女性漫画家
「そろそろ察しがついている頃合いと存じます、作業中は周りが見えず聞こえない人間なのです。それが元で人間関係に軋轢が生じて前の会社を辞職し、今、ここでエッチなイラストを真剣に彩色しています。この珍妙な形状の制服が理解できず、行き詰っていた真っ最中に、サンプルが届いた。ああいった行動に出ても、なんら不思議はないでしょう?」
「僕はならない」
「では謝罪の意味で、これを」
ケーキ屋の箱が出てきたので、開く。
ドーム状でクリーム色の物体が1つ。
これは、女性に襲い掛かって衣服を奪い取るという落花狼藉に及んだことへの、謝罪に相当する価値があるものなのだろうか?この地球人に社会規範を求めている僕が、いけないのだろうか。
「現状、この付近で一番美味いカスタード系のケーキ店の逸品です。硬すぎるほど焼き締めたタルトに、絶品のカスタードクリームをドーム状になるまで盛り付け、キャラメリゼして形状の崩壊を防いでいる。ラム酒は少量入っていますが、店主は未成年でも問題ない程度と言っていました」
「……美味だ。それにしても、よくもまぁこうも次々と」
「ケーキ探訪は足で稼ぐのが重要なのです。どんなにおいしいお店も、数年以内に味が落ちてしまう。その理由はわかりますか?」
「知りたくもないよ、そんな裏事情」
「店の評判を稼ぐために、当初は赤字覚悟で最高の材料を使います。ケーキ屋さんの宣伝のようなものですね。そして、徐々に高価な材料のグレードを下げていく。本当においしいのは最初の1週間だった、そんなことも少なくないのです」
本当にくだらない知識だ。
地球人め……。
「この店舗は?」
「正式オープンから2日ですね」
視線を下げると、ゴミ箱に同じ箱がある。
「オープン初日も行ったのか?」
「看板を装飾している姿を、移動中に見掛けたんですよ。設備が新しいでしょう?焼き時間を調整する関係で試作を繰り返していると思って。仮オープン前に強引に交渉したのです。色々と試食して、これが一番でした」
「野放図な。情熱は認めなくもないが」
「折角の絶品をひとつ無駄にしました」
「かりんさんが食べたのではなくて?」
「仕方なく私が食べました」
この地球人は、不可解な行動が多すぎる。
何故こうまでして好きでもないケーキを探して歩くのか。
今日だって、自分用のケーキは買ってきていないだろう。
「それで……地球の爆発で会社が木っ端微塵、でしたか?」
「僕は別の惑星の公務員で、地球でも、会社でもないけど」
「細かい設定は置いておいて。地球にスパイ活動に来ているのでしょう?連絡手段が無くては困るって、ちゃんと御両親には相談しましたか?」
「その連絡先が惑星ごと消滅した。そろそろ家賃の支払い日だ……」
「それは大変ですね。つまり、携帯電話が未払いの状態で、仕送りまでストップ、ということですか」
「なんでそうなるんだ」
どうして気付かないんだろう。
本当のことをベラベラ喋ったはずなのに。
母星との相互通信が切れ、最後に届いたメッセージに愕然とした5日前。ひどく落ち込んだ僕に、「相談に乗りましょう!」と格好良く名乗り出た。あのときは、頼もしく見えたりもしたのだが。
この地球人は僕のことを、自分の知識に変換して解釈する。
彼は『仕送りでは生活費が足りないのでバイトを始めた高校生』と思い込んで、出した結論は「携帯電話の支払いに困っているのなら、親に相談すべきだ」というものだった。こんな調子だから本当のことをベラベラ喋って発散できる、そこは助かっているのだが。
いや、初日に制服を脱がされたのだ。
地球人と明らかに違う部分を、目撃された可能性もある。
もしかして、わざと気付かなかったふりをしているのか?
腹部に当てた左手に、ぎゅっと力を籠める。
ガチャリと扉が開いて女性が入って来た。「お疲れさーん」と言っている本人が一番お疲れなヨレヨレだ。「兼業でしたか?」と問われ「兼業ですよー」と答えていて、メイド服を着ているけど、家政婦と兼業しているわけではない。
どかりと座って、ケーキの箱を開ける。
「柳川、この箱カラッポだろ!糖分!」
「はいはい、ちょっと待ってください」
地球人がスタスタと席に戻っていく。
この地球人、姓は柳川らしいが、下の名前は知らない。
べたーっとテーブルに倒れた女性が原画担当者だ。普段は漫画家をしているらしいが、特に連載などは持っていないので、日銭はここで稼いでいる。
『分室』と呼ばれているアパートの一室は、これでフルメンバー。
「はいよ。かりんさんのは、こちらです」
「あー、悪ぃな。つーかコッチ?なんで俺は違う奴なんだよ!」
「これはカスタード系、かりんさんはフルーツが好きでしょう」
そう、この自堕落を絵に描いたような絵描きさん。それが面接日に襲われる予定だった、かりんさん。実際、持ってくるのが面倒だったという単純な理由で、その日はセーラー服を着て出社してきた。
柳川は、かりんさんのセーラー服姿をベタ褒めして、即、僕への興味を失った。それが放置された原因なのだ。尋常じゃなく屈辱的だった。
フォークの柄でガンガンテーブルを叩き、今や遅しと猛抗議。
そして、かりんさんは紙箱から出てきたケーキに息を呑んだ。
「らいほう、じゃ無ぇな?なんだこのイチゴの正体は」
「これは『あかねっ娘』、実家が栽培農家だそうです」
「確かに美味い。 ……うん。んむ、んむ。ありがと」
本人は職業柄なのだと言っていた、やさぐれている。
言葉遣いも乱暴、態度も横柄、全体にだらしがない。
「お2人がお付き合いしているという噂は」
「コイツと? ……俺が?」
「かりんさんと私がですか」
「 「 ないな、ない。 」 」
毎度のことながら息ピッタリで全否定だ。
「魅力的な女性だと思っていますよ。だから綺麗であってほしいとも思っている。だけど、かりんさん御本人は興味がないから、こうします!」
甘いものを食べているときだけは素直だ。今もケーキをまふまふと齧りながら、この地球人に髪の毛をブラシで整えられ、随所をピンで留められ、みるみるうちに完璧なメイド姿のかりんさんが完成していく。
「かりんさんのためにケーキを捜し歩くわけではないのか?」
「個人的な趣味です、私は好きじゃないから太る心配もない」
かりんさんがケーキを食べる姿は、子供っぽくて可愛い。
今も、ほっぺについたクリームを地球人が指で掬ってパクリと食べた。カップルでも人前でするのは少々気恥ずかしいと感じる人が大半だろう。いささか不適切と軽く咳払いすると、かりんさんは地球人をフォークで指し示しながら、この行動の説明を始めた。
「コイツは俺で遊んでんだよ、恋愛感情とか一切無いな。宇宙人に狙われるまで、このアパートで2人暮らしみたいに仕事してるんだ。でも身の危険を感じたことは一度もない! ……柳川、これなんだ?」
「いつものピンだけでは完成度がね。ハンドメイドのお店で見掛けて、似合いそうだと思い買い求めたのですが。宇宙人さん、これはなんと言うのですか?」
「知りませんよ、地球の装飾品なんて」
携帯端末を確認するがメッセージはない。
諦めて閉じる。
この『分室』という名のアパート。
かりんさんの隔離が目的で会社が用意したのだと、ふらりと立ち寄った社員さんが冗談めかして話したことがあった。
かりんさんの取り合いで、少ない社員の関係が絶望的にギスギスになったので、とりあえずの対策として物理的に距離を離した。だけど、かりんさんは人間が雑にできているので「柳川を寄越せ」と地球人を1名拉致したというのだ。
その話が本当ならば、ケーキと、掃除と、厄介事の防波堤が主目的だったと想像している。そうは言っても2人は仲が良いし可愛がり方は異常、かりんさんが出社すると途端に扱いが低くなって、こちらの質問には生返事ばかり、それは不満だ。軽くメイクまで始めたが、これは業務内容と一切無関係な行動だ。
……地球人め。
「それよりも。かりんさん、あのキャラクター!肩まであった髪が、僕と全く同じショートヘアになっていた。青かった目の色とか、顔かたちまで寄せてきて、一体どういうつもりだ!」
「彩色担当のモチベがあがるだろ?完成度まで上がった」
「サンプルが目の前を歩いてる、ペースアップしました」
「俺だってヒラヒラの服を着てるぜ? ……我慢しろよ」
「お似合いですよ、かりんさん。製作者冥利に尽きます」
2人共、『真面目に仕事に取り組んでいる、なにか御不満が?』という顔をしているが、僕と瓜二つのイラストをくまなく塗っていくのだから、地球人のモニターのなかでマウスカーソルが無遠慮に全身を撫で回している。これは現時点で完全にセクハラ行為だ。
しかも、数日中にセクハラどころじゃなくなる。
「工程表で確認したが、次のカットは、ほとんど全裸だ」
「サブキャラだからな。明日から全裸で働け宇宙人、コイツも喜ぶだろ?」
「携帯が止まっていたら助けを呼べませんよ?親御さんに相談すべきです」
「さぁ、糖分補給は終了だ。野郎共~、仕事に戻るぞ!」
「では皆さん、作業再開といきましょうか」
「ちょっと、かりんさん!勝手がすぎる!」
まったく地球人どもめ、とんでもない連中だ。そして、そのとんでもない感覚の連中が一生懸命作っているソフトは、18歳未満プレイ禁止……あたりまえだ。
地球で孤立し活動資金が枯渇しはじめているという、止むにやまれぬ事情はあるものの、僕は18歳未満の未成年で、女子高生として潜伏している。この『分室』でアルバイトを続けていて、本当に良いのだろうか ――――