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生まれちまった悲しみに

 寒さで目を覚ましたあたしが最初に見たのは、まっ黒な空からちらちらと降ってくる小さな雪だった。


「なんで生きてんのよ……」


 あたしは雪の上であおむけに転がっていた。記憶をたどる。あたしが暴走させた車がガードレールに突っ込んで、これで死ねると喜んだ。そこに五味の腕が伸びてあたしを――そうだ、あの男はどこにいった? どうしてあたしは車の外にいる? ところどころに痛みが走ったが、かまわず身体を起こしてあたりを見回す。いた。五味だ。


「……ちょっと……あんた、なに倒れてんのよ!」


 あたしの近くで五味もあおむけに倒れていた。割れたガラスの破片を全身のいたるところにつけた五味は、身体のあちこちから血を流して雪を赤く汚していた。


「無事でよかった……」


 そう弱々しい声で言った五味は、あたしの後ろを指で差した。車がガードレールを突き破って、崖下の雪に突き刺さるようにして転落している。


「崖下の雪がクッションになったみたいだな……ガラスを突き破って外に飛び出たが死ななかったよ……」


 確かにフロントガラスが割れている。けれどそれでここまで飛ばされるとは思えなかった。雪の上をよく見ると、車からここまで引きずったあとが伸びている。


「ガソリンが漏れている……気を失っていたキミを引きずってここまで来たが、もう動けない……キミは動けるなら、早く離れて助けを呼んだ方がいい……」


 ガソリン。言われてその臭いに気づく。こいつはひどいケガをしているのに、気絶していたあたしを助けるために、ここまで引きずって移動させたらしい。助ける? 助けを呼ぶ? なんのために? だってあたしたちは――、


「――あたしたちはここに死にに来たんでしょ!」


 怒鳴るあたしを、五味は荒い息を吐きながら見上げた。苦しげな、けれど強いまなざしがあたしの目をまっすぐに見る。


「僕は……死ぬ。キミは……生きろ」

「は?」


 あっけにとられた。この期におよんで、この男は自分の美意識にしたがってまともであり続けようとしているのだ。


「あんた死ぬの? ここで? これで?」


 ふざけんな、バカにすんな、ナメてんじゃない。


「なんだあたし助けて、あんたひとりで死のうとしてんだよっ!」


 ツバを飛ばして怒鳴りつける。けれど五味は無言であたしを見るだけだった。勝ち逃げされたような気持ちになって、あたしはひどく悔しくなった。ふざけんな。


「……あんたはなんで死にたかったのよ」


 あたしの理由を否定した、こいつの理由を知りたくなった。それを最後に否定してやる。そんな悪意のこもった質問に、五味の答えはどこまでもふざけたものだった。


「……みじめだったから」


 五味はしぼり出すような声でそう話し、


「どこにいても……どこにも自分の思う自分じゃいられなくて……だから……」


 だから自分の思う、どこまでもまともで、正しく、美しい死に方をするために、あたしを助けて、こいつの書いた詩のように白くきれいに雪の下に埋まろうとして――そこであたしは心の底から怒りにふるえた。


「じゃあ、なんで泣いてんの!? ふざけんなよっ!」


 五味は泣いていた。念願の死を前にして泣いていた。喜びのないふるえた顔で泣いていた。許せなかった。それは絶対に許してはいけないものだった。


「最後に泣いたらみじめじゃないか! 笑って死ねよ! ふざけんなっ!」


 スマホを取り出す。画面にヒビが入っていたがまだ動く。あたしは怒りにまかせて救急車を呼んだ。


「死なせてたまるか、クソ野郎!」


 ハンカチやティッシュを取り出して、五味のケガの止血をする。幸い出血が派手なだけで、素人にもわかるような致命的なケガは見当たらない。血もすぐに止まった。


「あとは寒さ――」


 ちらつく雪はやんできていたが、この寒さでは救急車が来るまでにこごえ死ぬ。あたしは五味の身体をあたためようと寄りそったが、もうその肌は冷え始めていた。


「なにかあたためるもの……火、燃えるもの――」


 そこであたしはガソリンの臭いを嗅いだ。あたしはすぐに五味のコートのポケットからライターを探し出すと、崖下の雪に突き刺さっている車へと近づく。


「火のつくもの……」


 ポケットをまさぐると、そこに一枚のメモ紙があった。



  葉が落ちた

  土の上にうずくまる

  その死骸を

  雪が白く覆っていく

  そのままずっと

  白くきれいに

  埋もれたままでいればいいものを――



 あたしはこの紙に火をつけて、車にむかって放り投げた。


 ――爆発。


 ガソリンに火がついて、黒煙を上げながら車が赤々と燃え上がる。あたしは熱の届くところまで五味を引きずってくると、その身体を背中から抱いて、じっと燃える炎を見つめた。

 そこであたしは気づいた。

 黒々と煙を上げる炎のむこうで、空に白い光がひろがっていく。


「――朝?」


 雲の切れ間から光が射す。白くまぶしくあたしたちを照らした朝の太陽が、きらきらと雪を輝かせて世界を光で満たしていく。

 冬の朝日は弱々しかった。けれど陽射しは確実にあたしと五味の身体をあたためていく。

 五味を抱く腕に力を込めた。かすかに熱の戻った身体があたしの腕の中で息をしている。あたしは朝焼けがじわじわとひろがっていく光景をながめながら、ふっと「ああ、生きてしまったな」と思ってしまった――そのときだ。

 あたしの目から涙がこぼれた。


「――は? え? なんで?」


 涙がどんどんあふれてくる。泣きたくなんてないのに、涙がどんどんあふれてくる。いやだ。なんで。こんなのいやだ。だってこれじゃあ、これじゃあ、あたしは。


「……ふざけんなよ……なんで……なんでいまさら……」


 ぬぐってもぬぐっても涙はとまらなくて、とまらなくて朝日がどんどん優しくやわらかくあたしをあたためていって、こんなのいやで、いやで、くやしくて、最悪で、でも、あたしは、あたしは――。

 サイレンが遠くに聞こえた。


「あぁぁぁああぁぁぁぁあぁあぁぁぁぁあぁあぁぁあああぁぁぁぁぁぁああああぁぁっ!」


 朝焼けなんて見たくなかった。

 生まれちまった悲しみに、あたしは大声で空に吠えた。

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