3 「野外総合活動部」
だいぶ打ち解けてきた木戸優生と松良あかね。二人は、いくつかの野外趣味をやってみるためにも、ゴールデンウィークにキャンプに行くことにした。
勘違いしたりはしない木戸優生と、ただただ無邪気な天才松良あかねのこと、そうそう間違いがあったりはしない。けれども、松良あかねを「女神様」とたたえるファンクラブはそうは思わないようで、指導的な立場の神室と異端派の和泉の二人の女子が、場外で波乱のタネをまく。一方であかねも、現実逃避してもいられなくなってきて…
「お前は多趣味すぎる」ー結構、俺を知ることになった人間は言う。
俺自身、趣味を挙げろと言われたら、両手の指が足りない自信はある。
しかし、しかしだ。誰もが二言目には、俺のことを金持ちのように言うのは解せない。
それはむろん、趣味というモノはお金がかかるものだ。
一つ二つならいい。
毎週デートする。
おしゃれに気を使い、整髪料に始まり化粧品にネイルにコーデに最新のものを使わなければ気が済まない。
ーそういうリア充(死語らしい)の振る舞いに比べれば、大してお金はかからない。
まったくあいつらときたら。
…まあそんなことはどうでもいい。しかし、これが10や20ともなるとシャレにもならない。一つ一つの趣味が、一年、いや短ければ数か月、ひどいと一か月で数千円持っていくのだ。
これを、バイトもできない中学生の限られた予算でやりくりするのには、いくつか抜け道がある。
一つ目は、広く、薄く、たしなむ程度にすること。カードゲームは優歌とできる最小限のデッキ数個しか持たないし、プラモだって本来は一日一工程くらいで合間合間使って2,3か月で完成させる。いくつもの趣味を平行させせれば一つ一つに割く時間は減りそしてお金も減る。当然っちゃ当然の道理。
そして、もう一つ。
…もちろん、親の力を借りることだ。
インドア系の母とアウトドア系の父。二人は半ば勢力争いのようなノリで、俺をいろんなことに引きずり込む。ならばそれを思いっきり楽しみ、思いっきり活用する、これしかない。
実際、松良さんに声をかけられた初日に言及されたキャンプ、あの時も、道中で見た鳥はすべてチェックし、昆虫採集用の網を持参し、なおかつ行く地域の伝承・史跡はすべてマークしてそのうちいくつかは行った。
-だから、俺は唖然とした。そして、愕然としたのである。
―*―
2045年5月1日(月)
「昨日はすごかったな。」
俺も、何が起きているのやらわからなかったが。
「そう?それなら良かった。ところで木戸君、ゴールデンウィークは空いてる?」
ゴールデンウィーク…3日から7日だったか。
「一応、まあ。」
嘘、真っ赤な嘘だ。この連休は実のところ、父と電車旅する予定がある。がまあ…1日くらいは何とかなるかも?
「じゃあさ、連休で、キャンプいかない?」
「…はい?」
「連休全部使ってさ。」
「いや、それはさすがに…」
「大丈夫、予算は全部私が持つから。」
-5日分のキャンプともなると、食費その他もろもろシャレになっていない。
「さすがに、それは無理だろ。だいたい…」
「参加できるの?」
なぜか俺は、うなずいていた。
「じゃあ、明日、準備に行こっか。」
―*―
「そんなわけで、よくわかんないけど誘われた。どうすりゃいい?」
「すごいな優生。モテ期か?」
何を馬鹿なことを言い出す?
「そんなもの来るわけない。」
「わからんぞー。父さんだって最初は…」
ああそう。
「まあお前ひとりでも大丈夫だろう。行って来い。」
行って来いじゃないよ行って来いじゃ。
「相手の親御さんは?」
「…いないらしい。」
あえて事情をぼかしたためか、父さんは特にその先を聞こうとはしなかった。もちろん、5年前の異世界侵攻に伴う混乱による離散家族なんてものはそこそこいるから、今さら個々の事情を説明せずとも勝手に察したのだろう。その推測が間違いなく間違っていることに、俺はむしろ安堵したし、なんなら優歌もふうと息を吐いていた。
「あ、行くなら、オトして来いよ?」
来ねえよ。
「お兄ちゃん、あかねお姉さまに何かしたら、わかってますね?」
お前らいったい、どうしてほしいんだ?
―*―
2045年5月2日(火)
その日私は、女神さまの観察にいそしんでいた。
ああ、私たちの女神、松良さま。
最近は男がよりついているという話もあるが、まあ女神さまなのだ、きっといやしき男子に慈悲を与えなさっているのであろう。さすが、女神さま。
「女神は、今日は生徒会に行かないようです。」
「了解。追跡しますか?」
「何を言ってるの?当たり前でしょ?」
男子連中は、頭脳が足りていないのかしら。
指示待ちの暇人にかまうのも癪だったけど、アレでも女神さまの素晴らしさを理解できる貴重な人材。私はついでにカメラ班にも指示を出しておいた。
新年度になっても女神さまはかわいく凛々しいままだったが、私たちはそうもいられない。高校に上がって参加しなくなった裏切り者は置いておくとしても、実際、進級したせいでメンバーの男女間や学年間の均衡がおかしくなっている。これはすべてファンクラブをまとめる私の責任だ。だからこそ、ここで私は、正当な女神さまのファンとして、心意気を示さなくてはならない!
…あら?
「神室さん、男子です。校門で、男子と待ち合わせているようですが、どうします?」
「私でも把握したわ。確か3-Bの木戸って男だったわね。」
結構ぼんやりしている方だから、その男に騙されてはいないかしら?
「監視を続けて。不埒な真似をしたらその場で取り押さえなさい。」
「了解です。」
でも私は、機械越しの男子ほどには楽観的ではなかった。
校門に、トラックが止まる。そして扉が開いた…まさかあの男、女神さまを連れ込むつもり!?
女神さまが、男の腕をつかんでいる…抵抗している?でも、むしろ…
女神さまが、男を引き込んで扉を閉めた…どういうこと!?
「神室さん、どうすれば!?」
「ちっ、ドローンを持っているメンバーはいないの?」
「男子メンバーには数人いるはずです。」
「追跡よ。これから何が起きるのか、見届ける必要があるわ!」
―*―
追っかけ、とでも言うんだろうけど、監視カメラから見れば丸見えであることを失念しているとしか思えなかった。
何はともあれ、木戸君も捕まえたし、邪魔も多分入らないと思う。買い出しに行っても問題なさそう。
「じゃ、木戸君、行くよ。」
「行くよって…運転手は?」
「いないよ?だって自動運転車だもん。」
「自動運転?でも、自動運転でもなんかややこしい規定なかったか?」
「あるよ。」
言われるまでもないけど。
「『レベル4までの自動運転においては、免許を取得した運転手の乗り組みによって非常時に備えていなければならない。またレベル5自動運転に関しては無免許の人間のみの乗り組みを可能とするが、ただし実証試験中の自動運転車については開発責任者の同乗を必須とする…』たしかこんな感じの規定だったはずだよ。」
「…開発責任者?」
木戸君が指さしてきたので頷いておく。実際はかなり違うけど、そうと言っていい…違法かどうかもわからないことだし。
そうこう話している間に、駅前についた。
「必要なものは?」
「何がある?」
「なんもない。」
木戸君は、呆れたと言わんばかりに押し黙った。
「…場合による。テント、食材。それが基本だけど、本当に5日やるつもりなら勝手が違ってくるし、当然場所にもよる。」
「木戸君は普段、どうしてるの?」
「俺は…本当にオートキャンプ場とかでバンガロー借りて適当に済ませたこともあれば、マジの野宿をしたこともあったかな。時々で必要なものも当然違うし。
…どうする?」
「うーん、えーっと、あ、でも、あの車は持っていける?」
端末じゃ電波強度も記憶容量も処理能力も足りないし。
「…普通の自動運転車だとなぁ…うちの車もレベル3あるけど、山道はドライバーなしじゃ完全アウトだしな。場所によるとしか…」
「あ、そうじゃなくて、どこか近くで停めても大丈夫かってこと。」
「そりゃ帰って父さんに聞かなくちゃダメだけど。でもまあ何とかなるんじゃないか?
じゃあ、ちょっと用品捜してくるから、食材を見繕って来てくれ。」
了解。えっと、日持ちするもの、それから鉄分食品…
「木戸君、いっぱい買うね。」
「予算的にはちょっとまずいかもだけど、とりあえず一番いいものをそろえてみた。松良さんは?」
「うん、食材だけど、こんなでいいかな?それと予算は気にしないで。」
カレーにうどん、ドライフルーツにお米…
「カレー、好きなのか?」
「え?」
「だってやたらカレー関係のものが多くないか?」
「うーん、ごはんにもうどんにもあうからね。」
鉄分も多いし。...まあ、どうせ何かで補給しなくちゃいけないのは確実なんだけど。
―*―
「まるで熟年夫婦みたいな買い物の仕方ですよ!」
そうね…二人で分担して、長年連れ添った夫婦みたいじゃないの。きーっ!
「どうします?」
「個人的には妨害してやりたいところだけど、得策とは思えないわ。引き続き監視を続けて木戸って男の狙いを調べるとともに、二人の関係性をはっきりさせて。オーバー。」
「そうは言ってもさすがにバレますよ。」
「男子の方が動員人数は多いでしょ?」
「入れ替わりにやるんですか?いや、今時間は部活中のメンバーだって…」
「そう?なら女子のほうで…」
「いえ、やります、やらせてください。」
―*―
うわっ、ストーカー?でも、うちの中学の制服だよね…
とりあえずどうにかできることじゃない。でも…
―拡大―
―照合―
―記録―
たぶん木戸君は頼りにならないと思うけど、これで一応大丈夫なはず。…むしろ大会のせいで、自分に躊躇が無くなってるのが怖いけど。
―*―
「キャンプの準備ね…」
そうと分かれば、県内のキャンプ場全て調べておくのはもちろん、ついていきたいところだけど、さすがにそんな余裕もない。
私は唇をかみしめた。でも、そして、悪魔のような発想を思いついてしまった。
―*―
2045年5月3日(水祝)
ガタガタと、山道をトラックが昇っていく。
とにもかくにも、山に来たからには、目いっぱい楽しむのがルールというものである。
場所を移すつもりもあったけど、まずは一日目、キャンプ場にテントをさっと張っておく。しかし驚いたことにはトラックに車中泊できる最低限の設備があったことで、異世界侵攻以来移動できる家としてのキャンピングカーの需要は高まっているらしいが、しかしまあ。そしておそらく後ろ3分の1を食っていそうな「入ったらダメ」と言われた扉の向こうも気になる。
「まず、どうする?」
「夕飯までまだ時間があるし、手続きは済ませたし、山行くか。」
虫除けスプレーを渡しつつ、いろいろ試しに持ってきたものを取り出してみる。
虫網、釣竿の2点セットと、それに付随するもろもろ。
こくりと頷いて虫網をひったくったところを見るに、別に虫が苦手ではないらしいーこれほど虫網が似合わないのも珍しいが。
「うわ、コレ、大きくない?」
「網の直径が80センチ、柄は1,5メートル。振り回されるなよー。」
プロ用、子供のおもちゃじゃないからな。
「コレで、何を捕るの?」
「さあ。セミじゃない何か、だな。」
少なくともまだ5月じゃシーズンが悪い。
周辺の衛星マップを見ながら、考える。ここのところ松良さんに振り回されっぱなしだから、なるべくできる時にできることをしておかないといけない。…川か。
「カラアゲでも捕るか。」
「えっ、唐揚げ!?」
松良さんが網をためつすがめつして驚いていたが、わざとなのでスルーしておく。
「ところでさ、この服装、どう思う?」
…俺に服を誉めろと?ラノベの貸し過ぎでおかしなことを言うようになったな…
「長袖長ズボンなのは山に来る服装として評価に値する。ただ、運動靴にしろもう少し履きなれてすれた靴のほうが良かったな。」
―*―
何ということか、女性から服装を問うなんて気があるとしか思えないのに、なんて応え!
でも、実は木戸がSでわざとやっている可能性も…言われてみれば、松良様には素質があるような気が…いえ、わたしと同類なんて畏れ多い…!
「このことは神室さんには内緒にしましょう…」
そうよ、夜はきっとさぞかし表情が違うに違いない!ぜひともシャッターに収めたいものだわ!
―*―
山道から少し外れれば、釣りと水遊びに来たらしい親子連れらが遊ぶ渓流があった。さすがに人手が多いが、しかし幸いにしてこの手の渓流は雨が降っていなければ多少はさかのぼれる。
「俺がルートを捜すから、ついてきて。網は預かる。」
「うん。」
こういう時、ラブコメなら女子が落水して男子が助けるのかもしれないが、そもそもそんなところを通らせる方にも問題があるーととりとめもないことを考えつつ、いくつも岩が転がる中、平らなところを歩き、上り下りして抜けていく。…むしろ虫網と釣竿を両方持っている俺の方がつらいまである。
「よし、思った通り。」
岩場を抜ければ、もう一つ、小石からなる川原があった。さほど広くはないけど、誰もいない上、思い通り。
「どうしたの?」
俺の後ろ、岩のてっぺんで、松良さんが足を延ばして降りようとしている。
「待て、降りるな。」
?、と、松良さんは首をかしげたー普段と違い後ろでくくられた髪が、初めて似合って見えた気がする。
「あの青いの、見える?」
「あ、あれ…?っていっぱいいる!」
川原の水際で20匹か30匹、翠と蒼に輝く羽をゆったり閉じたり開いたりしながら、手のひらくらいありそうなチョウが地面に止まっている。
「あれ、カラスアゲハ。」
「あー、だからカラアゲ?」
「そう。ちっちゃくて羽を閉じたときに白い帯が見えるほうがミヤマカラスアゲハ、通称ミヤカラ。」
「きれいだね。」
「正直あんなにいるのはなかなかない。」
「ねえ、何してるんだろ?」
「アゲハ類は、ああやって湿った地面から吸水することがあるんだ。だから川原で群れることがある。カラアゲ類は特に。
ほら網。」
4つ折りでポケットに入るくらいにたたんであった網を広げ、柄を伸ばして渡す。普段タブレット端末からほとんど離れない松良さんの左手が、右手とともに柄をつかんでいる。
「捕っていいの?」
「ああ。叩きつけるなよ。」
…そうか、見本を見せたほうがいいな。
「ちょっといい?」
網を取り返し、群れが羽をはばたかせる地面のあたりへ網を近づける。
一匹、飛び立った。
「横から追い上げるように網ですくって、一気に底まで入れたら網を返して閉じ込める。ほら。」
驚いて一斉に飛び立つアゲハ。黒い裏羽と一匹として同じ輝きのない蒼と翠が舞い乱れるのは、なかなか幻想的な光景だった。
「きれいだろ?」
胴体の部分を持って羽を広げる。おおエメラルド色。
「わー…」
松良さんはしげしげ眺めた後、視線を俺の網に移した。
「はい。」
網を受け取ると、こわごわと群れに近づいていく。
時々飛び立って落ち着きのないカラスアゲハの群れの中を、網がひとなぎする。
「入った、入ったよ!ってあれ…?」
…がんばれ。俺はのんびり川を眺めながら釣りでもする。
―*―
本当に、松良あかねはチート美少女だ、そう思う。
「どう、おいしい?」
「ああ。カレーを一段引き上げた感じがする。」
「あれ、木戸君は普段自分で料理しないの?」
「…いつも優歌に任せちゃうんだよな…」
「えっ、木戸君なら料理も趣味かと思ったのに。」
「いや、あちこち行って舌は肥えちゃったかもしれない。」
本当に情けないことだ。
「…もしかして木戸君って、シスコンって人?」
ゴフゴフッ!
「…貸出本から変な影響受けたな。」
「だって、それでもおいしいから優歌さんの料理に頼ってるんだよね?」
「…べた褒めしたいのは仕方ない。」
だって妹だぞ?
「それでさ、今晩なんだけど…」
「もう一つテント出すから大丈夫、安心しろ。」
「あ、別にそんな、わずらわせようってことじゃないの。ちょっと寝る前に1時間くらいあのトラックにこもるけど、気にしないで先に寝ててねってこと。」
「あ、うーん…うん?」
ちょっと待て、それだと積みっぱなしの二つ目のテントが出せないぞ、そう思ったが、遠慮しても無駄な気がしてやめた。
―*―
明日は登山してやろうかとも思っている。だから、1時間くらいしたら女子が入ってくるこないにかかわらず、俺は寝る。寝なくちゃならん。
だのに…
「何してるんだ、えっと、和泉だっけ?」
…なぜかテントの裏に、クラスメイトの女子がカメラを持って隠れていた。
「あれ、みっかっちゃったかー。」
「そりゃそんなところで聞き耳立ててたらな。何してんだよ。」
「いやーちょっと、今夜は松良様の普段とは違う表情が撮れそうって思いましてね。」
「は?」
よく見ると、和泉の右手首に、細い糸みたいなモノがミサンガのごとく結ばれていたーファンクラブかよ!
「わざわざ他県なのに尾けてきたのか?」
「まさか、神室さんじゃあるまいし。でも、偶然家族ときた県外のキャンプ場で、まさか松良様が男と同衾なんてねー。」
言い方!
「…で?不純異性交遊とか言って突き出すか?」
松良さんなら首傾げながらタブレットから指一つ離さずにもみ消しそうな気もする。無邪気に。
「いやーむしろ、木戸には期待してるんだわ。なんせ木戸に張り付いてれば松良様の表情が変わるところが見られそう…特に今夜!わたしたちの年頃の男女が同衾なんて、行きつく先は一つでしょう!」
「和泉がムッツリだってことはわかった。」
「え、みんな知ってるよ?」
…くそっ。
「とにかく、和泉が期待するようなことは起きない。他のアホにもそう伝えてくれ…」
「いやーそれは困りますねー。」
「誰も困らないだろうに。」
「わたしが困るんです。だって、今夜のことを密告して、木戸と破局した松良様が男性不信に陥ったところをわたしが…あっ」
あっ、じゃない。あっ、じゃ。
「その発言を松良さんに密告したらむしろ女性不信になりそう。」
「えっ、チクるんです?それは…
…何が欲しいんですか?松良様の愛以外ならなんでもあげます!」
「そりゃ元からもってないモノはあげようがなかろうに。」
そう言ってやると、腐女子は「うー」などとうなりながら戻っていった。…まったく。
―*―
2045年5月4日(木祝)
…野鳥の声がする。
…そして、右腕があったかいし、なんならやわらかい。
さーて間違いはおかしていないはず。というか先に寝た。ということは…
「おーい松良さん?人肌恋しいとか、遭難した時は人肌であっためたほうがいいなんて言うけど、濡れてないなら普通に厚着したほうがいいぞ。」
「うーん…あれ?」
まあ山は平地より寒いからな。…ところで、もしかして見た目以上にある?
「あ、おはよう。今何時?」
…もう何も言うまい。
「ちょっと散歩してくる。」
「行ってらっしゃい。じゃあ、朝ご飯作ってるね。」
本当に申し訳ない…
―*―
視界の端にカメラレンズが朝日を反射しているが、無視することにして、木漏れ日の下の木の机というなかなかオシャレなところで、松良さんの味噌汁をいただく。
「あさり、おいしいな。」
あさり、わかめ、のり、ゴマ…やったら海産物の具が多いから、味噌汁以外何もなくても結構おなかが膨れる。
「毎日朝はそれだからね。」
「うらやましいな。俺も毎日そうしたいよ。」
濃い目の味のほうがいい。優歌はどんどん上品によりすぎている。
「そんなに喜んでもらえるなんて、うれしいな。」
…何か会話に違和感を感じた。
「それはそれとして、散歩って、何してたの?」
「ああ、昨日の夕方、ちょっとトラップを仕掛けておいてな。」
20の重ねたプラスチックカップを見せる。
「これに余った釣り餌のサナギ粉を入れて、地面と高低差が無くなるくらいにうずめておいて。
回収できたのが、こいつら。」
ちょうど食べ終わったので、ケースを出す。
カサカサ。
「うわっ…でも、鮮やか?」
ケースの中で這いまわる、赤や翠に輝く数センチの甲虫。おおいつ見てもかっこいい…
「なんて言うの?」
「オサムシ。戦車みたいな甲虫。」
とはいえ苦手な人は思いっきり苦手だろうけどな…
「…きれいだし、かっこいいかも…」
おや、オサムシの良さがわかるのか?
「だろ?こうやって地面を這いまわって、獲物を捜すんだ。ついたあだ名が、『歩く宝石』。」
「へえ…」
「つつくとスカンクのまねするからオススメしないぞ。」
びくっと、松良さんが指を引っ込めた。
「これ、私も誘ってほしかったな。」
「うーん、女子は嫌いそうだから…」
台所のアレに…いや全然似てないけど。
「それはそうとして、一晩くらい、あの車から離れても大丈夫か?」
「うん、えーっと、別にそもそも不可欠ってわけじゃないし。」
それなら良かった。
「じゃあちょっと、登山しないか?ご来光を見に。」
「うん、えーっと、いいよ。」
「体力に余裕は?」
「たぶん大丈夫。」
「じゃあ、行くか。」
―*―
さすがゴールデンウィーク、暑い。
初心者である松良さんに配慮して低山ー登山とハイキングの中間のような山ーを選んだのが裏目に出て、あまり涼しくならなかった。その分足元は落ち着いた環境だからいいことだろうけども。
「松良さん、大丈夫か?こまめに水分補給を…」
「ちょ、ちょっと、休憩していい?」
-すっかり、松良さんが俺以上に虚弱なのを忘れていた。
「休むか。」
「今、どれくらい?」
リュックからタブレット端末を取り出そうとしているので制止する。疲れた腕でとり落とされたらたまらない。
「マップで見ると、今ココ。で、今日山頂まで登ってテントで泊り、明朝、ご来光見て帰る。」
今時山頂にテント張れる低山は少ないだけに、条件に合う山はそうそう見つからなかった。だけどまあ、松良さんが興味津々で覗き込んでくれるならいいんだろう。
―*―
テントに調理器具に食材、それで数キロはあるはずの荷物を背負いながらも木戸君は、疲れている様子を隠して私を先導してくれた。
本当に、木戸君はやさしい。そして私は4月から一か月、隠し事を残したまま、甘えている。
-私は、そろそろ…
でも、私は、それを知られるのが、怖い。…きっとそんなこと、思ってはいけないんだろうけど。
でも、いつかは…知ってほしい。
-私が、知りたいように。
-どうして、木戸君を特別扱いしたいんだろう?
「どうかしたか?」
「あ、うん、何でもない。」
「もう9合目くらいだぞ。ほら、視界が明ける。」
木戸君の一言とともに、数歩進むと、一気に木漏れ日が広がって、日差しが私を包んだ。
左側、森に包まれた山の向こうに、山々、街並みが見える。
…きれい…
私は、言葉を失った。
「山頂に行けば、もっと遠くまで見えるぞ。」
ちょっと、元気が戻ってきた気がする。
風通りがよくなって、涼しい風が吹き抜ける中、私は一歩一歩、前にそびえる大きな丘のような山頂まで登った。
少しゴロゴロする岩を踏みしめ、ところどころに設置された手すりの助けを借りる。
そして、ついに。
-山頂ー
「絶景ーっ!」
見れば、森が広がる向こう、山々をバックに灰色の町が広がる。
振り返れば、壮大な山々が、青空の中で連なっている。
「ちょっと、誰もいないし寝そべってみ。」
「あ、うん。」
言われた通り、平らなところでリュックを枕に横になってみた。
真っ青な空。
白い雲。
デジタルデータでは、決して体験できない、知ることができない、景色だった。
「ありがと、木戸君。」
―*―
2045年5月5日(金祝)
リンリン、リンリン
「おはよう、木戸君。ふわぁー。」
「おはようだな。」
「あれ、早くない?」
確か前、土日は遅くまで寝てるみたいなこと…
「外に出ると体内時計が変わる。」
そう言いながらも木戸君は携帯コンロを出して点火している。暗いのによくやる…
「…そろそろかな?東、山のほうを見てみ。」
スティックシュガーを横たえたコーヒーカップを渡しながら、木戸君は暗闇を指さした。
コンロの火が消えて、真っ暗になる。
だんだん、空が前から白んできた。
光が後光みたいに山脈を照らしている。
空のスティックを木戸君が回収したその時、赤く輝き始めた山の一つのてっぺんから、赤光の円が顔を出し始めた。
いつも見上げているのと同じ太陽なのに、四方の山々に光を投げかける様は、例えようもなく、神々しくて。
-この記憶を、保存できないかもしれなくても。私は、この朝日を忘れない。
そんな矛盾したことを考えながらも、私はコーヒーをすすった。
「あの山は?」
「穂高だな。」
「あそこには、登れる?」
「登れるけど、山小屋に何回か泊まったほうがいいだろうから、夏、父さんにも手伝ってもらわなくちゃな。」
「じゃあ、また今度、連れて行ってね。」
私はあえて、これからも木戸君に甘えてみることを宣言した。
木戸君は、嫌な顔一つせずに頷いた。
―*―
下山中、俺はずっと、松良さんの様子を眺めていた。
下りなのもあるが、予想以上に寝られたのか、足取りは軽そうだ。…まったく、誰でも来られる山頂のテントなんて場所で、美少女が同級生男子一人のみと寝るにしては無防備すぎやしないか?
「今日は帰ったら寝るとしても、明日あさってはどうする?とりあえず食材を買いだしてバーベキューでも…」
「あ、いいね。でもやったことないよ?」
「俺はある。大丈夫、バーベキューは出来る。」
「なら…ちょっと待って。」
松良さんが、ピンと立ち止まった。
「どうした?」
無言で、リュックを降ろし、愛用らしいタブレット端末を出す。そしてどこからかインカムを取り出した。
「はい、こちらElectric・Bio社、どなたでしょうか…」
目を疑った。何せそこにいたのは、左手にタブレットを抱える、我らが日生楽中学生徒会会長だったのだから。
「CEO、どうしました?はい、はい…
…了解しました、明日ですね。内容は…?
…電話では言えない、そうですか。わかりました。うかがわせていただきます。」
インカムを外し、タブレット端末をリュックに戻して顔を上げた時にはすでに、そこにいるのは俺がこの数週間で知ったほうの松良さんだった。
「ごめん!どうしても、外せなくなっちゃったみたいで…」
「いいけど…松良さん、二つ、モードがあるんだな。」
仕事モードと普段モード。
「えっ…!?」
松良さんは、なぜだか明らかに動揺を見せた。しかし結局、その日中に日生楽に帰らなければならなかったこともあって、それ以上のことを聞くことは、できなかった。
木戸優歌に限らず、和泉も、百合的な登場人物にしてみました(神室の名誉のために言っておけば、彼女が松良あかねに向ける感情は尊敬と憧れです)。しかし、男子高出身だから知らないけど、本当に中高に誰か一生徒のファンクラブが生まれたりするのかしらん…もしあったら逆張りするんだろうなあ…
このシリーズに関してにわかとののしる方もいるかもしれませんが、私は昆虫採集で登山することになって「これを収穫なしにやる登山家の気持ちはわからん」と思うような人間なので…しかし、キャンプ数日ともなるとそれなりにお金がかかるのに、ポンと自費で出してしまうあかねはやはり…今後もあかねは資金力チートのままです。