ウルム公国での最初の一日
柔らかいベッドの中でぐっすりと眠って、わたくしは目を覚ます。
ギューッと手足を伸ばしてから目を開けると、目の前にマリウス様の顔がある。
「......あうっ!......」
マリウス様の、いきなりの急接近に、わたくしは焦ってしまう。
「目が覚めた? エリザ?」
マリウス様は、わたくしのすぐ側に横たわり、枕に肘を立てて、わたくしを覗き込んでいる。
「マリウス様は、いつから起きていたのですか?」
あぁ、わたくしの寝顔が、マリウス様にすっかり見られてしまったのではないか。
まさか寝言を言ったり、鼾をかいたりしていなかっただろうか。
口を開けて、涎を垂らしていたらと思うと、恥ずかしくて布団の中に潜り込んでしまう。
「エリザの可愛い寝顔を堪能する時間は、たっぷりとあったね」
そういえば、わたくしはベッドに寄り掛かったまま眠ってしまったのではなかったか。
誰がわたくしを、ベッドの中に移してくれたのだろう。
「マリウス様が、わたくしをベッドに?」
「キスをしても、私のお姫様は目を覚まさなかったのだ」
わたくしは、それほどぐっすり寝込んでしまっていたらしい。
物語のお姫様なら、王子様のキスで目を覚ますはずなのに、わたくしは、朝まで熟睡してしまったのだ。
せめて朝は、わたくしが先に目を覚まして、マリウス様の寝顔を見ていたかった。
マリウス様は、わたくしの顔から掛け布団を除ける。
「エリザ、お早う、私達の最初の朝だね」
マリウス様は、わたくしにキスをする。
「長旅で疲れたから、今日は昼まで寝ていると、執事には言ってある
この屋敷では、もう誰にも邪魔はさせないよ」
「マリウス様は、これから昼までお休みになるのですか?」
「おばかさん、そんな筈はないだろう......」
「えっ、だって......」
わたくしの言葉は、キスに塞がれる。
マリウス様は、本当に昼までベッドを離れなかった。
お昼になって、わたくしは自分の化粧室のバスタブにお湯を入れてもらって身体を洗う。
お湯には匂いの良い精油が入っていて、わたくしは、すっきりした柑橘系の香りに包まれる。
その後、アフタヌーンドレスに着替えて、昼食のために階下の食堂に行く。
マリウス様も着替えて、食卓に座っている。
「長旅で、疲れただろう?
少しは休めたかな?」
「......はい......」
わたくしは顔が赤くなっているに違いない。
「午後は、一緒に屋敷の中を見て回ろう
エリザの仕事部屋も見てほしいね」
仕事部屋!
わたくしは、一気に元気を取り戻す。
「早く昼食を終えて、見に行きましょう!
一番先に、仕事部屋を見てみたいです!」
「全く先が思いやられるね
エリザは、仕事部屋から出て来なくなるのじゃないか」
「いいえ、大丈夫です。ちゃんとマリウス様とお茶の時間を取りますから」
そうは言ったものの、実はわたくしも自信がない。
今、食事をしている一階の食堂は、屋敷の中央の扉を入って左側にある。
右側は領地の経営のための部屋で、マリウス様は、日中はここにいるのだそうだ。
その奥に小さなサロンがあり、お茶や休憩が出来るようになっている。
わたくしの仕事部屋は、更にサロンの奥の扉を開けた所にあった。
壁際には生地棚がずらりと並び、大きな作業台が中央にある。
刺繍台や、書き物が出来る机もあって、わたくしが思い描いていた『自分だけの仕事部屋』そのものだ。
「マリウス様! マリウス様! こんな部屋が欲しかったのです!
何て素晴らしいのでしょう! マリウス様!」
わたくしは嬉しさの余り、マリウス様に抱きつく。
「基本的な裁縫用具も揃っていますから、直ぐにも仕事を始められますわ!」
「これと同じ作りの仕事部屋が、コルドン市の屋敷にも作ってあるからね」
「まぁ、マリウス様、何てお優しいのでしょう!
大好きです!」
わたくしは、マリウス様の頬に感謝のキスをする。
「エリザ、この程度で大好きと言うならば、エリザのご機嫌を取るのは簡単だな
棚の引き出しを見てごらん」
わたくしは、棚の引き出しを次々に開けてみる。
中には様々なレースや、何色ものリボン、クリスタルビーズ等が入っている。
「マリウス様......マリウス様......素敵すぎて、夢のようですわ!
ありがとうございます!」
わたくしは、喜びに涙ぐむ。
この仕事部屋や様々な用具やレースももちろん嬉しいけれど、わたくしを喜ばせるためにマリウス様が心遣いしてくれた事が何よりも嬉しい。
わたくしが、マリウス様をぎゅっと抱きしめると、マリウス様もわたくしを強い力で抱きしめる。
そして、マリウス様はわたくしに口づける。
「屋敷の他の部屋も見て回らなければならないのに、また二階に行きたくなるじゃないか」
「あら、二階の客間も見せていただけるのでしょう?」
「......エリザ、知らん顔して、わざと言っている?」
仕事部屋の奥には、もう一つ扉があって、そこから屋敷の右の出入口を通って外に出られるようになっている。
生地などの大きな荷物を入れるには、こちらの扉が便利そうだ。
二階には、主寝室の他に大きな客間があり、夫婦のお客様でも充分泊まれる大きさだ。
その他にも幾つか、手入れのされていない個室と、リネン等の入っている部屋がある。
「未だ時間が足りなくて、直せなかった部屋も多いけれど、これからゆっくりと改装していこうと思っている」
「取り敢えず、客間があればお客様があっても安心ですし、わたくし達二人が住むには大き過ぎるくらいですわ」
その後、マリウス様と腕を組んで庭を一回り散歩して、屋敷に戻る頃には、空は夕焼けに染まっていた。




