16 三人だけの会話
さすがにここから先は、雑踏の中で語れるような内容ではなかった。
リリイは三人を促し、人気のない路地裏に入り込む。耳目がないことを確認して、声を低めつつ続ける。
「叔父様がクーデターに先んじて民衆の心を収攬していたとは思えない。でも、彼はたったひとつ、完璧な工作を行ったわ。そのことには、ただひとつの手抜かりもなかったに違いない」
「……王府、か」
ヴァルターがうめくように言う。その工作に気づけなかった自分の不明を恥じているのかもしれない。
けれども、そのことについてヴァルターが責任を感じなければならない理由はひとつもない。
だってなにしろ、リリイさえ、そんなことにはまったく気づいていなかったのだから。
「国は、叔父の謀反を正当なものとして認めたわ。内実はどうあれ、アメルハウザーの主はいま、コルネリウスということになっている。となると、彼を暗殺したところで、あの家と所領がわたしに転がり込んでくる、というわけにはいかないでしょ?」
「跡継ぎを定めずに当主がなくなった場合、家は取りつぶし、所領はすべて王府が没収することになっているからね」
「わたしがしたいのは、ただの復讐じゃない。アメルハウザーの誇りと歴史をこの手に取り戻すことが大目的。あの男ひとりを仕留めることに、意味などないわ」
知らず、握りしめていた拳が痛んだ。爪が皮膚に食い込んだのだろう。リリイは歯を食いしばって、目を閉じた。
叔父の顔を脳裏に思い浮かべる。
殺したところで意味はない。だからといって、決して許すことのできない、あの顔を。
「だから、こうして回り道をするしかないの。王府も認めざるを得ないような形で堂々と戦を仕掛け、蹴散らし、そのうえで相続の正当性を主張する。そのためには、もちろん民意の後押しも必要だわ」
ごくり、とゲルタが唾を飲み下す。ともに旅をしなかったゲルタは、まだリリイの決意を見くびっているところがあった。
これは誓いだ、とリリイは心中で唱える。幾度となく。
必ず、討ち果たす。どのような手段を用いることになったとしても、あの家を取り戻す。
「そのための準備は、もうはじまっている。アスムス家の信用を勝ち取り、次はこの街でのわたしたちの評判を高からしめる。ここは商いの都だから、人が集まり、散っていく。評判を勝ち取るのに、アスムス以上にうってつけの地はないわ」
「リリイ、そこまで計算して?」
ゲルタにうなずきを返して、続ける。
「だから、日々の言動に気を付けましょう。今日、このときの一挙手一投足が、ほかならぬわたしたちの未来を占うのだと。ひとは唐突に生まれるのではなく、評判は一夜でなるものでもない。現在は過去の積み重ね、未来は現在の積み重ねだけが導くものなのだから」
言葉を切って、三人の目を見る。三人は静かにうなずいて、胸に手を当てた。
そこに、いまのリリイの言葉を刻み付けるように。
「ごめんなさい、話が長くなったわ。買い物に戻りましょう。ほら、レオンの服も買ってあげないといけないから」
あえて陽気な声を出して、陽の光のはじける街路に戻ろうとする。
そのリリイの背に、「でも」と声がかかった。
ユリアナだ。
「ユリアナ?」
「でも、だったら、どうしてレオンの過去のことを聞かないのですか?」
緊張が下りた。
ユリアナが敬語を使ったのはわざとだろう。なれなれしい演技のままでは踏み込めない領域だと判断したということだ。
リリイはその、ユリアナの誠意を心から頼もしく思う。
「ただ者じゃない、なんてことは言わなくてもわかっておいでのはずです。ひとは唐突に生まれるものではないというのなら、あの異様な能力にだって由来があるはずです。それをあえて問わずに供を許している理由は――」
「ユリアナはさ」
「はい?」
あえて、笑顔を浮かべる。
物事を深刻に考えすぎている人を相手にする場合には、まずは緊張をほぐして間合いを切ることが肝要だ。相手のペースにそのまま乗ってはいけない。
リリイが、隠れて父に教わった帝王学の鉄則だった。
「レオンのこと、悪い人だと思う?」
「え、いや、これはそういう話では……」
「そういう話なの。どうなの、悪い人だと思うの?」
ユリアナはわずかに沈思し、考え込むことそのものがレオンへの無礼に当たるとでも言うように、すぐに首を振った。
「思いません、決して」
「うん。わたしも、レオンはいい人だと思う。だから、それでいいじゃない」
「しかし!」
「だってレオン、たぶん、過去のこと、聞かれたくないんだもん。そう思わない?」
「それは……そうかもしれませんが」
「なら、聞かないでおいてあげるのがやさしさでしょ。あなたたちなら、それがわかると思うけど」
この言い方はちょっとずるいな、と自覚しつつリリイは言った。実際、三人は息を呑んで固まってしまった。
「過去を詮索されて困るのは彼だけじゃないわ。清廉潔白な来歴の人ばかりではないのだから」
責める意図はないのだと示すために、片目をつぶって見せる。それで、ユリアナは詰めていた息を吐いて、微笑してくれた。
「そう言われると、言葉もありませんね」
「わしも」
「あたしもー!」
うん、とリリイはうなずく。それから、今度こそ街路に向かって歩きはじめる。
「他人のことなんて、腹の底まではわからないものよ。だから、最後は勘。この人を信じて陥れられるのならそれでもいいと思えたら、もうあとは盲目的に信じればいい。レオンのことを、わたしはそう思っている」
そして、背を振り返る。リリイの表情はきっと、逆光になって三人からは見えない。
「もちろん、あなたたちに対しても、ね」
***
「な、に、これ?」
夕暮れ過ぎ、買い物帰りの四人がボロ屋敷の前を通りかかってくれた。いまから廃材をまとめて今日は切り上げようと思っていたところなのでちょうどいい。
午後一杯をかけて、もう使い物にならない壁や床、建具を取り除いて、庭にまとめておいたのだ。ゲルタのうめきはそれを見てのものだろう。
「あ、良かった、いいタイミングだ。ヴァルター、頼んでた縄、ちょうだい」
「あ、うむ。これでいいか?」
ヴァルターが額に汗を光らせながら肩に担いでいた縄を受け取る。ひょいっと持ちあげて、すらすらっと必要な分をばらし、適度な長さで引きちぎる。
「うん、強度も大丈夫っぽいな。助かった、ありがとう」
「ちょっとちょっと! 強度も大丈夫って、いまあんた、紙でも引きちぎるみたいに縄を切らなかった!? それ、馬車でも曳ける強度だって売り文句で売ってたものよ!?」
「え、うん。だから、丈夫な縄だって言ったんだけど」
「だったらどうしてあんたがそれを軽々と引きちぎれるのよ!」
なんだか興奮気味のゲルタである。
そういえば、ゲルタと合流してから俺は自分の力自慢を見せたことがなかった。
「どうしてって言われてもなあ」
できるから、としか言えない。でもそういうと、ゲルタはますます怒りそうな気配だ。
結局、沈黙を選んだ。が、ゲルタはかえって軽んじられたと思ったらしく、怒ってずかずかこちらへ寄ってきた。
「あ、ダメだ、来ないほうがいい」
「なに言ってるのよ、だいたい、あんたが……ぎゃあ!」
ばちん、と青白い雷光が走った。ゲルタはあまりの痛みに悶絶している。気の毒過ぎて見ていられない。
屋敷に張り巡らされた結界だ。ゲルタはまだ客分権限の登録を終えていないから、部外者と判断されたのだろう。
だから止めたのに。
リリイは痛ましそうにゲルタに手を差し伸べ、ユリアナはあきれ顔で首を振っている。
「俺のせい、かな?」
「違う、かな。ゲルタが悪いってわけでもないけど……運が悪かったかな」