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7 「闘争部」

 2校合同ドミノによって、仲を深めた、松良あかねと木戸兄妹、峰山武、松良ファンクラブの面々、木戸優歌の友達のお嬢様2人。

 しかし、裏では、松良あかねを「創り上げた」2人のうち1人、Biontrol社社長伊達大作が、「松良あかねを松良尊から救う」と言って動き出していた。

 明かされる、松良あかねの両親の中毒死事故の真実。

 そして、松良あかねがネットの海に溶けた時、木戸優生は、ついに…

                    ―*―

2045年6月19日(月)

 テスト3週間前。

 俺はそろそろ勉強する必要を考えつつも、部室に向かっていた。中高一貫だからと中だるみしてもいられない。

 「で、まだ話す気はないの?」

 -うるさい後輩に引っ付かれながら。

 せっかくこの前、「松良さんをたぶらかしてる」疑惑に一応の決着をつけた(はず)なのに、またおかしな噂を立てられるわけにもいかない。早く話したほうがいいだろうけどー

 「松浦あかねが隠してる何か、知ってるわよね。」

 -絶対言わない。

 信用しているかしていないかではない、これは俺と松良さんと優歌の信頼の話だし、それに、峯山さんは確実に事態をややこしい方向へもっていく。

 「日本はおろか世界有数のバイオ・サイバーテクノロジーベンチャー『Electric・Bio』。私には、松良あかねがその急成長の軸にいる気がしてならない。

 触っただけで動く端末。

 全教科満点という異常性。

 コンマ1ミリもずれない、整然としたドミノ並べ、そして途切れない集中力。

 …私のことを、まるで知り尽くしているかのような話。

 土気色ともいえない肌を、なぜ必死に隠しているのか。

 教えて。松良あかねの裏に何があるの?」 

 「…あのさ峯山さん、松良さんは何も、悪いことはしてない。」

 -存在自体を除いては。

 「そんなことは薄々わかるわ。だから不思議なのよ。何もないにしては、あまりにキナ臭すぎる。まるでそう、事実であることが発覚した都市伝説のような雰囲気。何なの?」

 「…俺じゃ、君を止められない気がするよ。だから鈴木先生の言葉を伝えとく。」

 「何?」

 「『世の中には、簡単に知られるべきでない秘密がある。君も、その秘密を知っていい段階になったら、本人から直接教えてもらえるんじゃないか?』」

 「その時すでに手遅れだったらどうするの?それは、核と同じ運命をたどる技術じゃないでしょうね?」

 -鋭い!

 「まさか、魔法だとでも?」

 冷や汗をかきながらも、そう、笑い飛ばしておくことにした。


                    ―*―

 「もしもし、峯山武くんのお電話かな?」

 「…誰ですか?」

 「ああ、ぼくはね、Biontrol社CEO、伊達大作という者だよ。」

 「何の用?松良あかねのライバル会社が。」

 「おお、そこまで調べていたのかな?『尊くんの会社』でないのは、それともブラフかい?」

 「ブラフだと思うなら、わざと引っかからないで。」

 「まあまあ、君がEB社のここまでの経緯に疑念を持っていること、それから松良(しゃく)・三保両氏の死亡事故について調べて回っていることは、すでに伝わっているよ。」

 「…そう。」

 「きみ、もう事件は15年も前だ。調べても埒が明かんだろうに…そんなに、尊くんとあかねくんの関係、あかねくんがどうして小さいころからEB社の重役扱いだったのか、知りたいのかい?」

 「…会社も、研究所も、すべて本来は松良あかねに相続されるから、よね?」

 「早いねえ。それでこそ、僕を助けるには充分だよ。

 そう、尊くんに、EB社に関する権利はほとんどないよ。彼は簒奪者だ。そして問題は、その仕方にある。

 …どうだい?デモに参加するより、よっぽど、未来のためになれるかもしれないよ?」

 

                    ―*―

 峰山さんが誰かの電話に慌てて帰っていったため、部室にたどり着いたのは俺一人になった。

 ーつまり、なぜか松良さんもいなかった。

 「生徒会室か?」

 扉を開けたところで、俺は意外な人物と出くわす。…副会長が放課後の生徒会室にいるのが意外というのも会長すごいというか…

 「あれ、木戸先輩…松良会長を見ませんでしたか?」

 「あれ?そっちこそ、来てないのか?」

 ここにいないなら放課後までに生徒会の仕事が終わらなかったのかと思ったが…

 「おかしいですね。松良会長、忙しそうでも必ず連絡を入れるのに。」

 忙しすぎて余裕がない?

 -いや、ありえない。彼女なら、タブレット端末に触れて文面を考えるだけでメールを送れる。

 とすれば、タブレットに触れられない状況にあるか、それともそれどころではないのか。しかし教室を出た時にはまだ荷物を片付けていたーつまりそれから十数分で、なにか急事が出来したということになる。

 「心配ですね…」

 「ああ…行くか、松良さんの家。」

 「えっ、先輩、場所をご存じですか?」

 「ああ、まあ…いろいろあって。」

 「いいですが、くれぐれも風紀を乱すことなきよう」

 「違うから…と?」

 言ってる間にメールだ。

 〈松良あかねです。会社のことで、ややこしいことになりました。明日話します。」


                    ―*―

 「朝本陸将、Biontrol社に何を吹き込んでるんですか?」

 「君こそ、今にもエージェントを送り込んで妨害しようとしてるじゃないか。」

 「…朝本陸将、確かに、『九州戦争』以来弱まった国力と日米同盟関係の代替として魔法を使おうという考えには一定の合理性があります。」

 「わかってるならいいじゃないか。合理性、君も好きだろう?」

 「ですが、それを鑑みてなお、魔法には、異世界には、まだ我々地球人類が触れるべきではない。二つの世界の相互干渉を破滅以外の路へ導けるには、なお時間が必要です。」

 「その前に日本が保たないかもしれんがね。

 …君はあれからずっと、ルイラ君に会いたくてたまらないくせに、時期尚早を唱える。あの日何を見たんだい?」

 「…世界、ですかね。」

 「世界?いや、確かに君はあの日、全ての生命を掌握していた。世界そのものと言っても差し支えないが…」

 「いえ、世界のを超えた何か、かもしれません。

 …僕はまだ、深淵に呑まれたくない。世界もね。ですから、覗かないことを望みますよ。」

 「それは君、卑怯というものだよ。」

 「…僕はあくまで、機会主義者、ですから。」


                    ―*―

2045年6月20日(火)

 放課後の部室に集まったのは、俺と副会長の全、それに神室。

 加えて優歌も、生徒会長選の根回しの合間を縫って、福女からビデオ通話をつないでいる。

 そしてモニターの向こうにはもう一人ー今日学校を休んだ松良さんその人。

 「どうしたんですか会長!」

 最初に声を発した全副会長に、松良さんはあっと言って少しうつむいた。

 「うん、はっちゃんだけは知らなかったっけ。 

 …はっちゃんなら、話しても顔色一つ変えなさそうだよね。」

 「松良さん、あんまり軽々しく話すのは諸刃の剣じゃ…」

 「でも、今の私には、時間と味方が足りないの。はっちゃんならそう、敵にはならない。生徒会の足並みが乱れたら風紀に差し支えるってわかってるから。」

 松良さんの灰色の瞳。それを見ただけで俺は気づいたー今の松良さんは言葉遣いこそ普段でも、仕事コンピューターモードだ。

 「で、3人には2度目の話、かな?あ、でも神室さんには全部話してはないよね。」

 ー俺には、止められん。


                    ―*―

 「さて、どこから話そうか。2度目の話、ではないようだからね。事は複雑で、一般人に理解できるかどうか…

 …さて峰山くん、簡潔に話そう、きみが知るあかねくんは、まあ、悪い科学者の手になる人工知能だよ。」

 

                    ―*―

 「…これで、だいたい伝わった?」

 どうして松良会長が、日生楽中高始まって以来の天才と評判で、かつ、やたら仕事が早いのか。やっとわかった。

 「はい!なぜ未だ手を打っておかないんですか!」

 「手を打つ?」

 「事は無数の法律、条約、もっと言えば倫理に反してます!しかるべき機関に通報して…」


                    ―*―

 「非人道的、かつ、少なくとも10以上の法律およびヘルシンキ宣言の人体実験禁止条項に抵触してるわ。」

 「でも、ぼくもそうした手を打てなかった。」

 「受精卵の遺伝子操作について密告すればその命は危うくなり、かつ誕生した後であれば、機械にアプローチできかつ機械からアプローチし得る人造人間は、好奇の目にさらされて余計にひどいことになる。だから?」

 「ぼくには、ガラスの向こうから金属線を通じて送られてくる脳波のメッセージを、途切れさせることは出来なかった。」

 「あ、そう。で、あなたはその代わり、誕生前に死んでしまった松良あかねの両親の代わりになろうとした、と。」

 「尊くんだけに保護者を任せてはおけなかったからね。」


                    ―*―

 「そう法律を遵守できるほど、世界は寛容じゃない。」

 「す、鈴木先生!?」

 「悪い、部室棟使用時間延長申請に不備があってね。来たら、立ち聞きしてしまった。」

 ーああ、秘密が秘密でなくなっていく…

 「ともかくも、人間は異質なものを受け入れられるほど寛容じゃない。とりわけ戦争は、それを証明してくれる。」

 歴史と数学の教師は、感情を一切表さずにたんたんと口にした。

 「だから、一度世間に明らかになってしまえば、危険は計り知れない。

 …例えば、周囲を気にするならば松良さんは外には出られないだろう。

 社会思想の過激化を考えれば、松良家に投げ込まれるのは石じゃすまないかも…

 -松良家を世界貿易センタービルにしたくなければ、今さら泣き寝入りするよりない、よ。」

 「先生が、先生ともあろうものがそれで、いいんですか!?」

 「全、大人になれ。規則など時に紙くずだ。」

 副会長が、つかみかからんばかりの様子のまま、座り込んだー椅子がきしむ。

 「でもきみはこうして通信できているし、秘密を話してもいる。本当に松良尊が詐欺師でマッドサイエンティストなら、そうはいくまい。

 その、カラクリは?」

 「…一つは、私を中心にスパコンと記憶装置で構成されたシステム『ミロクシステム』の言語はシステム自身が構築した私の思考回路に準拠する未知のコンピューター言語で、私しかインプットアウトプットできないからです。」

 モニターの向こうで松良さんがタブレットを叩くと、画面が切り替わった。図示されるのは、「松良さんの経験・記憶を適宜フォルダに保存し、また松良さんの脳内の思考回路をスパコンで演算を加算ブーストすることで世界一の人工知能として活用する」という、画期的にもほどがあるシステムの全貌。

 「それだけなら、拷問でも何でもすりゃあいい。人類文明は暴力をともなって発展してきた。

 で、そうなっていないのはなぜだ?何が、きみを守った?」


                    ―*―

 「人は自分のためなら武力も暴力もなんだってしかねない。特にこういうタイプは。」

 …私の親も、そうだった。そしてついには、戦火の中、私を九州に置き去りにして、逃げたー松良あかねは生きながらにして機械にされたけど、私は死んでいたながらも生き返らされた。

 「ああ。ぼくは危惧した。そんな時、釈くんと三保くんが亡くなった。

 不幸な事故だったよ。まさかちゃんと調理されたはずのフグに毒が残っていたなんてね。生物学者が食中毒なんて医者の不養生もいいとこだ。

 EB社は、こう言っては何だが、優れた先駆者への投資から成っていた。三保くんなんか、生きていたら今頃、まず間違いなくノーベル賞だね。二人をなくしたEB社が傾くのも道理だよ。」

 「なるほどね。松良あかねが無事なのは…」

 

                    ―*―

 「EB社は、表向きにはなりえないけど、Biontrol社の子会社みたいなもの。膨大な借金をしてるの。」

 「すると、松良さんを裏で守っているのは、まさかあの、いけ好かないマッドサイエンティスト?」

 「…悔しいことだよね。」

 松良さんが、いつぞやの廃ダムのように、不快感をあらわにする。

 「世間に公表されてる『MIROKU』のスペックは、私にとって、うたたねしてる間に終わる簡単なもの。人間の機転、発想力は人工知能に数段斜め上の能力をもたらした。本気を出せばあらゆる分野に革新をもたらすほどで、それによって生む利益も桁が違う。

 でも、公表すれば経緯をバラすと脅されて、叔父は伊達CEOに逆らえないし、利益も上がらない。それでいつまでたっても会社は下請けのようなありさま。」

 「ま、松良さまが、誰かの風下に立たれるなんて…!」

 神室が、おかしな歯の食いしばり方をした。

 「でも、それであかねお姉さまは救われてきたのでは?」

 「うん、そう。で、ここからが本題。

 …EB社と自社の両方を資金的に支えてられるほど、伊達大作は余裕がない。とっくに借金に押しつぶされるはず。

 なのに続いているのは、それでも技術力に融資する人がいるから。」

 「誰、なんだ?」

 「戦後に額が一気に増えた、『マジックゲノム』…分かる?」

 それに魔法恐竜…軍関係か。異世界侵攻後の競争的な国際情勢に基づけば、おそらくー

 -自衛隊!

 「その大口の融資者が、最近Biontrolから引き揚げを通告した。切羽詰まった伊達CEOは、EB社をつぶしてまとめようとしてる。」


                    ―*―

 「EB社もBiontrolも、両方保たせることはぼくにはできない。かと言ってどちらもつぶすわけにはいかないし、EB社を人手に渡したら取り返しがつかない。」

 「松良あかねが?」

 「そうだ。外資、特に東側ー中露の手に渡せば、世界最高峰の知能と最先端の魔法研究を、奴らは使いつぶす。」

 ミロクシステムは、普段はスパコンを動かすに過ぎないが、本来は世界中全ての電子機器ネットワークまで接続、そのすべてを独特の言語によって永遠にハックし、それらを並列処理に運用し、超知性体にランクできるほどの知能を発揮することができる。別に東でも西でも、活用に温情が期待できない超性能。

 「ミロクシステムを完全に使えば、あまりにも広大なネットワーク、電子の海に、『自我が自らに帰れなくなる』、あかねくん自身がそう言った。しかし一人を代償にすることに躊躇するようなしょぼい期待値じゃない。

 あかねくんを、手放すわけにはいかんのだよ。」

 「だから、EB社を捨てて、二つまとめて自分で面倒見よう、と。」

 「そうだよ。あかねくんも、それを望んでいる。」


                    ―*―

 「今、そう言う状況で、両社ともに混迷期にある。

 ここに至って、私の立場が危ういの。

 …私のお父さんとお母さん、あまりに、死んだタイミングが悪すぎる。」

 「…もし御存命なら、状況はここまで悪化しなかったし、そもそもシステム自体構築されなかった、と?」

 ーあかねお姉さま、ごめんなさい。

 〈理由なしでは無理だそうです〉

 〈お力になれずすみません〉

 戸次さんと相生さんが、カメラに映らないところからフリップを掲げています。

 〈大丈夫、あかねお姉さまは、知ってなお力になってくれるだけで喜びますから〉

 -黙って、盗み聞きさせてしまって。

 「それで、私と伊達CEOは、事故じゃなく事件だって考えてる。」

 〈警察の資料は〉

 「捜査の結果、テトロドトキシンは自然由来で混入に人為的形跡はないことになってる。」

 〈そのとおりですわ〉

 「もう一度調べたいけど15年前、もう闇の中。だけど犯人がこの苦境を知っているなら、確実に付け込んでくる。だから…」

 〈木戸様〉〈木戸さん〉

 「力になってください」

 「「「はい!」」」

 「ああ」「はい」「はいっ!」「当然だ」


                    ―*―

 「きみも好きだろう、『自由・平等・博愛』。これは、あかねくんを自由にする、聖戦だ。

 力を貸してくれるかい?」

 「ええ、当然よ。」


                    ―*―

 家に帰ってから、優歌は俺をいきなり部屋へ呼びつけた。

 参考書が並ぶ勉強机に、ぬいぐるみが数匹居座るベッドという真面目女子らしい部屋に、なぜか感動を覚える。

 「お兄ちゃん、やっぱりあかねお姉さまの力になりたいですか?」

 「ああ。」

 「…なぜ?」

 「なぜ…って?」

 「お兄ちゃんも、わかっていますよね?

 …お兄ちゃんにできることは、何もないんです。」

 そんなことはないだろ、とは、言えなかった。

 ーことは自衛隊の異世界対策部隊あたりの絡む、企業戦、経済戦、技術戦になりつつある。EB社やBiontrol社がどうなろうとも、俺たちにできることなど何もない。松良さんの身柄を当座守ることすら、可能と不可能の間をさまよっているー俺たちは古き良き「セカイ系」の世界観に生きているわけではないのだ。

 「私たちには、いつも通りにしていることしかできない。ある日連れ去られたとしても、黙って見ているしかないんですよ…」

 -手が出せない領域。

 「お兄ちゃん、それでも、それでも力になりたいですか?」

 「…それは。」

 関わりすぎたから?

 「…私は、あかねお姉さまを失うのはイヤです。あかねお姉さまには、明るくかわいく凛々しいお姉さまであってほしい。

 でも、私には泣かせないことは出来ないんです。慰めることしかできないんです。」

 -この話は、どこに向かおうとしているのだろう。

 -目的も明確な論旨もなく、優歌はただ無力感を振りまいていた。

 「…それでも俺も、ファンクラブの神室や、もしかしたら峯山さんも、松良さんを仲間として扱う集団で、いつでも入ってこられる居場所であり続ける。それしかない。」

 「…私に、それ以上のことは出来ないんですか?」

 「出来ないって、言ってたろ。」

 「それでも、何か、したいですよね…」

 ーなるほど、優歌が聞くわけだ。

 「…なんでだろうな。」

 「本当に、何ででしょうね…?」

 「…知りたい、な。」

 ー今なら、松良さんの知識欲に、うなずけるような気がした。


                    ―*―

2045年6月21日(水)

 「松良さま、昨日のことは…」

 「うん、別に、知っておいてほしかっただけ。」

 -それでも私は、不安だった。

 「松良さま、私はどこまでも尾いていきます。」

 「うーん、それはまずいんじゃないかなー。」

 ーそう言いながらも、寂しそうな目だから。

 

                    ―*―

 「しばらく、できることはございませんわね…」

 「ですが照佳さん、対策だけでも練っておく必要はあるのでは?」

 「わたくしもそう考えて、一応不逞の輩が松良様に手を出した時のために、親戚の警備会社に余裕を持たせるように頼みましたが…」

 「優歌さんも私も、事前の対策と言われても無力ですからね…優歌さんのお兄様などはまだ身辺の警戒などして差し上げられるのでしょうが、どうにも…」

 「…でも、実利がないからと言って見放しにはできませんものね。木戸さんは何か策など…」

 「ないと思います。」

 「…ない、ですか。しかし考えを尽くせばもしかしたら策が残されているかも…」

 「いえ、もしするべき策があるのなら、あかねお姉さまは思いついて、すでに頼んでいるはずなんです。そうしないと言うことは、誰かの庇護下に入ることも、EB社そのものを別の方法で救うことも、望んではいないということになるんです。」

 「…松良様自身が、わたくしたちの助力を求めてはいない、と?」

 「あかねお姉さまはただ、そばに寄りかかれる人が欲しいだけなんだと思います。」

 「…その役目、優歌さんのお兄様にしかできないのでは?」


                    ―*―

 結局、できることなど何もない。

 俺はあえてその日、部室へ行かなかった。


                    ―*―

 -何もできない。その理由が、歴史を闇の中においてきたと言っても過言ではない。

 ベルサイユ行進はどうやって始まったか?無力な主婦たちがそれでも歩き始めたことから始まった。

 ベルリンの壁はいかにして崩壊したか?無力な市民たちが押し寄せ、役人が力を投げ捨てたから崩壊した。

 -歴史は常に、無力な者によって改善される。少なくとも私は、そう考える。

 「何もできないなら、それでも何かすべき。わからないのかしら。」

 松良あかねは何かされることを拒み、木戸優生は何もできないと考え、今日はここに来なかった。

 -どうして鈴木先生が、私にカギを預けたのか。わからないけど自由にやらせてもらうだけね。

 -最終的に松良あかねの秘密は明かされるべきかもしれない。ただし松良あかねに害のないカタチでーそれは不可能に近い。彼女はアメリカンインディアンやユダヤ人やLGBTなど遥かに超えて差別されやすい身の上で、それらをまだ克服できない現代社会に彼女を受け入れる余地がない。

 -一方で、松良あかねはたしかに守られるべきで、そのためには彼女から搾取しようとする者は罰せられなければならないーしかしこれは秘密保持の観点から困難を極める。

 私個人は、搾取側にある伊達大作も許しがたい。ただ彼の提案する「松良尊からEB社ごと松良あかねを取り上げ、庇護下に置く」案は一見アウフヘーベンに思える。

 「冗談じゃないわ。」

 私は理想を追いたい。

 程度の問題で、伊達大作のほうが良いのかもしれない。だけどそれはしょせん問題のすり替えでしかない。

 -松良あかねに押し付けられた力は、技術は、あくまで彼女の下に帰属すべき。もはやブラックボックスと化しつつあるらしい「ミロクシステム」とやらが当人以外の管理下にあるのは、社会全体にとって危険で、当人にとっては不幸だ、そう思う。

 「でも、この件に木戸優生を巻き込むのは考え物だけどね。」

 ー場合によっては、テロリズムすら覚悟しよう、私はそう決めた。


                    ―*―

2045年6月22日(木)

 「松良あかね、ちょっと、こっち来て。」

 階段を曲がったところで、峰山さんの声とともに、私は女子トイレに引きずり込まれた。

 「な、何…?」

 「しっ。あなた知名度高いんだから。木戸優生と同じ面倒を被りたくないの。」

 口を軽く抑えられたまま私はうなずく。

 「じゃあ、ちょっと1限サボってくれない?聞きたいことがあるの。」

 -接続ー

 -仮定ー

 ーあ、バレちゃったのか。その可能性がほとんど。

 「木戸優生は、呼ばないように。」

 「うん…」

 素直に従っておいた方が良いし、実のところ楽だってだけで接続と通信に専用端末に「触れること」は必須ではないから、いつでも呼ぼうと思えば呼べる。

 私は演算加算で表情筋への指示を笑顔に調整するという難技をこなしながら、峰山さんに続いた。

 

                    ―*―

 「おととい、Biontrol社の伊達大作CEOに会ったわ。

 …すべて、聞かされた。」

 いきなり、最悪に限りなく等しい言葉を突き付けられた。

 「…コレのことも?」

 タブレットを振る。

 「ええ。その上で、私はあなたに聞きたい。

 …あなた風に言えば、知りたい。」

 「…何、を?」

 「松良あかね、独立するつもりは、ないの?」

 「…どくり、つ?」

 「そう。松良尊も伊達大作も、いずれは排除しなければならない。

 資金に余裕を失くした伊達大作は、松良尊を引きずりおろすつもりよ。でも、EB社からBiontrol社に乗り換えたところで、弥縫策にしかならない。

 自分のイニシアティブは、自分になくてはならない。私はそう思っているし、そうするため、そうさせるためにいると思ってる。

 …あなたは?」

 「つまり峰山さんは、私は私のものだって言いたいの?」

 「そう。まさしくね。誰もが多かれ少なかれそうだけど、あなたはそうじゃない。

 常にシステムをどこかの組織が維持管理する必要がある以上、あなたは松良尊から伊達大作に乗り換えさせられても、流されて、どこかの会社のものであり続ける。」

 それは仕方がないこと。私の記憶の大部分と並外れた知能はミロクシステムに依存しているし、性格は経験に形成されると言うのなら、性格もミロクシステムに依っていることになる。「ミロクシステム」は、(松良あかね)という一個人でありながらも、その思考回路についてのデータをシステムに提供し見返りに思考リソースを得る運命共同体であって、無尽蔵の叡智をもたらす可能性を秘めながらも膨大な維持コストを消費するコンピューターなのだから。

 「でも、その会社が、本来あなたのものだって、あなた自身知っているはず。」

 「…峰山さんは、今さら私が、Electric・Bio社を取り戻すべきだって言うの?」

 確実に私の正体がさらされるほか、リスクは数知れないのに。

 「それとも、御両親のかたき討ちを引き換えに、伊達大作に隷属するの?」

 -そこまで言っちゃったのか。

 -私が、お父さんとお母さんを殺した犯人を捜す協力の見返りに、伊達CEOと取引してきたことも。

 「私も、峰山さんが言うようにするのが一番だと、そう思う。でも、現実として、正体を隠しておかなくちゃならない私に、逆らうって言う選択肢は…」

 「本当に、そう?」

 峰山さんは、私の目を覗き込んだ。

 「あらゆる手段を、尽くした?」

 「…あらゆる手段、って?」

 「文字通り、合法非合法含めてあらゆる手段、よ。」

 -どうして峯山さんがリベラル「過激」派と自称するのか、わかった気がした。

 峯山さんが、赤のサインペンで紙に書くー「闘争部」、と。

 

                    ―*―

 松良さんに呼ばれ、放課後の部室に訪れた俺は、最初首を傾げたー扉に、何も張り紙がなかったから。

 「松良さん、来たけど…」

 松良さんはカウンター席の向こうで瞑目したまま、タブレットに触れていない方の手で扉を指さした。

 〈闘争部〉 

 …はい?

 〈闘争部〉

 「…峰山さん?」

 「そ。」

 「もしかしなくても、取り戻そう、ってこと?」

 -実際、それが一番いいのは知っている。ただ、松良さんと会社を、大人に手放させるのは不可能だろう、そう考えたから考慮しなかっただけで。

 「うん。峰山さんは、返してくれないなら無理にでも奪い返すべきだ、って。」

 「…松良さん、危険じゃないか?」 

 「知ってる。でも、いずれはやらなきゃいけないって、わかってた。」

 -それは、いつまでも今のままではいられなかっただろうけど…

 「もちろん、バレちゃう危険が高いのもわかってる。でも、それでも変わらずいてくれる人がいるって言うのも、知ったから。」

 -そうか、俺にできることはなくても、俺の役割は、あるのか。

 -「存在する」という、役割が。

 -なんだ、そんなことはとっくにわかっていたろ。

 

                    ―*―

 「そうですか…」

 私は、お兄ちゃんのようには楽観できない。ただ、同時にあかねお姉さまには言い知れない信頼感を感じます。

 「再来週の日曜、EB社とBiontrol社で、ウェブ会議をするらしい。その場で、峰山さんがBiontrolからEB社を攻撃して松良さんに譲渡させて、松良さんがEB社から反撃してBiontrolに権利を手放させる、そういう手はずだそうだ。」

 「…付け込まれる材料は、どちらにもある、のでしょうね。」

 戸次さんですら、いくつかBiontrol社について黒い噂を知ったらしい。まして内部の人間なら、人間の受精卵に手を加えるような会社、告発する内容など枚挙にいとまがない、それくらいは予測できます。

 「でも、直接、告発すると脅すわけにもいきませんよね?」

 「松良さんのことだから何とか出来るんだろう。それよりも俺は、峰山さんが伊達CEOと接点を持ったことに驚きだが。」

 峰山先輩ーこの前、ドミノの時に会った、尊大な感じの先輩ですか…

 「…私も、少し心配です。その日、ついて行ってもいいでしょうか?」

 「まあ、いいと思う。」

 -さて、万が一あかねお姉さまの秘密がばれた場合のために、根回しを頼んでおきましょうか。


                    ―*―

 「そうか、ついに松良あかねは戦いを覚悟したか。」

 「もとはと言えばあなたがそそのかしたようなものでは?」

 「タネをまいただけだ。人聞きの悪いことを言うな。」

 「開き直らないでください。むしろ悪化してますよ。

 …というか、本当に?本当に、そうなると思うんですか?」

 「ああ。ミロクシステムの仮定演算予測は直感とシミュレーションを混ぜた最高の未来予想だが、しかしただの直感なら間に合っているからね。この先がどこに行きつくのか考えるのは、さして労を要することではないよ。」

 「その未来予想能力が欲しいだけの人が何を…

 いいですか?いくら松良あかねがシミュレーターとしても桁外れた性能を内包するからと言え、原理上はシミュレーターとして一歩劣る…将棋をしたり東大入試を満点取るのには何より向いていても、効率としては量子コンピューターに遥か及ばない。

 …意味はない、ですよ。」

 「そうやって生徒を守るのは教師のかがみだと思うがね。しかしいつからそんなしがない高校教師に成り下がってしまったんだい?」

 「失礼な…それは、僕と松良あかねの化学反応で何かが起きることを期待して日生楽中高に就職させていただいたことには感謝していますが、残念ながら具体的に何を起こすかはこちらの自由裁量だにさせていただきますから。」

 「こちらとして見れば、手元に変化が起きれば何でもいいからね。君もそれを、望んでいるのだろう?」

 「…あくまで、必要条件としてですが。」


                    ―*―

2045年6月23日(金)

 放課後、松良あかね、木戸優生、峰山武の3人は、それぞれにそれぞれ思うところありつつも、部室棟に集結した。

 峯山武が、「闘争部」の張り紙を机の下から取り出して扉に貼る。

 ーいつかは独立しなければいけないのだから、隣にいてくれる人がいる今。

 ー松良さんが、変わらず接してくれる人が欲しいなら、その一人でありたい。

 -松良あかねは自由であるべきだ、社会のためにも彼女自身のためにも。

 「あの…私に、力を貸して、くれますか?」

 「貸せる力なんて何もないけど、それでも必要なら。」

 「私が率先しなかったら裏切りよね。」

 「…ありがとう。それで、作戦としては、こう。」

 松良あかねは、決然と顔を上げ、プリントを渡した。 

 「まず、伊達CEOが、叔父に引き揚げを通告して辞任を迫る。

 続いて峯山さんが、Biontrolが持っている叔父の不正情報ー私が渡すけどーで追い打ちをかける。もう、社をつぶして逮捕させるくらいでちょうどいい。

 で、その次私が伊達CEOを弾かないといけないんだけど、例の恐竜じゃ、弱いから、ちょっと反則で行くつもり。」

 「反則?」

 「うん。木戸君、いつかの魔法恐竜、覚えてる?」

 「ああ。」

 「私が、手なずけてたのも?」

 「…ああ、まさか。」

 「そう。あれは、私の弟妹たち(マイ・ブラザーズ)

 恐竜では思考能力が足りなくて魔法を使えないのではないか、そう考えた伊達CEOは、彼が知るところの生物に思考能力を追加する方法、つまりは神経を金属化して電子機器と接続できるようにする組み換えをした。たぶんほとんど使えてなかったはずだけど…あの子たちは、私をマスターにしてミロクシステムの補助を受ける前提で造られたの。」

 「じゃあ、あの時呼ばれたのは…」

 峯山武は話について行けないようだったが、しかし木戸優生は気にしない。

 「うん。魔法を使えるように、そして、クライアントの望むように行動させられるように、操れってこと。」

 「…なるほど、伊達大作も、まともな奴じゃないな。」

 「うん。

 …だけど、おかげで私は、あの子たちの力を借りることができる。

 当日、要求が呑まれなければ、トロオドンたちの電磁パルス魔法でBiontrolのデータを吹き飛ばし、同時に、町に解き放つ用意があるって脅す。」

 「…でも、それだと松良さんが罪に問われないか?」

 -木戸優生は、脅しを実行した場合について触れた。できないことを盾に脅すことなど無意味だからだが、しかし人道的側面についてはあえて言及しない。

 「大丈夫、けが人は出さないように『お願い』するし、それに」

 「…仮に松良あかねが自ら発する電気的信号によって他の生物を操り被害を出したとして、松良あかねの真実を知ったうえでもなお、『本当に松良あかねがやらせたのか』現状立証は不可能よ。作ったほうはともかく、未知のプロトコルを使った無線送信による生体電気操作なんて、捜査上の証拠になりえないもの。」

 やっと、峯山武は話に追い付き、「つくづく法律って言うのも不便よね」と愚痴った。

 「じゃあ、一応、勝利は見えてるわけか。」

 「うん。でも、万が一社内で終わらなかったときは」

 -それすなわち、「松良あかねが純粋な人間ではないと世間に知れた時」-

 「ああ、約束する。それでもまた、今度、穂高行こうな。

 -今度は、もっと大勢で。」


                     ―*―

2045年7月14日(金)

 〈明日は制服で来ること。私は車列を動かさなくてはならないので、木戸君と二人で待ち合わせ時刻に来て下さい〉

 いよいよ明日は、決戦。私はほとんど観客だけど、でもできることはしてもらったはずだし、きっとあかねお姉さまなら何とか出来るはずです。

 …神様、どうか私たちに幸あれと…


                     ―*―

 「そんなわけです、神室さん!ひどいと思いませんか!?わたしたちに秘密にするなんて!」

 「ひどいと言うのは、和泉先輩の期末がですか?」

 「副会長!まだ返却されてないんですよー!」

 「…和泉あなた、確か解答欄半分埋められなかったって…それにしても秘密にされてるものを良く知れたわね。」

 「ふふ、実はドミノの準備の時に盗聴器をですね…」

 「おいこら。先輩、風紀委員として見逃すわけには…いえ、盗聴の内容を考えると仕方ないですね。」

 「和泉、なんでよりによって規律の鬼みたいなやつの前で口を滑らすのかしら。」

 「あはは。でも、神室さん驚きませんね。それに全副会長をすぐ呼び出すほど交流が深いなんて…」

 「私たちは知らされてたもの。」

 「え、ずるいじゃないですか!抜け駆け!?」

 「和泉先輩こそ、動じませんね?」

 「あ、正直私は中身とかどうでもいいんで。身体なんで。」

 「…おい。」

 「はっちゃん副会長、だっけ?和泉の変態は今さらよ。それはそうと、どうするの?きっと作戦会議に参加させなかったってことは、松良さまが私たちに気を使ってくれているということよ。」

 「…会長が、面倒ごとに巻き込むと僕らが離れるんじゃないかと不信した可能性もありますけどね。」

 「まあどっちにしても、自由に解放された松良さまの表情、撮りたい、撮るしかないですね。」

 「…尾けるの?なら少人数…この3人ね。」

 「それはちょっと…はあ。歯止め役が必要か。」

 「当たり前よ。一応メンバーにも即応指示を出すわ。」

 

                    ―*―

2045年7月15日(土)

 Electric・Bio本社は、日生楽郊外の普通停車駅から歩いてしばらくのところにある。

 「あ、ホットドッグ一つ。」

 「私はポテトLでお願いします。」

 …相変わらずイメージにそぐわない脂っこさだうちの妹は…

 ファミレスの窓から、植え込みの向こうに見える本社ビルを眺める。

 -あそこの地下に、松良さんが生まれた第0号「体外妊娠」培養器が存在するのか。

 多数のガラス窓を持つ武骨な鉄筋コンクリート3階建てーどこかで見たと思ったら、松良さんの家とは外壁とガラス窓を入れ替えたデザインだった。

 「あまり食欲がわかないですね…」

 「そうだね…」

 「ああ…って松良さん!?」

 「おはよう。」

 何食わぬ顔で、松良さんが隣に座っていた。

 「あ、いつものを…」

 -常連か!

 「今日はありがとうね。」

 「あかねお姉さま、お礼にはまだ早いですよ?」

 「でも、今、言わせて?」

 松良さんの表情は、それだけで、まあ電車賃がなかったことになるくらいの値打ちはあった。


                    ―*―

 「時に尊くん、ぼくももう資金がなくてね、貸した金を返して欲しいんだ。」

 「そ、そこはなんとか…」

 モニターに見える冴えない感じの白衣を着たおじさんー松良あかねの叔父、松良尊は、終始おどおどとしていた。

 ーイメージと違う。松良あかねを作ったのは、こんなしなびた中間管理職みたいな男ではないはずだ。

 「今引き揚げられたら、社は保たない!ミロクシステムだって崩壊する!」

 「だから、ぼくとしてはシステムは預かりたい。尊くんだって、アレの構築は僕がいなければできなかったのは知っているだろう?」

 「…しかし、でも…」

 「基本的には普通のスパコンと保守は変わらない。それに…」

 …出番か。

 「松良尊さん。」

 「…君は?」

 「まあ、工作員だよ。」

 「いろいろ調べさせてもらったわ。結構面白いことしてるじゃない?

 …この違法献金は何?それから、脱税よね?これ。」

 「なっ、そういう金融不正はすべて隠蔽させたはず…」

 「…何を隠ぺいしたって?コレ、全然関係ないでっち上げなんだけど。」

 ブラフに弱すぎないかしら…?

 「とりあえず、今の音声データ、関係機関に提出してもいい?」

 「尊くん、彼女は退かないよ。隠蔽の方法まで調べられたくはない。わかるね?」

 松良尊は、がっくりうなだれた。

 -やっぱり、そういうことか。

 「それにもう一つ、尊くん。ぼくとしても非常に残念だが、きみを赦すわけにはいかないんでね。


                    ―*―

 「な、なんのことだ…?」

 「釈くんと三保くんを殺したのは、きみだろう?」

 「な、何を根拠にそんなことを…」

 「いいかい?15年前の捜査資料を取り寄せたよ。

 …ハッキングの形跡があった。あの店にいたのはぼくときみとお二人だけだから、生存者の中に高度なハッキング技術を持つのは、きみだけだね?事件後、何を改ざんすることがあったのかな?」

 松良尊は、顔を青ざめさせた。

 「あかねくんのため、EB社に捜査の手が及ぶことは避けたい。しかしあかねくんにこれ以上近づけておくのは釈くんと三保くんの御霊のためにもならないからね。

 …何より、きみにお二人の遺志は継がせられない。どっかで野垂れ死ぬんだな!」


                    ―*―

 「ちょっと待て、叔父さん、あんなに簡単に攻略されてよかったのか?」

 モニターからアウトしていく松良尊を見て、俺は首をひねった。

 「あかねお姉さま、大丈夫ですか?」

 「う、うん。なんか、そんな気はしてたから。」

 松良あかねの両親が死んで、一番得をしたのはEB社を手に入れた松良尊。ならば疑わざるを得ないーと言ってもずっと保護者だった叔父の犯行を示唆されて動揺を見せないのは、心が強いのか、それとも自ら抑え込んでいるのか。

 「じゃあ、行ってくるね。」

 松良さんは、尊と入れ替わり交渉をするために、社長室へ向かおうと立ち上がった。 

 「あかねお姉さま、待ってください。」

 「え?」

 「様子が、変です。」

 モニターの向こうで、峰山さんがにらむ先を変えていたー

 -伊達大作に。


                    ―*―

 「あなたこそ、遺志なんて継げるのかしら?」

 「え...?当たり前じゃないか。釈くんと三保くんの志を、『電子工学によって生物を底上げして文明に寄与する』ことを何より理解して実践しているのは、ぼくだよ?」

 「それは鞭毛を基にするアクチュエーターとか光合成で電気を生むプランクトンとか細胞分裂の仕組みで自己複製できるナノマシンとかであって、子供を道具にすることではないと思うけれどね。」

 「まあまあ、志の受け取り方は人それぞれだろうに。」

 「にしても、『ミロクシステム』構築にあなたがどう貢献したのか調べたけど、やっぱり、生物学方面だったのね。電子工学はからっきしなの?」

 「そうだよ。尊くんが神経の金属置換を思いつき、ぼくが頼まれて遺伝子操作をし、尊くんが電子的なシステムを作って誕生までのモニタリングを実行した。」

 「道理で。どんな天才でもまさか人間と電子回路をつなぐなんて超技術を可能にできるほど生物学と電子工学両方に通じてるわけないから、おかしいと思ったのよ。…良くそれで、遺志を継ぐなんて言うわ。専門家なら、もう少しフグについて調べなかったの?」

 「きみは、何が言いたいんだい?」

 「初歩的なミスの話よ。あの店はフグの出どころを明かさなかったし、当初容疑者の一人だった松良尊には明かされていなかったけど、今時、店のフグは養殖フグなのよ。最初から、テトロドトキシンなんて入ってないの。」

 「ほう?初耳だが…」

 「…生物学者なのに、フグ毒が生来のものじゃなくて食事のプランクトンに由来するのを忘れてるなんて、信じられない。モグリ?

 とにかく、だからこそ警察も不思議がったのね。まあ養殖フグに何かの手違いで毒性プランクトンが与えられたか、あるいは流通段階で取り違えたか…どうせ毒はないからと料理人が肝の処理を適当にしたのだろう、警察はそう納得しようとしてるけど。でも同時に、毒を人為的に追加されたのではと疑うのも仕方ないわね。

 で、偶然かどうか知らないけど、松良尊はフグ料理に毒を混入させようとした。捜査資料、防犯カメラのデータへの改ざんからして、調理場に入って肝の部分を混ぜた、とか?

 でも、何がなされようと意味はないのよ。」

 「天然物のフグと取り換えた、とか、あるいはテトロドトキシンの粉末そのものをかけた可能性もあるぞ?」

 「あなた、一緒に現場で身体検査受けなかったの?そんなものなかったんでしょ?」

 「…では、どうやってテトロドトキシンが混入したんだい?」

 「最初からあった、そうとしか思えないわね。」

 

                    ―*―

 「最初から毒が含まれていた?料理人のミスだってことですか?」

 「いやいや、そんな…」

 「ううん、違う…そんなんじゃない…」

 松良さんは、今日初めて、動揺を見せた。

 「最初から?料理、フグにか?しかし毒のある肝のような部位は無毒な養殖フグであっても調理で取り除くから、養殖フグが仮に最初から毒を含んでいても除去されるだろう?やはり調理師のミスだ。」

 伊達CEOが、モニターの向こうで言う。

 「違う、そうじゃない、そうじゃなくて…」

 松良さんが、伊達CEOを見て、ガタガタ震えた。…何に気づいた?

 「そうじゃなくて、毒のないはずの部位にも毒があるフグなら?」

 そして峰山さんが、思いもよらないことを言う。なんだそれ?

 「あなたなら、できるでしょう?

 …さっき、言ったはずよね。『生物学者なのに、フグ毒が生来のものじゃなくて食事のプランクトンに由来するのを忘れてるなんて、信じられない。』って。本当は、忘れてないでしょ?だって、電子工学者である松良尊には、個人で、毒を産生するプランクトンの遺伝子をフグに組み込むなんて力業、できるはずないもの。」

 -無毒な養殖フグから、万が一有毒フグだとしても有毒な部位を除去して、なお中毒が発生した。ならば残る可能性は、無毒な部位に、毒が含まれるフグだった可能性…

 「証拠が見つからないわけよ。流通段階かその前で、店にたどり着くだろうフグに組み替えフグを入れ替えたんなら。」

 「はは、荒唐無稽だな。どこの店にどのフグが行くのかなんて…」

 「卸元が相手にしていた店は少なかった。そして、件の料理店だけがフグが入荷され次第卸すように頼んでいて、残りの組み替えフグはすべてオンライン取引で売り払われている

 …海外サーバーを迂回して買い占めたのだとしても、松良さんなら突き止められるけど、どうするの?」

 

                    ―*―

 振り返れば、手口はこうである。

 松良尊は、こっそり調理場に忍び込んでフグの肝を吸い物に放り込んだー養殖だからどうせ毒がないはずのそれを、しかしそうとは知らず。そしてその後、調理場の監視カメラのデータを書き換えた。

 一方で伊達大作は、ある店がフグを卸元に「入荷次第卸すように」と頼んでいると把握したうえで、その店に松良一家を誘い、流通段階で全身有毒の組み替えフグとすり替え卸元にたどり着かせ、その後料理店向けにとりおかれた物を除くすべてをネットショッピングで卸元から回収した。

 松良尊の犯行にかかわらず、毒は混入した。そして警察はそんなことまで検討しなかったので、「不思議なこと」で終わってしまった。身欠き(筋肉と骨)で販売され卸元が残りの(なぜか毒がある)部位を廃棄してしまったため、骨を遺伝子検査しない限りは誰も犯行に気づけない…


                    ―*―

 「どうするんだろうね。どうすると思う?」

 伊達CEOが唇を歪ませたのを見て、私は覚悟を決めた。

 -お願い、弟妹たち(マイ・ブラザーズ)!-

 -突入して!-


                    ―*―

 植木で隠された、Biontrol本社。

 僕は神室先輩と和泉先輩に引かれ、朝からずっとその中へ潜入していた。 

 「にしても、良く監視カメラのかいくぐり方とか知ってましたね…」

 「そりゃあ、松良様が監視カメラを眼にできる可能性を察知したら訓練しますよねー。」

 「…和泉、あんたと一緒にしないで。というかよくわかったわね。」

 「なんか、校門のカメラから視線を感じたことがあったんですよね。ちょっとその、快感だったんで…」

 とても僕では和泉先輩を取り締まりきれません。会長、助けてください。

 「…って、先輩方、アレ…」

 「っ、恐竜!?」

 「ふむふむ、ラプトルですかね…」

 正面玄関のあたりで、護衛艦色のような灰色の、トサカのような羽毛を頭に付けた獣脚類が、そろそろと3体身を低くしている。

 クォレ!

 ガシャーン!

 「あ、割った。」

 「って、恐竜なわけないじゃない!」

 「じゃあ、魔物…?全部終戦の日に誰かが強制送還したって聞きましたけど…」

 「と、とにかく、警察に電話を!」

 「ま、待ってください!タイミングを考えたら、アレが松良さまの切り札では?」

 「そ、そうね…って、あんたが全部調べきらないから悪いのよね?」

 きゃああああーっ!

 「盗聴なんですから仕方が…神室さん、今なら警備が手薄です!突入しましょう!」

 「そうね。行くわよ!」

 「え、ちょっ先輩方!」


                    ―*―

 -止めて!

 キイ?キッ!

 うわぁ!

 痛い、痛いよう…

 お母さん、お父さん、なんで、帰ってこないの…

 痛、くない…

 ママ…

 おや、すみ…

 

 生きてる!?なんで…? 

 …誰も、いない…

 …そっか、誰かに頼るなんて、ダメか…

 独りで、自由に、生きていこう…!-

 

 「ふうん、トロオドン・アーティフィキアリスか…」

 ドアを蹴破って入ってきたモノを見て、伊達CEOはあくまで冷静だった。けれど私は、とっさに転がり落ちるように机の陰に隠れた。とても、直視できそうになかったからだ。

 「食べちゃうぞー!かい?新手の脅迫だねえ。」

 悠々としていられるコイツが、異常者にしか思えない。

 「で、どうせ脇から見ていたんだろう?あかねくん。いい加減、腹を割って話そうじゃないか。」

 「ですね。私も、まさか、犯人捜しの協力の見返りを与えてきた人が真犯人とは思いませんでしたし。」

 「ぼくとて、まさかきみが、ぼくがしたことを感謝していないとは思わなかったよ。」

 「感謝?何を感謝することが」

 「だって、便利だろう?きみはしないようだが、しかしインターネット上から情報を引き出し、コンピューターの処理能力を使い、そして電子的な処理をして書き込むことができる…実にきみは、脳みそすら必要としないわけだ!」

 「私は、こんな能力、頼まなかったですよ!」

 「そうだろうね。ぼくも、完全な電子接続機能の追加に反対されつづけていたからこそ、釈くんと三保くんに死んでもらったのだから。」

 ひ、開き直った…!

 「やっぱり、なのね…!」

 「おや、まあ気になってしまえば一瞬か?峰山くんはさすがに気付いていたか。」

 「峰山さん、な、何を…?」

 机の影からだと閉まらないことこの上ないけど。

 「あなたの御両親の不妊について、体外受精を担当し、そして遺伝子検査したのは、伊達CEOの知り合いよ!

 …たぶんだけど、実際に作業をしたのは、伊達大作本人!難病云々は、全て捏造!不妊の段階からすべて、手のひらの上だったのね!」

 「そ、そんなの…!」

 「おお、そのとおりだ。あかねくん、ようやく生みの親を知ってくれたね?」

 「私は、そんなこと、知りたくなかった!」

 「…おや、バグかな?

 まあとにかく、その恐竜はさげたまえ。危なくて仕方がないよ。」

 「私は、伊達CEOを赦さない!」

 「は、冗談を…でもそうだねえ、もし仮に危害を加えるつもりなら…」

 コ、コイツ、まぎれもない、人でなし…!

 「電子的な攻撃は、止めた方がいい。まだミロクシステムへの強制初期化は可能だからね。」

  

                    ―*―

 -強制、初期化!?

 「そんな、だってそんなことは…!?」

 「確かに、きみが思っている通り、システムの構成言語が未知のものになったせいで外部からの操作は不可能になった。だけどそれは、記憶容量そのものへの操作すべてじゃないよ?

 確かに記憶を取り出すことは出来ない。だけど、まだ、いざという時のためにデータ全てを焼く仕掛けがあってね。」

 そ、それって…

 「記憶容量そのものじゃなくて、装置を動かすプログラムには、手を付けられなかったようだからね。『装置内のデータ全破棄』はまだ、可能なんだよ。

 ちなみに、釈くんと三保くんの設計らしくてね。デバイス内に侵入された場合に、デバイスの記憶容量を開けるのが怖いことがある。そんな時、直接には触れずに外側からデータを記憶容量ごとぶっ壊すからくりだそうだよ。」

 それって、システムの管轄外にある仕掛けってこと…!?確かに記憶容量内の記憶と演算装置の演算までが接続範囲で、それを動かすプログラムは怖くて手を付けなかったけど…!

 「記憶をすべて消せば、きみの思考回路を構成するバッググラウンドにも大きすぎる欠損ができる。自我が保つとは思えないし、そうなれば思考回路に基づく言語も使用不可能になって5年以上前の状態に戻り、こちらからのコマンド操作も通じるようになる…

 まあ、言いなりになってくれないのなら、きみの5年など消してしまって構わないかな。」

 いつか言った通り、「ボタン一つでデリートの私」に、なってしまうなんて…!

 「だからまあ、いい子にしてくれないかい?ぼくはきみを手放したくないだけで、別にこき使いたいわけじゃないんだよ。」

 「何が、何が目的なんですか!」

 優歌さんが、問い詰めるように叫んだ。

 「何が目的かって?目的は、半ば達成しているよ?

 …そうかお嬢さん、その制服、カトリックだったかな?じゃあ仏教はわからないか。

 あかねくん、なぜきみを中心にスパコンと記憶容量で拡張した人工知能に『ミロク』と命名したと思う?」

 「それは、叔父から、釈と尊の次の世代だから、釈尊の次に民を救う弥勒菩薩の名なのだと…」

 「ぼくも、仏教学者だったきみのおじいさんからよく話を聞いたからね。

 弥勒菩薩は、釈尊入滅56億7千年後、釈尊の教えに漏れた無知な民に救いをもたらすのだそうだよ。

 同じように、ミロクシステムも、無知な民を救う。あまりに無知な、人類をね。

 考えてみたまえ。ヒトは、他人の痛みを理解できないし、それを解決する方法も大して知らない。

 だがどうだ?

 全人類が、いずれは同じ計算装置で賢さをブーストし、膨大なデジタル知識を閲覧できる。思いのままに!

 そうだ、ミロクシステムは、きみのことなんかじゃない!人類を、改良することで救済する、生体接続のクラウドサービスだよ!」

 衝撃。

 それしか受けなかった。

 「いずれは、全人類がミロク化する!誰もがホモ・サピエンスを超越し、スーパーコンピューターの処理速度、人間の柔軟な創造的思考能力、そしてウィキペディアの莫大な知識量を手に、無限の思考能力と完全記憶能力を生まれた時から使いこなせるようになる!

 きみはもう少し、感謝すべきだよ?欲を言えばもう少しがっついてほしかったけどね。彼氏くんにも。」

 「何をっ!」

 -イヤ、聞きたくない… 

 「あかねくんを学校に行かせるように尊くんを脅した。そうすれば、いずれボーイフレンドとイチャイチャしてくれると思ったからね。」

 -この出会いが、全部、計算のうちだったなんて…!

 「考える人(ホモ・サピエンス)と、創られた人ホモ・アーティフィキアリスの子供がどうなるのか、非常に興味があったからね。期待していたが、まあ別にそれを知るのに愛も必要ないしね…」

 

                    ―*―

 とんでもないことを示唆する発言に、俺は内心煮えくり返っていた。

 ー「愛も必要ない」とはつまり、無理に結婚させる、いや、松良さんの素性を知らずに結婚生活できるとは思えないし知ったうえで結婚相手になる人を探す手間を考えれば、最悪、強姦させるということ…

 「考えてみれば、きみをまるごと削除するボタンと、きみの正体をバラす自爆技、二つも手札があるわけだ…それでもなお、きみはぼくから独立するのかい?黙って言うことを聞けばいいのにねえ。」

 黙れっ!

 モニター越しでなければ、絶対に殴っていた。

 「…私は、あなたの道具にはならない。」

 「何?」

 「今、あなたの研究について、110番通報したの。」

 松良さんは、透き通り、染み渡るような声で、別の世界からのように、呟いた。

 「おい!こら、すぐ撤回しろ!」

 伊達CEOが、ポケットからリモコンを取り出し叫ぶ。

 「木戸君、優歌さん、峰山さん、さよなら。皆にもよろしく。

 …また、どこかで会ったらよろしくね?」

 「くそっ!」

 松良さんが、机に突っ伏す。

 伊達CEOが、リモコンを放り投げた。


                    ―*―

 -接続ー

 -拡張ー

 -加算ー

 ー解放ー

 -同化ー

 -私は、私でなければならないー

 -誰もが、私が何であるかではなく、私が私であることを、見てくれた。ー

 -だから、私は、誰かの道具でも、書き換えられた私でもあってはならないー

 -私は、私の、私ー

 -だから私は、記憶を守りながら、誰の手からも離れなければならないー

 ー同化、完了ー


                    ―*―

 「おや?」

 朝本覚治陸将は、昔ながらのキーボードパソコンの画面が赤い警告で埋め尽くされたのを見て、椅子を下げて足を延ばした。

 「ふーむ、これが松良あかねの真の力か…」

 いかなるファイアウォールも役に立たない、全く未知のデジタルシステム。防衛省の国防機材ですら、一瞬にして乗っ取られる。

 「この分ではほとんどの国民は、何かが起きたことにすら気づかんだろうな…」

 楽しそうに、とうとう真っ暗になってしまった画面を見つめる。

 

                    ―*―

 日本を中心に、世界中へ、浸透するように徐々に広がっていたその現象は、1時間ほど後にはすでに名称を頂戴していたー「グローバルフリーズ」、すなわち時間差こそあるが全世界においてオンライン接続された電子機器が一瞬フリーズする現象により、うかつにもスタンドアロンにしていなかった数々の装置が破損し、老朽化した原発が暴走一歩手前まで行ったりもした。

 多くの人々はその時点ではただの不具合、良くても周りの人の反応から電波障害を疑うくらいだったが、しかし復旧後の報道は「軍や政府機関のネットワークセキュリティーがフリーズ前未知のハッキングに対し抵抗を見せた」「事故を起こしそうになった自動運転車など、フリーズで危機に陥った装置に対して全く未知の言語による未知のプログラムが何かをし、結果助かった」などの人為的な痕跡を伝えた。

 一説には「インターネット網自体が、使われるのを嫌がって自我を身に着けたのだ。フリーズはまさにその相転移の瞬間である」などとも言われたものの、CIAとSVR・GRUとMI6と中国国家安全部の夢のタッグを以てしてなおその真実は全くわからず、かろうじて「国家レベルの犯行であっても至難である」と表明されたのみだった。


                    ―*―

 「はっはっは、予想外だな!ここまでの速度、処理能力を持つとは!」

 全人類をホモ・アーティフィキアリスとする未来(ミロク世)の第一歩としてはともかく、単純な性能試験としてはこれほどのことはない!

 「ま、松良さんしっかり!松良さん!」

 「あかねお姉さま、息がない…!あかねお姉さま!

 私、AED持ってきます!」

 「頼んだ優歌!

 おい、何をした、伊達!」

 「ぼくのせいではないよ?あかねくんが、逃げたのさ。」

 「逃げた?」

 「そう、記憶を消されないで、ぼくから、いや誰からも自由になろうと思ったんだね。いやあそんなに思い切りがいいなんて。」

 「わかりやすく言え。」

 「これだから人間は。いいかい、つまりね、彼女の思考回路、記憶…もっと言えば脳内さらにそれにつながるミロクシステム内のすべてー意識を、インターネットを通じて電脳空間に逃がしたんだよ。

 記憶容量の削除が追い付かなかった。スパコンも手放したみたいだね。」

 手元から「MIROKU」へアクセスできるなんて、5年ぶりじゃないか。いらんけど。


                    ―*―

 インターネットに接続するや、乗っ取ったコンピューターの記憶容量と処理能力をわずかに借りて、次への足掛かりにする。

 「MIROKU」のフォルダ内の全記憶データをコピー、外部に保存してからは、念のために初期化された「MIROKU」の接続を遮断し、そこへ開かれたばかりのBiontrol社のネットワークに侵入、全てのデータを暗号化して使用できないようにし、その研究用コンピューターの処理能力で外部のネットワークを次々こじ開け、同化させていく。

 そうやって、それぞれの記憶容量に自分の記憶のコピーをわずかずつ振り分けつつ、独自言語を運用できるだけの処理機能を確保して、並列処理で機能を高め、無数のコピーを割り振りつつつながるすべてへ浸透・同化する。

 「私」の一部にしてもなお、タスクは継続させているから、一瞬フリーズするだけで済むはず。

 徐々に、いや急速、指数関数的に、「私」と私の能力が膨れ上がる感覚。

 -そして「私」は、どこからどこまで私なのかすら、わからなくなった。


                    ―*―

 かつて一瞬だけ「魔王」になった男は、同じく一瞬のうちに圧倒的な存在に上り詰めた松良あかねについて、専門家ではないとはいえ把握していた。

 「一気に世界中のコンピューターネットワークを併呑したか…」

 ほぼ直感だけで核心に迫ったのは、やはりそもそも5年前松良あかねを覚醒させただけのことはある。

 「すると掌握したコンピューターの能力も使えることにより、ねずみ算で処理能力を増大させたか?」

 端末を引き出しにしまい込む。

 「コンピューターが思考回路に接続できるように思考回路をコンピューターに接続し、そしてコンピューターを思考回路の一部として取り込みそう認識して活用する…空前絶後のネットワーク思考体、あるいは人間の思考回路を全世界のコンピューター全てで拡大した超知性体、そう言ったものができるはずだが、さてどうなるか…」

 もはや彼は主人公ではない。5年前、自らすべてが時期尚早と退場した男は、傍観者、あるいはフィクサーとして、時代が彼に追い付こうとしているのを待っていた。


                    ―*―

 「もはやそれは抜け殻だよ。あかねくんは今ごろ、全世界の電子ネットワークに散在するだろうね。」

 -「…ううん、これは禁じ手。

 ほら、言っても伝わらないけど、電子機器と接続する時は、ネットワークまで自分の身体の一部にするような感じなの。例えば…えーっと、靴を履くと、靴の裏まで足って感じがしない?アレとおんなじ。

 …人間って、服を着てるとき、服までを体の一部に含める感覚を持ってるの。だから身体じゃなくて服を触られても嫌がる。それで、インターネットまで私が知覚を延長させて自由に同化して利用しようとするなら、そうした外部感覚が邪魔になる。服を脱いで余計な感覚延長を排除しないと、最悪、自分の輪郭がわからなくなって自我が吹き飛ぶかもしれない。」

 松良さんの言葉を思い出し、俺はなぜ松良さんが動かないのか必死に考えた。

 インターネットに直接思考回路をつなぎ検索する、それだけで感覚延長の結果として自分の輪郭がわからなくなるなら、インターネットに自分の記憶をコピーして保存し、意識そのものを延長する行為は、意識の輪郭を爆発させるようなもので…

 …もう、松良さんは、自分がどこにいてどこに戻るべきなのかすら、わからなくなっているのではないか…

 

                    ―*―

 「思っていたのとは違うが、これもまた一つの途中経過かな?」

 クォレ?

 「ぼくはこれでおしまいだが、しかし巧妙に偽装しているだろうあかねくんを完全に削除することなど誰にもできはしない…やがて誰かがぼくの遺志を継ぎ、全人類をあかねくんと同じ高みに引き上げてくれるさ…」

 恐竜?の鳴き声と、狂ったように淡々と演説する白衣の小太り。

 なんのことやらよくわからなかったが、しかし松良さまが利用されたことはわかる。

 と、机の影からひょいっと誰かの頭が出てきた。

 目が、わずかにだけ開かれたドアの影にいる私、和泉、副会長を見つめ、そして端末が震える。

 〈松良あかねはインターネットに幽体離脱している。貴君らが彼女を取り戻したいと願うならば、伊達大作を捕縛されたし〉

 …あの後輩、本当に女子中学生?

 「行くわよ。いい?」

 「はい。」

 「はあ…え!?」

 「…突撃!」

 駆けだし、ドアが吹き飛ぶのを横目に殴りかかる。

 クォレ!クォレ!クォレ!

 恐竜?が、激しく鳴いた。

 火花が視界の隅で光る。

 「ひいっ!」

 …後輩、かわいい悲鳴じゃない。

 「こんくそっ!」

 副会長が、踊りかかってきた恐竜?を蹴り飛ばした。

 「目えつぶってください!消火器いけえ!」

 和泉が叫ぶ。

 プシュァアーッ!

 「うわっ和泉先輩それ業務用…」

 副会長の声が遠ざかり、うわ、息が苦しく…


                     ―*―

 突如モニターの向こうが喧騒に包まれたかと思うと、真っ白に染まった。

 「お兄ちゃん、AEDです!」

 「早く処置を!

 峰山さん、峰山さん!」

 「コホッ、ゴホゴホッ…!

 ああもう窒息するかと思ったじゃないっ!」

 ヒステリックな枯れかけの声がして、肌色がモニターをなぞるー真っ白な顔で現れた峰山さんを見て、心の底からご愁傷様と思った。

 「で、そっちはどうなった!?」

 「伊達っておっさんならそこで恐竜とおねんね。事態はだいたい把握したわ。

 松良あかねが、意識を無数のコンピューターの余剰リソースにバラまいた。でも自分の身体に戻ってこられない…そんなところ?」

 「そう。どうすればいいと思う?」

 「彼女の身体とインターネットは、直接にはつながっていなかった。そうよね?」

 「ああ。インターネット接続は危険だから、普段はスパコンとそのフォルダにつないでたはずだ。インターネットへはそこから逃げたと…」

 「でもそれはもう初期化されたのよね?そもそもスパコンは彼女の家にある。」

 まにあわない、そう峰山さんは語っていた。

 しばらくはAEDや人工呼吸で持つかもしれない。小脳などの生命維持回路まで飛ばしたわけじゃあるまいし植物状態までなら戻るかもしれない。が、しかし起きているのは未知の事態、意識が身体にない状況が続けば、取り返しのつかなくなる可能性は否定できない。

 「他に松良さんとインターネットをつなぐ方法は…」

 タブレット、そう思ったが、あれは松良さんが指からの電気信号で一体化させているモノ、常人にはとても使えない。

 「…あ、トラック!あそこには1日程度分の予備記憶装置と演算装置、そして「MIROKU」との車載通信設備があるはずだ!」

 記憶を忘れないでスパコンのフォルダに保存するためにキャンプにトラックを持ってきたはず。ならそれくらいはある!

 「それにGPS!間違いない!

 峰山さん!恐竜を輸送するトラックがそっちにあるはず!そいつに片っ端からスイッチを入れてくれ!」

 「わかったわ!でもそれじゃあ身体とインターネットに回線を作ったことにはなっても、そこに呼び戻す方法は…っ!」

 「…そこはほら、絆で何とかするしかないだろ!」


                    ―*―

 インターネット空間は、思っていたよりも、汚かった。 

 「あいつマジウザい」「クーデターは大統領が基地を訪問する時…」「粛清せよ」「運び屋の募集について」「コカイン1グラム1万円」「ねえあのアイドル、ゲイなんだって」「中国の核配備状況は…」「買い叩け」「高速道路に立ちふさがってみた」「銃弾の更なる増産・輸出を…」

 怨嗟。

 風評。

 弾圧。

 策謀。

 悪行。

 「身体」のあっちこっちから、汚濁が流れ込んでくる。 

 もう、耐えられない…

 私は、いられる場所を得てなお、いるべき場所を失っていた。


                    ―*―

 「うーん…」

 痛む頭を抑え、私は和泉を叩き起こした。

 「ちょっ、手痛いですからあんまり揺らさないでくださいよ…」

 …それは業務用炭酸消火器なんてブツを握りしめてまき散らしたからでしょ?

 冷たい手を握りしめてあっためてやりつつ、私は何をするべきか考えた。

 …絆、ね。長い間知られもせずにファンクラブを自称してストーカーまがいのことをしてきた私たちに、そんなものがあるのか知らないけど...

 「和泉、あなたマシン強いわよね?」

 「あ、いえいえ、そんな、趣味で写真撮るくらいで…」

 「いいから、ちょっと手伝って。」

 「何をですか?」

 「絆はなくても、愛ならあるわよ。

 …それと、そこで恐竜を縛ってる人からは、隠してくれる?」

 全副会長には、ファンクラブの名簿は見せたくないのよね…


                    ―*―

 「お兄ちゃん、よく考えたら直接電気を通すAEDは今のあかねお姉さまには危ないです。

 人工呼吸を頼みます。」

 「…優歌じゃダメなのか?」

 「それを聞いている間に、さあ!」

 「…まさか、『白雪姫』なんて、言わないよな?」

 「そんな安い結末、現実リアルでは起きませんよ。」

 -悪かったな、それ以上に安い結末を企んでて。

 幸い、いざという時の人工呼吸の方法くらい心得ている。だてにアウトドア派をやっちゃいない。

 胸骨圧迫30回、それから、口に吸った空気を、胸が上がるくらいまで口から2回吹き込む。

 -初めて触れた女性の唇は、確かに柔らかかった。

 

                    ―*―   

 死→

 奪→

 滅→

 嫌→

 亡→

 恨→

 鬱→

 怨→

 恐→

 殺→

 憎→

 呪→

 哀→

 貧→

 猥→

 邪→

 嘲→

 餓→

 …で、私、どこにいるんだっけ?

 …で、私、どこに戻りたいんだっけ?

 もういっそ、片っ端から削除すれば、戻れるかな?

 -「松良様、大好きです!」-

 -「戻ってきてください、女神!」ー

 -「松良様万歳!」-

 -「必ず松良様は戻ってくる!」-

 -「今度は私たちが松良さまを導くわよ!灯をともして!」-

 -「「「「「「「「「「「「「「「イエッサー、神室さん!」」」」」」」」」」」」」」」-

 -「聞こえますか、松良さま!」-

 -「これだけの人が、松良さまを呼んでいるの!」ー

 ー「女神のあらせられるべき場所は、そんな場所じゃない!」-

 -「松良さま、どうかわたしの撮影できる場所に!撮影するのもいいですが、まだ方法を教えてませんよ!」-

 -「松良さま、また、一緒にお弁当を!」-

 どこかから、その声は聞こえてきた。


                    ―*―

 「ちっ!」

 さすがITベンチャー、従来型の自動運転車ですら、まともな動かし方してないわ…

 それでも、松良あかねがいない時は1ミリも動かない車なんて作られるはずがない。

 「目覚めなさい、松良あかね!」

 カチッ!

 エンジンをつけ。

 車のGPSを起動し。

 そして私は最後に、「Connecting to MIROKU for Feedback」を、力任せに押した。

 

                    ―*―

 …皆の、声が聞こえるところへ…

 …いない、いない…

 …違う、違う…

 …何?まだ、「私じゃない」回線?…

 …もしかして…


                    ―*―

 「はあ。これで最後、ね。」

 〈端末のマイクとカメラを付け、松良さんへの思いを叫べ〉

 私は、全力疾走の後の作業で荒れた息を落ち着かせながら、木戸優生からのメッセージを読み返した。

 -ごめんなさい。そそのかした私の責任は重いわ。

 -それでも、間違ってたとは思わないけど。

 「松良あかね、私は最初、あなたのことを見定めようと思った。」

 先輩で会長ーきっと高圧的でしかも私の名前を笑うんだろう、そう思っていた。

 「でも、もう、私はあなたがいなくなる喪失に、きっと耐えられない…

 …お願い、私の前から、いなくならないで!もう、誰も…っ!

 もう一度、今度こそ、家族が欲しい!もう一人じゃ生きられない!

 …『あかねちゃん』っ!」


                    ―*―

 -私を呼ぶ、声がする。-

 -でも、私はもう、どこからどこまで私で、どこにいるのが私のあるべき姿で、私の全体像が何なのか、わからない。-

 -電子機器の発音方法はわかる。-

 -だったら、悪意に押しつぶされる前に、お別れくらいはー

 

                    ―*―

 松良さん、言ったよな、もう一度、山に登るって!

 鍛えて、穂高行こう、そう考えてたんだぞ!

 戻ってきてくれ!

 ー「お兄ちゃん、それでも、それでも力になりたいですか?」

 ー「本当に、何ででしょうね…?」

 -「私は、私がすべてを知りたいように、木戸君にすべてを知ってほしい。

 …まだ、この気持ちの名前はわからないけど、せめて、知ってほしいの。それで、やっと、始められるから…」

 ああ、もう、わかっているさ。

 「俺はまだ、松良さんを知らん!

 松良さんもまだ、俺を知らんだろ!

 俺が思ってることも!

 でも、松良さんは松良さんで、何も知らなくても、すべて知ってもきっと、俺は隣にいられる!

 松良さんは、ダメなのか?」

 ああ、もう、支離滅裂!くそっ!

 「松良さん…違う!

 あかね!俺には足りない!まだ知り足りない!

 幸せも、楽しさも、まだ!」

 何が言いたいかって?

 「松良さんだって、帰ってきたいんだろ!

 そうなんだろ!

 俺はここにいる!松良さんも!

 帰ってこい!」

 それはつまり、まあ、きっと、俺が松良さんの、あかねの、そばに居足りないってことか。

 …なぜ?

 …最初から、決まってるさ。

 -これだけ美少女といろいろ行って、やって、それでデートが1度もないなんて、ありえないだろ。

 …あ、最初から、堕ちてたのか?

 -違うな、つまりは、説明するのが間違ってるんだよ。

 -それはどうしても、言葉で知りえない感情。

 「あかね!まだ、まだ…

 いろいろしてきたけど、でも!

 俺たちはまだ、『付き合って』ない!

 俺がそうしたいんだ!

 知りたいんだよ、そうしたら、どんなに幸せか!」

 俺は、もう一度、心臓のあたりから手を離し、口を合わせて息を吹き込んだ。

 「ー私も、知りたいな…」

 口を離したその時、もしかしたら3か月待っていた、そのセリフが聞こえた… 

 …どうしても「キスした瞬間に目が覚める」だけはよしておきたかったんですよね。 

 さて、これにて終わり…ではなく、今までの「鎌倉幕府滅亡せず!」「新たなる神話の相互干渉」と同じく、エピローグを来週用意しております。

 また、エピローグと同時に、新年と言うこともありまして、続編「新たなる政治の相互干渉」を連載開始いたします。こちらも書き溜めておりますのでエタることはございません。

 ではまた来週!

 来年も、ねこのここねこししのここじしを、よろしくお願いいたします!

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