスーツケースを引っ張り出してきた。
「連絡は諦めろよ、気持ちが持たねぇから。週1確認ぐらいにして放置しておけ。短期間で一辺に終わらすのは無理、できるかぎり時間稼ぎが必要、そりゃ理解してるんだよな?まずは家賃のかからないところに引っ越して、直近で抱えてる問題を1つ1つ処理することに集中しろ」
「あ、はい。それは、もう」
「柳川ぁ、車出せ。宇宙人の拠点を移す」
「この髪の毛を塗り終えから上がります」
「その宇宙人の凄い恰好したカットをよ、来週描くぜ?」
かりんさんは、地球人・柳川に、一方的な要求を突き付けた。
だけど、これは僕にとっても聞き逃せない情報を含んでいた。
「やっぱりコレ、僕だったんじゃないか!」
「ここで恩を売っとけば報酬はヌードデッサンかもな?」
地球人は仏頂面で黙々と彩色作業を続けていたが、「後悔したくないだろ?」というかりんさんの言葉に、マウスを持ったまま、ゆっくりと立ち上がった。
かりんさんは打ち合わせ用のテーブルに攀じ登って、うつ伏せに寝転んだ。足をパタパタ交差させながらマーカーを一本取り出して咥える。腕組みしながら口角を歪め「わかるだろ?」と言うと、地球人は「それがなにか?」という顔をした。
小さい声で説明しはじめる。
「俺は仕事熱心だから、良いカットを描くために全力を尽くすだろうな?それこそ形振り構わず全力で。幸い、この仕事は通常ありえないポーズの要求も自由自在。この宇宙人のポッチが見える、全裸で開脚、そんな参考資料で十分すぎるチンケでお子様向けな状況じゃないだろうなァ……?」
「引っ越しの手伝いで、僕にそこまで過酷な要求するのか!服の着替えがないから選んだアルバイト先で、全裸になれと要求されるとは思わなかった!」
コロリと器用に仰向けになって、咥えると言うには深すぎる部分まで突っ込んでから……ヌルリと引っ張り出した。
柳川の手から大きめのマウスが落下して「ガッ!」という音が響く。
かりんさんは妖しい笑顔でニヤニヤこちらを見て。
「 こ れ く ら い ま で な ら は い る か な ? 」
……と、棒読みで言った。
「そんなポーズを取ったら僕が宇宙人だとバレてしまう!異物を挿入したらなにが起こるかわかったもんじゃない!地球の感覚でなにをしようとしてるんだ!いや、待てよ……すでに地球人の感覚とも違うはずだ!」
「俺ぁこいつで宇宙人を捏ね繰り回すぜ?それこそ、完璧だと思えるポーズになるまで延々となァ。柳川よォ。お前はその目でなにを見る?」
そこまで無関心に聞いていた地球人・柳川は、保存しているのかどうかも不明な作業中のパソコンの電源ボタンを迷わず押した。
この男は完全に正常な判断能力を失っている。メニューから「シャットダウン」を選ぶという正規の手順を踏まなかった。
危険極まりない行為に戦慄する!!
「こんな仕事をしてる場合じゃなかった!ボサーッとしてないで、今スグ引っ越しましょう!ヌードデッサンに熱中する……かりんさんの姿を見逃したら、どうしてくれるんですか!」
「そこに興味を持ったのか?僕は納得できないぞ!」
「よぉし、本日は作業終了、 撤 収 だ !! 」