叔母様のクチュリエールはデュボワ商会の二階です
アンリエット様のお直しのドレスを持って、わたくし達はまた馬車で商業街にあるお店に戻ってきた。
叔母様のクチュリエールは、旦那様の経営するデュボワ商会の建物の二階にある。
デュボワ商会は繁盛しているお店だけあって、何人もの人が出たり入ったりしている。
門番が扉を開けてくれる。
「お帰りなさいませ、奥様、お嬢様」
叔母様が商会の入り口を入ると、執事のジョゼフがすぐ声を掛ける。
「旦那様はお出掛けになっておられます。夕方には帰られるそうでございます」
「ありがとう、ジョゼフ、旦那様がお帰りになられたら教えて頂戴」
叔母様は執事に頷いて、デュボワ商会の中央にある階段を昇る。
階段の昇り口にも案内の下僕が立っていて、用事の無い男性が二階に行かないように見張っている。
階段を昇って右側が叔母様の客間兼居間で、左側がお針子の作業場だ。
作業場には、壁一面に生地やレースやリボンなどの部品を納める棚が並んでいる。
叔母様やわたくしの作業台もこの部屋にある。
叔母様は直ぐ作業場に行かず、わたくしと一緒に居間に行って侍女にお茶を頼んだ。
「本当に疲れるわ。アンリエット様は胸にパットまで入れているのだもの
あんなに太ったら、コルセットの紐が切れるのも無理ないのよ
けれど紐が弱いから切れたと言われても、もっと痩せてください、なんて言えないし、なんとお答えしたら良いのかしら」
ガブリエール叔母様は珍しく愚痴を零す。
「今の流行が胸の谷間をこれでもか、と見せつけて、ウエストはギリギリに細くというものだから、アンリエット様のような体型の方は大変なのだけれど、少しはご自分でも節制していただかなければ、賦与も効いて来ないのだけれど」
「以前お作りしたドレスの『富』の賦与は良く効きましたよね」
「それがね、そのドレスを着てみたら、お金目当ての殿方が寄って来られて困ったとアンリエット様は言われたのよ。でも、アンリエット様の他の魅力はと言ってもねぇ」
「殿方が女性の胸ばかり見ているのもどうかと思いますけど」
「エリザは去年まで修道院の寄宿舎にいて、世間離れした清らかな環境だったから分からないかもしれないけれど、実際豊満な胸と細いウエストは殿方に絶大な威力を発揮するのよ」
入ったことの無い人は修道院に過剰な期待を抱きがちなのだけれど、これで修道院と言うのも中々にえぐい所なのだ。
実家の階級や財産の違いで、自然と寄宿生の中でグループができるし、表立っての暴力が無いだけで、陰口や意地悪、当てこすりなんて日常だった。
わたくしは貧乏男爵の娘だし、そんなグループに入って使い走りのように扱われるのは嫌だったので、専ら修道女達が行っているレース編みとか、刺繍の作業に混じっていた。
修道女達は作業の傍ら、小さな声で噂話をするのだけれど、その内容も(実はあのお堅い修道院長が昔貴族の殿様と......)とか、有り得ないと驚くようなものだった。
しかしわたくしは、手芸に没頭すれば周りの音が聞こえなくなるので、気にしないで居られたのだ。
修道女が作る手間隙掛けた手工芸品は、貴族や仕立屋に高い価格で売られて修道院の貴重な収入源になっている。
何しろ今は男性も美麗な生地で服を作り、レースを使った豪華絢爛たる衣装で権力を競っている時代だから、繊細なレースや刺繍は作れば直ぐに売れてしまう。
わたくしは勿論祈祷や賛美歌も習ったけれど、その他のほとんどの時間を手芸の趣味に当てていたのだ。
社交界にデビューする一年前になって修道院の寄宿舎を出たけれど、家に居てもしたい事は変わらず、結局叔母様のクチュリエールで趣味の仕事に没頭している。
ちなみにデュボワ商会の三階は、叔母様の家族の部屋や客間で、四階が従僕や侍女達の部屋だ。
お針子や飯炊きの下女や、力仕事をする下男は通いで来ている。
台所は食料が置いてある地下室の隣で、そこだけ明かり取りの窓の付いた半地下になっている。
叔母様とわたくしのお茶や昼食は、台所から召使い専用の裏階段を使って叔母様の居間に運ばれて来る。
召使い達は台所の隣の部屋で交代で食事を摂るのだ。
「さて、アンリエット様のドレスのお直しをしてしまいましょう」
叔母様はお茶を飲み終わると作業場に行くので、わたくしも一緒について行く。
アンリエット様のドレスは、生地が裂けてしまった所をお針子が丁寧に解いていた。
ドレスの生地は、あらかじめ予備に多めに取っているので、その生地を棚から出して広げ、叔母様が新しくドレスの身頃の型紙を作って裁断する。
ドレスの生地の柄を合わせ、今回測ったウエストの幅も出して、不自然にならないように生地を裁つのが一番難しい。
非常に高級で繊細な生地なので、叔母様も慎重に裁断して行く。
叔母様はわたくしをクチュリエールの後継者に育てようとしているので、ドレスのお直しも全部見せてくれる。
裂けて使い物にならなくなった生地は全部もらえるので、わたくしはそれも楽しみにしている。
もらった生地や端切れなどの様々な生地をつなぎ合わせたり、刺繍をしたりして、新しい生地に生まれ変わらせるのだ。
その生地を使って、いつか自分のドレスを作りたいというのがわたくしの夢だ。
叔母様はわたくしの社交界のデビューの時のドレスは作ってあげると約束してくれているけれど、まさかドレスが一着で済む訳が無いから、自分でも作りたいと思っているのだ。
この国のドレスの流行は、王妃様と取り巻きの貴族の婦人達で作られていて、王妃様が作らせたドレスは必ず流行ることになる。
そんな流行を自分の手で作り出せたら、どんなにか楽しいだろう。
今は精々、わたくしの自作の人形のドレスぐらいしか作れないのだけれど。
明日までの期限の急なお直しの仕事が入ったので、わたくしは別のドレスの裾上げを手伝うことになった。
延々と長いドレスの裾上げをして、夕方暗くなる前に家に帰る。
わたくしの家は貴族街の外れにあり、商業街のデュボワ商会からは歩いて五分も掛からない。
元々はもっと貴族街の中心に館を持っていたのだが、どんどん落ちぶれて遂に商業街に近い場所に小さな屋敷があるだけだ。
それでも最後の領地には、先祖が作った広い館を持ってはいるのだが、だいぶ古くて修理もままならない。
わたくしの両親は、今はわたくしのデビューの為に王都の屋敷に出てきているが、普段は生活費の掛からない領地に引っ込んでいることが多い。
わたくしは、同じ方角に帰るお針子と一緒に歩いて家に帰った。