連隊で流行の髪のリボン
わたくしが二階の自分の部屋に入ろうとすると、後ろから兄に呼び止められる。
マリウス様も兄を支えて側に立っている。
「ねぇエリザ、今連隊では髪に結ぶリボンが流行っているのだけれど、叔母様のクチュリエールで作っているデルフィーヌ子爵令嬢のドレスの色は何色だろうか」
「デルフィーヌ様のドレスの色を聞いて、お兄様はどうするつもりなのです?」
「想いを寄せている人が着ているドレスの色と、同じ色のリボンで髪を結ぶのが連隊で流行っているんだ。
だから子爵令嬢と同じ色のリボンをしようと思って」
「あら、そういう髪のリボンは、女性から好意を寄せる男性への贈り物ですよ。
それに小物をお揃いにするなら、相愛の仲でなければ」
「私が同じ色のリボンを髪に付けていれば、子爵令嬢は私に好意を寄せると思うのだが」
なんて女性の気持ちが分からない、自分勝手な兄なのだろうと、わたくしはすっかり呆れて返事も出来ない。
子爵令嬢がもし、兄の髪のリボンが自分のドレスと同じ色と気がついたら、好意を抱くどころか気持ち悪いと思うだろう。
それにわたくしが令嬢のドレスの色を兄に教えたら、クチュリエールの叔母様にまで迷惑をかけると何故兄は分からないのだろう。
「そんなみっともない真似は止めてください、お兄様。
もし誰かに貰ったリボンが欲しいなら、わたくしが作って差し上げましょう」
「お情けのように、妹から貰ったリボンを着ける方が恥ずかしいよ」
兄は自分の思いつきを否定されて機嫌が悪くなる。
わたくしだって、せっかく兄のためにリボンを作ろうと申し出たのに、いらないと言われて気分が悪い。
するとマリウス様が、気分を変えるように兄に話す。
「ヴィクトル、子爵令嬢よりも美しくて優しい令嬢は他にも居るさ。
今度トルビヤック男爵家の夜会に招待されているだろう。
去年デビューしたばかりの男爵令嬢は、とても美しいと評判だそうだ」
そしてマリウス様は、気分を害したわたくしに向かっても宥めてくれる。
「エリザ、ヴィクトルが要らないなら、リボンは私に作ってくれないか」
「マリウスはこの前、どこかの令嬢にリボンを押し付けられていたじゃないか」
「あれは断っていたのだ。エリザの手作りのリボンをしていたら、そんな面倒が無くなるだろう」
つまりマリウス様は、好みじゃない令嬢を簡単に断りたい為にわたくしの手作りリボンが欲しい、という訳ですね。
わたくしはムッとした。
いいでしょう、マリウス様。
作ってあげようじゃないか。
『令嬢除け』の賦与もタップリと付けてあげましょう。
お母様の侍女のロザリが、太った体を揺らしながら近づいて来る。
我が家は召使いの数が少ないので、お母様の侍女がわたくしのお世話もしてくれている。
「さあ、お嬢様、お着替えを致しましょう。
ヴィクトル様とマリウス様はお部屋にお帰り下さい。
ヴィクトル様は脚を捻挫なさったのですから、脚の腫れが引くまではベッドでお休みにならないと」
ロザリはわたくしの部屋に入ると、わたくしのドレスを脱がせてくれる。
後ろに回ってコルセットを外してもらうと、ようやくホッと一息つける。
普段は叔母様のクチュリエールで仕事をしているので、コルセットは緩めに締めてもらっている。
デビューの舞踏会では、きつくコルセットを締めてダンスまで踊るから、自分のことながらその日は本当に大変だと思う。
わたくしは下着姿になってベッドに入る。
ロザリが明かりの蝋燭を持って行ってしまうので、部屋は月明かりだけになる。
夜は暗くて細かい手仕事は出来ないので、ベッドに入ったまま、自分のドレスのデザインや胸布の刺繍を考える。
こうして新しいドレスや刺繍をどうしようかと、あれこれ考えている時がわたくしにとって至福の時間だ。
マリウス様に作る髪のリボンの色とデザインも考える。
マリウス様の連隊の制服は赤で、黒い縁取りのモールが付いている。
袖のカフスと肩章は藍色だ。
色の取り合わせを考えて、髪のリボンの色は藍色にしよう。
リボンの素材だけでは賦与は付けられないから、リボンに刺繍をしなければならない。
連隊の制服の上着には銀の飾りボタンがたくさん付いているので、藍色のリボンには銀糸の刺繍が合いそうだ。
この前、薄黒く変色してドレスには使えない銀糸を、少しだけ叔母様から頂いたのだ。
ドレスに使うにはとても足りないけれど、リボンに使うくらいなら足りるだろう。
貴重な金糸や銀糸は特に賦与が入りやすいので、さぞかし『女除け』が発動するに違いない。
いっそ更に賦与が入る『名前』を刺繍しようと思う。
銀糸で『マリウス』と美しい書体で刺繍して、心を籠めて一心に『若い令嬢が近寄りませんように』と賦与を入れるのだ。
マリウス様は確かに美男の騎士で、女性に騒がれるのも理解できる。
でも、せっかくどこかの令嬢が勇気を奮ってリボンを渡したのに、素気なく断って、しかも面倒だと言うなんて、あまりにも傲慢過ぎる。
『女除け』のリボンの効果が絶大で、誰も近寄って来なくなったら、その時はマリウス様も少し反省するに違いない。
わたくしは決してモテ過ぎるマリウス様が心配になっているのではなく、ちょっとだけ、ほんのちょっとだけのお仕置きの気分なのだ。
第一、賦与は本人の中にその気持ちがなければ、大した効果が表れない。
口先だけでモテるのは困ると言っているだけなら、賦与の効果は現れないだろう。
そうだ、今度招待されているというトルビヤック男爵家の令嬢が美しいと、マリウス様が言ったけれど、髪のリボンの賦与の効果で、そんな美女にも避けられるがいい!
マリウス様は兄の乳母子だったから、わたくしとも実の兄弟のように育った。
マリウス様のお母様は、諸事情で兄の乳母をしていたのだけれど、実は異国の貴族の愛人で、その貴族の死後、遺言である程度纏まった遺産を手に入れた。
お母様も病気で亡くなられたので、マリウス様は財産を信託で引き継がれ、馬と馬丁を調達して騎士の身分になれたのだ。
それでもマリウス様は兄の乳母子だった事を忘れずに、律儀にポンコツな兄の面倒を見てくれて、兄が引き起こす面倒事を片付けてくれる。
マリウス様は時々、ムッとする辛辣な言葉を話すけれど、正直で飾り気の無い性格はわたくしの誇りで、いずれ美しく本当に優しいお嬢様と結婚して幸せになってほしいのだ。
政略結婚が当たり前の世界で貴族の愛人になるのは、倫理的に糾弾される事でも恥ずかしいことでも無く、ありふれたことでした。