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03 事情と顔だち

 木の弦を口で引き裂いて、手ごろな細さに整える。

 それを使って乾き始めた髪を後ろでまとめると、視界が明るくなった。前髪が目にかかって鬱陶しかったのだ。


「ふむ」


 さっきほど盗み聞いた会話から察するに、リリイは貴族の娘のようだ。

 さもありなん、という気はする。あの気品、やはりいくら富貴であろうと、商人の娘が身に着けられるものではないだろう。


 順当に行けば婿でももらって、身代を相続したことだろう。しかし、父が身罷ったか何かのタイミングで、叔父に裏切られ、家を乗っ取られた。

 あえて旧主の胤を残しておくわけがないのだから、叔父はリリイの命を狙っただろう。そこを危機一髪、命からがら逃げだした。


 忠義厚く、リリイに従ったのが、彼女付きの侍女であるユリアナと、おそらくは教育係かなにかであったヴァルターだった。

 もちろん、彼女を慕ったのがその二人だけ、というはずがない。


「おおかた、殺されちまったんだろうな」


 痛ましいことである。

 旧主の息のかかった家臣を、その叔父上が生かしておくわけがない。


 息詰まる緊迫の時の中で、ありったけの財産をかき集め、馬車に載せ、逃げ出したのが数週間前といったところだろう。

 街道には見張りが放たれているから、リリイたちは、あえてこの道なき道を行くしかなかった。


 彼らが目的地としているアスムスというのは、ここから数日の悪路を越えたところにある町の名だ。殷賑、とはいかずとも、それなりに栄えた街だと聞いた。

 行ったことはないのだけど。


「だってババア、外出許可、ぜんぜんくれなかったんだもんよー」


 不満はあるが、死者に毒づいたところで仕方がない。

 アスムスにはリリイの味方になってくれる親族がいるのか、それともこうした事態に備えての隠れ家を準備してあるのか。


 いずれにせよ、かつてこそ身分があったが、いまは流浪のお姫様一行、というわけだ。

 ふむ。


「いい船に乗りかかったぞ!」


 なんだかうれしくなる話だ。

 山を下りて世間を生きろと言われたが、もとより身寄りのない奴隷、しかも生まれは三百年以上前ときている。


 浮世に、頼るべき筋などない。

 見た目こそババアに引き取られた十代後半のころのままで若いけど、精神的には老成もしてしまっている。生半可な人生では生きるに足りない退屈さだと思っていたところだ。


 リリイのあの様子を見れば、世の中の悪徳のほとんどに触れずに生きてきた、品のいいお嬢様だということは知れる。

 しかし、頭は切れる。度胸もある。決断力に富んでいる。なにより、少女だ。主と仰ぐのに、ババアよりはるかに気が進む。


 ヴァルターは一本気で信頼はできるが腕は頼りない。ユリアナのリリイへの愛情は疑うべくもなさそうだが、こちらも戦闘や謀略に才覚を備えているとは考えづらい様子。

 となれば、これは俺の出番もあるだろう。


「親族の不実によってあるべき地位を奪われ命を狙われる、不幸にして至誠の美少女。脇を固める家臣は義に篤いが、彼女を盛り立てるにはいささか力不足」


 彼女たちの行く道は、艱難辛苦に満ちている。リリイをあるべき地位に戻し、その功績をもって、俺にもしかるべき地位をいただく。

 これでこそ、世間で生きるということではないか。

 難しければ難しいほど、この人生にもやりがいがあるというものだ。


「よし、決めた」


 つまらない事情であれば安全なところまで送り届けて袂を分かってもよかったのだが、こういうことなら話は別だ。

 リリイにくっついて、あの娘が、叔父から家を取り戻すまで、力になり続ける。


「うふっ」


 笑みが漏れる。まさか下山してこんなに早く、生きる目的が見つかるとは思わなかった。

 世間というのも、悪くない。

 さて、そのためにはリリイに解雇されないよう、ヴァルターやユリアナからの信頼を得なければならないのだが。


「えっ」

「あっ」


 木立の影から現れたユリアナと目があう。彼女は無言のまま目を見開き、俺の顔、胸、そして下半身に目線を落とし、


「なぜ、なにも身に着けていないのですか!」

「違う、誤解だ!」

「ひい!」


 反射的に立ち上がってしまった。一糸まとわぬ下半身があらわになる。

 怒りをこらえることなく、ユリアナは視線をそらした。頬に朱が差している。


「お嬢様の前でそのような狼藉を働いたら、私が許しませんよ?」

「いや、あの、服を川で洗ったせいで、身に着けるものがなくてですね」

「濡れたままでいいから、早く着てください!」

「はい!」


 ま、そりゃあそうだ。貴族のお嬢様の前に、素っ裸で現れるわけにもいかない。

 手早く服を身に着けると、リリイとヴァルターに合流し、再び四人連れになった。

 たき火を囲んで、四人で座る。両隣りがリリイとユリアナ、対面にヴァルター。


「ほう」

「なにか?」

「いや」


 ヴァルターが俺の顔を見て、息を漏らす。

 服は着たはずなのに、なぜかリリイもユリアナもすこし顔が赤い。炎の照り返しか? それとも、知らないうちに服が破けていたか?


 まさか尻があらわになっていたりはしないだろうなと立ち上がって、着物を改める。問題はない。

 その間も、ちらちらと少女と侍女は俺の横顔にためらいがちな視線を送ってきていた。


「あ、あの、なにか? 俺の顔、変ですか?」

「いえ、その、変というより」


 リリイがためらいがちに答える。

 頬を染めながら、それでも俺の目を見つめて、にっこり笑ってくれた。


「髪をそうしてまとめて、泥を落とされると、ものすごく整った顔だちをされているものですから」


 うん?

 俺が?

 視線をやると、ユリアナも不承不承といった感じでうなずいている。


「そ、そうですか?」

「え、ええ」

「は、ははあ」


 間合いを取れずに、意味もなく頭をかく。せっかくまとめた髪がほつれて、頬に流れてきてしまう。


「どうしました?」

「いえ、その、そんなこと、はじめて言われたもんで」

「まあ」


 なんだか、照れるのである。

 リリイは俺のその様子が気に入ったのか、面白そうに顔を覗き込んでくる。座高は俺のほうが高いから、下から覗きこまれる形になる。


 なにが、整った顔立ちをされている、だ。

 この少女の前でそんなことを言われると、皮肉にしか思えない。

 見れば見るほど隙がない、神の造形物だ。その美しい瞳に自分の顔が写りこんでいると思うとたまらない。


「そ、その、これからの旅程などのご相談を!」

「そんなに照れなくてもいいじゃない」


 にまにま笑っている。

 新しい主は、一筋縄ではいかないようだった。


「あ、そういえば」


 とリリイが言う。


「なんでしょう?」

「名前を」

「はい?」

「名前を、聞いてなかったわ。何て呼べばいいかしら?」

「俺の、ですか」


 これは困った。

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