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リボンの刺繍と賦与

次の日、叔母様のクチュリエールに行くと、叔母様はわたくしの顔を見るや大きな声で呼ぶ。


「エリザ、早く来て頂戴。あなたに手伝ってもらわないと間に合わないわ!」


「叔母様、そんなに慌てて、どうなさったのですか?」


「どうも、こうも、無いわ。

エリザが作ったリボンの注文が沢山入っているのよ。

それがみんなダース単位での注文なのだもの、刺繍ができるお針子を新たに雇わなければならないわ」


「えっ、どう言う事でしょう?」


「エリザがマリウス様に作ったリボンが、トルビヤック男爵家の夜会で評判になって、騎士連隊の中でも欲しいと言われる方が多いの。

おまけにお嬢様方からのプレゼントにしたいと、お嬢様のお名前を刺繍したリボンの注文も入っているし、お嬢様自身で手首に着けるリボンの注文も有るのよ。それにはお相手の名前を入れてね」


叔母様は、分厚い注文票の束を振ってわたくしに見せ付ける。


「今までのお客様だけじゃなくて、新しく注文される方も多いのよ。

まだまだお問い合わせが届いているから、どれだけの数を作らなければならないか、分からないわ」


叔母様は困ったように話されているけれど、お顔はニンマリと笑っている。


「今注文されているドレスは、仕上がりを遅らせる訳にはいかないから、エリザにも手伝ってほしいの」


「ええ、元はわたくしが始めたリボンですもの。勿論お手伝い致しますわ」


「賦与を掛けて欲しい、という注文も多いので、エリザは刺繍を手伝ってね。

全部じゃなくて、一部の刺繍に賦与をかけるだけで良いから」


「はい、分かりました、叔母様。直ぐに刺繍にかかります」


「注文票に、生地や刺繍の色と刺繍する名前、希望する賦与が書いてあるから、間違えないように刺繍して頂戴。

今ドレスをお作りしている、デルフィーヌ様のリボンの注文を最初にね。

お針子がリボンの縁かがりをしていますから」


わたくしはドレスの上に汚れ防止のエプロンを着けて、仕事を始める。


「これだけリボンが流行れば、いずれ他のクチュリエールでも刺繍リボンを作り始めるに違いないわ。

その前にこのクチュリエールで作ってしまうのよ。

ここでは、他には無い賦与も掛けられるのだから」


わたくしは、クッションのような刺繍台の横にピンで留められている注文票を確認する。

デルフィーヌ様に今お作りしているドレスの色は淡いピンク色だ。


注文票には、ピンクのリボンに金糸で『デルフィーヌ』と刺繍して、片方の端には『D』と飾り文字で刺繍する、とある。


賦与は『注目......私を見つめて』だ。

お、おぅ、大した自信だ、デルフィーヌ様。


わたくしは、リボンの片側の頭文字に、賦与を入れて刺繍する役割を引き受けた。

リボンをピンで刺繍台にセットして、デルフィーヌ様の頭文字を刺繍する。


綺麗な形にするために、予め躾糸(しつけいと)で大まかな輪郭を描いてから刺繍して行く。

賦与の言葉を念じながら刺繍するのだ。


何枚も同じ刺繍をしていると、周りの物音は消え去り、賦与の言葉だけが頭の中を飛び回る。

『注目......私を見つめて』......『私を見つめて』......『私を見つめて』......


その時急に、わたくしの頭の中に、わたくしを見詰めるマリウス様の瞳が(よみがえ)った。

漆黒の瞳が深い想いを(たた)えて、わたくしを見下ろしている。


もう少し長い間見つめ合っていたら、想いが奔流となって溢れ出てきそうな瞳だ。

今までマリウス様を異性として意識したことがなかったけれど、マリウス様はわたくしを妹以上の気持ちで見ていたのだろうか。


いいえ、そんな筈は無い。

わたくしの頭に兄とマリウス様の姿が浮かび上がる。


わたくしが修道院の寄宿舎に入る前の事だ。

海の近くにある領地で、夏を過ごしていた頃だ。


兄とマリウス様は毎日冒険と称して、お屋敷の広い庭に飛び出して遊んでいた。

わたくしも、遅れないように精一杯走って二人に付いて歩いて、一緒に遊んでもらおうとしていたのだが、未だ幼かったわたくしはいつも取り残されていた。


そんな時、マリウス様は軽蔑したように「遅いな、もっと早く走れないのか」と言う。

わたくしが二人に置いて行かれて、泣きながら兄やマリウス様の名前を呼ぶと「泣くんじゃない、泣いても何も解決しない。泣いている暇があったら走るんだ」と厳しく言い渡すのだ。


けれども、領地の村の悪童が、わたくしの悪口を言ったと聞いて、マリウス様はその悪童を嫌と言うほど打ちのめしてしまったのだ。


そんな時、兄は黙って傍で見ているだけだったけれど。


兄とマリウス様が騎士になって連隊の宿舎に入る時、わたくしの刺繍の腕はまだまだ拙かったのだけれど、イニシャルを刺繍をしたハンカチーフを二人に贈った。


二人が怪我無く安全に過ごせますようにと、祈りながら刺繍をしたのだったけれど、偶然居合わせた叔母様が、ハンカチーフに賦与が掛かっている事に気がついた。


わたくしも賦与が掛けられることを、その時初めて知ったのだった。


兄は半ば迷惑そうにハンカチーフを受け取ったのだが、マリウス様は「有難う」と言ってわたくしをハグし、額に軽く口づけたのだ。


この前マリウス様に刺繍付きのリボンを贈った時のハグも、あの時と同じ文脈に違いない。

廊下が少し暗かったから、マリウス様の黒い瞳が光って見えたのだ。


マリウス様が「エリザ」と呼ぶ声の調子も、以前と何も変わっていないではないか。


「エリザ......エ、リ、ザ......エリザァ!」


わたくしがハッと気付くと、叔母様が呼んでいた。


「エリザ、何をボーッと考えているの?手が止まっているわよ」


わたくしはリボンに賦与を掛けている間に、思い出の迷路を辿っていたようだった。


「余りにも刺繍に根を詰めたのね。昼食にして、少し休みましょう」


わたくしは叔母様に促され、リボンの刺繍を止めて叔母様の居間に行った。



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