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19 弾劾の夜

 どうしたのレオン、夕食後に呼び出すなんて、はじめてのことじゃない?

 あ、やっぱりいろんな服がほしくなった? いいわよ、そういうことなら明日、市場に付き合ってあげる。一週間、本当に頑張って屋敷の修繕をしてくれたものね。


 ありがとうレオン、本当に助かったわ。あなたに出会えてよかった。

 レオンにはちょうど、なにか感謝のあかしをあげないとなって思ってたところだったんだ。


 え、違うの? 服はもういらない?

 屋敷の結界について知りたいって、どうしてまた、そんなこと?


 ……いいわ、言いたくないなら聞かない。レオンには労働の報酬を受け取る権利があるからね、そんなことでいいなら教えてあげる。

 ユリアナもヴァルターもゲルタも、だいたいは知ってることだからね。レオンにも知っておいてもらったほうがいいかも。


 あの結界は、わたしを主人として認識しているわ。この主人の権限を委譲することは、原則としてできない。例外は、わたしとの血のつながりがとても濃い相手だけ。

 具体的に言うと、親か子か兄弟だけね。古い契約だから、あくまで血縁をキーにしちゃってる。今時、そんなリスキーな契約で縛るものは珍しいんだけど。


 クラウディア様が言ってたでしょ。お父様は、まだ赤ん坊だったころのわたしをアスムスに連れてきたみたい。その時に権限の継承を行ったのね。

 自分が死ぬまでは血縁として出入りを認め、さらに死んだ後には主人として登録されるように、って。


 ……そうそう、だからわたしだけが、今は客分権限の登録ができる。要するに、「この人は結界に入れてもいいですよ」って認識させるには、わたしのマークが必要ってこと。

 それなしでは、この結界には侵入できない。できたとしても、相当な代償を払うことになるわ。肉体的な痛手か、魔術的な呪いか。


 例外? あんまり考えられないけど……そうね、現実的じゃない方法でいいなら、あるにはあるわ。


 屋敷の中に、もうひとつ小さな結界を敷いておけばいいの。大なる結界の中に小なる結界がある場合、秩序は後者を重んじる。小さな穴が結界に空くことになるわね。

 小さな結界への通路を大きな結界の外まで伸ばしておけば、そこに関しては大本の結界の領域外になる。小さな結界の中にまで入り込んでしまえば、終わりね。


 不入の結界は、内側に入ってしまえば書き換えが容易なの。外側への反発が激しければ激しいほど、そうなる。

 でも、これ、現実にはありえないから安心していいわ。


 え? だってそうじゃない。大きい結界を突破するには小さい結界が必要なのに、小さい結界を張るには大きい結界を突破しなきゃいけない。

 その時点で、論理は破綻しているわ。


 ……どうしたの、難しい顔して。変なの。

 ねえ、本当にこんなことでよかったの? ほしいなら、やっぱり服、もうちょっと買ってあげてもいいんだけど。

 きっと、ユリアナやゲルタも喜ぶわよ。


 ……はいはい、わかったわ。冗談冗談。着せ替え人形にして遊ぶには、しばらく我慢してあげる。

 うん、それじゃあおやすみ、レオン。よい夢を。



***



「どうしてだ?」


 俺が声をかけると、人影は足を止めた。空には十一夜の月がある。これから満ちていくはずの、まだほっそりとした三日月だ。

 それでも、夜道を行く裏切り者の顔を照らすには、十分なあかりだった。


 死んだように眠るアスムスの街中。街道へ至る街路で、俺は裏切り者を待ち伏せていた。


「こっちの台詞。どうして?」


 声は、固く低い。

 どうして気づいたのか、という問いだろう。


「ずっと前に気づいてたよ。出会った時から、お前はリリイに対して、奇妙な後ろめたさを抱えていた」

「勘?」

「勘じゃない。鼓動の音や発汗量とか、嗅ぎ分けるにはコツがいるけど、むかし、教わったんだ。裏切りものの典型的な変化を」


 影は動かない。俺は、のぼりはじめた月を背負っている。逆光になる。向こうからは俺の表情が読めない。

 裏切り者は――ゲルタは、泣きそうな顔をして、両腕でみずからの身体を抱いた。こみあげてくる震えを、なんとかして抑え込もうとするかのように。


「なあ、ゲルタ。どうして。お前は、あんなにリリイを慕っていたじゃないか。演技には見えなかった。どうして、リリイを裏切るようなことを」


 ゲルタは一度息を吸い、眉を開いて声音を変えた。


「なにを言っているの、レオン君。下手な芝居に付き合ってあげたけど、まさか本気で言ってるわけ? あたし、寝付けなくて夜の散歩に出ただけなんだけど」

「ゲルタ」


 だませるとは思ってないだろう。俺を出し抜いてここを突破できるとも思っていない。

 それでも、ゲルタはそう言うしかなかった。あるいは、口にしたまやかしが真実であってほしいと、誰よりも願っているのはこの女自身だったのかもしれない。


「屋敷の中心に新たに敷かれた結界は、俺が撤去しておいた。印が残っていたよ。お前の血で描いたものだろう」

「…………」

「クラウディアに頼んで、識別鑑定の魔術を使う人間を呼べば、それで終わりだ。拘束されて、判決が出るのを待つか?」

「いいわ。意味がないもの」

「じゃあ」

「あたしがやった。あの結界を無意味なものにするために」


 冷たい顔だった。冷たい声だった。

 なのにどうして、子供のように、彼女は震え続けているのだろう。


「そんなことをすれば」

「リリイ様――リリイに危害が及ぶわね。わかってた、わかってたわよ、そんなこと!」


 叫んで、ゲルタは何度も地面を踏み鳴らし、膝をついた。それから、手を覆った。こぼれていく大粒の涙を隠すように。


「でも、それしか、あたしにはそれしかない。そうするしかなかったの!」


 そのゲルタの後ろに、月が影を作っている。風は死んでいた。遠くで獣の遠吠えがあった。

 雲が流れ、わずかに月明りを遮った。その闇を待って、俺は二歩、ゲルタとの距離を詰めた。


 ゲルタのほっそりとした白い首を、夜気がなでている。手刀を振るえば、苦もなく頭部を落とせるだろう。その瞬間に噴き出す返り血に身を汚さない算段だってつけられる。あまりにも簡単なことだ。

 そうすれば、おそらくゲルタは、死んだことにさえ気づけない。

 死の苦しみを、せめて彼女は味わわないで済む。


 ――裏切り者は、生かしておくと禍根になる。


 耳の奥で、ババアの教えがこだましていた。

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