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02 戦闘と入浴

「ちょっと待て、どういうことか、詳しい説明を――」

「説明も何もないんですけど。言った通りですし」


 もう一度、急いで石を拾いあげる。ここからはスピード勝負だから、ちょっと焦っているのだ。

 俺のその行動をどう解釈したのか、男が短い悲鳴を上げて詰めよって来る。


「な、なんだそれは。先ほども石を投げたな。そうか、何らかの洗礼が施された聖石か!」

「いえ、ただの石です。拾ったものですから」

「は? では、投法に秘密があるのだな!」

「いや、全力で投げるだけです。力任せに」

「ば、馬鹿な、人間の肩力では――」


 んー、と首をかしげる。

 正直に言って信じてもらえる気はしないけど、嘘をつく必要もない。


「長い間、奴隷やってたもので。力自慢なんです」

「ち、力自慢? そんな次元の力では――」

「少しの間、身を伏せていてください。狙いが外れるかもしれない」


 とたん、咆哮がとどろいた。空気が震え、大地が揺れる。

 木々の影、盛り土の丘の上、池の中、あらゆるところから羅羅ルオルオが姿を現した。


「え、あ」


 絶望を声にににじませて、男が腰砕けになる。無理もない、へたり込んでしまわないだけ立派だ。

 一頭相手にもあんなにおびえていたのだ。

 それが群れになって出現した。

 視線を走らせて、ざっと頭数を確認する。

 数えて、二十。はらわたから腐臭を吐き散らしながら、こちらの様子をうかがっている。


「こ、こんなに!」

「そういう習性なんでしょうね、ふん!」


 言いながら石を投げる。二頭、三頭と仕留める。距離があるうちに数を稼いでおきたい。

 先ほど、最初の一頭を仕留める直前、獣の集団の匂いを嗅いだ。それで仲間がいるのだと気づいた。

 羅羅は、狩りに囮と斥候を使うということだろう。最初に獲物の前に姿を現すのは一頭だけ、あとは隠れて好機をうかがっていたのだ。


「く、くるぞ!」


 最初の一頭と同じく、おそらく羅羅たちは俺の戦闘能力を見抜いている。だから遠巻きにして様子を見ていた。

 しかし、これ以上群れの頭数を減らされるのは困ると判断したのか、怒りが我慢の限界に達したのか、新たに投げた石がひときわ大きな羅羅の背骨を砕いたところで、獣たちが動き出した。

 風のように、獣の群れが動く。投石作戦で仕留められたのは七頭。残るは十三頭。


「ひ、姫を守れ!」


 男の指示を、俺は無視した。

 狙い定めた羅羅の前へ駆け、踏み込む。圧力で地面が割れるが気にしない。腰を入れて、息を吐きながら拳を突き出す。


「ふっ!」

「があああ!」


 拳は獣の柔らかい肉を引き裂いた。羅羅の牙は俺に届かない。絶命し、倒れ伏すその個体を顧みることなく、次の獲物に向かう。

 飛び上がって、蹴りを叩きこむ。首のあたりをとらえて、振り切り、ねじ切る。頭部がちぎれて飛んでいくが、その血煙を目くらましにしてさらに一頭。また一頭、次の一頭、その次へ。

 顔面を砕き、腹を蹴破り、心臓を穿った。男から槍を借りて投擲し、倒木を振り回し、最後の一頭は踵で脳天を粉砕した。


 全滅。


 あたりには、死骸と肉片が散乱している。

 三分もかからなかった。

 俺の肌に傷はなく、返り血の生臭さだけが不快だった。


「ふうっ」


 詰めていた息を吐き出して、その場に座る。すこし息切れしている。ババアが生きていたら、なんて体たらくだと大目玉を食らっただろう。

 でも、もうババアはいない。その代わりに、地面に座り込んだ俺の目をのぞき込んできたのは、美しい少女だった。


「あなたは、何者なのですか?」


 なぜか、笑っている。

 この凄惨な状況の中で、天使のような美貌の女が、笑っている。

 とても面白いものを見つけたように。

 なかなか面白い少女のようだった。


「いや、まいったな。何者と言われると、先ほども申し上げましたのに」


 頭をかく。美人に見つめられると緊張してしまう。


「俺は、奴隷です。ただの奴隷。ほんの少し、長くやっていただけです」


***


 小川が流れていた。せせらぎは、山の雪解けが流れてきたものだろう。

 つまり、刺すように冷たい。


「ここで?」

「すみませんが……お願いできないでしょうか」


 美少女に拝むように頼まれれば、嫌とは言えない俺なのだった。

 戦闘を終えたところで、一行に加わってほしいという打診を受けた。こちらとしても、新しい雇い主がいたほうが、俺の奴隷根性の衛生上好ましい。二つ返事で引き受けたところ、最初の命令が、


「水浴びをせよ」


 ということだった。先ほどの魔獣の返り血で汚れている。魔獣の血は魔獣を引き寄せるのだから、安全な旅路を求めるのならば当然の指示だ。

 第一、そのことを差し引いても、たしかに髪はぼさぼさで櫛どころか指も通さず、肌は至るところが汚れている。

 ついでに、ババアの持ち物だったから元々のモノは悪くないにせよ、着物もすっかり垢じみている。

 匂いもするのだろう。もう自分じゃわからない。


「わかりました」

「すみません、ここに火を起こしておきましたので、終わったら体を温めてください。私たちは、あちらで待っていますので」


 言うだけ言って、木立の奥に姿を消す。

 見られて恥ずかしい体でもなかったのだが、気を遣われたのだろう。

 傍らにいた侍女と男が、なにか汚らわしいものを見るような視線だけを俺に残し、後に続く。

 あんまり遠くに行かれると万が一の時に駆け付けられない。なるべく近くにいてくれるといいのだが。


「よし、入るか!」


 服を脱ぎ捨て、足先から流れの中に入っていく。実は体温を調整するのは得意なので、熱湯ならともかく、冷水ごときで怯む俺ではないのだった。

 ざぶざぶと水をかき分け、中ほどで潜った。息の続く限り髪をこすり、肌をこすった。みるみる垢が落ちていく。


「あ、そうか」


 脱ぎ捨てた服を取りに戻り、それもじゃぶじゃぶと洗った。

 十五分ほども丹念に清めると、服も体もすっかり綺麗さっぱりだ。


「やべ、乾かす時間、考えてなかったな」


 手ごろな木の枝を探し当て、焚火近くの地面にさし、よく絞った服をひっかける。これで早く乾くだろう。


***


「本当に、よろしいのですか」


 男――ヴァルターが、少女――リリイに言う。声には明らかな不満が滲んでいた。


「私の目にも、あまり素性のいい男には見えませんでした」


 侍女――ユリアナも、奴隷の男を仲間に加えるというリリイの方針に、どうやら不賛成のようだった。


「ユリアナ、あなた、妙なことを言うわね」とリリイは笑う。

「え?」

「だって、あの人、奴隷だって言ってたじゃない。奴隷に、素性がいいも悪いもないわ」


 ころころと笑うリリイの姿を見て、ユリアナもヴァルターも毒気を抜かれたらしい。諦めたように微笑を浮かべてため息をついた。

 リリイは、その間合いを見逃さなかった。


「あなたたちの言いたいこともわかる。でも、この森を無事に抜けるには、彼の力が必要だわ」

「それは、わかっておりますが……」

「森に入る前に雇ったキャラバンは、一昨日の魔獣との闘いで全滅。馬も殺されて、俥は壊された。進むにも退くにも、行程は最低でも三日ある。そうでしょ?」

「……ええ」

「なら、彼を雇い入れるのは当然のことじゃない?」

「しかし、妙な企みを抱いていたら……」

「いたら?」

「我々の、寝首をかかれるやも」

「寝首?」


 一瞬、きょとんとした顔をして、リリイはまた声を上げて笑った。


「なんのためにそんなことをするのよ。私たちを殺すのが目的なら、さっきの羅羅の群れから助けなければよかっただけじゃない!」

「それは……そうでありますが。しかし、あの男がアメルハウザーの家臣にふさわしいとは、わしには思えず……」

「そうね。それはそうなのかもしれない。でも、私はいま、アメルハウザーじゃないわ。私はリリイ。ただの、放浪の女の子。だから問題ない。違う?」


 ユリアナとヴァルターは、露骨に眉を寄せた。リリイはそれを意にも介さない。

 ここで名家、貴族のプライドを優先しても、物事は決して良くならない。

 リリイは、生まれつき、もっとも優先するべきことは何かを知っていた。幼いころから貴族としての教育を受けてきたにもかかわらず、リリイには無用なプライドがない。

 やるべきことを、やるだけだ。


「それにしても、シュヴァルピッツェの森。聞きしに勝る魔境だったわね。あのレベルの魔獣が住んでいるなんて」

「行きがけの駄賃というには、羅羅の毛皮は上等すぎます」

「ここを抜けるしか、アスムスの館へたどり着く術がありませんからな。まだ、命がけの旅路になりますが」

「もともと、叔父さんが謀反を起こしたときに死んでいて当然の命だったのよ。懸けるべき命が残っているだけ儲けものじゃない」

「リリイ様……」

「さ、そろそろ、あの人の入浴が終わるころだわ」

「入浴というには、いささか冷たい水だったでしょうな」

「悪いことをしたわ。あとでもう一度、謝らないと」


 リリイは立ち上がる。木立を抜けたところに、揺れる焚火が見えている。


***


「ふーむ、なるほど。そういうことか」


 聞き耳を立てるまでもなく、三人の会話は筒抜けだった。詳細は省くが、ババアのせいで、俺の五感は人間離れしている。

 この程度の距離であれば、人の声を聞き取ることなど造作もないのだった。

 すべてではないが、会話のおかげで境遇の見当はついた。

 これはまあ、なかなか。


「楽しい旅になりそうだ」

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