泥色の青春に赤い花
青春なんて存在しない。
そもそも高校三年間なんて、人生全体で見ればただの通過点でしかないのだ。
泥色の人生に鮮やかな青が急に落ちてくるわけがない。
卒業の日、私はそんなネガティヴなことを考えていた。
決していじめられていたとかじゃない。
クラスに友達が一人もいなかったわけでもない。
ただ、思っていたのはこうじゃなかっただけ。
「ねえねえ、写真撮ろう」
さして仲良かったわけではない女子が話しかけてきた。
私は無理やり笑顔を作る。
パシャリと音をたてて、その子はすぐに別の場所に行った。
写真なんてスマホが壊れれば一瞬でなくなってしまうだろうに。
そう思う私は冷めているのだろうか。
まあいいか。
別に写真を撮ったって死ぬわけじゃああるまいし、何より私が気にすることでもない。
クラスの中に解散の空気が流れ始めた。
見回してみると何人かの女子がぼろぼろと泣いている。
一生の別れでもなんでもないのになんでそんなに泣けるのだろう。
心の中で少し呆れた。
私はそんなクラスメイトをよそに、学校の奥にある薄暗いトイレに行った。
最後の挨拶に、だ。
三番目のトイレの扉を三回ノックする。
「はーなこさん、遊びま……」
「今日も来てくれたんだね」
私が言い終わる前に、ニコニコと笑ったおかっぱ頭の少女が自ら出てきた。
私が高校一年生の時に興味本位でこの決まりきった儀式をやったら、なんか出てきた。
それから週に一回くらいの頻度で私はここに来ている。
初めて会った時に、寂しいからまた来て欲しいと言われたのだ。
私も、クラスの女子と一緒にいるより世間知らずでちょっと天然の入った幽霊といた方が気が楽だった。
「そりゃあ、もう卒業だし挨拶くらいはしといたほうがいいかなって」
「そっか、もう卒業しちゃうのか……」
彼女は少し寂しそうに涙を溢した。
私は軽くため息をつく。
「何泣いてんのよ」
外に聞こえないように注意を払いながら、静かにそう言った。
「だってさ」
そう言った途端、彼女はさっきのクラスメイトみたいにぼろぼろと泣き出した。
「えっ、ちょっと」
触れないということを忘れて、彼女はいきなり私に抱きついてきた。
感覚は全くないはずなのに、何故か少しだけ温かく感じた。
「あなたと出会うまでずっとひとりぼっちだったから。わたし、あなたとの時間が大好きだった。怖がらないでふつうに接してくれるあなたと一緒にいる時間がすっごく大好きだった。本当は卒業おめでとうって言いたいけど、言いたいんだけどね……」
そう言った彼女の方は震えていた。
私の頬を何か温かい物が伝っていく。
そうか、私も寂しいんだ。
彼女と別れるのが本当はとても、とても。
抱きしめられないのは分かっていたけど、それでも私は彼女を包み込んだ。
なんの言葉も出てこなかった。
別れの時、彼女はくしゃりと笑った。
写真にも何にも残せない彼女の姿を、私は心の中に焼きつけた。
私の青春は青くは無かった。
でも、可愛らしい花が一輪ぽつりと咲いていた。
泥色の青春に一輪の赤い花が。
私はいま、またこの学校に来ていた。
今度は生徒じゃなくて、先生として。
生徒がみんな帰って静まり返った頃に私はあの薄暗いトイレに一人で向かうのだ。
あの可愛い笑顔に会うために。