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プロローグ

「戻って来れたが遅すぎた、どうしたものか」



 もしも、この部屋に物取りでも入り込んだら、ほとんどなにもないのに、確かに何者かの潜んでいた状況に恐怖して、一目散に逃げ帰るだろう。通学前に挟んだ紙片の位置を2箇所、確認して、鍵を開け、扉を開く。


 アパートの一室を、窓から射し込む夕焼けが、壁と言わず天井と言わず、まるで塗り込めたかのように無遠慮に紅く染めている。この部屋にはカーテンすら無く、遮る手段がないのだ。思わず右手で顔の前を覆い、目を細める。



 左手は、ずっと腹部に当てている。



 慎重に2歩中に入って、視線だけ左右に動かして様子を窺う。侵入者はいない。扉を閉めて鍵をかけ、チェーンロックを押し下げる金属音、さらに追加で付けた鍵をカシャと施錠する。「ふ ―― 」っと長く息を吐くと、少しだけ安心できた。



 左手を、ゆっくり下げていく。



 少し落ち着こうと奥に進む。セーラー服を脱いで身軽になり、Tシャツを頭から被ると、多少はリラックスしてきた。

 マットレスの上から毛布をどけて腰を下ろすと、目の前には使い古したワープロと14型テレビが乗った簡単な卓袱台。他はバケツ洗濯機と、小さい電子レンジ。衣類やタオルなどの布製品、部屋の隅には無造作に古い型のファックスがある。

他は、皿とマグカップ、茶碗、箸とスプーンがひとつずつ。


 そして、やっと10部目になったカレンダーは1998年だ。

 予定を書き込んだことは、一度としてない。

 1日の終わり、日付けに斜線を引いてきた。


 精々、それぐらいだろうか?


 独り暮らしを始めたばかりでも、この数倍はあるだろう。なにしろここはスパイ活動の拠点、いざとなったら速やかに撤収する必要がある。これ以上は個人で移動することが困難だ。



「通信を確認しないと……」



 定時の連絡は入れているのに、ここ3ヶ月ほど返信は滞っている。この携帯電話型の通信機器が不調なのかと、その旨の連絡も入れているが、それだって同じ機械でしているから、届いているのかどうかは疑問だ。


 喫緊の問題は、活動資金の振り込みまで滞ったこと。


 急遽、資金調達の必要に迫られたが、その方面の知識に(うと)く、交流を避けてきた級友に質問したのが運の尽きだ。以来、すっかり打ち解けている……つもりらしく無駄に長いだけで内容も益も無い世間話に付き合わされて、アルバイトの時間を削られている。これでは本末転倒だ。


 それでも運良く見つけたデータ入力の短期アルバイトは、月に5万円ほどの稼ぎになるので、家賃だけは滞らない。ここまでの貯蓄分を切り崩して、生活費も補填できている。


 学校とアルバイト。

 どちらも、いつまで続けられるのだろうか。


学校は慈善事業じゃない、金を支払わなければ放逐(ほうちく)されるだろう。アルバイト先は慢性的に人手不足のようだが、会社側から丸ごとお払い箱にされる可能性はある、そこで働く人間には三者三様の問題があるのだ。


 それすら僕ほどではないと思えばこそ我慢できる。

 僕は異邦人なのだから。



「来てる!久しぶりだ……通信内容はなんだろう?」



 これ以上、悪い状況などありはしない。

 それでも祈るような気持ちでボタン操作していくが、小さなモノクロ液晶画面に躍った文章に、そんな淡い期待は脆くも打ち砕かれた。



「惑星破壊爆弾で母星が爆発? ……消滅。最後の連絡って」



 暫し茫然自失 ―――― 。


 なにかをするべき状況だと考えようとするものの、まるで纏まらずに空転して、眩暈に似た感覚と酷い頭痛に襲われた。

 咄嗟に腹部を左手で押え、眩しい斜陽を右手で遮ると、右手に持っていた携帯電話型の通信機器がマットレスの端に落ち、その先へさらに転がった。慌てて拾おうと身体を伸ばして、ようやっと腰から下の感覚がまるでないことに気付く。


 無様に転がり、奇妙な姿勢で天井を見上げながら、堪え切れずに目の端から零れ落ちてきた液体を手で拭う。


 相談……誰に?


 ここに同胞がいるという話は聞いてない。

 相談相手は、最後の連絡をよこしてきた。



「そうだ!バイト先の……ヤナガワと言ったか?」



 アルバイト先の2人は、妙なことに、妙に詳しい。


 こんな夕焼けの日には「セブンの8話を思い出す」から始まって、あの自販機は見たことがないとか、アパートで卓袱台を挟むシーンとか、赤い結晶の成分とか、あの異星人が来るのは遠い未来の物語……などと、熱っぽく話し合っていた。


 今まさに夕焼けに染まるアパートで、滲む視界で卓袱台の暗い裏側を見上げて、途方に暮れて虚脱している僕の前で。


 セブンがなにを指す言葉かは知らないが、なんらかの解決策、全部ではなくとも一部の方策、僕には思い付きもしない指摘。せめてヒントを提示するぐらいは期待できるかもしれない。



 幸いなことにタイムカードで管理され、入退出は基本的に自由だ。少し遅くまで働けば体裁は整う。慌てて制服を着込み、遅すぎる出勤に備える。


 玄関で靴の踵を踏んだまま手早く解錠して扉を開くと、思ったより冷気が入り込んだ。なんとか届きそうな位置に見えたカーディガンを手繰り寄せて片側羽織る。扉を閉めて施錠して。袖に右腕を通して、腹部に左手を当てる。



 ハッ! ……として左右を確認する。



 長かった影は消え始め、夕間暮れに近づいていた。暗がりが多くなっていたが、人の気配は無い。切迫していたのか不用心だった。必ずドアに挟んでいた紙片は、どこかへ飛んでいってしまったようだ。


 一抹の不安がよぎる、部屋に戻って紙片を用意するのは短時間で終わるだろう、それをするほど気持ちに余裕がない。転げる様にして駆け出す。


 アルバイト先のエロゲー制作会社。

 手狭になったので借りたというアパートの一室。

 通称『分室』、全力疾走なら数分で辿り着ける!




僕の名前は、大石 宙。


地球に潜伏して、10年間スパイ活動をしてきた。

順調に進学し『女子高生』という肩書きとなった。


送信先の母星の消滅で、数日後に故郷を失う。

この惑星に取り残される運命の地球外生命体。



つまり……宇宙人だ。

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