失ってゆく記憶
いつの間にか着いていた事にも気づかなかった。風来坊にこんな事されて、ずっと目を瞑っていたから。どんな顔をしたらいいのか分からなかったから、ギュッと瞑る事にしたのだ。今思えば、キスをせがんでいるようにも見える、そう考えるだけで恥ずかしい。
「着いたよ」
そう言うと、優しく、ふんわりと寝床に下ろしてくれた。私は瞑っていた目を開けた。すると、そこには、私が思っていた以上に立派な部屋が広がっている。まるで地上の家のようで、驚いた。机も椅子もベッドもある。ついでに電気も繋がっているのだから。
よく見ると、そこにはテレビもあった。私は驚きながら、テレビを指さす。すると風来坊は頷いた。
「ここから地上が見えるんだ、それ以外は太陽達とお話出来るくらい」
「……凄い」
「そんなに驚く事かい? 地上にはあるんだろう?」
「うん、あるよ。でも、テレビを置いていて大丈夫なの? 底抜けたりしない?」
「大丈夫さ、これは全て雲で出来ている、後は雷神の力を使って、真似ているだけさ」
「凄い、凄いよ。地上に戻れたみたい」
久しぶりに見る光景に目を輝かしている私を見て、風来坊は複雑そうだ。そんな風来坊の様子に気づく事もなく、色々見て回る。テレビで皆と話す事が出来るのも素敵だし、一人じゃないんだなって思える。雷神の手助けがあって出来たのだろうけど、素敵な事をする風来坊をより好きになった。机の上に置いているマグカップに目がいった。ピンク色のクマの絵が描かれているマグカップ、これって、私が地上で生活していた時に使っていたものと同じだ。
「ねぇ、あのマグカップって……」
「……」
「もしかして、私の為に用意してくれたの?」
たまたまかもしれないけど、どうしても聞きたくなった。それが本当なら、かなり嬉しい。私は風来坊の返答を待ちながら、見つめると、どんどん風来坊の頬が赤くなっていく。かりかりと頭を掻きながら、誤魔化すが態度を見れば一目瞭然だ。
「ふふっ」
「どうしたんだい」
「嬉しくて」
「え」
「凄く、嬉しい。ありがとう」
両手で口元を抑えながら笑いながら、お礼を伝えると、風来坊も照れ臭そうに笑う。私達はそんな互いを見ながら、幸せに酔いしれていた。私の体は朽ちてしまったけど、魂は風来坊と共にある。この人といつまでも一緒にいれたら幸せを沢山、見つけられるんだろうなぁ、と思いながら、彼の傍に行き、頬にキスをした。
「つっ……」
「ありがとうの気持ちだよ、迷惑だったかな?」
すると顔を照らした風来坊は首をぶんぶん振り、そんな事ないと告げる。雨が降る時はここで寝る事になると言うのに、何て積極的な事をしてしまったのかと、後で思ったりもしたけど、ぎこちないながらも、ふかふかのベッドで私達は一夜を過ごした。
「おはよう、風来坊」
「おはよう」
結局雲と話す事はなかった。それどころじゃなかったから、仕方ない。昨日気づかなかったけれど、この部屋どこかで見た事がある。何処で見たのか分からないけれど、身近にあった環境にそっくりだった気がした。なんでだろうか、昨日まで色々な事を覚えていたはずなのに、起きると色々な記憶がすっぽり抜けてしまってような、変な違和感がした。
記憶が無くなっていく。ここで過ごせば過ごす程。馴染めば色々忘れていくと言っていた事は、こういう事なんだろうか。月達、風来坊と過ごした日々は、はっきりと覚えているのに、それ以前のものがぼんやりと霧がかかっているようにも思える。
私は次第に貴方の事も忘れていった──
忘れてしまう事は寂しくもあるし、悲しくもある事だろうけど、私には関係なくなっていく。傍にいてくれる人がいるからだ。どんな過去だったとしても、心は、魂はここにある、風来坊と共に。いつしか地上を見回る事も風来坊とするようになった。二階の雲は相変わらず歩きにくいけれど、それ以外の雲は普通に歩ける。ある時、風来坊が一緒に見回りをする、と提案をしてくれて、私は嬉しくて跳ねた。そこから毎日の仕事になっている。雲と話す事も増えたし、新しい事も知った。結局、まだ風神、雷神と会う事はなかったけれど、それはそれでいいと思い始めている。




