リュシアン様に散歩に誘われました。
それからわたくしは、疲れたとお母様に訴えて、家に帰った。
ユベール様の不実な行状を知っただけでもショックだったのに、その後のマリウス様の言動で限界を越えてしまったのだ。
家に戻って、自分の部屋で着替えをしてベッドに入るまで、何とか我慢して泣かなかったわたくしを褒めてほしい。
ベッドに入ってからは、わたくしはもう、流れる涙を止められなかったけれど、自分が何故泣いているかはよくわからなかった。
それでも、思い切り泣いて、少し気分がすっきりして、気持ちを切り替えることが出来た。
『泣くんじゃない、泣いても何も解決しない。泣く暇があったら走れ』と、よく言っていたマリウス様の言葉も思い出した。
そうだ。泣いている暇があったら、ドレスを作るのだ。
ドレスを作っていたら、何もかも忘れられる。
わたくしは次の日、少し腫れぼったい目をして、叔母様のクチュリエールに行く。
デュボア商会の扉をくぐると、執事のジョセフが急いでやって来る。
「ローシュ候爵様が二階でお待ちです。
奥様の客間にいらっしゃいますから、直ぐにいらして下さい」
「えっ、リュシアン様ですか?」
リュシアン様が、叔母様のクチュリエールに、一体何の用事だろう。
叔母様の客間に行くと、叔母様とリュシアン様が、肘掛け椅子に座ってお茶を飲んでいる。
わたくしを見ると、リュシアン様がサッと立ち上がって、挨拶をする。
「あっ、どうかお掛け下さい」
「エリザベト、候爵様は、お妹様のレオンティーヌ様のドレスのご相談にいらっしゃったのですよ」
叔母様はにこやかに話す。
「まぁ、そうでしたか。
お使いを頂ければ、こちらからお伺い致しましたのに」
「わたくしもそう申し上げたのですけれど、候爵様は他にも何か、エリザにお話があるそうなのです」
「そうなのです。ちょっと外に散歩に出られませんか?」
リュシアン様と散歩!
わたくしは自分のドレスを見てしまう。
いつもクチュリエールで仕事をする時は普段着だし、今日は特にバリバリ仕事をしようと思ったので、汚れても良いような地味なドレスだ。
こんなドレスで、リュシアン様と外を歩くことなど出来ない。
このドレスで歩いたら、リュシアン様が小間使いを連れているようにしか見えないだろう。
リュシアン様にどう説明したら良いか、困惑して叔母様を見ると、叔母様はわたくしの言いたいことを分かってくれる。
「未婚の方を部屋に二人きりには出来ませんけれど、ドアを開けて、わたくしは隣の着替え室を片付けておりますわ」
叔母様は客間のドアを開け、隣の着替え室のドアも開けたまま、着替え室に入って中を片付けはじめる。
階段を伝って、一階のデュボア商会の物音が響いて来るけれど、こちらの声が下には漏れていかないだろう。
「男爵令嬢と散歩できる良い機会かと思ったのですが、では、散歩はまた別の機会を待つことにしましょう」
リュシアン様は、わたくしを見てニッコリ笑う。
まるで春風が吹き抜けたように、わたくしの心も軽くなる。
「先日の夜会で、男爵令嬢のお顔の様子が優れなかったのが、どうしても気になってしまったのです」
リュシアン様は、ユベール様に突然の求愛をされて、わたくしが混乱していた時の事を気にかけていてくれたらしい。
「それについては、もうすっかり大丈夫です。
あの時は、ちょっと混乱してしまっただけなのです」
「それなら良かった。
あの時、もっとちゃんと助言すべきだったと、後悔していたものですから」
「わたくしも、デビューしたばかりで、色々と分からないことが多くて」
「それにしても、何度も邪魔が入って、男爵令嬢と一度も踊れていないのが残念でならないのです。
今度こそ、私と最初に踊ると約束してくれませんか」
「ええ、勿論、喜んでお約束いたします」
「今度また家で、軽い夜会を開くので、是非、お嬢様にいらして頂きたいのです」
「はい、お伺い致します」
しばらくお話をして、リュシアン様が帰られた後には、うっとりするような残り香が漂う。
叔母様の小間使いや、お針子のお喋りが止まらない。
「リュシアン様は、何度拝見してもとてもお美しくて、あんな男性がこの世にいる事が信じられませんわ」
「リュシアン様はとても良いお声で、陰で聞くだけで心が痺れてしまいます」
「従者に言付けすれば良いような事を、わざわざ言いに来られるなんて、お嬢様にご執心なのでしょうか」
声に嫉妬が混じって聞こえるのは、わたくしの思い過ごしだろうか。
叔母様は、冷静に言う。
「エリザの夜会服はあるけれど、ちゃんとしたお茶会とか、お散歩に着て行けるアフタヌーンドレスが何枚か必要ね」
本当にそうだった。
兄やマリウス様との散歩とは違うのだ。
それなりのアフタヌーンドレスを、なるべく早く作らなければならない。
「エリザと一緒に夜会に出ると、その度にお仕事が増えて行くから、エリザのドレスは仕事着と同じね。
好きな生地を選んで頂戴。どんどん作りましょう」
わたくしは、すっかり気持ちが前向きになる。
リュシアン様は、わざわざわたくしに会いに来てくれて、優しい言葉を掛けてくれたではないか。
今度こそ、リュシアン様と散歩に行けるようなドレスを作るのだ。




