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05 侍女と命令

 川のほとりに、小さな小さな湖を作っておいた。木と石で穴を掘り、底と壁に玉石を敷き詰め、川のせきを切って流れをいただき、清流が十分に穴を洗ったところで一度汚れた水を流し、もう一度水を引く。

 たまったところで流れをせき止めてやれば、即席の湖の出来上がりだ。


 穴は満々と水をたたえている。


「そ、そんな作業を、こんな短時間で?」

「土木は得意分野なもので」

「そういうレベルの話では……いえ、それより」


 ユリアナは俺の顔と湖を交互に見比べた。


「どうして、湯気が立っているのです? これは、あなたの魔法?」

「まさか。石を焼いて投げ入れ続けただけです。十分に熱を移したらもう一度焼いて、と」


 結構いい湯加減になっているはずだが、こうしている間にも冷めてしまう。


「見張りは俺がやっておきますから、おふたりでどうでしょう? さすがにお一人ずつ、というほどの時間は取れないし、湯が冷めますので」

「し、しかし」


 とユリアナがリリイを見る。

 リリイはもう、腰紐を解こうとしていた。


「り、リリイ様!」

「いいじゃない、せっかく準備してくれたんだから。正直、泥と垢を流せるのなら、わたしはもうなにも我慢できないの! ユリアナは違うの?」

「し、しかし」

「懐かしいわね。二人で一緒に水浴びするのなんて、何年ぶりかしら? ユリアナ、スタイルいいからなあ。わたしが恥ずかしいわ」

「り、リリイ様、ですから!」

「さ、入りましょう。見張りはお願いしていいかしら?」

「ネズミ一匹、近づけません」


 見様見真似で敬礼なんてしてみる。

 なおも逡巡している様子のユリアナだったが、結局、湯あみの誘惑には勝てなかったようで、後ろに縛っていた髪をほどいた。

 リリイの金髪とは対照的な、深緑の髪が艶めいて陽をはじく。


「覗いたりしたら、どうなるかわかってますよね」

「もちろんです」

「あら」


 とリリイは笑う。


「わたし、ちょっとくらいなら、お駄賃代わりに覗いてくれて構わないけど」

「リリイ様!」

「冗談よ、そんなに怒らないで」


 笑っている。俺が本当にそういう狼藉を働く可能性なんて考えてないのだろうか。それとも、今のは案外、本音だったりするのか?

 天使のような顔をして、存外、小悪魔なのだ。

 俺なんて、一瞬だけその光景を想像してしまいそうになって、くらくらした。

 もしかしてこの旅、思っていたより誘惑が多い?


 背を向けて、木立に隠れる。衣擦れの音、水音、軽快な女の子を聴きながら、魔物の気配に神経をとがらせる。


「リリイ様、すこしお痩せに?」

「そういうユリアナ、どうしてこんな生活しているのに、胸がやつれないの? お尻もこんなに」

「だめです、触らないでください」

「えー、いいじゃない、ちょっとくらい」

「ちょっとじゃないです! 私もやり返しますよ!」

「あ、こら、そこはダメだって」


 言い忘れていた俺が悪いのだが、すこしは俺の聴力のことも憚ってほしいものだ。頭の妄想を振り払うので、気が散って仕方がない。

 少し離れたところで、ヴァルターの寝息があった。

 あのやろう、のんきに眠りやがって。こっちは精神力総動員中だってのに、と、まったく理不尽な怒りを覚える俺であった。



***



「ああ、すっきりした!」

「本当、快適でした」


 湯上り、肌が輝いている。

 身に着けている衣装こそ代わり映えしないが、もともとが美貌の少女と侍女である、垢と汚れを落としただけで見違えるようだ。

 いや、まったく。リリイにばかり目がいってしまっていたが、こうしてみるとユリアナも大した美女なのだった。


 水気を含んだ髪が、色を深めて光を溜めている。蒸気した頬が、いやになまめかしい。

 よかれと思って準備したのだが、風呂を振る舞ったのはやりすぎだったか。


「湯あみを?」


 目覚めたばかりのヴァルターが、見違えたふたりを目の当たりにして、嘆息した。


「はい。湯はもう流してしまいましたから、もう」

「いや、わしはいい。しかし、こんな森の中で、湯を使わせて差し上げられるとは思わなんだ。感謝する」


 あぐらのままヴァルターが頭を下げる。礼を言われる筋合いではないので、無言で首を振った。


「頭を上げてください」

「身を清めることすらままならぬ境遇に、文句ひとつも漏らさぬ。わしは、姫様があまりに不憫だった。頭くらい、下げさせてくれ」

「嫌ですって。さあ、鳥を焼きましょう。先ほど、石で落として、下ごしらえをしておいたものです。食えば滋養になります」


 串刺しにして、たき火であぶる。あまり炎の近くで焼いてしまうと、中まで火が通らない。適度に弱火でじっくりやるのが、うまいこつだ。


「ねえ」

「え、はい!」


 気づくと、傍らにリリイがいた。気を抜いていた証拠だ。これが魔物だったら命がなかった。

 気を引き締めなければならない。


「昨夜の話だけど」

「昨夜の?」


 顔が近い。

 リリイは湯を使っただけだ。香料も、シャボンも用いてはいない。

 なのに、リリイからは花の匂いがした。馥郁とした、乙女の香り。

 くそ、ババアとの二人暮らしが長すぎた。こういうことには免疫がない。


「名前の話。あなたの」

「ああ、ええ、はい。気が変わって、やはり辞めるということですか?」

「そんなわけないじゃない」


 また笑う。とびっきりの冗談を聞いたように。

 マジだったんだけど。

 ていうか、貴族の姫君が、行きずりの奴隷に名前を与えようってほうが、なんか酔狂な冗談に聞こえる。


「考えたんだけど」


 リリイは妙にもったいつける。ユリアナとヴァルターも興味深そうにその小づくりな唇を見つめている。

 まあ、最悪、うんこ、とかでなければいいや、と思っている俺は、たいして緊張もしない。

 もったことがないものの貴重さを、人は理解できないものだ。


「レオンハルト、というのはどうかしら?」


 出てきたのは、思っていたよりもはるかに、美しい響きの名前だった。

 身に余るという気持ちもないではなかったが、せっかくのいただいたものにケチをつけるのも行儀がよろしくない。

 恭しくいただこうと首を垂れようとしたとき、


「いけません!」


 ユリアナが言った。怒鳴るというより、ほとんど叫ぶといった感じの語勢だ。


「その名だけは、いけません。リリイ様」

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