ヴィクトル・ド・レトワールの奇跡
ルイーズ様の言葉に驚いたのは、わたくしだけではなかった。
マリウス様も驚いて、わたくしと顔を見合せる。
「......遅かったか......」
マリウス様が低い声で呟く。
こんな事態にならないように、邪魔をしようとしていたのだけれど、ヘッポコ兄は空気も読まず、身の程知らずにルイーズ様に求婚してしまったようだ。
あとは、ルイーズ様が、あまり気分を害さないように祈るしかない。
わたくしは全身を耳にして、兄達の様子を窺う。
「いや、もちろん......嘘などでは......でも、どうして......ルイーズ様は、マリウスがお好きだったのでは?」
いきなり、兄の話が方向転換する。
わたくしはマリウス様を見てしまう。
「マリウス様は本当に素敵な方ですけれど、お分かりにならないの?
マリウス様は、エリザベト様を愛していらっしゃるのよ」
「エリザを?いや、それは無いだろう。
妹のように思っているだけだよ」
わたくしは固まってしまう。
マリウス様のお顔を見られない。
「騎士様は、何故か人の気持ちを理解しない方が多いのですけれど、ヴィクトル様もそうでしょうか。
特に身内の方のお気持ちは、親しいゆえに見えないのでしょうね」
「エリザは先日デビューしたばかりだし、女性としての魅力もほとんど無いからね。
それに、エリザの頭の中にはドレスの事しかないよ」
失礼な!
わたくしは、手をギュッと握る。
「近衛連隊のリュシアン様も、エリザベト様をかなりお好きですよ。
それもご存じないのですか?」
「それは、違います......」
わたくしは言葉に出しそうになって、慌てて口を手で塞ぐ。
「え、ローシュ候爵は、ブレヴィル公爵令嬢と結婚されるのではありませんか?」
「ええ、多分そうなるでしょうね。
でも、リュシアン様の気持ち的には、エリザベト様の方がお好きですよ」
ルイーズ様は、どんな確信があるのか、妙に力説する。
リュシアン様は、わたくしではなく妃殿下を恋しているのだ。
「そうなったら、エリザベト様はどちらを選ばれるのかしらね?」
「いや、エリザは結婚なんて考えていませんよ。
クチュリエールをしている、叔母様の跡を継ぐんじゃないだろうか」
「でも、結婚をしたって仕事はできるでしょう?」
「ローシュ候爵と結婚したら、立場から言っても出来ないでしょう。
もし、マリウスと結婚したら出来るかもしれないが、マリウスにはエリザと結婚する気はありませんよ。
私は、マリウスの気持ちを知っている」
「では、ヴィクトル様は、マリウス様はどなたがお好きなのだと思っていらっしゃるの?」
「マリウス?マリウスは......貴女が好きなのですよ」
マリウス様の手が、ギュッと握られる。
そっとマリウス様のお顔を窺うと、表情が消えている。
「また話が、戻ってしまったではありませんか」
「でも、ルイーズ様が、私の求婚を受けてくださると言うのが、私にはどうにも信じられないのです」
何ですって!
ルイーズ様が兄の求婚を承諾する、と言う事でしょうか?
わたくしの耳がおかしくなったのでしょうか?
わたくしは、思わずマリウス様を見る。
マリウス様も、呆気に取られたお顔をしている。
これは何か裏があるに違いない。
美人で、胸が大きくて、スタイルも良くて、騎士達の憧れの連隊長のお嬢様が、ヘッポコ兄を好きになるはずが無い。
「ヴィクトル様は、詩の才能がお有りになるし、他の騎士様達のように、ご自分の能力を誇示なさらないでしょう?」
それは、兄に誇示出来るものが無いからなのですが。
もしそんなものが有ったら、兄は嫌と言うほど見せびらかすでしょう。
ルイーズ様の方が、乗馬もお上手だと思いますし。
「それとも、わたくしから愛の告白をしなければ、信じていただけないのでしょうか?」
「いいえ、いいえ、そんな事はありません。
もちろん、違いますとも。
信じます、信じます。
どうか、信じさせて下さい」
ルイーズ様は、声を出して笑った。
「ヴィクトル様は、面白い方ね。
いつも、わたくしを楽しくさせて下さいます」
ルイーズ様は、絶対に勘違いしている。
周りがとてもまともな人達だと、変わった人を好きになるのだろうか。
「それでは一度、わたくしの父に会って、ヴィクトル様がわたくしに、結婚の申し込みをした事を話して下さいね」
「は?お父上......連隊長殿にですか......なるほど......分かりました......連隊長殿ですね......」
「今夜の夜会は、両親が一緒に来ておりますので、挨拶だけでもしていただけますか?」
「え、連隊長殿が、いらっしゃる、のですね。
そうですか......なるほど......そうですね」
兄の頭は、容量オーバーして、正常に働いていなさそうだ。
そんな状態で、ルイーズ様のご両親に挨拶して大丈夫なのだろうか。
でも、上手く行かなくても、一生に一度有るか無いかの、奇跡のような出来事なのだから、良い記念になるだろう。
兄は、ルイーズ様に引きずられるようにして、大広間に戻って行く。
本当に人の運命は、どこでどうなるか分からないものだ。
今日の夜会に出掛ける時に、兄にこんな結末が待っているなんて、誰も予想できなかったのだ。
わたくしとマリウス様は、しばらく何も言えずに、黙ってベンチに座っていた。
強い衝撃は、人を無口にしてしまう。
しばらくして落ち着くと、わたくしは兄の言葉を思い出す。
「マリウス様は、ルイーズ様がお好きだったのですか?」
わたくしの言葉は、呟きに近かった。




