ボージール子爵家の夜会(その二)
わたくしは、赤くなりながら、マリウス様に抗議する。
「あんな事をデルフィーヌ様におっしゃったら、尾鰭を付けた噂になって広がるでしょう。
わたくしは恥ずかしくて、もうデルフィーヌ様の前に出られませんわ」
「私は、正直な気持ちを言っただけだよ。
エリザをきつく抱きしめて、情熱的に口づけをして見せても良かったけれど、それは駄目だとエリザは言っただろう?」
「もちろんですわ。そんな事をしたら、酷いスキャンダルになってしまいます!」
「どうせあと少ししたら、エリザはウルム公国に行くのだから、噂なんて、言いたい者に言わせておけば良いじゃないか」
ウルム公国に行ってしまえば、噂もすぐに収まるだろうか。
わたくしは、それだけが救いだ。
「何だか甘ったるい香水の匂いを嗅いだので、気分が良くないな。
新鮮な空気を吸うために、少し外の庭を散歩しよう」
わたくしも、令嬢達の思わせ振りなヒソヒソ話には耐えられないので、マリウス様とそっと広間を抜け出して、ボージール子爵家の庭に出る。
庭には幾つものランタンが輝き、きっちりと刈り込まれた生け垣が、幾何学的に広がっている。
何人もの人がそぞろ歩いたり、ベンチに座って話をしたりしている。
マリウス様はゆっくりと歩きながら、庭の奥に進む。
「こちらに戻って来てからは、毎日慌ただしくて、エリザとゆっくり話せなかったね」
「マリウス様は、お茶会や夜会の招待が多かったのですもの」
「それもあと少しだ。
ただ、ウルム公国に行ってからも、しばらくは忙しい日々が続くかもしれないのだ」
「わたくしも、叔母様のクチュリエールの支店を軌道に乗せるまでは、慌ただしく過ごす事になりそうです」
マリウス様は歩くのを止めて、わたくしをベンチに座らせる。
庭の少し奥まった場所で、他の人の話し声も聞こえて来ない。
「それでも、二人でゆっくり過ごせる時間を必ず取ると、約束してほしい。
二つの屋敷にそれぞれが住んで、エリザと離れ離れで暮らすのは耐えられないのだ」
「ええ、もちろんですわ。
わたくしだって、初めて行く国で、頼りになるのはマリウス様だけですもの」
「エリザはそんな可愛い事を言って、私の自制心を試しているのかな?」
「えっ、だって、そうじゃないですか。
両親も、叔母様もいらっしゃらない国で、頼れるのはマリウス様だけですわ。
わたくしは、これから新しいクチュリエールの代表にならなければいけないのです」
「エリザなら、きっとやり遂げられるよ。
私も、出来るだけの援助はするつもりだから」
「ありがとうございます、マリウス様。
わたくしのドレス作りを認めて下さって、とても嬉しいです」
「エリザは、ドレス作りになると、我を忘れてしまうからね。
どうにかして、ドレスよりも『私』に、我を忘れてほしいのだが」
わたくしは、さっきから熱を帯びてわたくしに話すマリウス様を見る。
ウルム公国の宮廷服を着ているせいか、いつも見ていた騎馬連隊の制服姿のマリウス様と違って見える。
制服姿のマリウス様は、信頼できる兄のようだったけれど、見知らぬ宮廷服のマリウス様は、情熱的な黒髪と深い夜のような瞳を持った魅惑的な男性だった。
「今夜のマリウス様は、いつもと違って見えますわ」
「どんな風に違っている?」
「いつも冷静なマリウス様が、今夜はとても挑戦的ですね。
あ、でも、それは駄目だと言っているのではありません」
マリウス様が、デルフィーヌ様に言った言葉は言い過ぎだったと思う。
でも、今まで一度もデルフィーヌ様に言い返せなかったわたくしは、少し気持ちがスッとしたのは事実なのだ。
「エリザは、私にもっと挑戦的になれと言っている?」
「えっ?」
「エリザ、私の自制心は、もうこれまでだ......」
マリウス様はサッと立ち上がると、わたくしの手を引いて、性急に抱きしめる。
「エリザ、私はこんなにもエリザに夢中だ。
デルフィーヌ様に言った言葉は嘘ではないよ。
本当に食べてしまいたい......」
「マリウス様、それは......」
わたくしの言葉は、言葉にならない。
マリウス様の唇が、わたくしの言葉を食べてしまうからだ。
「おーい、マリウス、そこにいるかい?
そろそろ帰りたいのだが、帰りの馬車に乗せてくれないか?」
兄が、ヘッポコ兄が、現れてほしくない時に必ず現れる兄の声が聞こえる。
マリウス様が大きな溜め息をつく。
「何だ、エリザもいたのか、ちょうど良かった。
ミレイユ様はこんな夜会には出席しないから、私は早く帰ろうと思うのだ」
「分かった、私達も帰るから、少し先に行っていてくれ」
マリウス様は、ごく小さな声でわたくしに囁く。
「結婚式が終わったら、出来るだけ早く、エリザをウルム公国に連れていくからね。
そこで、『誰にも邪魔されずに』新しい生活を始めるのだ。
その時は、エリザに我を忘れてもらいたいね」
わたくしは、マリウス様に頷く。
ウルム公国だろうがどこだろうが、わたくしはドレスを作っていれば我を忘れてしまう。
マリウス様に何度も名前を呼ばれて、ようやく気がつく事態は避けたいけれど、きっとそうなってしまうような予感がしているのだ。
[ おわり ]
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