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15 奴隷の本懐

「へえ、さすがに造りは上等だな。これなら、思ったよりも手間がかからなそうだ」


 四人と別れて向かった先は、もちろんアメルハウザーのボロ屋敷だった。

 するすると屋根に登り、上から順番に構造と状態を確認していくつもりだったが、はじめに見た大柱が想像以上に立派だった。

 母屋をつらぬく、文字通りの大黒柱だ。


「腐敗もないし、歪みもない。虫に喰われてもいない。よっぽどいい建材を使ったんだろうな」


 赤肌の常緑針葉樹の中には、強い抗虫作用を持つものがある。まっすぐに天を衝く巨木に育ちやすいので、建材に好まれる。中でも最上級のヒノキが使われていた。

 建材だけではなく、人の手の跡も素晴らしい。ほれぼれするような仕事ぶりだ。見えないところまで丁寧で、手抜かりがない。

 百年以上前の大工たちに尊敬の念を抱く。


「よっし、ほかのところも手早く見てみるか」


 買い物には微塵の興味も持てないが、家の補修・改装・大掃除にはめちゃくちゃそそられるものがある。奴隷の性だ。

 実は昨夜から、さっさと段取りを考えたくてうずうずしていたのだった。こんなことなら、昨日訪れたときにもっと仔細に見分しておくべきだったと真剣に後悔もした。


 すでに権限は付与されていたので、屋敷の敷地に入るのに苦労はない。

 庭の草木が暴れ放題伸び放題なのが目についたが、優先順位は建物の補修のほうが上だ。


「建具の類は……さすがに全滅だな。ぜんぶ入れ替えないと使い物にならなそう、と。屋根と床もところどころ怪しいなあ。壁は、一部崩れているところがあるくらいか」


 しかし、構えの主なところと、なにより基礎が非常に堅牢に仕上がっていた。いま、これと同じ仕事をやれる大工が、この世界に何人いるだろう。

 これなら、腐敗のあるところは、いっそ再利用などとけち臭いことを考えず、ごそっと入れ替えたほうが逆に早く済む。


「庭とか離れにも手をつけたいけど、さすがに後回しにするとして……主な部分だけならかなり早く終わっちゃうんじゃないかな」


 天候次第だけど。

 雨風は、建築作業にはダイレクトに悪影響を与える。ババアであればその間の天候をコントロールするくらい朝飯前だったが、あんなことはきっとほかの誰にもできないのだろう。


 ババアの命令で三日三晩不眠不休で新しい家を建てさせられたことを思い出す。めちゃくちゃ過酷な指令だったが、そんなに嫌な仕事ではなかった。

 俺は平和的な奴隷なのだ。狩りや戦や暗殺より、建築、土木のほうが好きに決まっている。


 ちなみに、一番好きな仕事は、家事と家畜の世話。特に掃除が最高に好きな俺なのだった。


 今日は下見だから、必要になりそうな建材と道具をリストアップして、段取りを整理するにとどめておくつもりだった。

 けど、先人のいい仕事を見ると、体がうずきだして仕方がない。


「よーし、解体くらいは、今日済ませておいちゃうか!」


 腕まくりして、深く呼吸する。太陽はまだ高い。働き甲斐があるというものだ。



***



 そのころ、リリイたちは服飾品の店が軒を連ねる市場にいた。宝飾品のエリアはもう少し外れたところにあるので、あとでそちらにも足を延ばすつもりでいる。


「ああ、だめ、目移りする……!」


 ふらふらと店頭をさまよっているのはゲルタだ。その様子を微笑ましく見守りながら、リリイは手早く会計を済ませる。

 荷物はあとで宿に届けるように頼んで、外に出る。今日は、かなりの数の服を買い込まなければならない。持ち帰るのは面倒だ。


「さて、ふだん使いの服はこれくらいで十分かしら?」

「これでよろし……いいの?」

「ユリアナ、なにが?」

「ずいぶん、その、質素な召し物ばかり求めていたから。資金には余裕があるわ、ドレスの類をもう二、三着見繕ってもいいんじゃない?」

「ほしいのは、ほしいけどね」


 リリイは苦笑する。華美なドレスは好むところではないが、素材の良い服、仕立ての丁寧な服は好きだ。いずれにしろ、値が張るという点においては変わりない。

 指でもくわえそうな様子で、ゲルタもこちらを見ている。ユリアナもゲルタも、リリイの購入したものよりも高価な衣装は買いづらい、ということだろう。


「ユリアナもゲルタも、もともとは衣装持ちだったもんね」

「そ、そういうわけじゃないよ! でも、こういう時だからこそ、自分を奮い立たせるための贅沢はあってもいいんじゃないかって、あたしは思いま……思うだけ!」

「そうね、でも大丈夫。服で武装するまでもなく、わたしの士気は振り切れているから。いえ、むしろ来るべきその日のために、わたしたちは最低限、身を慎まなければならないのよ。あえて困窮を演じる必要はないけど、質素は心掛けたほうがいい」


 首を傾げたのはゲルタだけだ。ユリアナは、リリイの言いたいことをすでに察して、首を垂れている。

 別にそこまで反省する必要はないのに、とリリイは思う。ユリアナは時折、厳しすぎる。自分にも、他人にも。


「リリイ、それ、どういうこと?」

「その日、わたしたちの決起の日が訪れた時、わたしたちがもっとも気にしなければならないものはなんだと思う?」

「そりゃあ、敵の出方、とか?」

「大事ね。でもそれは、勝つために必要なもの。本当に大事なことは、勝った後に必要なものよ」

「んー、なにそれ、わかんない」


 匙を投げるのが早い。ゲルタはきびきびとよく働くメイドだったが、頭を使うのはむかしから得意ではなかった。

 そのゲルタから話題を引き取るように、これまで影を薄くしていたヴァルターが喋る。


「世論、評判。民から我々がいかに見られているか。そんなところか」

「そうね。わたしたちの正体を明らかにしたとき、「ああ、あの人たちになら味方してやりたいな」と思ってくれる人が、この街、この世の中にどれだけいるか。その声こそが、わたしの継承の正当性の後ろ盾になるの」


 民が、商人が、この世界に生きる人々が背中を押してくれなければ、奪い返した家名に何の意味があるだろう。

 貴族とは領主、領主とはすなわち、民の暮らしを安んずるために存在するものでなければならない。


「だから、その日が来るまでは人気者でいよう、ってこと?」

「無理に愛想を振りまく必要はないわ。ひととして、ひとに接する。身の丈に合った言動を心掛ける。みずからを律して、常に天に対して、自分の正義に対して恥ずかしくないように振る舞う。それだけ」

「それは……」


 今度は、ユリアナが苦笑した。ゲルタも困ったように眉を寄せている。


「なに?」

「それは、リリイにとっては簡単なことでしょうね。いつも、そうして生きてきたのだから。でも、私たち普通の人間にとっては……」

「それ、めっちゃ難しいよ」


 ゲルタはへにゃへにゃっと座り込む。その頭を撫でて苦笑する。

 たしかに、口で言うほど易いことではないのかもしれない。


「でも、これでようやく腑に落ちた。実はね、ずっと気になっていたの」

「ユリアナ?」

「どうして、レオンに命令しないのかって。いますぐ、コルネリウスの首を取ってきなさいって」


 あっと声を漏らしたのはヴァルターだ。その可能性に、ようやく思い至ったらしい。

 微笑みながら、ユリアナの目は挑むようにリリイを見ている。それはそうだろう、とリリイは思う。ユリアナが、こんな簡単な結論にたどり着いていないわけがない。


「レオンなら、城に忍び込んで簒奪者の首を挙げることなど、何でもないことでしょう、きっと」

「どうかしら、そこまで簡単なものでもないと思うけど」

「でも、リリイはそう命じなかった。それでは、意味がないから。違う?」

「まあね」


 とリリイはうなずいた。この問いへの答えは、伏せなければならないようなものではない。

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