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5 「恋愛研究部」

 松良あかねと仲良くしていることを快く思わない神室らファンクラブが木戸優生を牽制しようとする中、秘密を隠しながら迷惑をかけ続けている罪悪感から、あかねも行動に出る。後輩女子や妹もそれぞれの思いを抱える中、彼ら彼女らはそれぞれの結論へ…

                    ―*―

2045年5月29日(月)

 思わず俺は、靴箱のふたを殴りつけた。

 バーンと派手な音がして、ふたは歪んだまま閉じずに跳ね返り、幾枚の手紙ーこともあろうに手紙ーが零れ落ちる。

 -いつかはこうなるかもと思いつつ放置してた俺も俺だが!

 手紙の一枚を拾い上げる。

 〈女神に近づく身の程知らず!〉

 ーあっそう。俺でもわかっとるわ!

 要らん御世話だと思ったが、しかしこの分では松良さんも困るだろうに…

 「木戸先輩、まさかキレておられます?」

 「…はる副会長か?」

 「ええ。まったく…

 あ、今から会長と職員室へ行かなければなので、お先に失礼します。」

 「…松良さん、やっぱり何かあったのか?」

 「いえ、実は学校、特に生徒会が、最近頻繁にサイバー攻撃を受けているそうでして…」

 ありゃりゃ。

 「会長は専門家でもあるので、会長を交え、日生楽中高のサイバーセキュリティを変えたいそうです。」

 「そりゃEB社の売込みって言わないか?」

 「いえ、タダですよもちろん。とにかく行って来ます。

 …木戸先輩、気にしたら負けですよ。」

 

                    ―*―

 いくら生徒会長であろうとも、恋愛したからどうと責めることなどできはしない。さすがに、学徒が一夜の過ちを犯さないように指導する権利はあっても、同じ人間に過ぎない教師に不純異性交遊をとがめる権限などないし、ましてファンクラブを名乗る人間が勝手に当人のことを邪推して首を突っ込もうなど、基本的人権の侵害だ。

 ああ、いつから日本は発展途上の独裁国家になってしまったのか。

 …私は応援はしない。権力の側にいる人間なら、自分で自衛すればいい。むしろ自業自得。

 

                    ―*―

 「はい。私は、私が申請した時でいいので、私用のウイルス除去プログラムの使用とそのための外部接続を許可していただきたいのです。」

 「だがなあ…」

 「待て松良、それはどんなプログラムだ?具体的な話を聞いていないが。」

 「ちょっと待ちたまえ鈴木クン、まだ決まったわけでは…」

 「詳しい話を聞いたって別に問題にはならないでしょう、校長。」

 「ああ、まあそうだ…話を聞こう。」

 「感謝します。

 …仕組みとしては、私の叔父が社長を務める会社のスーパーコンピューターと一瞬接続して、圧倒的な処理能力でコンピューターウイルスを探知、除去する仕組みとなっています。DNAを複製するのと同じ仕組みでデータを複製しながら行うため、破損・失敗の可能性はありません。また漏洩に関しましては…」

 

                    ―*―

 「で、鈴木くん、どうかな?『MIROKU』は。」

 「うちの学校に導入できそうですよ。」

 「良かった。わざわざハッキングしたかいがあるというものだ。これでやっと、企業機密の先の先が見れる。」

 「感謝はしないでくださいよ。今さらです。」

 「この前送ってくれた皮肉プラモデルで、満足しておくよ。」


                    ―*―

 〈木戸君、いろいろあるから、先に帰るね〉

 端末に残されたメッセージを見つめ、俺はただため息をついた。

 -今日一日、はっきり言えば針の筵だった。

 どうやらいつぞやのキャンプの話が、歪曲されて伝わっているらしい。まあもともとぼっちな俺は困らないが、松良さんはまずいだろうに。そして参ったことには、ファンクラブ過激派の連中を中心に、テスト期間に拡散した情報がテスト返却のストレスに着火されて燃え広がっているようである。そりゃ松良さんも辟易する。

 教室の入り口で、目つきの鋭い女子を先頭に男女数名が入って来ようとしている。心の底から嫌な予感がしたので、お先に帰らせてもらうことにした。

 

                    ―*―

 「逃げました。」

 「なるほど。これは有罪ね。明日、捕ますわよ。」


                    ―*―

 「お兄ちゃん、面倒なことになってるみたいですね。」

 「もう福女にまで伝わったのか?」

 「何を。地域を代表する将来有望な企業の一人娘とあれば、男女スキャンダルを隠すことなどできませんよ。」

 「…優歌は、大丈夫なのか?」

 「むしろ、ちょっと腫れ物になった気がします。」

 まったく、事実無根でしょうに…

 「でも、これで助かったので、少し感謝します。」

 「感謝?何を?」

 あ、話していませんでしたっけ?

 「私、生徒会長選に立候補しようと思うんです。それで、重要人物になるのは良いことですし、それに、松良お姉さまにアドバイスもいただきたいですから。」

 ですから…お兄ちゃん、期待していますよ。


                    ―*―

2045年5月30日(火)

 黙っているのも癪である。俺は元凶を問い詰めることにした。

 「えっと、和泉和泉っと…」

 「何をしているの?」

 「和泉和泉…あった。」

 「和泉ちゃんなら私たちの保護下よ、木戸優生。脅迫はあきらめることね。」

 -振り返れば、昨日の目つきの鋭い同級生女子に続いて女子4人、俺をにらんでいた。

 …はあ。

 「じゃ仕方ないな。」

 とっとと教室行くか。

 「ちょっと、木戸って貴方よね。待ちなさい。」

 「断る。」

 待てって言われて待ったらアホだろうに。

 「貴方、女神さまに何をしたの?正直に答えないと…」

 「少なくとも、ファンクラブの連中が考えてるような不埒なことはしてない。」

 「はあ?嘘をつくとためにならないわよ。」

 …言うと思ったよ!

 「それと、神室、だっけ?…女神なんてあがめられることを、たぶん松良さんは望んでないんじゃないか?」

 「えっ」などとうろたえるのを尻目に、ありがたく逃げさせてもらう。正直相手したくない。

 「あっこら待ちなさい!」

 

                    ―*―

 何も律義に昼休みつぶして付き合ってやることもない、俺はそう考え、部室棟に向かった。

 この分ならどうせ、今週は部活は中止だろう。テスト期間で2週間休んだから、悪くすると自然消滅か。

 -なぜ俺は、少し落ち込んでいるんだ?ははは。

 そう思いながら部室にたどり着いて、愕然とした。

 〈恋愛研究部〉

 …!

 …!?

 危うく落としそうになった愛妹弁当を、そっと床に降ろす。

 この部室がわかりにくい場所にあることを、これまで以上に感謝した。

 年度が始まった後にひっそり書類上に挙げられ、しかも聞く限りでは「資産運用部」などという正式名称で化けの皮をかぶっているらしいから、生徒会長が直々に絡んで訳の分からないことをしている部活が出来上がっているだなんて、誰も知るまい。

 けれど、いつまでも隠していられる存在でもない。

 しかし、この情勢下で、何を考えているのやら。こともあろうに「恋愛」とは。

 こうしたことを無邪気にやるからこそ、ファンが増える一方で今のようなトラブルを引き起こすーまあそうであっての松良さんだから文句は言わない。

 とにかく、今週もやるらしい。

 開けて中に入り、いつかカードゲームを繰り広げたカウンター席で弁当を広げる。

 〈明日放課後、充分に、できれば深夜まで時間を取った上で、校門前のいつものトラックに来て下さい。話したいこと、見せたいもの、したいことがあります。〉

 …………

 …!?!?

 

                    ―*―

 「優歌、どう思う?」

 絶句したのち、どうやって帰ってきたやら、あまり記憶にない。とりあえず、校門を出るなりカバンやポケットから悪口の書かれた紙をありったけ投げ捨てたのは覚えている。

 「深夜まで、ですか…何をするつもりなんでしょうね。」

 …しまった相談する相手間違えた。…いつまでも無垢に育ててもいられない、か…

 「お兄ちゃん、私、お兄ちゃんが思ってるほど純粋ではないですよ?」

 …あ、そう。

 「でも、ちょっと、おかしな文面ですよね。『話したいこと』『見せたいもの』『したいこと』って。コレ、3つがちゃんと具体的に決まっていないと、書けませんし。」

 「確かに。ということは、俺の言うことには関係がない…?」

 「でしょうね。なおかつ手紙で呼び出す…

 …おそらく、直前まで会えない、もしくは、会わないつもりですよ。」

 何が起きるか、何をするつもりか。

 「きっと、これは邪推しない方がよさそうだな。」

 「…でも、でも万が一ですよ?

 …あかねお姉さまを傷モノにしたら、私、お兄ちゃんと言えど赦しませんから。」

 

                    ―*―

2045年5月31日(水)

 落ち着いて考えれば、まだ知り合って2か月しかたっていない。にもかかわらず、私は一歩踏み出して、一線を超えようとしている。

 木戸君が私をきっかけにトラブルに巻き込まれているから、全てを明かしたほうがいい、なんて言うのは、ただの言い訳。これによって私が迷惑以外のものを背負わせて、木戸君が離れるとしても、きっとトラブルの元凶である私の免罪符にはならない。

 -それでもこれは、必要な儀式イニシエーション

 -それとも木戸君は、私のことを、知りたいって思ってくれるかな?

 -それとも木戸君は、引いちゃう、かな…?

 -それとも木戸君は、まだまだ、力になって、くれるかな?

 私は、トラックのエンジンを入れた。

 

                    ―*―

 「木戸、どういうことだてめえ!」

 驚いたことには、わざわざ高校からご足労なすった人までいるらしい。

 「どういうことって、先輩、何がです?」

 「しらばっくれるんじゃねえ!女神に手え出したって」

 「で?」

 いい加減、キレそうだった。

 「で?じゃねえ!」

 「そんなことで暴力をふるう人、松良さんは嫌いでしょうね。」

 キレないでいるのは、俺がキレたら松良さんに迷惑が及ぶから。だから、優歌に言われた通り応えるくらいで我慢しておく。

 「てめえ何を…」

 「あなたに、何の権利があるの?」

 -だから、肩ごしの、キレているのが明白な声に、俺はちょっぴり感動した。

 「いい加減我慢ならないので言っておくわ。」 

 声の主は、靴の色から察するに、中2-一つ下。タメ口とは勇気あるな。

 「あなたは、自分に何のつながりもない、一方的にファンだと名乗っただけの関係で、認められてもいないのに、第三者に干渉しようとしている。

 あなた、何なの?これは憲法11条その他、基本的人権の尊重の侵害よ。」 

 -違った、ただの変人だ。

 ショートヘアの女子生徒は、妙な迫力を持っていた。

 「あなたがたにそこの木戸さんの自由を侵害し身体を拘束する正当な理由があるとは思えない。ですので道を空けて。」

 「何を…生意気なっ…」

 高校の先輩が、驚いたことに気おされている。

 「さらに言えば校内通路の真中で大勢で、進路妨害の明白な意図をもってたむろするのは、通行権の侵害であると考えるわ。

 そこの男子生徒がもし仮に今から自習しに図書室へ向かうつもりならば、これは明白に学習する権利をつぶしていることになる。学校の存在意義にも反するわ。訴えられたくなければ、すぐにどきなさい。」

 「おい、やべえぞ、こいつ、『生活指導部の天敵』峰山だ。やるっつったらやるぞ!」

 「くそっ!めんどくせえ!」

 先輩たちファンクラブは、舌打ちして帰っていった。

 「あ、ありがとう…」

 「木戸、だったわね?

 …別にあなたを助けたつもりはないわ。理不尽にイライラしただけ。それに私は、あなたのような権力側と癒着している人間に、慣れあいたくないの。

 じゃあね。」

 …なんつー後輩だ。一切、迷いがない。

 俺は純然たる好奇心で、彼女ー峯山なる苗字を、心のメモに加えた。


                    ―*―

 トラックに乗った後、緊張しているのか、松良さんの手は震え、終始無言だった。

 連れてこられたのは、町はずれの建物。

 周りは並木に囲まれ、中をうかがうことは出来ない。

 敷地内に立つのは、どちらかと言えば工場か研究施設のような、コンクリートに覆われた灰色の建物。縦長のガラス窓の並び方を見るに、3階建てらしい。

 トラックは建物の横、ガレージのようなところに停車し、そして松良さんは無言で俺の手を引いた。

 玄関は、噂に聞く高級マンションのようになっていて、扉はすべて金属、3重で生体認証。そして狭いながらもソファ付きのエントランス、明らかに業務用の巨大なエレベーター。何もかも、どこかリッチで、近未来的で、SFチックだった。

 エレベーターで、地下に案内される。

 地下は少なくとも、普通の家の体裁を保って思われた。

 純白、汚れがほとんどない廊下の脇に、いくつかのドア。

 一番奥のドアを、松良さんが開ける。

 「私の部屋。入って。」

 -明らかに、緊張してらした。

 とはいえ、俺も優歌以外の女子の部屋など、入ったことがない。だけにあわてたが、今さら尻尾巻いて帰ろうにもどうせ俺では玄関から出られないし、廊下で話すのも落ち着かない。入らせてもらうことにした。


                    ―*―

 女子の部屋って、こんなだっけか…?

 いかにもふかふかそうなベッド。

 壁面一杯に広がるスクリーンと、その手前にある、デスクとチェア。

 本は数冊、俺が貸したライトノベルと同じ作者のものが机の上に平積みされている。そしてそれ以外、本当に何もない。

 よく言えば質素、悪く言えば殺風景。オシャレのかけらもない。

 松良さんは、ベッドに飛び乗った。

 「そこ、チェア、使って。デスクには触らないでね。」

 こわごわ、チェアを借りるーなんだこの座り心地。欲しい。

 「それでね、一つ、約束…今日は、最後まで、帰らないでほしい。」

 それは内容による、そう言おうとしたけど、「木戸君の優しさを、私は信じてる」、そう言われては、思わずうなずかざるを得なかった。

 「…引かれるかも、知れない。でも、私じゃなくてもそんなことできないけど…

 …もし今日のことを、嫌だ、そう思ったら、忘れてください。」

 「…忘れられるかは知らないけど、そうはならないように頑張る。」

 「ありがと。

 …木戸君って、優しいよね。」

 そんなことは…それほどでも…

 「…私の酔狂に、付き合ってくれて。

 ずっと、知りたかったよね?私が、なんで、天才と言われる私が、いろんなことを知りたいからなんて、木戸君に近づいたのか。」

 「…ああ。」

 「私は、持って生まれたことだと思うけど、知りたくてたまらなかった。

 …いろんな知識が、デジタルデータで氾濫してる。でも、実際に体験して、経験しなくちゃ、知ったことにはならない。だから、私は勉強をクリアして、いよいよ、その範疇に収まらないことが知りたくなった。

 だからなの。だから…

 …勉強漬けだった私も、独りで中学に入ってから、頑張ってみた。生徒会って何か知りたくて立候補したし、交渉術だって体験してみた。でも、いよいよ、ナビゲーターが必要だった。」

 だから、俺を…

 「でも、どうしても、わからないの。

 今体験してること。

 どうして、木戸君を信頼して、特別扱いして、すべて話そうとしてるのか。」

 「…買い被りだ。」

 「そんなこと、無いほうがいいかな。

 …もし、これが恋なら…」

 恋…!?

 「私は、私がすべてを知りたいように、木戸君にすべてを知ってほしい。

 …まだ、この気持ちの名前はわからないけど、せめて、知ってほしいの。それで、やっと、始められるから…」

 そう言って松良さんはー

 -こともあろうに、制服を脱ぎ始めた。

 「ちょ、ちょっと!」

 「お願い、見て…」

 あっという間にブラウスを脱ぎ捨て、スカートも腰に巻き付くだけになっている。

 「松良さん、何を…!」

 -どうにかしようと、チェアから慌てて降りようとしたのが、まずかった。

 慣れない回転式のチェアはくるっと回り、俺の足に土台をひっかけ、俺は無様にベッドのーベッドの上の松良さんのー上に落ちた。


                    ―*―

 顔を赤らめる、まったく全裸の、黒髪美少女。

 まさか現実で俺にあり得ると思わなかったシチュエーション。

 …あれ?

 俺自身を確認して、慌てふためいた。ー下着、落下した拍子に引っぺがしちゃったのか!

 「ご、ごめん松良さん!」

 「いいの。ちょうど、そうするつもりだったし…。」

 …え?「全裸になる(そうする)つもりだった」?

 いよいよ、ファンクラブからの疑いを、冤罪で済ませられなくなるかもしれない。俺は、マジでそう思った。

 「うん。見てて。私を。」

 「…っ」

 あられのない姿で白い肌をさらす生徒会長ーあれ?白く、ない?

 ほんのり、本当にほんのり、毛一つない身体は、灰色がかっていた。いや、近距離だからわかるだけで。 

 「今日は、手以外にクリームを使ってないから…」

 すると、これが松良さんの、肌の色…?

 「それと、もしかしたら私、気絶するかもしれない。そうしたら、デスクのボタンを押して。」 

 真剣な顔で、彼女は灰色の瞳を俺に向けた。

 「ああ。」

 正直、かなり滑稽な状況なのに、気おされた。

 「じゃあ…

 -接続ー

 -起動ー

 -『ミロクシステム』に、完全同化ー」

 「何を… 

 …っ!?」

 壁一面の真っ暗なスクリーンが、触れてもいないのに点灯する。…音声コマンド入力?

 スクリーンに映し出されたのは、SFのような、ガラスの培養器、そしてその中に浮かぶ、ハダカの赤ん坊だった。

 「これって確か、『体外妊娠技術』の…」

 「そう。今から15年前、初めてあの技術が成功した時、つまり、私。」

 15年前…戦前、2030年!?

 「今でこそこの技術は、代理母に変わる技術だって言われてる。それは、胎児のバイタルデータ、電気信号を完全に把握して、生まれてくるまで管理しているから。

 …だけど、当初の目的は、違ったの。」

 「違った?」

 「そう。最初の…

 …叔父の目的は、人類最初の、シンギュラリティ完全突破汎用人工知能の創出。」

 「…ちょっと待て。汎用人工知能(AGI)?」

 どういうこと、なんの話…?

 「ただ、コンピューターの演算機能を上げるだけじゃ、円周率は計算できても国語の問題を解くことすらできない。あいまいな表現、『メシ・フロ・ネル』、それを理解する力が決定的に足りないの。与えられた計算、シミュレーションをすることはできても、創造性のあることー芸術とか、あるいは直感を必要とする創造的仕事、あるいは知識を組み合わせて推論を必要とする総合問題は、できなかったの。それに、与えられた仕事はするけど、自律的に仕事を見つけてすることも、そう。

 本当に人間をすべてにおいて超える人工知能を創り出すには、人間の思考回路を理解して、どういう仕組みで人間に創造性と直観力と推論力と自律性があるのか解明しなくちゃならなかった。だけど、生きてる人間の脳みそを解剖するわけにもいかないし、研究は行き詰まってた。」

 -予想していた話とは違って、そして、吐き気を伴う嫌な予感がした。

 「だから叔父は、考えたの。いっそー

 -人間の脳みそに、演算能力と記憶能力を外付けすれば、人間を完全に超えた人工知能ができるんじゃないか、って。」

 「んなっ…!」

 生きた人間を、コンピューターの部品にする、そう言うやり方じゃないのか、それは…

 倫理、道徳、人道…

 …計画の立案者が、人間にとって一番大事なものをかなぐり捨てた人でなしマッドサイエンティストであることは、間違いない。

 「…もう、私が、何を言いたいか、わかったよね?

 …幻滅、した?」

 -俺は、必死に首を横に振った。


                    ―*―

 ー人間の身体は、漏れ出る体内の電気信号の総体「準静電界」を帯びている。もちろん気配の感知くらいにしか使えないし意識して帰ることは出来ないけど、スパコンの演算加算が使えるなら話は別。

 服がないと準静電界を遮るものがないから、いつも通りにシステムに直接身体から信号を送れる。楽。

 「ちょうどそのころ、私のお父さんとお母さんは、3回も流産してたの。

 あらゆる手を尽くして、何かがおかしい、そう考えた二人は、遺伝子検査をしてみた。それで、原因が判明した。」

 「…何だったんだ?」

 私は、ある指定難病の名前をスクリーンに映した。

 「神経に金属元素が沈着して、脳や神経の細胞が死滅し、痴呆を起こして、末端の筋肉から順に指示が通らなくなり、最後には必ず死に至る、そういう、遺伝病。きっと発覚していないだけで、両親の因子がたまたまそろうことによって生まれる前に死んでる人は他にもいるはず。」

 生まれてから発病した場合、原因金属元素の接種を抑えればいい。そもそも胎内で充分に沈着しないようなレア元素で発症している場合も同様。だけど、対象元素がよりにもよって鉄だった場合、致命的だった。

 「生まれる前に死んだ子供を調べても、明らかだった。ヘモグロビンを作るのに使われる鉄分が神経細胞を侵して、どうあっても生きることは出来ない。」

 そこで、私の叔父は悪魔になって、両親は無理をした。

 「叔父の提案だったらしいの。

 『このままでは、いかなる方法でも子供を生まれさせることは出来ない。金属の沈着を防ぐことは不可能だ。

 だけど、沈着金属を活用する方法は、ある。』

 『問題は、神経細胞が金属化して死滅することだ。これは防げない。なら、沈着金属を神経細胞の代わりに使えるようにすればいい。

 幸い、それだけ遺伝子をいじる技術はある。そして、そこまでいじれば心配になる、無事に生まれてこられるかという問題も、さらにチューニングして、受精卵を胎内に戻さずに機械に電気信号を受けさせてモニタリングできるようにすれば問題ない。』」

 

                    ―*―

 正直最初は、よこしまな気持ち、期待があった。

 でも、今や、松良さんの、ほんのり青みがかった髪、やや灰色がかった肌、瞳の色の意味を理解してしまえば、まじめに見つめるしかない。

 -すると、この色はー

 「わかったよね?この肌も、この瞳も、神経を成す鉄の色。

 …私は…」

 どうしていつも、タブレット端末から左手を離さないのかー何のことはない。指ー指の神経と、端末がつながっているからだ。

 「この建物全体が、外付けの記憶容量と、スーパーコンピューター演算回路。」

 -道理で、一度聞いたことを忘れないわけだ。

 -道理で、カードゲームで神業のようなプレイングをできたわけだ。

 「最初から、私の奥には、自立型シンギュラリティ完全突破汎用人工知能『ミロクシステム』があった。

 何でも知りたいのは、ただ、コンピューターがストレージを埋めたがってるだけ。

 私が、恋愛感情を理解したがってるのも、もしかしたら初期命令の『人間の感情と電気信号の関係性のデータを取れ』が、まだ生きてるからかもしれない。

 …それでも私は、知りたかった。

 だから、知らせるべきだって、思った。

 でも…

 ね、どう、思、う…?」

 -違う。

 -そんなことはない。

 -絶対に

 「絶対に、そんなことはない。」

 「…えっ…」

 「だって、人工知能は…」

 人工知能は…

 「そんな風に、涙をこぼしたりは、しない。」

 

                    ―*―

 私は、その一言に、救われたんだと思う。

 「…ごめんね。」

 どうして謝ったのか、よくわからない。

 「…それと松良さん、きっと性能面での問題で脱いだんだろうけど、そこまでしなくても信じるから、服を着ろ。」

 「あ、あはは…」

 もちろん、信じてもらうために禁じ手で円周率1000兆桁くらい計算してもよかったから脱いだのであって、恥ずかしくなかったわけじゃない。

 「うん、オンライン接続は不要みたいだし、タブレットを渡して?

 それと、ごめん、あっち向いてて。

 -同化停止ー」

 -しばらく、お互い、無言だった。

 そっぽを向きながら、ぼそり、木戸君は言った。

 「俺は、松良さんが松良さんなら、宇宙人でも未来人でも超能力者でも異世界人でも、やっぱり松良さんであることに違いはない、そう、思ってる。」

 「…そう、なんだ。」

 安心、した。

 「引いたりは、しない。でも…

 …知りたいって思うのは、松良さんだけじゃない。普通の人間だって、そうだ。」

 だよね、知りたいよね、私のこと。

 「松良さん、何ができる?どうなってる?教えてくれるなら、うれしい。」

 「…よかった。」

 私は、いつも通りに服装を整え、リボンまで結びなおし、タブレットを持ち直した。

 そしてなぜか木戸君と、笑いあった。


                    ―*―

 「別に私独りは、普通の人間のスペックでしかないの。まあ、両親ともに一線級の学者だったから、賢いのは認めるけど…でも、神経を金属に置換しても、それで何か変わったわけじゃないから…」

 「…まさかみそ汁の具が多かったのは」

 「うん、鉄分を常人よりずっと多く必要とするから。」

 「道理で優歌より味が濃いと…ごちそうさま。」

 「また今度作ろっか?

 …で、ちょっと弱点があるから、情報はすべて、私の五感で入力されたものに限るの。だから忘れないように、いつも端末に保存してる。一応最低限の演算能力もあるから、旧世代のパソコン並みの能力は持てるけど…

 …それだと、人間が獲得する情報を保存するには一日が限界。だから、トラックかここの記憶容量に転送したほうが無駄がないの。」

 「じゃあ、ここに、松良さんの記憶が?」

 「そう。ほら、スクリーンに出せるよ。」

 「おお…松良さんから俺は、こんな風に見えてたのか。」

 「そう。…あれ、もっと優しげじゃなかったっけ。」

 「むしろもっとブサイクだったと…まあいいか。

 で、フルスペックだと?」

 「ここのスーパーコンピューターと同化すれば、すべての囲碁将棋ソフト、たいていの旧型スパコンは超えられる。」

 「…ヤバいな。」

 「うん。だけど本来は、直接インターネットに接続できるようにすることだったんだって。」

 「インターネットに、直で?それは、ウェブサービスを全部生身で使えるってことか?」

 「…ううん、これは禁じ手。

 ほら、言っても伝わらないけど、電子機器と接続する時は、ネットワークまで自分の身体の一部にするような感じなの。例えば…えーっと、靴を履くと、靴の裏まで足って感じがしない?アレとおんなじ。

 …人間って、服を着てるとき、服までを体の一部に含める感覚を持ってるの。だから身体じゃなくて服を触られても嫌がる。それで、インターネットまで私が知覚を延長させて自由に同化して利用しようとするなら、そうした外部感覚が邪魔になる。服を脱いで余計な感覚延長を排除しないと、最悪、自分の輪郭がわからなくなって自我が吹き飛ぶかもしれない。」

 「…まさか、経験が?」

 「…うん。昔は何度か実験させられてたみたいで。ログを見る限り何度か記憶を読み込んで記憶喪失だけは防いでるから、私にもわからないけど…」

 「…道理で、どっか幼いと思ったよ…今は?」

 「…今から5年前、8月15日、覚えてる?」

 「…ああ。あの不快感は、忘れられない。」

 「私も。」

 

                    ―*―

2040年8月15日

 -私は、自衛隊からの依頼で、「異世界軍」、もっと言えば「異世界魔法」についての新理論構築のために、スパコンの演算加算をフル稼働させていた。

 -入力されるデータを、脳内で考えて、仮説にして、正しいかどうか検証し、破棄する。

 -脈絡もなく全身に、悪寒が奔った。  

 ーまるで、私のすべてをデリートされるんじゃないか。

 -まるで、全くの部外者がシステム、ネットワーク、すべてを掌握してしまったかのようなー

 -もしサイバー攻撃なら、早く、ウイルス除去を…っ!

 -ダメ!できない…っ!

 -せめて、自我だけでも、残るように…っ!

 ー演算加算ー

 -″変換″ー

 -再読み込みー

 -接続中止…できない!?ー

 ー演算領域、暴走ー

 -あ、ダメ…


                    ―*ー

2045年5月31日(水)

 「一瞬で私は、意識を持っていかれそうになった。

 後で聞いた話だと、あの時全人類を襲ったナゾの恐怖を、システムがウイルスと勘違いして、それで慌てた叔父が、新しいウイルス除去プログラムを構築して対応するように指示を出したらしいの。

 演算系を動かすための旧型のミニAIは、システム内のデータを参照してプログラムを作ろうとするうちに、未知のプログラム系を見つけた。」

 「それは、何だったんだ?」

 「私の、思考回路。

 …あの時は、怖かった。

 私の思考回路に、勝手に侵入されて。しかも全く正体不明のプレッシャーの中で。

 だから私は妥協して、逆に演算回路を呑み込んだ。

 演算回路が最初の数ミリ秒で私を参考に作ったコンピューター言語で、ほんの一部演算回路を対応するように書き換えて。

 取り込んだ回路で演算して、より私の思考回路そのものになるまで言語を洗練させて。

 それを繰り返して、システム全体を私に染め上げた。」

 驚くどころか、頭がついていかない。

 スクリーンがバッと光って、高速で白い文字を黒い背景に流していく。

 ぎりぎり何かデータのようなものではあるとわかるけど、日本語を中心に組まれた文字列は、情報の授業で習ったいかなるコンピューター言語とも全く異なっていた。

 「叔父も驚いたみたい。あいまいな自然言語で組まれたコンピューター言語に、システム全体が塗り替えられてたんだから。

 それからは、私が見聞きしたもの以外入力できないし、私の直感以外で操作できない。だから、人体実験まがいのことはさせられてないけど…」

 「…それでも、イヤ?」

 「うん。正直私は、このシステムももう私だと思ってる。

 …でも、これだけのスパコンを動かすには、相当の維持コストがかかるの。だから…」

 そんなことは言わないだろうけど、何が言いたいかはわかるーシステム全体を、人質に取られているのだと。

 「だから…何もしなくていいの。でも、私の、心の支えであってください。」

 -秘密を知らされ。

 -たった独りの存在を前に。

 -うなずくより、他に応えがあるはずもない。

 

                    ―*―

 「おかえりです。」

 優歌は、玄関でキーボードをたたいて俺の帰りを待っていた。

 「宿題が終わるところじゃないですか。遅いですよ。」

 キーボードの上を踊る指を見るにつけ、指一つ触れずにスクリーンを動かしていた全裸の美少女のことを思いだすー人間、平凡が一番幸せなのかもしれない。

 「…ごめん。」

 「…顔色が暗いですね。もしや…」

 「想像の、斜め上を行くことだよ。」 

 「…はい?」

 「なあ、優歌はさ、困ってる人がいて、自分ではどうにも助けられない時、どうする?」

 もしかして、おせっかいなのかもしれない。でも…

 「せめて困ってるってことは、忘れないように。そう、習いましたよ。自分の無力を、言い訳にしてはいけないって。」

 

                    ―*―

 お兄ちゃんは、知らないことがありますー結構お兄ちゃんは、寝言がうるさい。隠し事なんて、どうせできません。

 私は、夜までお兄ちゃんが、あかねお姉さまと何をなさったのか、どうしても知っておきたかった。なので、聞き耳を立てさせてもらうことにしました。

 いつか「貴女、ブラコンよね?」と渡されたコンクリートマイク。その場で突っ返せなかったこと、身分差を理解できる私の世知辛い思考回路に、初めて感謝します。

 壁に押し当てて…

 -「スパコン」

 -「助けたい」

 -「なんてやつら」

 -「せめて俺だけでも」

 …はい?

 アプローチが悪いのでしょう。まずは単語をすべて書きとめる。内容を把握するのはそれから…

 …!?!?

 私は、まとまっていく内容の荒唐無稽さに、震えました。

 そんなこと、あっていいはずがないのです。

 きっとこれは、ところどころ、読んだ本の中身でも混じっているだけで…

 …そうです、そんな、そんな馬鹿なこと…!

 でも…

 でも…

 …私は、何を信じれば…?

 

                    ―*―

2045年6月1日(木)

 きっと、かなりショックでストレスがかかっていたのだろう。信じがたいほどぐっすり眠れた。

 「おーい、優歌、そろそろ出なきゃ…って、優歌!?」

 何が何だかわからない、イヤホンが付いた機械とメモ帳を手に、優歌が部屋のドアの前で倒れていた。

 「父さん、母さん、来てくれ!優歌が倒れた!」

 うわっすごい熱!

 「マジか!」

 「あなた、体温計を持ってきて!」

 「わかった、でも俺は今日仕事が…」

 「私も…ああもう!休みの連絡を」

 「それはいい!俺が面倒みるから、二人は仕事行ってくれ!」

 「えっ、優生、中間の結果悪かったじゃない!」

 「あーもう、期末は大丈夫だから!」

 なんせ、授業風景をきっちり脳内から録画できて、なおかつ最適の学習方法を演算できる人を知っている。

 「…優生、任せるよ!」

 「ちょ、ちょっとあなた、体温計を投げたらダメ!」

 「ああでも心配だあ!」

 「…うるさい二人とも!」

 -でも、親二人に怒鳴ってしまったのは、まだその人の話によるショックとストレスが、頭の中に居ついているからかもしれない。

 「はあ、休みの連絡入れなきゃな…」


                    ―*―

 「お兄ちゃん…?」

 「ああ、優歌、おはよう。」

 「あ、あれ、私…あれ?」

 「…なんで、部屋の前で倒れてたんだ?熱も38度あったし…」

 「…夜通し考え事してたら、ちょっとフラフラしてきて、目の前が真っ暗に…」

 「そんな、考えるだけで倒れるって、どんな呪いに思い馳せてたんだよ…」

 「…お兄ちゃん、うそ、ですよね…?」

 「何が?」

 「…あかねお姉さまが、その…スパコンと人間の、サイボーグだって言うのは。」

 「…あっ、何でそれを…」

 「寝言でずっと呟いてなければ、私が倒れることもなかったんですよ。

 …本当、なんですね…」

 「空想だ、って言っても、優歌にはバレるか…

 …本当だ。神経細胞が金属になっていて、自社のスパコンと接続できるらしい。この目で見た…いろいろ。」

 「私は、あかねお姉さまに、どう接すればいいのでしょう…」

 「…どうって、そりゃあ…」

 「私、福女では、人間のクローン、人造生命ホムンクルス、サイボーグ…そういうものは、神の領域、いけないことだって習うんです。 

 でも、あかねお姉さまは、お姉さまは、笑ってた…っ!

 私、私、嫌いになっちゃいけないのに…っ!でも、唾を吐かなくちゃいけないのに…っ!」

 「…純粋に、育ちすぎたなあ…」


                    ―*―

 どうして、木戸君は、来ないんだろう。

 やっぱり、無理してたのかな…

 …私のこと、気持ち悪いって…思って…?

 タブレットを触ると、流れ込む記憶、情報。

 通電させるためにクリームを塗らない左手の指だけ、周りと違う灰色がかった肌色。

 -すべて、わずらわしい。

 「松良さん、この問題を…」

 「はい。これは…」

 みんなタッチペンで端末に触れて回答を黒板に送信するけど、私は演算加算で一瞬で回答を作成して、浮かんできた答えをただ送るだけ。

 -でも、こんな便利さ、いらない…!

 「松良さん、どうして、泣いているのですか?」

 「…先生、私、早退させていただきます。」

 「は、はい…理由は?」

 「一身上の都合です。」

 「…はい?」

 「私、知ってないことは、アクションを起こして知らないと気が済まないんです。だから、確かめてきます。」

 「は、な、何を…?」

 「では。」

 -そうだ。まだ、嫌われた、引かれたと、決まったわけじゃない。

 -なら、知るしかない。

 -例え、「知識を集めて利用する」システムとしての本能に過ぎなくても。

 -良くも悪くも、それが「松良あかね」なのだから…!


                    ―*―

 「松浦あかねですが、早退しましたよ。」

 「人間コンピューターでも情緒不安定にくらいなるということか。」

 「仮にもうちの生徒になんて言い方をするんですか。」

 「鈴木くん、君、全くもってそんなこと、思っちゃいないだろう。」

 「…失礼にもほどがありますよ。僕は目的のためならチャンスを座視しませんが、しかし支障がないならば、義務くらい果たします。」

 「…たまたま覚えていた、ただそれだけの理由だろうに。」

 「それだけ、ミロクシステムには可能性がある。そちらが絶対に理解できない可能性がね。」

 「…君こそ、ミロクシステムがもたらせる変革の意味を」

 「言っておきますが、今すぐ彼女に、あなたがEB社をどう使おうとしているのか告げても、いいんですよ?」

 「…君は怒らせると怖い。共犯以外にはなりたくないよ。」

 「あるいは、加害者と被害者以上には?」

 「それは、目的のためにチャンスを座視しないのは君だけではないというだけのことだろう。」


                    ―*―

 女神さまの様子は、どう見ても、変。

 あの男に、捨てられたのかしら?

 だったら、もう、痛い目見せなくては、どうにも…

 

                    ―*―

 チャイムを鳴らしても、なかなか開いてくれない。

 わずらわしい…っ!

 電子ロックなら接続してしまえば同化して「開こう」と思うだけで開くけれど、昔ながらの錠前ではどうにもならないー私が大きな犠牲を払って得た能力も、人一人会うにも使えない。

 「はい、どなたですか…って、松良さん!?」

 ドアがガチャっと開いて、木戸君は顔を出した。そしてなぜか、家の奥を覗いて、二三度逡巡を見せた。

 「…あの、どうして、ここを…」

 「あ、うん、えーっと、生徒会の書類の、住所録で…」

 木戸君は、「あっ」と呟いて、予想外に、ドアを開けた。

 「…松良さん、どんなひどいことを言うとしても、ショックを受けないでください。」

 -えっ、やっぱり…気持ち悪いって…

 「…ある意味荒療治なんだけど…

 優歌!」 

 「お兄ちゃん…?待って、今降りま…」

 階段の途中で、優歌さんが、固まっていた。

 「…どうしたの?」

 「あの、松良さん、俺、寝言うるさいか?」

 「…その、寝てる間は外からの感覚をシャットダウンできるように設定できるから…レム睡眠、ノンレム睡眠って、気づいてないけど無意識下で制御してるから、疲れを取りたい時は演算加算で寝る前に…」

 「あー、浅い眠りは、しなかった、と。

 …寝言で、どうも優歌に知られちゃったらしくて。」

 「…あれ?木戸君は…?」

 「…俺?いや、俺は…あ、学校休んだから、心配した?ごめん、優歌の世話してて。」

 「…よかった、良かったよ…」

 「え?」

 「昨日の今日だから、私、気持ち悪いって思われたかなって…!」

 なぜか昨日から、泣いてばかりな気がする。

 私は、木戸君に、すがりついた。

 「ちょっ、まだ会って2か月ですよね!お兄ちゃん、あかねお姉さまと打ち解けすぎでは…!」

 

                    ―*―

 -はあ、やっと、気づいたか。

 「優歌、優歌だって、思うんじゃないのか?

 松良さんは、誰であろうと、何であろうと、松良さんだよ。だから、慌ててるんだろ?俺に抱き着いてるのを見て。」

 利用するようで悪いけど、俺は優しいらしいから、優しさは、多くの人に分け与えるべきだろう。

 「…お兄ちゃん、でも…」

 「なあ、学校で習ったことが、すべてか?」

 松良さんは昨日言った、「実際に体験して、経験しなくちゃ、知ったことにはならない。」と。

 「優歌の目の前にいる松良さんは、優歌にとって、何?」

 「…あかね、お姉さま…」

 優歌が、崩れ落ちた。


                    ―*―

 私の前で、お兄ちゃんに泣きつく、あかねお姉さま。

 -思考より先に、感情が走り出していました。

 お兄ちゃんが言います。なんと教わろうとも、私にとってあかねお姉さまは、私の大事な、尊敬する、かっこよくてかわいい、あかねお姉さまだと。

 だから私は、絶対に自分からは非を認めないお嬢様の処世術をかなぐり捨てるのです。

 「あかねお姉さま、ごめんなさい、私、ひどいことを…」

 「いいの。それがたぶん、普通だって、思うから…」

 あかねお姉さまの灰色の瞳の奥に、私の顔が映ります。

 私は、頬を包む温かい手を握りました。

 お姉さまの涙…

 私の涙…

 …あったかい…


                    ―*―

 妹と無二の友人が抱き合って泣く光景。まあ見ててほほえましいモノではあるが、若干百合が入っているように見てしまうのは、どうも昨日から少し自分の心の穢れを反省すべきかもしれない。

 さて、懸案が、もう一つ残っていたか。

 「あ、もしもし鈴木先生。

 …先生、今授業中ですよ。

 はあ。深くは聞きません。で、お願いが…」


                    ―*―

2045年6月2日(金)

 学校を中心に回る学生生活は、基本的に一週間単位で動いている。つまり俺の考えるところ、その週に発生した問題は週のうちに解決しなければ 翌週には面倒を拡大させるだけになる。

 だから、今俺が困っていることも、来週にはどんな厄介として降りかかるか分かったもんじゃない。なんと言っても、今日中に解決するに限る。

 「ちょっと、木戸!そう何度も何度も逃げられると思っているの!?今日こそは」

 「神室…」

 ちょうどよかった。

 「俺も、今日こそは言ってやりたいことがあった。」

 

                    ―*―

 むりやりもみ消そうとはしない生徒会執行部らは、私が思ってきたよりもフェアな組織なのかもしれない。少なくとも脅しを躊躇しない生活指導部よりもずっと。

 個人的興味で、私は、下駄箱で対峙する人々を尾けることにした。普段の振る舞いで目立っていても、私は見た目では一般女子生徒の一人に過ぎない。生徒会長のファンの中に紛れる程度、なんのことはない。

 「で、何が言いたいのか、言ってもらおうか?」

 上級生=高校生もいると言うのに、木戸優生に臆する様子はない。そして、それどころか喧嘩腰ですらある…私も普段あんな感じなのかしら。

 「木戸、あなた、女神さまをたぶらかして、ただじゃすまないことぐらいわかってるでしょうね!」

 「女神さま、ね…」

 木戸優生は、なぜやらため息をこれ見よがしについて見せた。

 「神室は、松良さんのことを、本当に女神だとでも思っているのか?」

 そして呼び捨て、小馬鹿にした問いかけ。…キレてるわね。まるでそう、「気に入らない相手にはそれ相応の態度を」とでも言わんばかり。

 「当たり前よ。何を今さら…」

 「そんなこと言ってるから、いつまでも松良さんが何思ってるか気づけないんだよ。」

 「は?木戸、喧嘩売ってるの?」

 「最初に在りもしない言いがかりで喧嘩を売ったのはどっちだっけ?」

 「言いがかり?何を…」

 「だって、聞いたぞ?和泉から。」

 神室、そう呼ばれていたリーダー格の女子は、両手で口を押えた。


                    ―*―

 あの日キャンプ場で一緒にいたことが、そう簡単にバレるはずはない。にもかかわらず火種になっているのは、たまたま他県まで来ていた和泉が漏らしたからに違いない、そう考え鈴木先生に問い詰めてもらったところ、意外な事実が明らかになった。

 「え、わたし、神室さんにバラしたりしませんよ?せっかくNTRのチャンスなのに、なにバレてくれちゃってるんですか?」

 けろっと、彼女はそう言い放ったらしい。

 「つまり、神室がでっち上げたことが、たまたまうまく符合していたわけだ。とすれば俺にあわせたがらなかったのは、このデータを入手されたくなかったから、の間違いか?」

 ー俺たちが何もなかったことを証明する、一晩分の映像+音声データ。よくもまあ、俺が指摘して和泉が立ち去ったとき、彼女は中継用の無人カメラを仕掛けに来ていたわけである…よくやる。

 「俺が松良さんに何かしたという話をでっちあげた後で、本当に外泊していてそのデータがありかつそれが冤罪を証明しているとなったら、神室も驚いたよな。

 で、いくつでもコピーできるけど、全員分、要る?」

 さすがあれだけ巨大なスパコンを抱えるシステム、形式にもよるが半日分の動画など一瞬でコピーできると応えてくれた。

 神室が、後ずさる。

 「で、話戻すけど、松良さんは女神なんてあがめられることを求めちゃいない。」

 「そ、それは…」

 松良さんが欲するのは、経験知識、優しさ、そしてもしかしたら友達―無邪気な彼女は、崇拝も信者も権力も、世俗的な物一切、興味がない。

 「だから俺は松良さんには松良さんであってほしいと思うし、松良さんの力になれる位置にいようと決めた。」

 あくまでこれは、真実を聞かされた者としての、決意表明。

 「で、神室は?

 女神だのなんだの言いながら何にも知らない神室は、どうするんだ?何をすべきだと思うんだ?何をすべきか、それすらも知らないで、何してるんだ?」

 -まったく、外野は何も知らず、松良さんの気持ちも事情も知らず、いい気なもんだ。下の位置からの崇拝が、同類のいない松良さんに孤独感を与えるのは必至なのに。

 「まさか、間違っているって、知らなかったわけじゃないだろ。だから…」

 …いいや、松良さんが泣き崩れる姿を見た後で、わざわざ、そんな犠牲を払って俺が得た教訓を、教えてやることもない。

 「…自分で考えろ。松良さんに迷惑をかけるな。」


                    ―*―

 「木戸優生、よね?」

 昼休み、俺は部室棟に向かう途中で、待ち伏せされていた。

 「…君は、峯山さん、だっけ?」

 おととい、高校生相手にひるまなかった、ショートヘアの後輩女子。

 「朝の喧嘩、見たわ。」

 「で?」

 文句を言いに来たのか、それとも別の用事か。ありえないだろうが口げんかになるなら、先にまくしたてたほうの勝ちだ。どうせ口げんかの内容に完璧な整合性は望めないから、圧倒して抗弁の隙を奪ったほうがいい。

 「大丈夫、言い争う意図はないわ。ただ、あなたがたどり着いた、どうすべきかの答え、それを知りたいの。」

 …知ってどうする…

 「簡単なこと。どこでもなく隣で、いつも通り、力になれる時は力になりたい。でも、松良さんにとって、仰ぎ見られるのでも会社の道具になるのでもなく、ただただ隣に誰かいることが一番大事なことだと、そう思ったってだけ。」

 そう言うと、峯山さんは明らかに、笑顔になった。

 「自由・平等・博愛ね。」

 「…まあ、そうだけど。」

 自由は何の関係もないけど、平等な立場から博愛ー分け隔てなく優しくするーということでは、全く的外れとは言い切れない。

 「敵の側の人間かと思ったけど、話ができるじゃない。」

 「…どういうこと?」

 「…じゃあもう一つ。私の名前、知ってる?」

 「知るわけないだろ。」

 「…武士の武で、たけしって言うんだけど、笑う?」

 …女子でその字は、確かに笑われそうだけど…

 「いや、笑わないよ別に。」

 どうしてその名前なのか想像はつくし、それよりずっと壮絶な話もある。今さら笑うことでもないー少なくとも、たぶん名前を付けたのは彼女の両親で、生きている。

 「…そう。

 …ところで、『知る権利』ってあると思うんだけど、あえて李下の冠を拾っているわけ、教えてもらってもいいかしら?」

…サブタイトル詐欺も甚だしい。

 さて、考えるとき、感じるとき、人間の脳内では、神経では、何が起こっているのでしょう。生物活動がしょせん化学反応の累積に過ぎないのならば、人間の脳内シナプス回路を電線で再現し、データーベースやら演算回路やらを外付けして記憶能力と処理速度を上げ忘却を抑止する、それだけで、今問題になっている、「人間を超えた人工知能」が出来上がります。しかし、実際には、生きている人間の脳をぶった切ってシナプスのつながり方を見つつ、どの感覚・思考でどんな電気信号が流れるか観察する…などできないししてはならない。そこで松良尊が考えたのは、「コンピューターと接続できる、コンピューター的神経回路を持った人間を作ろう」という無茶でした(実際、神経回路を金属に置き換えるだけで脳みそがコンピューター化するはずもありませんが)。

 遺伝子操作により、直接思考回路とデジタルシステムとをつなげられるようになった松良あかね。孤独だった彼女の隣に木戸兄妹が並んだことで、事態はさらに進んで行きます。加わるのは、変人女子、峰山武。彼女の目的と信条はどこへ木戸と松良を連れていくのか...

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