特別仕立てのリュシアン様の制服
わたくしは、急いで作業部屋に向かった。
侯爵様が着ていた上着の素材がとても気になったのだ。
叔母様のクチュリエールでは女物のドレスしか扱わず、男性は男性専門の仕立て屋で服を作るので、男物の最高級の制服はこれまで見たことがなかった。
わたくしは、お針子が太い糸でボタン付けをしている間に、そっと上着の作りを確かめる。
金の縁取りのモールやボタンはキラキラと輝き、見ただけで判る高級品だ。
上着は上質なしっかりとした生地を使っているが、何と言ってもその白さが素晴らしい。
何か特殊な加工か、特別な賦与を掛けてあるのに違いない。
裏地も普通の絹地ではなく、ジャガード織りで王家の紋章を織りだしている特注品だ。
制服はとても美しい仕上がりの上に、今まで嗅いだ事も無い素晴らしい香りまで付いている。
最高級の香水が染み込んでいるようだ。
わたくしの兄の騎士の制服も、しっかりと作られているとは言え、何となく汗の匂いがすると言うか、兄の部屋に入った時にふと感じられる男臭さがあるのだが、侯爵様の制服にはうっとりするような良い香りしかないのだ。
ボタン付けは直ぐに終わったので、わたくしは上着を持って客間に戻り、叔母様に上着を渡す。
「もう出来上がったのですね。助かりました」
お礼を言って立ち上がった侯爵様に、侍女が上着を着せかける。
叔母様はわたくしの手を取って、侯爵様の前に進み出た。
「侯爵閣下、わたくしの姪を紹介させて頂いても宜しいでしょうか」
「はい、そう言えば、まだお嬢様のお名前をお聞きしていませんでしたね」
「わたくしの姪のエリザベト・ド・レトワール男爵令嬢でございます。
どうぞお見知り置き下さいませ」
わたくしは、侯爵様にお辞儀をする。
侯爵様はニッコリと笑って言う。
「リュシアン・ド・ラ・ローシュです。またお会いできれば幸いです」
やっぱりそうだった。
勿論わたくしは、この騎士が噂に高いリュシアン様に違いないと思っていたのだ。
その後、代金を侯爵家に請求するようにと言うリュシアン様と、お代は要りませんという叔母様のやり取りの後で、リュシアン様が折れ、クチュリエールに勤める女性全員の熱い視線に見送られながらお帰りになった。
リュシアン様がお帰りになった後でも、女性達の興奮は醒めない。
「なんてお美しく、お優しい侯爵様でしょうか。
わたくしがお茶を運んだ時に、侯爵様に見とれてしまって手が震え、お茶を零しそうになってしまったのに、『慌てないで良いですよ』と言って下さって......」
侍女は胸の前で両手を握りしめて、うっとりと夢見心地だ。
「背が高く筋肉質の立派なお身体で、本当に近衛連隊の華と言われるだけの事はございますね」
リュシアン様に上着を着せかけた侍女も、深く頷く。
「ボタンを付け直しただけなのに、作業部屋にとても良い残り香が漂っていました。
優れた方と言うのは、お召し物まで素晴らしいお心遣いをなさるのですね」
ボタンを直したベテランのお針子も、すっかり感心している。
「エリザはなんて運が良いのでしょう。
侯爵様の上着のボタンが、都合よく目の前に飛んで来るなんて」
叔母様も興奮を隠さずに言う。
「わたくしも、侯爵様のお顔は遠くから拝見した事があったし、お嬢様方にお噂はお聞きしていたけれど、まさかあれ程の方とは思わなかったわ。
騎士は無骨な方が多いと思っていたのに、あんなに優雅で慇懃なご様子で。
高いご身分なのに傲慢さも無く、わたくしにも丁寧にお話なさいましたし」
ボタンを付ける間、叔母様はリュシアン様とお話していたので、すっかり侯爵様のファンになってしまったようだ。
「それにしてもエリザは、侯爵様とお話せずに、なぜ作業室に行ってしまったの?
あの方と近しくお話できる機会など、滅多に無いのよ」
「あのような美貌の方と、平常心ではお話できませんもの。
わたくしは、笑われるような変な態度を取ってしまうに決まっています。
それにわたくしは、侯爵様の上着の生地が気になったのです。
あの白さは何か加工がしてあるか、特別な賦与が掛けられているように思ったのですが」
生地はウールにしろ、シルクにしろ、真っ白に漂白するのはとても難しい。
どうしても濁った白にしかならないのだ。
「確かに他の近衛騎兵の制服とは、輝く白さが違っていたかもしれないわね」
「裏地も王家の紋章が織り模様になっていました」
わたくしは時間の許す限り、じっくりと生地を触って見たのだ。
「侯爵様のご尊父様は、今、公爵でいらっしゃいますからね。
ご長男の侯爵様はいずれ公爵になられるのですから、他の騎士と違っていても当たり前でしょう」
「噂をお聞きしたときは、侯爵様は雲の上の方と思っていましたが、お会いしてみると、更に雲の上の方、天使のような方でした」
わたくしは今日、奇跡的に天使の顔を見て、その声を聞いた。
そして確かに天上の美貌と言って良い方だったけれど、わたくしは二度と触れられ無いであろう制服の生地の方が気になってしまったのだ。
「本当に素晴らしい、欠点の無い方ね。
あの方と釣り合うのは公爵令嬢か、王家の方でしょうけれど、今王家に年頃の王女様がいらっしゃらないのは本当に残念だわ」
実際にリュシアン様にお会いしてしまうと、いくら子爵令嬢のデルフィーヌ様が憧れようと、望みが薄いことが分かる。
まして成り上がりの男爵令嬢のアンリエット様は、可能性の欠片も無いだろう。
あれだけの美貌のリュシアン様の隣にいて霞まないためには、やはり天使のような容貌のお嬢様が必要なのだ。