憂鬱な分室
地球で勤務しているうちに、こんな事態に発展するとは思ってもみなかった。
母星からの連絡は、あれから4日も届いていない。人目を忍んで日常を過ごし、情報を送信していれば、12年後には母星へ帰還して悠々自適に生活できるだけの蓄えができているという人生設計だった、残り2年ほどだったのに。
僕の人生設計は滅茶苦茶になってしまった。
右手で携帯端末を開いて操作し、確認する。新しいメッセージはない。諦めて閉じて右のポケットに仕舞い込み、首だけ曲げて窓から見える空を見る。
「はぁ。空はこんなに青いのに」
左手を腹部に当てたまま右手でマウスを持つ、思わず溜息をつく。
この星に来て、もう10年。産まれて初めて見た時は、この『空が青色』という、あまりにも異常な風景に、頭がおかしくなりそうだった。
10年間、第三者的な視点で眺めていて理解したが、ここ地球の子供達は、両親に依存した生活を送り、60過ぎまで労働して、その後、年金を受け取るという。かなり呑気でロングスパンな人生を送っている。
同級生は2040年以後の余生を目指して、勉強に励んでいるわけだ。
地球人は、現在この星の人々が言うところの21世紀を目前にしていて、どこかフワフワした感じであり、宇宙人である僕の任期は、彼等が21世紀を迎える頃にバトンタッチして、以後は年金生活に移行する予定だった。
6歳でいくつかの選択肢から人生の進路を決める、それが母星ではあたりまえで当然そうすべきだと考えてきた。計画倒れに終わった今は、一生の進路を決定するには早すぎる年齢だったと思う。
僕の、永年勤続十年は。
積み立ててきた年金は。
文字通り星になった――
「どしたの?」
目の前の地球人が、手を止めてこちらを見ている。
「ある日、会社が地球ごと星になったと聞いたら。どうする?」
「不思議ちゃんごっこ?それは学校で流行ってる遊びですか?」
「未だ僕を不思議ちゃんと思っている、宇宙一の鈍感野郎だな」
地球人が「鈍感?」と首を傾げた。
どうして気付かないんだろう……。
「もしかして、恋の告白でしたか?」
「言葉どおりの意味で質問したんだ」
母星からの入金操作が滞りがちになり、食費に家賃、水道光熱費。生きていれば出費はかさむ。どうしたものかと悩んで、この弱小ソフトウェア会社でアルバイトを始めたのは、ちょっとした勘違いが発端だ。
事前調査では女子高生の場合、学校とは違う艶やかな制服を着てフランチャイズのファストフード店舗で接客等が一般的な小遣い稼ぎの手段となるようだったが、短時間でも不特定多数との地球人との接触は正体が露呈する危険もある。
なによりの問題は、店舗で支給される制服への着替えだ。
どうしたものかと悩んで、それとなく親しくもない級友に相談してみたところ、地元のフリーペーパーに求人欄があり短期アルバイトが多いことを教えて貰った。そのなかのひとつに「データ入力」という求人があったのだ。
学生の身分で活動している僕でも交渉次第で採用されるかもしれないと考えて、門、というか、アパートの扉を叩いたのだ。
その奥に独り座っていたのが、ひょろひょろ細長い地球人だ。
腕捲りしたYシャツにネクタイを締めて、神経質そうな顔つきに眼鏡をかけた、それこそ見た目だけなら社会人っぽい恰好をしているのだ。年は若いが、ちゃんとした人なのだろうと思ったのだ、思っただけだ、見た目に騙された。
普段からこの服装、ワンパターンなだけだった。
「セーラー服を着た女子高生と交際する趣味はありません」
「そうではなく! ……もういいよ」
学校指定の制服のまま、学校帰りに無警戒に立ち寄ったのがいけなかったのだ。唐突に襲われて制服を脱がされた。宇宙人だと見破ったのか、性的欲求を満たそうとしての行動か……どちらにせよ絶体絶命の状況に追い込まれたのだ。
僕には、地球人とは違う決定的な証拠が腹部にある。
なのに。
放心状態の僕には目もくれず、セーラー服を手に「これが欲しかったんです!」と叫んで、パーテーションの影に引っ込んでしまった。
恐る恐る覗き込んでみると、彼の異常な行動を目撃してしまう。
打ち合わせ用のスペースらしき場所で、テーブルに広げて、制服のチャックやホックの位置を丹念に調べ、半裸の女性を描いたイラストに書き込んでは唸る。
その、異様な後ろ姿を。
「僕に不埒な悪行三昧。よくもそんなことが言えたものだ」
「まるで変質者扱いです。一事を以て万端を知る、ですか」
「親御さんは職業を御存知なのか?エロゲー社員」
「当たらずとも遠からず、ソフトウェア企業と思っているはずですよ。勘当中の身なので、露呈したところで一周回って、勘当されるだけでしょう」
「かすってもいない、これは猥褻物だ」
僕は、前後関係もなにもない訳の分からないオノマトペだらけのテキスト群を、規則に沿い指示どおり整理していく。ゲーム進行に沿って呼び出されるのだから、この時点では頭のおかしな世迷言としか思えない。
目に付いた入力ミスは画面上では校正せず、指示書にペンでチェックを入れる。これは彼等が『一般常識』と認識しているアニメーションや特撮の非常識な台詞や設定だったり、単なる変換ミスだったり、学力不足に起因している誤解だったり、原因がまちまちだからだ。
仕事を始めた頃は、散々だった。
いくつか修正し事後報告したこともあったが、「常識だろ!」と一喝されたり、「こんなことも知らないのか」と長々と講釈を垂れたので、欠伸を噛み殺しながら懸命に相槌を打ったり、理不尽極まりない扱いを受けた。
ただの二度手間でうんざりした。
左手で腹部を押さえて、右手だけで作業する姿に違和感を持たれるのではないかという懸念もあったが、「ああ。そういう人いるよね」と杞憂に終わった。むしろ僕は見たことがない。キーボード入力は10年来のベテランで、片手で作業しても一般的な地球人を遥かに凌駕している。
ここは3人しか出入りしないので気楽だし、2人は古くからの付き合いとかで、仕事中は寡黙なのに、休憩中は仲良くイチャイチャ。それが気が散る、気に障ると思うこともあるにはあるが。
学校では多数の同級生と同室に詰め込まれていて、様々な要因で、異常者の如く理解しがたい手法での干渉を試みてくる。『分室』は遥かに居心地の良い場所で、業務内容に目を瞑れば安息の地だ。「これを逃してなるものか!」と熱心に仕事に取り組んだ結果、臨時バイトという不安定ながら一定の地位も得た。
そう。
業務内容にさえ、目を瞑れば。
彼はあられもない姿をした女性のイラストを、パソコンで丹念に彩色している。このセーラー服を着て二重関節にしても珍妙なポーズをとっているキャラクターを色塗りするために、あの面接の日に、僕は資料としてセーラー服を剥ぎ取られて、下着姿のまま『分室』に放置されたのだ。
まあ。
その後、「スカートもこちらへ」と言い出したところで正気に戻った彼の言い草は「……どちらさんですか?」だったので、さらに絶句したが。
「女子高生と付き合う趣味はないだと?それこそ良く言えたものだ。地球人と密室に閉じ込められていても、今はきちんとセーラー服を着用して作業ができている。まだしも救いがある」
「あんなに謝罪したのに、まだ許してくれないんですか。ですから、あれは人違いだったのです。かりんさんが持ってきてくれるって言ってたんですから……」
まただ、なにかにつけて、かりんさんの話だ。
人違いで襲われたことにも、無性に腹が立つ。